明日の朝を待っている

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16 深夜0時をまわる頃

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 出せなかったラブレターは破って捨てた。出す予定もないのに何度も書き直してみたけれど、『好きです』ただその一言以上を書けず破ってはまた書き直す。
 結局どうにもならなくて、出す予定はないのだからと破くのも書くのもやめた。

 arisaの時のようにSNSを見るのになぜか躊躇って、週明けを迎えた。おれが参加したのは土曜日で、翌日の日曜日にもコンサートは行われていた。おれの知らない何かがその時に起こったかもしれないのに、SNSを漁る気が起きなかった。

 見る気はなかった緒形タカヒロの文字を目にしたのは、お昼のワイドショーだった。
 特に用事もなくつけていたテレビで流れてきたその人の話題。芸人やタレントが集まる中で画面に出てきた文字と映像は、良いものではなかった。

『緒形タカヒロ 大麻取締法違反で逮捕』

 出ている顔は最近よく見ていた顔で、出ている文字も最近よく見ていた名前。続いて流れた情報は、始まったばかりのコンサートが当然のように中止になるというものだった。
 おれのチケットはもう消化済みだから良かった。そんなことを一瞬だけ思って、その後すぐにリョウさんの立場を考えた。彼はずっとコンサートに出る予定だったはず。もしかして接した人間は全て調べられたりするんだろうか。特に二人だけでやっている曲があるのだ。長時間接触していたと疑われたりしないだろうか。何より逮捕されてしまったのなら、動画もすべて消えるんじゃないか。

 慌てて動画をダウンロードし、個人的なリョウさんフォルダに保存しておく。リョウさん自身に色々と聞きたいけれど、どうすればいいのかわからなかった。次のコンサートに向けて地方に飛んでやしないのか。もしかして警察署にでも連行されてやしないのか。今おれなんかが連絡を取ったところで何になるのか。

 気になって気になって仕方がない。
 SNSで緒形を調べ、中止になったコンサートのことを調べた。あちらのスタッフも慌てているんだろう、コンサート中止のお知らせはずいぶんと簡素だった。
 ファンの反応はそれぞれだ。信じられず今は考えられないだとか、緒形タカヒロが無罪だと信じているだとか、以前からあまり良くない女との噂があったとか……。当たり前だが張本人の話題しかなく、出演者がどうなっているかなんてわかるわけがない。

 情報を得る確実な方法が一つだけある。リョウさんに直接聞くことだ。
 でもおれはただのファン。ラブレターを出したからこちらの住所氏名は知られているが、おれが知っているのはあの人の名前とメッセージアプリのIDだけ。対等ではない。もし何かあればあちらからのメッセージは受け取れるというだけであって、こちらから送るなんて考えられないことだった。
 だけど、だけど。

 部外者であるおれが口を出すことじゃない。でもおれはリョウさんのファンで、ファンだから、彼に幸せでいてほしいと願う。何か困ったことがあったら教えてほしい。手伝えることなら全力でどうにかしてあげたい。
 そう思う気持ちは物凄くあるのに、実態は何も伴っていない。

 でも、だけど。そんなことをうざったく考え考え、結局おれは手を動かした。

 時間が経つほどにSNSでは何万もの言及があり、緒形タカヒロの持っていた影響力を知る。だからこそあの新曲でリョウさんがやったことは今後にも繋がるはずだったのに。
 緒形タカヒロのおかげでリョウさんのことを多くの人が知っただろう。でも緒形タカヒロのせいで、それは無かったことになる。黒歴史になってしまう。
 どうにもできないのがもどかしい。それを跳ね除ける力が自分にはないのがもどかしい。



 冬の空気はひどく冷たいが、万が一にかけて公園に立った。足元から凍り付き氷像にでもなってしまいそうだったが、いつもの時間にリョウさんは来なかった。少し時間を伸ばし待ってみたけれど、やはり来るはずもない。
 どこにいるんだろう。今どんな顔をしているんだろう。どんな気分なんだろう。そんなことを考えながら帰宅し、温まった部屋に血を溶かしてもらう。シャワーは熱湯のように凍った足に染みた。

 0時をまわる頃、光る通知に気が付いた。意識せず手にしたスマホ。表示された名前に目が覚める。
 メッセージの時間は2分前。そう遅くはない。慌ててメッセージを返し、ベッドの上で正座するように返信を待つ。布団の中の緩い空気は抜け、少し肌寒い。心臓はどくどくと鳴っていて、何度も何度も既読メッセージを読み直す。

『公園まで来い』

 0時の命令に、家を飛び出した。
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