光のもとで1

葉野りるは

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番外編

初めてのバレンタイン Side 翠葉 01話

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 退院してからというもの、学校でも家でも常に勉強に追われていた。それは二月十日から十二日までの三日をかけて行われる進級テストのため。
 三学期は学期末テストではなく、進級テストと銘打ったテストがある。
 通常なら七十点未満が赤点扱いになるわけだけど、このテストはそのボーダーが十点下げられ六十点になり、六十点未満は赤点ではなく留年という措置になる。だからこそ、皆が皆必死になってテスト勉強をする。
 いつもなら、朝のホームルーム前やお昼休みには雑談をするけれど、この時期ばかりは誰もが勉強の話しかしない。わからないところを互いに教えあったり、どのあたりがテストに出るかの予想をしたり。クイズ形式で問題を出しあったり。いつもに増して勉強が占める割合が増える。
 事実、中等部から高等部へ上がるための進級テストで学力に問題ありとみなされた生徒、つまり六十点未満だった生徒は高等部には進学してきていないという。
 補習で補うとかそういった措置はないのだそう。
 進級できないとわかると、たいていの生徒は転校してしまうらしい。藤宮の進級テストと比べたら、よその高校の編入試験のほうが簡単なのだとか……。
「なんか、やだな……。今からすごいプレッシャー……」
「翠葉なら大丈夫でしょ。ところで、この問題なんだけど――」
 と、私たちいつものメンバーもお弁当が食べ終われば教科書や参考書、テキストを広げていた。
 マンションに帰れば湊先生の家でツカサと海斗くんと三人での勉強。時々楓先生が来てくれて勉強を見てもらうこともあるけれど、たいていは個人個人で過去問を解く勉強法。
 テスト前の会食はテスト四日前から始まり、その日からはゲストルームのリビングで勉強を続けた。
 試験が近づくにつれ、皆が皆、呪文のように各々唱えるものがあり、その雰囲気たるやかなり怪しいものがあったと思う。

 十二日、晴れて試験が終わればチャイムが鳴ると同時に皆が騒ぐ。
「終わったーっ!」
「今日だけは勉強しねぇっ!」
「おら、カラオケ行くぞっ」
「か、解放された……」
「首はつながったと信じたい……」
 思い思いの言葉に動作が付随する。
「翠葉はどうだった?」
「たぶん……大丈夫。古典に関しては過去問を全部暗記してきたからさほど困らなかったし」
「私も、数学と化学、どっちも大丈夫そう」
 ひとり暗いのは飛鳥ちゃん。机に突っ伏し何を言うでもなく無言を貫いている。まるで魂が抜けてしまった人のように。
「飛鳥は?」
 ちょっと控え目に桃華さんが訊くと、
「数学……数学、数学があああああ~……。六十点の壁は越えていると信じたい……」
 ここで「大丈夫だよ」と言っても気休めにはならないから、誰もそんな言葉は発しない。ただ、「お疲れ様」と言うだけに留める。

 ホームルームが終わったあと、教室の人が少なくなったのを確認して窓を開けた。
 冷たい空気を吸いながら伸びをして、気分を一新。
 終わった、というよりもやり遂げた感のほうが強かった私は、なんだか気分がすっきりとしていた。
「ところで翠葉、バレンタインはどうするの?」
「え?」
「バレンタインよ、バレンタイン」
 桃華さんに強調されるように言われたけれど、今このときまでそんなイベントはすっかり忘れていた。
「バレンタインって……二月十四日の?」
「それ以外に何があるのよ」
 ありません、たぶん……。
「その顔は忘れてたって顔ね」
 コクコクと頷く。
「どうしよう……何も用意してない。ここのところ勉強に追われてたから……。今からじゃお父さんと蒼兄、唯兄に編み物をプレゼントするのは難しいかな……。でも、マフラーなら一本四時間として十二時間あればできるから……。あ、でも、毛糸買いに行かなくちゃいけないし……」
 おろおろしていると、
「翠葉……そうじゃなくて」
「え?」
「藤宮司に渡さないのかって話よ」
「……ツカサ? どうして?」
「どうしてじゃないでしょっ!? なんで家族にあげて藤宮司にあげないのよ」
「えっと……年中行事だから?」
 嘘や冗談ではなく真剣に答えたつもりだった。けれど、桃華さんは頭を抱えてしまう。
「それは去年まで。今年は違うでしょ?」
 桃華さんはいったい何を言おうとしているのか……。
「翠葉、バレンタインってイベントの意味知ってる?」
「大切な人にチョコレートとか何かプレゼントをあげる日」
 答えると、教室に残っていた女の子たちに笑われた。
「あははは、翠葉ちゃんらしいけど、それ、ちょっとだけ情報上書きしといたほうがいいよ」
 笑いながら声をかけてくれたのは香乃子ちゃん。
「女の子が勇気を出して好きな人に告白する日、っていうのがごく一般的だと思う」
 そう教えてくれたのは希和ちゃんだった。
「好きな人、に、告白……?」
 突如ツカサの顔が頭に浮かび、これ以上ないほどに頬が熱を持つ。
「で、でも、告白ならもうしちゃったし……」
 しどろもどろに答えると、
「翠葉ちゃん、別に告白するってだけじゃないよ。好きな人にプレゼントっていうイベントでもある」
「そうなの……?」
 香乃子ちゃんに訊くと、みんなが「うん」と頷いた。
「はぁ……これは藤宮司に感謝してもらいたいわね。私が話題にしなかったら、絶対に家族にしかプレゼントを用意しなかった口よ?」
「あはは、本当だね」
 桃華さんの言葉に皆が同意する。
「あとはねぇ、女の子や仲のいい友達にプレゼントしたりするのが、友チョコ。お世話になった人とかにもあげたりするよ」
「友チョコ……?」
「うん。もうほとんどイベントっていうかお祭りだからね。乗じてなんでもありな感じだよ」
 と、香乃子ちゃんは新商品のチョコレートをまとめた手帳を見せてくれた。
 B5サイズのノートはスクラップブックのような使い方がされており、中にはお菓子の写真がペタペタと貼り付けられていた。余白にはカロリーやグラム数、食感などが事細かに書かれていて、甘さについては五段階評価がされている。
「七倉的にはこのチョコレートの口溶け感がたまらなく好きなんですよねぇ」
「それを言うならさ、このビスケットチョコのビスケットのサクサク感も譲れないなぁ」
 香乃子ちゃんと希和ちゃんは新商品のチョコ試食会を何度か開いていた模様。
「で、翠葉はどうするの?」
「うーんと……明日は日曜日だから買い物には行けるとして……」
 きっとお菓子の材料ならコンシェルジュの七倉さんにお願いすれば用意してもらえるだろう。でも、毛糸だけは自分で買いに行かなくてはいけない。
 お店が開くのが十時だから九時過ぎに家を出て、開店と同時にお店に入って――毛糸を選ぶのにどれくらい時間がかかるだろう……。
 毛糸は極太を選べば一本二時間くらいで編める。
 本当だったら普通の細さの毛糸でケーブルとか模様を入れたいところなのだけど……。でも、去年蒼兄とお父さんにプレゼントしたのがケーブルを入れたデザインだったから、今年は差し色になるようなものでもいいのかもしれない。
 唯兄にはレインボーとかカラフルな色の毛糸でザックリとしたスヌードも良さそう。でも、シックな色で柔らかな手触りのスヌードも捨てがたい……。
 だめだめ――今回ばかりは時間優先。極太の毛糸でひとり二時間として、計六時間は確保しなくちゃ。
 夜十二時までには寝るとして――逆算すると夕方の六時。夕飯を食べる時間が一時間として五時。お風呂に入る時間は短縮しても四十分。髪の毛を乾かす時間を入れたら一時間。そうすると四時でしょう? 買い物に行って帰ってくるのに三時間から四時間として、一時か十二時――朝、早起きすれば簡単なお菓子くらい作れるかな? 家族にはシフォンケーキにして、みんなにはフロランタンやコーヒークランブルケーキでもいいな。あれなら、天板にクッキー生地を敷いて焼いて、出来上がったものを切り分け、ひとつずつ袋に入れていけばいいだけだし……。最悪、オーブンはゲストルームと静さんのおうちとマンションのコンシェルジュが使うオーブンの三つは確保できる。生地作りさえ今日中にしてしまえばあとは焼くだけ――
「……は、すーいーはっ」
「きゃっ」
「……きゃ、じゃないわよ。まったく……何を考えていたの? 高速で目までグルグル回ってたわよ?」
「えっと……タイムリミットを明日の夜十二時に設定して、色々逆算してた……」
「で? 藤宮司にはあげるの?」
「うん。桃華さんやクラスの人にも。あと生徒会メンバーと病院の先生と、マンションのコンシェルジュと……」
「……いったい何人にあげるつもりなの?」
 何人……?
 即答することができず、
「今数えてもいい?」
「いいわよ……」
「クラス全員に渡したいから、私を抜かした二十九人でしょう? そこに生徒会メンバーから一年B組のふたりを抜いた七人、病院の先生と看護師さんは七人、マンションのコンシェルジュも七人、それと栞さんと湊先生、秋斗さん、家族を入れると……桃華さん、どうしよう。五十七人もいるっ」
「翠葉……ちょっと落ち着きなさい」
「あっ、静さんと澤村さんと園田さんと須藤さん、真白さんと朗元さんにもプレゼントしたいから、六人追加で六十三人っ!?」
「翠葉ちゃん、翠葉ちゃん、少し落ち着こうか」
 香乃子ちゃんに、「どうどう」と肩を撫でられ諌められた。
「確かに友チョコをあげようとするとキリがなくなるのはわかるんだけど、六十三人はちょっと行き過ぎ」
 希和ちゃんは苦笑いで宥めてくれる。
「でも、仲良くなった人やお世話になった人が多すぎて……」
「翠葉ちゃんのそれは年賀状レベルです……」
 そう教えてくれたのは香乃子ちゃんだった。
 その「年賀状」という言葉がグサリと胸に刺さる。
 実は、今年の年賀状、私は何もしていないのだ。
 いつもなら、十二月に入った時点で書き始め、二十日過ぎにはポストへ投函する。けれども、去年は精神的にそんな余裕はなく、二十日を過ぎても用意はできていなかった。
 そんな私を見るに見かねた唯兄が、白野のパレスへ行ったときに兄妹三人で撮ってもらった写真をもとに編集してくれ、兄妹の連名を印刷してくれたにすぎない。
 本当なら、一言くらい添えるべきだっただろう。でも、私はそれすらできずにハガキを送り出した。
「翠葉、こうなったら取捨選択よ」
 取捨選択――無理……。
「桃華さん、ここはなんとしてでもがんばりたい……」
「……もう、頑固なんだから。翠葉は言い出したら聞かないって蒼樹さんから聞いたわ」
「……ごめん。私、色々考えなくちゃいけないから先に帰るねっ」
「その前にひとつだけっ」
 桃華さんい引き止められ、
「何?」
「あのねっ、私っ……蒼樹さんにチーズケーキを作るから、翠葉は違うもの作ってもらってもいいっ!?」
 顔を真っ赤に染めた桃華さんにびっくりした。けれど、すぐに了承の旨を伝え、教室をあとにした。
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