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忠告1 見合いの打診

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忠告1―― 見合いの打診





 そんなことの始まりは、その日の朝に遡る――。

 定例の株主総会を終えてホッとしているのも束の間。

 朝から社内掲示のあった月曜日の秘書室は、とにかく朝から慌ただしく、非常に騒がしかった。

 いつものように、就業時間前のルーティン作業を処理していると、背後のデスクから同僚たちの会話がヒソヒソと聞こえてくる。

「――ねぇ、坪井さん見たー? エントランスの掲示版。もう絶望なんだけど……」

「あぁ、今月の下旬から、グループ企業の御曹司が研修受けにくること? そのおもてなし役に、我らがゼネラルマネージャーが抜擢されるとは、さすがだよなー」

「……はぁ、ほんと、たまにこっちに顔をだすだけで面倒なのに。赴任してくるだなんて……最悪よ」

 十台程のカウンターデスクが配置される、こじんまりとしたシンプルな秘書室。

 いくら声を潜めていようとも、背後でそんな話をされてしまえば、タイピング音に混じって否応なしに耳に飛び込んでくる。

 なんとなく気が逸れそうになるけれども、耐えて、自らのボスである我社の会長――漆鷲うるわしさかえの本日のスケジュールに目を通す。

 ……とりあえず仕事に集中、集中。

 ――ここは、都内港区に大きく構える、漆鷲ホールディングス本社ビル、ニ十七階・秘書室フロア。

 旧漆鷲うるわし財閥の流れをくむ我社は、業種や業態が違うあらゆる一流企業をマネジメントする純粋持株会社であり、

 私、國井くにいさくら・ニ十七歳が、大学を卒業後からかれこれ五年ほど勤める企業である。

 千を越える傘下やグループを従え、国内でも五本指に入るほどの超優良企業。

 大学で猛勉強のかいあって国際秘書検定を習得していた私は、ここのグループセクレタリーとして、会長・漆鷲うるわしさかえの第ニ秘書として、目まぐるしい日々を過ごしている。

 華のある職業とは言わているけれども、仕事に追われているため恋愛ともご無沙汰。

 彼氏がいた記憶なんて、確か大学時代だったかな?

「ねぇ、桜も掲示見たんでしょ?」

 そんな私を背後から小声で呼びつけるのは、さっきからコソコソ愚痴を連ねている、同じくここのグループセクレタリー、同期の佐伯さえき友子ともこ

 グラビアアイドルのように可愛らしいのに、そんじょそこらの男よりも気の強い彼女は、無敵の親友でもある。ちなみに彼氏は募集中。

「真面目な國井ちゃんが見てないわけないよ」

 ――と口を挟むのは、その隣のデスクの5つ上の敏腕秘書、坪井つぼいまさるさん。爽やかな塩顔イケメンの彼は、秘書室のお兄さん的存在だ。

 二人は我が社で最も多忙を極める、会長ご子息の“漆鷲はじめ”社長の第一秘書と第ニ秘書を務めている。

「……私はなにもみてないよ」

 瞬時に2人の言いたいことを察した私は、エントランスの巨大掲示版を知らんぷりした。

「嘘ついてんじゃないわよ」
「いてっ!」

 すぐに友子の手が背中にのびてきた。
 手加減なしだから、ほんとに困る。

 わかっている。世の中そんなに甘くないのだ……。
 
 背中をさすりながら、すぐに返事を改めた。

「……会長の親友のお孫さんが来るって話しでしょう?、事業にも関わった大切なお客様みたいだよ。バイリンガルでも対応できない部分もあるから、知識豊富で語学堪能のゼネラルマネージャーを、“フーズ”から、引っ張ってくるしかいないんだって」

 素直に答えたっていうのに、ふたりから寄せられるのは生暖かい眼差しだった。

 ……ニタニタしている。知ってて聞いたに違いない。

 ちなみに言っておくと、フーズというのは、この漆鷲ホールディングの源流企業であり、会長のお孫さんである漆鷲うるわし永斗えいとさんが現在、代表取締役・社長を務める漆鷲フーズという食品会社のこと。

 そして、“バイリンガル”というのは。国際秘書検定ファイナル試験に合格し、CBS認定証を授与された――いわゆるバイリンガルセクレタリーの資格を持つ人のこと。

 簡単に言えば、英語と日本語など、2ヵ国語が話せることだ。

 ちなみに、ここのグループセクレタリーはみんな持っていて、それぞれの言葉に適任者がいる。

 そんな中でも“彼”、ゼネラルマネジャーは、軽く4ヶ国語は堪能だといわれる、いわゆるペンタリンガルという逸材で、かの有名な海外一流大学を極めて優秀な成績でクリアしたという頭脳明晰ぶり。

 そう。とてもすごい人なのだ。「――まぁ、桜はゼネマネが赴任してきても痛くも痒くもないどころか、嬉しくて仕方ないわよねぇ……」

 ――ゔぅっ!

 生暖かい視線から逃れるように手元の仕事を片付けていると、心の内を読んだ友子は、背後から私の肩を意味深にツンツンしながらニヤニヤ。

 坪井さんもクスクス笑いながら、いつものように加わる。

「真面目で一途なのは、國井ちゃんのいいところだよ」

「何考えているのかわからない『秘書室の悪魔』のどこがいいのか、私にはちっともわからないけどね」

「まぁ、能天気で駆け引きができなそうな國井ちゃんには、手に負えなそうな相手ではあるよね~」

「ふふふ、ほんとに」

 こうして言いたい放題言われるのは、いつものこと。

 だけど、今日はまぁ……仕方ない。

 いじり倒して楽しそうなふたりに、そろそろジロリと視線を送る。

「もう、ふたりとも。その話は終わり――」

 真っ赤な顔で声を上げた――そのとき。

「ハーイっ、みんな揃ってるかしらーー」

 声を張り上げながら秘書室に入ってきたのは秘書室長――英子さん。
 そんな女性室長に続いて、もうひとり。ダークスーツに身を包んだ、すらりとした長身の男性が秘書室に入ってきた。

 その瞬間、さっきまで緩んでいた秘書室内の空気がピリッと嘘のように張りつめ、水を打ったように静まり返る。

 え……。

 このときばかりは周囲はもちろん、さすがの私も予期せぬ出来事に固まった。

「――ずいぶんと、ここの秘書室は暇人が揃っているようですね。……英子室長」

 背中が凍えそうなほど、冷ややかな低い声。

『室長』に向けて降った割には、セルフレーム眼鏡の奥の涼やかな瞳は、私たち秘書たちを見下ろしている。

 久しぶりに見るその姿から、一気に目が離せない。

「そう言わないでよ、島田。まだ就業時間前なんだから、大目に見てよね? うちの子たちはグループきっての精鋭なんだから」

 年齢不詳の小さな顔に大きな瞳。
 モデルのようなプロポーションにパンツスーツを着こなす美魔女・英子えいこ室長は、そんな空気をウインク一つで流してしまう大物だ。

「みんなエントランスの掲示版見わよね? もう知ってると思うけど、月末から――」

 室長のキビキビした口調により、定例となっている朝礼がはじまる。

 真面目な顔で説明に耳を傾けながらも、鼓動はバクバクと跳ね上がっていき、“彼”――島田しまだ智秋ちあきさんのことが気になって仕方なくなる。

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