光のもとで1

葉野りるは

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第八章 自己との対峙

06話

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 三教科、どの科目も決して納得のいく出来ではなかった。
 全部埋めることのできなかった答案用紙を見ると情けなくなる。でも、テストを受けられただけでも良しとしなくてはいけない。
 テストを受けなかったら零点なのだから。それと比べればどんなに悲惨な点数であろうとも一点もないよりはいい……。
 気になるのは三限に受けた科目の答案用紙。手に力が入らなくなって、かなり筆圧が弱く、汚い字になってしまった。
 読めなくはないけれど、採点時に目を酷使する先生には申し訳ない……。
 そんなことを考えながら、今は点滴を受けながら天井を見ている。
 湊先生は始めるときと同様に三科目すべての問題用紙と答案用紙を茶封筒に入れて自分のデスクの引き出しにしまった。
 私の携帯は念のために、と湊先生が持っている。それも点滴を受けている間だけ。

 二限の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、「湊よ」という声がカーテンの向こうでした。
「そう、間違いなく翠葉の携帯」
 私の携帯にかかってきた電話……?
「今、点滴中。そうね、あと二時間くらいかしら。そのころに迎えに来て」
 会話の内容からすると唯兄からだったのかもしれない。
 カーテンの向こうから、
「点滴が終わるころに若槻が来るわ」
「はい、ありがとうございます」
「それから、恒例の会食だけど、ゲストルームのダイニング使っていい?」
 あ、テスト期間中の会食……?
「はい、大丈夫です」
 でも、誰が料理をするのだろうか……。
「じゃ、静さんに連絡入れなくちゃ……」
 静さん……?
「あ、静さん? 場所はゲストルームに決まったから。――そう、須藤さんに連絡よろしく」
 ……須藤さんって、ウィステリアホテルの須藤さん……?
 そんなことを考えているときだった。
「痛……」
 もう、嫌……。あと何度この痛みに耐えればいいのだろうか。
 発作に気づいたのか、湊先生がカーテンを開いた。
「薬が効きそうなレベル?」
「無理、かも――」
 痛くて涙が出てくる。呼吸をすることすら苦痛だ。
「痛み止め打つからちょっと待ちなさい」
 すぐに戸棚を開ける音がして、カチャカチャと音がし始めた。それはステンレストレイの上で作業をする音。
 腕を消毒され、すぐに筋肉注射を打たれる。
「少しの我慢よ……」
 湊先生は涙をティッシュで拭いてくれた。
 五分もすると意識が朦朧とし出す。
 痛みも鈍くなるけれど、意識だって保てはしないのだ。
「少し休みなさい……」
 その声を最後に意識が途絶えた。


 ――音がない。
 私は保健室で寝ていたはずで、保健室には時計の秒針の音や二階のクラスで椅子を引き摺る音、湊先生がマグカップを置く音やパソコンを操作する音がするはずなのに、その音がない。
 静けさに不安を感じ目を開けると、マンションの自室だった。
 ほっとして手に入った力を抜く。
「おはよう」
 声をかけてくれたのは楓先生で……。
「……どうして?」
「今日は休みなんだ」
 楓先生がにこりと笑う。
「お日様……」
 笑った楓先生がお日様のように見えた。けれど、先生は窓の外に目を向ける。
「お日様? 外は生憎雨が降り出しちゃったけど?」
 雨……そっか、雨か……。
「まだ頭ぼーっとしてる?」
「あ、いえ……大丈夫です」
「痛みは?」
「今は少し痛いだけ」
「そう……。じゃぁ、とりあえずお昼ご飯を食べようね」
 楓先生は身体を起こすのに手を貸してくれた。

 リビングへ行くと、キッチンから須藤さんが出てきた。
「お邪魔してます」と声をかけられ、「こんにちは」と挨拶を返す。
 食材がごった返しているキッチンの中には唯兄もいた。
「フルーツサンドとアンダンテのケーキ、どちらもございますよ」
 須藤さんに言われて、フルーツサンドをください、とお願いした。
 ケーキはフォークをもつ必要がある。シャーペンやお箸と同じように痛みが走るのは嫌だったし、楓先生が側にいるならなおのこと、変な行動を取ってばれてしまうのが怖かった。
 夜ご飯――会食はどうしよう……。
「リィ、どうかした?」
 フルーツサンドをプレートに乗せて持ってきた唯兄に覗き込まれる。
「え? あ……テストの出来が悪くて」
「そんなテストの一回や二回、どってことないでしょ? 卒業できりゃいーんだよ」
「って言いつつさ、若槻くんは海新高校の首席だったんだろ?」
 楓先生の言葉に唯兄を見ると、
「まあね!、だって、俺学費免除で入ってるもん。それこそ首位キープしなかったら追い出されちゃうよ」
 海新って、藤宮に次ぐ進学校よね……? 私立の男子校で、鎌田くんが通っている高校だ。
 学費免除ということは、奨学生ということ? 特待扱いだよね……? ……すごい。
「本当はさ、高校出てすぐに仕事したかったんだけど、意外と働き口が少なかったのと収入も見合わないから、高校のときにバイトして貯めたお金で専学行ったんだ」
 専門学校の学費を自分で貯めていたの……?
 次元が違う――
 高校生でも自立している人はいるんだ。私とは何もかも次元が違う……。
 人はそれを育った環境と言うのかもしれないけれど、そんな域の話ではないと思った。
 そう言って納得するのには、あまりにも今の環境に甘えすぎているのではないか、そう考えずにはいられなかった。
「翠葉お嬢様、溶けてしまいますよ」
 須藤さんに言われて目の前にあるフルーツサンドが溶けだしていることに気づく。
「ご、ごめんなさいっ」
 須藤さんはクスクスと笑い、スープカップをテーブルに置いた。
「これは若槻の作ったスープです」
「あ……栞さんのスープ」
「そう、意外と美味しいよね?」
 と口にした唯兄に、ついむっとしてしまう。
「意外とじゃなくて間違いなく美味しいのっ。栞さんが作るものはなんでも美味しいんだよっ!?」
「……びびったっ。リィってこういうときに怒るんだ?」
 言いながら、唯兄はケタケタと笑いだした。
 何で笑われてるのかさっぱり意味がわからない。
「ほら、若槻はお嬢様のご飯の邪魔をしないっ。キッチンを手伝え」
 須藤さんは笑い転げている唯兄を引き摺ってキッチンへと入っていった。
 なんだか不思議な光景だ。楓先生はソファに座ってずっとにこにこしている。
「楓先生は怒ることなさそうですよね?」
 なんとなしに声をかけると、
「え? あるよ? 普通に、怒るときはしっかりと怒りますよ?」
 その笑顔からは怒っているところなどさっぱり想像ができなかった。
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