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第八章 自己との対峙
22話
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「これ、どうしよう……」
お昼ご飯を食べるのに、身体を起こすのはかまわない。けれども、点滴があるのでその場を動けないことに気づいた。
点滴パックは出窓のカーテンレールにS字フックをひっかけて吊るしてあったのだ。
「じゃ、ここで食べましょう」
お母さんの提案で、私はベッドの上でサイドテーブルを使って食べることになり、お母さんたちはローテーブルでひしめき合って食べている。そんな光景を横目にお蕎麦を食べたり、唯兄が作ってくれたスープを飲んだりしていた。
スプーンが赤でフォークが黄色。マグカップがエメラルドグリーン……。三つとも同じ色で良かったんだけどな。
そうは思ったけれど、ちぐはぐな色が少しかわいくも思えた。どれを見ても元気が出そうな色たちだったから。
ほんの一握りのお蕎麦とマグカップに半分ほど注がれたスープ。それを食べるのが精一杯。
私の前に置かれているトレイを蒼兄が下げてくれると、玄関でインターホンが鳴った。
「誰かしら?」
お母さんがそれに出ると、
「あらっ、大丈夫なのっ!?」
なんて声が玄関から聞こえてくる。
「それにしても珍しい組み合わせね」
誰が来たのかな、とドアに目を向けていると、お父さんが立ち上がりリビングへと出ていった。
「静? 湊先生と栞ちゃんも……?」
お父さんの言葉に聞き間違いではないだろうか、と自分の耳を疑う。少しすると、薄紫のワンピースを着た栞さんが私の部屋へと入ってきた。
ただただびっくりするだけで私は言葉を発せない。
栞さんは近くまでくると、「翠葉ちゃん、久しぶり」とぎゅっと抱きしめてくれた。
「しばらくお休みいただいててごめんね」
少し前とは明らかに体格が違う。もともと小柄ではあったけれど、こんなに華奢ではなく、もっと女性らしい身体のラインをした人だった。
「翠葉ちゃん痩せたわね」
私から離れるとそんなことを言う。自分だって痩せてしまったのに。
思わず泣きそうになると、
「あ、痛かったっ!? ごめんねっ?」
と、謝られた。
「違……」
否定だけの言葉を口にするけれど、その先は湊先生が補ってくれた。
「翠葉は栞が心配で心配で仕方なかったのよ」
ドア口には湊先生と静さんが立っていた。
「私はもう大丈夫。昇が今月末には帰ってくるって聞いたらなんだか落ち着いちゃった。ちょっとした鬱状態だったのかな」
そんなふうに笑って話してくれた。
栞さんの笑顔が見られただけでも嬉しい。声を聞けるだけでも嬉しい。
しゃくり上げてくるものが止まらなくて声が出せない。涙が次から次へと溢れてきて、目の前がよく見えない。
「蒼くん……こういうときはどうしたらいいのかしら」
栞さんは蒼兄に助けを求めた。すると、ギシ、とベッドが音を立て、
「こうやって抱きしめていればじきに泣き止みますよ」
と、いつものように蒼兄が抱きしめてくれた。
蒼兄の胸から一定の速度で鼓動が聞こえてくる。
落ち着こう、落ち着こう、落ち着こう――
そう心の中で唱えていると、前にもこんなことがあったと思い出す。
秋斗さんが熱を出して仮眠室で寝ていたとき、あのときも心配で何もできない自分が情けなくて、湊先生の前で大泣きしたのだ。そのときも、湊先生に抱きしめてもらったな、と思い出していると少し冷静になることができた。
私、小さい子みたい……。
そう思うとすごく恥ずかしかった。
でも、今まで誰かが心配でこんなに不安になって泣いてしまうことはなかった。
大切な人が具合が悪いと、こんなにも不安になるものなのか、と初めて知った。
それを知れば知るほどに、お母さんとお父さんに本当のことは言えないと思うわけで……。
私はどうしたらいいのかな。どうすればいいのかな……。
「蒼兄、もう大丈夫……」
鼻声で言うと、しがみついていた蒼兄から離れた。
再び栞さんに視線を向けると、にこにこと笑っている顔の血色は良かった。
「相変わらず仲良しね?」
栞さんはベッドに腰掛けると湊先生に声をかけた。
「湊、次の点滴の用意」
気づけば午前中に入れてもらった点滴があと少しで終わるところだったのだ。それからすると、一本三時間で落としてる勘定。
「その前にトイレに行こうか」
言われて、私は栞さんお腕を借りてトイレに行った。
こんなに細い腕を頼りにしていいのだろうか、と躊躇する私に、
「私、元看護師よ?」
栞さんは力強い笑みを見せる。恐る恐る体重を預けると、それ以上の力で支えられた。
部屋に戻り点滴の交換が終わるころ、両親と静さんがお茶を持って部屋に入ってきた。
お母さんは無表情で、トレイを置くとすぐに部屋を出ていってしまう。
お母さん……?
「翠葉ちゃん、栞もだいぶ回復したけれど、まだ本調子じゃないんだ。あと三、四日は休まなくてはいけない。だからその間は碧に付いていてもらいなさい」
そう切り出した静さんを疑問に思う。
「え……?」
「あと三、四日は碧がここにいることになる。いいね?」
最後の言葉には力がこめられていた。まるで、ここが妥協点だ、とでも言うように。
私は意味もわからずに、「はい」と答えた。
「君は、親の立場から言わせればすごく酷なことを両親に望んでいる。でも、それは私も同じだ。ビジネスの立場からものを言えば、現場責任者が連日席を外すことを許せはしない」
逃げ場のない言葉たちが私の身を縛り付ける。けれど、そこまで言うと静さんは顔に笑みを戻した。
「私も翠葉ちゃんと変わらない。碧に酷なことを言った。だから、時間が許す限りは碧と一緒に過ごしてやってほしい」
それはお母さんを擁護するような響きを持っていた。
お父さんが、静さんはお母さんに甘いと言っていた。そんな人がお母さんに厳しいことを言ったのだ。
もしかしたら、それは私が言わせたのかもしれない。湊先生に力になってほしいとお願いしたのは午前の出来事。
先生は「差し出がましい真似はしたくない」と言いながらも、きっと静さんに助力を申し出てくれたのだろう。
私はまた、何か重いものを背負ってしまった気がした。
お昼ご飯を食べるのに、身体を起こすのはかまわない。けれども、点滴があるのでその場を動けないことに気づいた。
点滴パックは出窓のカーテンレールにS字フックをひっかけて吊るしてあったのだ。
「じゃ、ここで食べましょう」
お母さんの提案で、私はベッドの上でサイドテーブルを使って食べることになり、お母さんたちはローテーブルでひしめき合って食べている。そんな光景を横目にお蕎麦を食べたり、唯兄が作ってくれたスープを飲んだりしていた。
スプーンが赤でフォークが黄色。マグカップがエメラルドグリーン……。三つとも同じ色で良かったんだけどな。
そうは思ったけれど、ちぐはぐな色が少しかわいくも思えた。どれを見ても元気が出そうな色たちだったから。
ほんの一握りのお蕎麦とマグカップに半分ほど注がれたスープ。それを食べるのが精一杯。
私の前に置かれているトレイを蒼兄が下げてくれると、玄関でインターホンが鳴った。
「誰かしら?」
お母さんがそれに出ると、
「あらっ、大丈夫なのっ!?」
なんて声が玄関から聞こえてくる。
「それにしても珍しい組み合わせね」
誰が来たのかな、とドアに目を向けていると、お父さんが立ち上がりリビングへと出ていった。
「静? 湊先生と栞ちゃんも……?」
お父さんの言葉に聞き間違いではないだろうか、と自分の耳を疑う。少しすると、薄紫のワンピースを着た栞さんが私の部屋へと入ってきた。
ただただびっくりするだけで私は言葉を発せない。
栞さんは近くまでくると、「翠葉ちゃん、久しぶり」とぎゅっと抱きしめてくれた。
「しばらくお休みいただいててごめんね」
少し前とは明らかに体格が違う。もともと小柄ではあったけれど、こんなに華奢ではなく、もっと女性らしい身体のラインをした人だった。
「翠葉ちゃん痩せたわね」
私から離れるとそんなことを言う。自分だって痩せてしまったのに。
思わず泣きそうになると、
「あ、痛かったっ!? ごめんねっ?」
と、謝られた。
「違……」
否定だけの言葉を口にするけれど、その先は湊先生が補ってくれた。
「翠葉は栞が心配で心配で仕方なかったのよ」
ドア口には湊先生と静さんが立っていた。
「私はもう大丈夫。昇が今月末には帰ってくるって聞いたらなんだか落ち着いちゃった。ちょっとした鬱状態だったのかな」
そんなふうに笑って話してくれた。
栞さんの笑顔が見られただけでも嬉しい。声を聞けるだけでも嬉しい。
しゃくり上げてくるものが止まらなくて声が出せない。涙が次から次へと溢れてきて、目の前がよく見えない。
「蒼くん……こういうときはどうしたらいいのかしら」
栞さんは蒼兄に助けを求めた。すると、ギシ、とベッドが音を立て、
「こうやって抱きしめていればじきに泣き止みますよ」
と、いつものように蒼兄が抱きしめてくれた。
蒼兄の胸から一定の速度で鼓動が聞こえてくる。
落ち着こう、落ち着こう、落ち着こう――
そう心の中で唱えていると、前にもこんなことがあったと思い出す。
秋斗さんが熱を出して仮眠室で寝ていたとき、あのときも心配で何もできない自分が情けなくて、湊先生の前で大泣きしたのだ。そのときも、湊先生に抱きしめてもらったな、と思い出していると少し冷静になることができた。
私、小さい子みたい……。
そう思うとすごく恥ずかしかった。
でも、今まで誰かが心配でこんなに不安になって泣いてしまうことはなかった。
大切な人が具合が悪いと、こんなにも不安になるものなのか、と初めて知った。
それを知れば知るほどに、お母さんとお父さんに本当のことは言えないと思うわけで……。
私はどうしたらいいのかな。どうすればいいのかな……。
「蒼兄、もう大丈夫……」
鼻声で言うと、しがみついていた蒼兄から離れた。
再び栞さんに視線を向けると、にこにこと笑っている顔の血色は良かった。
「相変わらず仲良しね?」
栞さんはベッドに腰掛けると湊先生に声をかけた。
「湊、次の点滴の用意」
気づけば午前中に入れてもらった点滴があと少しで終わるところだったのだ。それからすると、一本三時間で落としてる勘定。
「その前にトイレに行こうか」
言われて、私は栞さんお腕を借りてトイレに行った。
こんなに細い腕を頼りにしていいのだろうか、と躊躇する私に、
「私、元看護師よ?」
栞さんは力強い笑みを見せる。恐る恐る体重を預けると、それ以上の力で支えられた。
部屋に戻り点滴の交換が終わるころ、両親と静さんがお茶を持って部屋に入ってきた。
お母さんは無表情で、トレイを置くとすぐに部屋を出ていってしまう。
お母さん……?
「翠葉ちゃん、栞もだいぶ回復したけれど、まだ本調子じゃないんだ。あと三、四日は休まなくてはいけない。だからその間は碧に付いていてもらいなさい」
そう切り出した静さんを疑問に思う。
「え……?」
「あと三、四日は碧がここにいることになる。いいね?」
最後の言葉には力がこめられていた。まるで、ここが妥協点だ、とでも言うように。
私は意味もわからずに、「はい」と答えた。
「君は、親の立場から言わせればすごく酷なことを両親に望んでいる。でも、それは私も同じだ。ビジネスの立場からものを言えば、現場責任者が連日席を外すことを許せはしない」
逃げ場のない言葉たちが私の身を縛り付ける。けれど、そこまで言うと静さんは顔に笑みを戻した。
「私も翠葉ちゃんと変わらない。碧に酷なことを言った。だから、時間が許す限りは碧と一緒に過ごしてやってほしい」
それはお母さんを擁護するような響きを持っていた。
お父さんが、静さんはお母さんに甘いと言っていた。そんな人がお母さんに厳しいことを言ったのだ。
もしかしたら、それは私が言わせたのかもしれない。湊先生に力になってほしいとお願いしたのは午前の出来事。
先生は「差し出がましい真似はしたくない」と言いながらも、きっと静さんに助力を申し出てくれたのだろう。
私はまた、何か重いものを背負ってしまった気がした。
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