67 / 165
忠告8 side chiaki
2
しおりを挟む「うーん……んぅ」
俺の腕に頭を預け眠っていた桜さんが、腕に擦り寄るようして身じろぐ。
無防備だな。ほんとに……。こっちの気も知らずに。
思わず苦笑しながら彼女の頬に貼り付く乱れた髪を取り除いていると、力の抜けた白くて小さな左手が膝の上に見える。
起こさないようにそっと手を握り、飾りけのないほっそりした薬指を優しくさする。
贈ったマリッジリングは、未だにつけてもらえない。
俺が気にする立場にないことはわかっているが――あんな嬉しそうな顔で「だいじにする」と言ってくれたものだから……はじめて無いことに気づいたとき、咄嗟に引き止めてしまった。
ただの社交辞令に過ぎなかったんだろうか……。
そう実感すると、なんだかとてつもなく胸が苦しくなって……彼女が寝ているのをいいことに、ジャスミンのような甘い香りのする髪に頬を寄せる。
――わかってる……。
「もう、言い逃れができなくなってきている……」
流れる車窓を見ながら思い出されるのは、約ひと月前からなる自分の行動たち。
――彼女が見合いの席に来たじてんで、俺の心はすでに、偽装結婚の意を固めていた。
あんなふうに真っ直ぐに気持ちをぶつけられたのははじめてのことで。
小動物のような外見とは裏腹、真っ向からぶつかってくる彼女に興味がわいて申し込んだ提案だったが。
『――仲良くなれるように、この偽装結婚を大いに利用したいと思います』
『一緒にいたいって思ってもらいたいから――全力で口説かせてください』
俺の後ろめたさを一蹴するように、想像もしていない熱量で向きあってきた彼女のひたむきさに、さらに心が鷲掴まれるのが分かった。
今まで見てきた女性たちとは、まるで違う。
……雪が溶けるように心が解きほぐされていくような感覚を味わった。
そして――俺の部屋で偽装結婚の了承を得た数日後。“手元の記憶”が定かなうちに、都内のジュエリーブランドショップを訪れていた。
謝意を込めて、マリッジリングを贈りたいと思ったからだ。
芯の強い彼女をイメージした、繊細でシンプルかつ愛らしいデザインを選び。なにを血迷ったのか、店員に勧められるがまま自分のものまで注文するのは誤算だった。
提案したのは偽装だというのに。浮かれていたのかもしれない。
そう苦笑しつつも煩わしいわけではなく。顔を合わせるたびに、見返りなく俺を気遣う彼女を思えば、自然と身体は動いていた。
けれども――そこにタイミングよく舞い込んだのは、クリスとの初顔合わせだ。
彼は書面にあった旧姓で書かれた秘書名――sakura・kuniiの名前を見て大きく反応を示したのだ。これには会長も驚いていた。
『彼女は、わしの優秀な専属秘書だ。はじめての来日と聞いてたが……日本に知り合いがいたのかね?』
『――名前が似てるなと思って。もし本人なら……ずっと忘れられない、大切な女性なんだ――』
口にしなかったものの、そこに秘められている思いに鋭敏な会長も気付いただろう。
クリスチャン・ヴァン・レノックスといえば、数年前、彼の父の経営する欧米屈指の電子機器メーカー『LNOX』の後継者として顔を出したきり、その容姿と頭脳、そして物腰柔らかな対応で密かに海外の財界で人気を集めていた。
二年前まで永斗さんと海外赴任していた俺の情報であって、日本ではほとんど知られていないだろう。
そして、彼女が短期留学でホームステイを利用した件は、入社時の情報で予め知っていた。
また、イノックス氏が過去に、ホストファミリーに登録していたという情報も経済誌から得ていた。
同姓同名なんてそうそういない。
俺の中で、多少予想と誤差があれど、ふたりの接点は容易に考えられるものだった。
童話から出てきた王子のような風貌に、確固たる後の経営者という肩書き、そして愛嬌たっぷりの穏やかな人柄。
藤森の言葉を借りる訳ではないが、クリスが本気で女性に迫れば、どうなるかなんてわかったも同然だった。
『まあ、所詮、偽装結婚だ……。彼女がクリスに惚れたというならば、そのときは途中で放棄されても仕方ない』
初顔合わせのさなか、そんなことを思っていたのだが――。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
169
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる