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第八章 自己との対峙
23話
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静さんは一杯のお茶を飲むと席を立った。
お父さんと静さんが話しているのをじっと見ていると、静さんは私の視線に気づいて声をかけてくれた。
「何か私に話したいことがあるのかな?」
コクリと頷くと、
「若槻、姫君の点滴を持つように」
「イェッサー」
蒼兄が点滴のパックを窓際から外すとそれを唯兄が持ってくれ、立ち上がる私を支えてくれた。ゆっくりと歩き開放感溢れる玄関にたどり着く。と、
「さて、話とはなんだろう?」
静さんは玄関手前の壁に寄りかかっていた。
「あの……ありがとうございます」
「何が、かな?」
「湊先生に呼ばれていらしてくれたんじゃ――」
「そのとおりだ」
静さんは一度言葉を区切り、
「翠葉ちゃん、どうしても人にかまわれたくないのなら私のところへ来るといい」
「え……?」
静さんが言わんとすることがわからなくて、次に発せられる言葉を待つ。と、
「ホテルの四十一階はほとんど人の出入りがない。部屋も余っている。世話をする人間が必要なら接客要員を数名用意しよう。人間を日替わりで代えれば情が移ることもないというものだ。それくらいの人出はホテルなら十分にある。あとは医者だが、病院から医者を派遣させることも可能だ」
私は今、何を言われているのだろう……。
「リィ、病院に入らないっていうことは詰まるところこういう問題だよ」
すぐ隣で支えてくれている唯兄が静かに話す。
そんなことはわかっている。でも、違う。そうじゃなくてっ――
「姫、言いたいことは口にしないと伝わらないよ」
いつの間にか、静さんが目の前に立っていた。
「静、やめて――」
低く静かな、それでも声に芯があるお母さんの声が聞こえた。振り返ると、廊下の中ほどでお母さんは両腕を組んで立っていた。
「私は栞ちゃんが復帰しだい現場へ戻ります。それで事は済む話でしょう?」
私たちの前へ出たお母さんは、悠然と――または挑むように静さんを見据えていた。
「翠葉、静との話しはもういいかしら? 私も静に話すことがあるから、唯くん、悪いんだけど翠葉をお願いできる?」
お母さんは、さっき見た無表情ではなかった。顔に笑みを浮かべてはいるけれど、それは上辺だけ。目の奥には静さんへ対する負の感情がこめられているように見えた。
唯兄は無言で頷くと、私をリビングの方へと促した。そのすぐあと、玄関のドアチャイムが鳴り、お母さんと静さんが外へ出たことがわかった。
振り返ったところでもうそこにふたりはいない。でも、振り返らずにはいられなかった――
少しヒリヒリしたままの心で部屋へ戻ると、珍しいメンバーがとても楽しそうに話をしていた。
私の心の中とは雲泥の差。
「翠葉ちゃん、どうかした?」
「いえ、何も……」
唯兄は何も言わずに私をベッドへと導く。すると、蒼兄が点滴のパックを渡されカーテンレールに吊るしてくれた。
「少し、寝てもいいですか?」
「そうね、あと二時間半は点滴終わらないし」
と、湊先生が腰を上げる。それを合図にみんなが部屋を出ていこうとした。
最後に残ったのはお父さん。
「父さんは四時過ぎにはここを出る予定なんだ。だから、翠葉の側にいてもいいかな?」
拒否されることを予想しての問いかけに思えた。
「……うん、大丈夫」
私は断わらなかった。
理由は、親には酷なことを望んでいる、と静さんに言われたからかもしれない。
「静に何かきついことを言われたかな?」
お父さんはベッド脇にあるスツールに腰掛けた。
きついことというよりは、現実を教えてくれた。そのうえで抜け道を提示してくれた。
「ううん、きついことは言われてない……」
「そうか? 静には翠葉の身体のことはあまり話していないんだ」
そうななのね。……でも、それがいいかな。だって、同情されるのも、そういう目で見られるのも嫌だもの。
「静はきついことを言うけれど、基本的に間違ったことは言わないし、なんとも思ってない人間に言葉をかける人間でもない」
「うん……」
「学校は楽しいみたいだな」
「うん」
「友達ができたって聞いた。桃華ちゃんと飛鳥ちゃんと海斗くんと佐野くんだっけ?」
「うん、ほかにも理美ちゃんや希和ちゃん、空太くん、司先輩、いっぱいいる」
「そうだ、生徒会にも入ったって聞いたぞ。あの学校の生徒会は楽しいぞー。たくさん悪巧みしてこい!」
「……お父さんも生徒会役員だったの?」
「いんや、父さんはクラス委員サイドで静にこき使われまくってたほうだ。でも、碧は副会長やってたぞ」
それは初耳だった。
「じゃぁ、もしかしなくても会長は静さんよね?」
「当たり。当時からかわいげなかったぞー。教師にも一目置かれちゃうようなやつだったからな」
なんだか司先輩っぽい……。
「いつかアルバム見たいな」
「そうだな。まさか親子揃って同じ高校を出ることになるとは思わなかった」
「私はまだ入っただけだよ……」
「入ったら出ないとな? ちゃんと卒業って形で」
お父さんは優しい表情で髪の毛がくしゃくしゃにならないように頭を撫でてくれた。そこにお母さんが入ってくる。
「私もいい?」
どこか遠慮気味に訊かれる。私は笑みを浮かべて頷いた。
別に嫌いだから側にいてもらいたくないわけじゃない。大好きだからだ……。
「零ばっかりずるいわよっ」
お母さんは口を尖らせてお父さんの腰辺りにグーパンチを繰り出す。
「そんなこと言われてもなぁ……。いつもの電話は碧が独占してるじゃないか」
と、お父さんも負けてはいなかった。
そんなふたりを見るのも久しぶりで、幸せな気持ちになる。
「先生たちは?」
「リビングで話してるわ」
閉められたドアを指差され、この部屋に三人だけであることを再度認識する。
「栞さんは大丈夫かな?」
「家でもずっと寝たきりってわけじゃなかったみたいよ」
お母さんの言葉に少しほっとした。
沈黙が訪れるのが嫌で、唯兄の話や学校での話、マンションでの話をしていると、あっという間に三時になった。
「じゃ、父さんはそろそろ準備をするかな」
立ち上がるお父さんを見て身体を起こそうとすると、
「湊先生を呼んでくるからそのまま横になってていいよ」
「え……?」
不思議に思う私に、お母さんたちは苦笑した。
「バカね……。私たち、親なのよ? 痛いんでしょう?」
私、全然隠せてないのかな……。
「翠葉、痛いなら痛いでいいじゃない」
「そうそう。痛いって言ったり泣いたりするのはただだぞ?」
そんなふうにおどおけて言うのはお父さん。
話がどこに着地するのかわからないうちに部屋のドアを開け、お母さんが湊先生を呼んでくれた。
お父さんは、「じゃ、またあとで顔を出すよ」と湊先生と入れ替わりで部屋を出ていった。
「どこが痛いの?」
「手首……」
「どんなふうに?」
「骨が、砕かれるみたい……」
先生が左手を診ようと手を伸ばしたとき、触れたか触れないかくらいで激痛が走った。
「いやっっっ」
「……栞、鎮痛剤を静注」
「わかったわ」
自分の右手で手首をかなり強い力で掴んでいるというのに、人の触れる手があれほどまで痛く感じるとは思わなかった。痛みのレベルが今までとは桁違いで怖い。
恐怖から涙が止まらない。
来週末には梅雨が明けるというのに、私の痛みは引くどころかますますひどくなっていく。今年は例年と違う――
それは少し前から気づいていた。そして、きっと湊先生も気づいている。
私、こんな痛みをあとどのくらい我慢できるんだろう――
お父さんと静さんが話しているのをじっと見ていると、静さんは私の視線に気づいて声をかけてくれた。
「何か私に話したいことがあるのかな?」
コクリと頷くと、
「若槻、姫君の点滴を持つように」
「イェッサー」
蒼兄が点滴のパックを窓際から外すとそれを唯兄が持ってくれ、立ち上がる私を支えてくれた。ゆっくりと歩き開放感溢れる玄関にたどり着く。と、
「さて、話とはなんだろう?」
静さんは玄関手前の壁に寄りかかっていた。
「あの……ありがとうございます」
「何が、かな?」
「湊先生に呼ばれていらしてくれたんじゃ――」
「そのとおりだ」
静さんは一度言葉を区切り、
「翠葉ちゃん、どうしても人にかまわれたくないのなら私のところへ来るといい」
「え……?」
静さんが言わんとすることがわからなくて、次に発せられる言葉を待つ。と、
「ホテルの四十一階はほとんど人の出入りがない。部屋も余っている。世話をする人間が必要なら接客要員を数名用意しよう。人間を日替わりで代えれば情が移ることもないというものだ。それくらいの人出はホテルなら十分にある。あとは医者だが、病院から医者を派遣させることも可能だ」
私は今、何を言われているのだろう……。
「リィ、病院に入らないっていうことは詰まるところこういう問題だよ」
すぐ隣で支えてくれている唯兄が静かに話す。
そんなことはわかっている。でも、違う。そうじゃなくてっ――
「姫、言いたいことは口にしないと伝わらないよ」
いつの間にか、静さんが目の前に立っていた。
「静、やめて――」
低く静かな、それでも声に芯があるお母さんの声が聞こえた。振り返ると、廊下の中ほどでお母さんは両腕を組んで立っていた。
「私は栞ちゃんが復帰しだい現場へ戻ります。それで事は済む話でしょう?」
私たちの前へ出たお母さんは、悠然と――または挑むように静さんを見据えていた。
「翠葉、静との話しはもういいかしら? 私も静に話すことがあるから、唯くん、悪いんだけど翠葉をお願いできる?」
お母さんは、さっき見た無表情ではなかった。顔に笑みを浮かべてはいるけれど、それは上辺だけ。目の奥には静さんへ対する負の感情がこめられているように見えた。
唯兄は無言で頷くと、私をリビングの方へと促した。そのすぐあと、玄関のドアチャイムが鳴り、お母さんと静さんが外へ出たことがわかった。
振り返ったところでもうそこにふたりはいない。でも、振り返らずにはいられなかった――
少しヒリヒリしたままの心で部屋へ戻ると、珍しいメンバーがとても楽しそうに話をしていた。
私の心の中とは雲泥の差。
「翠葉ちゃん、どうかした?」
「いえ、何も……」
唯兄は何も言わずに私をベッドへと導く。すると、蒼兄が点滴のパックを渡されカーテンレールに吊るしてくれた。
「少し、寝てもいいですか?」
「そうね、あと二時間半は点滴終わらないし」
と、湊先生が腰を上げる。それを合図にみんなが部屋を出ていこうとした。
最後に残ったのはお父さん。
「父さんは四時過ぎにはここを出る予定なんだ。だから、翠葉の側にいてもいいかな?」
拒否されることを予想しての問いかけに思えた。
「……うん、大丈夫」
私は断わらなかった。
理由は、親には酷なことを望んでいる、と静さんに言われたからかもしれない。
「静に何かきついことを言われたかな?」
お父さんはベッド脇にあるスツールに腰掛けた。
きついことというよりは、現実を教えてくれた。そのうえで抜け道を提示してくれた。
「ううん、きついことは言われてない……」
「そうか? 静には翠葉の身体のことはあまり話していないんだ」
そうななのね。……でも、それがいいかな。だって、同情されるのも、そういう目で見られるのも嫌だもの。
「静はきついことを言うけれど、基本的に間違ったことは言わないし、なんとも思ってない人間に言葉をかける人間でもない」
「うん……」
「学校は楽しいみたいだな」
「うん」
「友達ができたって聞いた。桃華ちゃんと飛鳥ちゃんと海斗くんと佐野くんだっけ?」
「うん、ほかにも理美ちゃんや希和ちゃん、空太くん、司先輩、いっぱいいる」
「そうだ、生徒会にも入ったって聞いたぞ。あの学校の生徒会は楽しいぞー。たくさん悪巧みしてこい!」
「……お父さんも生徒会役員だったの?」
「いんや、父さんはクラス委員サイドで静にこき使われまくってたほうだ。でも、碧は副会長やってたぞ」
それは初耳だった。
「じゃぁ、もしかしなくても会長は静さんよね?」
「当たり。当時からかわいげなかったぞー。教師にも一目置かれちゃうようなやつだったからな」
なんだか司先輩っぽい……。
「いつかアルバム見たいな」
「そうだな。まさか親子揃って同じ高校を出ることになるとは思わなかった」
「私はまだ入っただけだよ……」
「入ったら出ないとな? ちゃんと卒業って形で」
お父さんは優しい表情で髪の毛がくしゃくしゃにならないように頭を撫でてくれた。そこにお母さんが入ってくる。
「私もいい?」
どこか遠慮気味に訊かれる。私は笑みを浮かべて頷いた。
別に嫌いだから側にいてもらいたくないわけじゃない。大好きだからだ……。
「零ばっかりずるいわよっ」
お母さんは口を尖らせてお父さんの腰辺りにグーパンチを繰り出す。
「そんなこと言われてもなぁ……。いつもの電話は碧が独占してるじゃないか」
と、お父さんも負けてはいなかった。
そんなふたりを見るのも久しぶりで、幸せな気持ちになる。
「先生たちは?」
「リビングで話してるわ」
閉められたドアを指差され、この部屋に三人だけであることを再度認識する。
「栞さんは大丈夫かな?」
「家でもずっと寝たきりってわけじゃなかったみたいよ」
お母さんの言葉に少しほっとした。
沈黙が訪れるのが嫌で、唯兄の話や学校での話、マンションでの話をしていると、あっという間に三時になった。
「じゃ、父さんはそろそろ準備をするかな」
立ち上がるお父さんを見て身体を起こそうとすると、
「湊先生を呼んでくるからそのまま横になってていいよ」
「え……?」
不思議に思う私に、お母さんたちは苦笑した。
「バカね……。私たち、親なのよ? 痛いんでしょう?」
私、全然隠せてないのかな……。
「翠葉、痛いなら痛いでいいじゃない」
「そうそう。痛いって言ったり泣いたりするのはただだぞ?」
そんなふうにおどおけて言うのはお父さん。
話がどこに着地するのかわからないうちに部屋のドアを開け、お母さんが湊先生を呼んでくれた。
お父さんは、「じゃ、またあとで顔を出すよ」と湊先生と入れ替わりで部屋を出ていった。
「どこが痛いの?」
「手首……」
「どんなふうに?」
「骨が、砕かれるみたい……」
先生が左手を診ようと手を伸ばしたとき、触れたか触れないかくらいで激痛が走った。
「いやっっっ」
「……栞、鎮痛剤を静注」
「わかったわ」
自分の右手で手首をかなり強い力で掴んでいるというのに、人の触れる手があれほどまで痛く感じるとは思わなかった。痛みのレベルが今までとは桁違いで怖い。
恐怖から涙が止まらない。
来週末には梅雨が明けるというのに、私の痛みは引くどころかますますひどくなっていく。今年は例年と違う――
それは少し前から気づいていた。そして、きっと湊先生も気づいている。
私、こんな痛みをあとどのくらい我慢できるんだろう――
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