上 下
50 / 261
第2章 私はただ普通に学びたいだけなのに!

22 査問会③

しおりを挟む
 先程まではアリーナ・オルローのことは他人事で自分には関わりの無いことだと、完全に観客席にいる観客状態だった。
 それが、いきなり観客席から舞台の中心に引きずり込まれてしまった。

 アリーナの座っている場所も私が座っている位置もこの査問会の開始時点から何も変わっていない。それなのに、今は私とアリーナにだけスポットライトが向けられて私とアリーナが中心になってしまった。他の出席者たちは私とアリーナを観客席から観劇しているだけ。

 私を視線で殺そうとでもするかのような強烈な殺意の籠ったアリーナの瞳を私は真正面から受け止めた。
 絶対に視線を逸らす訳にはいかない。弱気を見せることはできない。視線で人は殺せない。何も怖くは無い。怯える必要も無い。

 私は余裕があるように見せるために、強烈な視線を受け流すような笑顔を浮かべる。真正面からやりあう必要も、真剣に取り合う義務もない。

 心を落ち着かせて冷静に対処すればいいだけ。

 彼女がこの学園から排除されることは決まっている。それなら、彼女に配慮する必要はどこにもない。

 私はアリーナ・オルロー個人に対して特に特別な感情は持っていない。
 失礼な態度を取られたし、私への支度金が横領されたことで研究室が使えない状態であったり、王子とその取り巻きに絡まれたりと不愉快な思いをしたり、困ったりもしたが、大したことではない。
 案内人失格、事務員失格の学園の職員という程度の認識だ。
 アリーナが私を一方的に目の敵にしていただけで、私は彼女の名前すら知らなかったし、知ろうともしなかった。
 特に特別な関心も興味もアリーナに持っていなかった。
 
 今もアリーナに何も感じない。
 同情したり、哀れんだりしたり、視線が強烈過ぎてちょっと怖いな、くらいは思うが、それは一瞬だけで、心に残るようなものではない。
 一方的に敵視されて、いろいろと陰でされていたことを考えると迷惑だと溜め息の一つも吐きたくはなるが、溜め息一つで忘れられる程度のことでしかない。

 彼女は本当の意味で私を傷つけることはできなかった。
 私の体も心も名誉も立場も何もかも彼女は汚すことも貶めることも辱しめることも引きずり下ろすこともできなかった。
 
 私には被害は無い。
 彼女への敵意も怒りも無い。
 だからといって大人しく言われっぱなし、やられっぱなしで許容して放置して流すわけにはいかない。

 私の夢と誓いのために。

 心は決まった。
 私は余裕があるように見える落ち着いた笑顔を張り付けたまま口を開いた。

 「アリーナ・オルロー、あなたに尋ねたいことがあります」

 「平民風情が私を呼び捨てにするな!」
 
 私はアリーナの怒りと蔑みに満ちた叫びを無視して質問を続ける。

 「あなたにとって『貴族』とは何ですか?あなたが考える『貴族』の定義と意味を平民の私に教えてください」
 
 「……は?平民はそんなことも知らないの。いいわよ、教えてあげましょう。『貴族』とは『血』よ。親が貴族であるかどうかで決まるのよ。私の親は子爵よ。だから私も『貴族』なの。『貴族』は平民の上に立って平民を従わせる者。わかった?」

 アリーナは私を見下しながら偉そうに『貴族』について語った。

 「あなたの貴族像は分かりました。貴族の血をひいていればその人間は誰でも貴族ということですね。それは間違いです」

 「なんですって!平民風情が貴族の何を知っているというの!!」

 私の否定にアリーナは激怒した。
 私はアリーナの怒りを無視して優しくアリーナに諭すように言葉を続ける。

 「貴族は国の建国に寄与した人物に爵位や土地や身分や権力や役職などを与え、それを子孫へと受け継いでいった一族のことです。国への貢献が認められて国王から爵位を与えられた瞬間に貴族になる人もいます。逆に、罪を犯すなどして爵位を取り上げられた場合は血筋がどうであれ貴族ではなくなります。その一族全員が貴族と称することはできなくなります」

 「……そういった場合もあるけど私には関係ないわ。私の家は建国当初からの貴族で、今も私の弟が爵位を継いで存続しているのだから」

 「貴族は与えられた権利を行使して、義務を果たし、国の繁栄と安寧に貢献し続けなければなりません。国から与えられた権利はその為のものです。国から与えられた特権を享受だけして義務を果たさず私腹を肥やすだけということは許されません。貴族とは国から認められ、与えられた特権と立場によって成り立っています。それらを国から取り上げられたら血など関係なく、貴族ではなくなります。貴族を貴族足らしめているものは血ではなく国から与えられる爵位や領地や特権です。この国の貴族の根っこは血ではなく、国から与えられた爵位です。領主は全て爵位を与えられています。爵位を剥奪されたり、爵位を返上したりすれば貴族ではなくなります」

 「それが何よ!私に何の関係があるの!?」

 アリーナは私が何を言おうとしているのかが分からずに困惑して苛立ち始めた。

 「爵位を持っている貴族でも貴族の義務を果たしていなければ、爵位を剥奪されます。貴族という身分を振りかざして義務を怠り自分の欲を満たすために法を犯せば爵位は剥奪されるか、降格されます。貴族であれば何をしても許されるという法はこの国のどこにもありません」

 「いったい何が言いたいの!」

 アリーナは悲鳴のような声をあげた。
 
 「貴族が貴族としてあり続けるためには相応の努力が必要です。血だけではその責務を果たすことはできません。平民は貴族が貴族としての責務を果たし続けていることに敬意を払っているのです。その血を敬っているわけではありません」

 「平民風情が貴族を、貴族の血を侮辱するな!」

 「貴族を侮辱しているのはあなたでしょう?
 貴族としての義務も責任も果たしていないのに、ただ貴族の血を引いているというだけで貴族であると威張り散らし、罪を無かったことにする人間は果たして貴族と呼べるのでしょうか?
 職務放棄と業務上横領は貴族だからといって見逃されて許されるものではありません。
 貴族という言葉を貴族でもないあなたが自分が何をしても許されるという免罪符として使うのは本物の貴族に対して失礼ですよ」

 「違う!私は貴族だ!!私のお父様は子爵で、私はオルロー子爵家の人間よ」

 「アリーナ・オルロー、あなたが貴族であると言うなら、あなたは貴族として今まで何をしてきたのですか?貴族として国にどんな貢献をしましたか?貴族として何を成し遂げましたか?貴族として爵位を持っている父親をどのように支えてきましたか?貴族としてどのような義務を果たしましたか?教えてください」

 「……あ、あ、あ…………」

 アリーナは完全に何も言えなくなり黙り込んでしまった。

 「あなたはただの子爵家の血をひく一人の人間に過ぎません。貴族としての仕事もしておらず、義務も果たしていない。貴族としての責任を何も背負っていない。あなたはこの学園の事務員でしかない。その証拠に誰もあなたを貴族とは認めていませんよ」

 その背負う責任の重さで貴族としての地位は変わる。
 爵位を持っている人、爵位の継承権を持っている人にはそれに見合うだけの能力や仕事を要求される。
 領地を治めて税を国に納める。国の役職の仕事を果たす。戦争があれば国を守るために戦う。国王の治世を支える。
 貴族は多くの義務と責任を背負っている。爵位を持っている人がその一族の総責任者という立場だ。その人を支えている妻、共に責任を果たしている子などは貴族と呼べる。
 しかし、何一つ貴族としての責務を果たしていない家から出た人間は貴族と呼べるのか。
 
 アリーナは会議室を見渡した。すがるように出席者に目を向けたが誰もアリーナを貴族として見ている人はいない。冷たい視線だけが浴びせられている。
 アリーナはやっと現状を理解した。
 自分は貴族として見られていない、認められていないということにやっと気が付いた。血だけでは何の力も無いことを思い知った。
 アリーナはすがり付いていた先を失った。

 どうやっても罪から逃れられないことを察したアリーナは脱け殻のようになり、静かに大人しくなった。
 そのまま査問会が閉会するまでアリーナは一切口を開くことは無かった。

 私はアリーナ・オルローの心を完全に折った。
 貴族に喧嘩を売ったのではない。
 自分を貴族と思い込んでしまっている事務員の間違いを正しただけ。
 査問会の出席者の誰も彼女を貴族として認めなかったし、庇わなかったのだから私の発言に問題は無い、はず。

 アリーナ・オルローに売られた喧嘩を買って、きちんとお返ししただけだ。やり過ぎではないだろう。
 
 これで私はやられっぱなしで黙っているような弱い人間ではないことは証明できたはずだ。
 貴族相手にやり過ぎということで貴族から反感を買うこともないだろう。アリーナ・オルローは貴族と認められなかったのだから。

 結果は満足いくものになった。
 しかし、私は部屋から連れて行かれて退出する死んだようなアリーナを見て心が傷んだ。
 特に敵意も嫌悪も憎悪も抱いていない相手の心を完全に折ったことを喜べるような嗜虐趣味は持ち合わせていない。
 ずっとそのことに心を傷め続けて気に病むほどの優しさも持ち合わせてはいないが。

 バタン、とアリーナが退出して閉じられた扉を見て、やっと終わったという安堵と心労から私の口から溜め息がこぼれ落ちた。
 
 




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

憧れのスローライフを異世界で?

さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。 日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

料理を作って異世界改革

高坂ナツキ
ファンタジー
「ふむ名前は狭間真人か。喜べ、お前は神に選ばれた」 目が覚めると謎の白い空間で人型の発行体にそう語りかけられた。 「まあ、お前にやってもらいたいのは簡単だ。異世界で料理の技術をばらまいてほしいのさ」 記憶のない俺に神を名乗る謎の発行体はそう続ける。 いやいや、記憶もないのにどうやって料理の技術を広めるのか? まあ、でもやることもないし、困ってる人がいるならやってみてもいいか。 そう決めたものの、ゼロから料理の技術を広めるのは大変で……。 善人でも悪人でもないという理由で神様に転生させられてしまった主人公。 神様からいろいろとチートをもらったものの、転生した世界は料理という概念自体が存在しない世界。 しかも、神様からもらったチートは調味料はいくらでも手に入るが食材が無限に手に入るわけではなく……。 現地で出会った少年少女と協力して様々な料理を作っていくが、果たして神様に依頼されたようにこの世界に料理の知識を広げることは可能なのか。

道端に落ちてた竜を拾ったら、ウチの家政夫になりました!

椿蛍
ファンタジー
森で染物の仕事をしているアリーチェ十六歳。 なぜか誤解されて魔女呼ばわり。 家はメモリアルの宝庫、思い出を捨てられない私。 (つまり、家は荒れ放題) そんな私が拾ったのは竜!? 拾った竜は伝説の竜人族で、彼の名前はラウリ。 蟻の卵ほどの謙虚さしかないラウリは私の城(森の家)をゴミ小屋扱い。 せめてゴミ屋敷って言ってくれたらいいのに。 ラウリは私に借金を作り(作らせた)、家政夫となったけど――彼には秘密があった。 ※まったり系 ※コメディファンタジー ※3日目から1日1回更新12時 ※他サイトでも連載してます。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】婚約破棄されて修道院へ送られたので、今後は自分のために頑張ります!

猫石
ファンタジー
「ミズリーシャ・ザナスリー。 公爵の家門を盾に他者を蹂躙し、悪逆非道を尽くしたお前の所業! 決して許してはおけない! よって我がの名の元にお前にはここで婚約破棄を言い渡す! 今後は修道女としてその身を神を捧げ、生涯後悔しながら生きていくがいい!」 無実の罪を着せられた私は、その瞬間に前世の記憶を取り戻した。 色々と足りない王太子殿下と婚約破棄でき、その後の自由も確約されると踏んだ私は、意気揚々と王都のはずれにある小さな修道院へ向かったのだった。 注意⚠️このお話には、妊娠出産、新生児育児のお話がバリバリ出てきます。(訳ありもあります)お嫌いな方は自衛をお願いします! 2023/10/12 作者の気持ち的に、断罪部分を最後の番外にしました。 2023/10/31第16回ファンタジー小説大賞奨励賞頂きました。応援・投票ありがとうございました! ☆このお話は完全フィクションです、創作です、妄想の作り話です。現実世界と混同せず、あぁ、ファンタジーだもんな、と、念頭に置いてお読みください。 ☆作者の趣味嗜好作品です。イラッとしたり、ムカッとしたりした時には、そっと別の素敵な作家さんの作品を検索してお読みください。(自己防衛大事!) ☆誤字脱字、誤変換が多いのは、作者のせいです。頑張って音読してチェックして!頑張ってますが、ごめんなさい、許してください。 ★小説家になろう様でも公開しています。

異世界転生~チート魔法でスローライフ

リョンコ
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。 43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。 その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」 大型連休を利用して、 穴場スポットへやってきた! テントを建て、BBQコンロに テーブル等用意して……。 近くの川まで散歩しに来たら、 何やら動物か?の気配が…… 木の影からこっそり覗くとそこには…… キラキラと光注ぐように発光した 「え!オオカミ!」 3メートルはありそうな巨大なオオカミが!! 急いでテントまで戻ってくると 「え!ここどこだ??」 都会の生活に疲れた主人公が、 異世界へ転生して 冒険者になって 魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。 恋愛は多分ありません。 基本スローライフを目指してます(笑) ※挿絵有りますが、自作です。 無断転載はしてません。 イラストは、あくまで私のイメージです ※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが 少し趣向を変えて、 若干ですが恋愛有りになります。 ※カクヨム、なろうでも公開しています

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

処理中です...