光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
342 / 1,060
第八章 自己との対峙

07話

しおりを挟む
 フルーツサンドはいつもと違うものだった。サンドされているクリームが生クリームではなくてカスタードクリーム。
 須藤さんのお手製なのかな、と思いながら口に運ぶ。
 さて、私はどうやってここまで帰って来たのだろうか……。とりあえず、起きたときに側に付いてくれていた人に訊くのが良さそう。
「楓先生……」
 医学書らしき本を読んでいる先生に声をかけると、
「どうかした?」
「私、ここまでどうやって帰ってきたのかご存知でしょうか……?」
「あぁ、自分が若槻くんと迎えに行ったんだ」
「え……?」
「姉さんから電話があって、起きるまでついててほしいって言われたんだけど、それならマンションに連れて帰るよって話をして若槻くんに連絡をとった」
 きっと、湊先生は職員会議か何かがあったのだろう。それで、楓先生に連絡したのだ。
「ご迷惑おかけしてすみません……」
 あまりにも申し訳ない状態だ。せっかくのお休みなのに、患者を見ている羽目になるなんて……。
「……ずるいよねぇ? 若槻くんはちゃっかりとお兄さんにおさまったのに、俺は先生だもんね?」
「……え?」
「俺も翠葉ちゃんみたいな妹ならぜひ欲しいよ」
「……私も、楓先生みたいなお兄さんなら大歓迎です」
 真面目に答えたつもりだったけど、楓先生はクスクスと笑いだした。そのとき、どこからか私の携帯が鳴る音がした。
「あ、これ」
 楓先生が胸ポケットから取り出したのは私の携帯だった。ディスプレイには「藤宮司」の文字。
「もしもし……?」
『具合は? っていうか、昼は食べられたのか?』
「はい、今食べ終わりました。痛みは少しだけ……」
『今からマッサージしに下りるから』
「えっ!? でもっ、先輩勉強はっ!?」
『一時間くらい問題ない。じゃ』
 携帯からは、ツーツーツーツーという音が虚しく響くのみ。通話時間は二十四秒……。
「逆探知とか絶対無理そう……」
 思ったことを口にすると、「司か……」と楓先生が面白そうに笑った。
「マッサージに来るんでしょ?」
「……だそうです。でも、私お薬飲んだら寝ちゃうんですけど……」
 今、正に薬を飲む直前だったのだ。薬をじっと見ていると、
「リラックスして寝ちゃってるくらいがちょうどいいよ」
 そういうものなのだろうか……。
 玄関で音がすると、司先輩は一枚の紙を手に持って入ってきた。
「とっとと薬飲んで横になれ」
「……それ、なんですか?」
「今、海斗に解かせてる問題の答え」
 司先輩は回答用紙をヒラリ、と見せてくれた。
「あいつ、今回の数学はやたらめったら出来が悪い」
 ぶつくさ口にするけれど、司先輩が言うところの「出来が悪い」とはどのあたりにボーダーラインがあるのだろう。テストの点数でいうところの一〇〇点以下がすべて該当しそうで怖い。
 しまいには、「翠と海斗の頭を足して二で割れたらちょうどいいのにな」と言いだした。
「因みに、翠のテストの出来は?」
 鋭い目で訊かれ、
「訊かないでください……」
 私は思わず耳を塞いでしまう。気分的には日光の三猿状態だ。
 見ざる聞かざる言わざる……。
「二十位切ったら覚えてろよ?」なんて言葉は聞かなかったことにする。それから、爽やかで凍てつくような笑顔も見なかったことにしよう。もちろん、出来が悪かったなんて申しません……。

 薬を飲むと、やっぱりうとうとしてきた。
「寝てもかまわない」
 そうは言われても落ち着かない。腰のマッサージが終わり背中に移るとき――
「先輩っっっ」
 痛い箇所を押されて息が止まるかと思った。
「悪い……痛かった?」
「ごめんなさい……そこは痛いから今日は嫌です」
「わかった。……首元に触れる」
 前置きをされ、本当に触れるだけ。手の平を当てられた。
 首の擦過傷は少し前に治っていて、痕はほとんど残らないくらいきれいに治った。でも、先輩はマッサージをするとき、肩や首付近に触れる際には必ずこうやって前置きをしてくれる。
「首は大丈夫みたい……」
「少しずつ力を入れるから」
 首元の靭帯に親指が触れ、徐々に両手が肩の方へと移っていく。と、ざわり、と嫌な感じがした。左側よりも先に右側の肩に手が触れたそのとき、身体中から血の気が引く思いだった。
「い、やっ――」
 咄嗟に手をどけられるものの、身体が小刻みに震え出す。
「……翠?」
 痛みじゃない……。この感覚は痛みじゃない――
「翠っ!?」
「ごめ、なさい……」
「痛み?」
「違っ――」
「……翠、呼吸を落ち着けよう」
 先輩に促され、うつ伏せの状態から蹲るように横向きに丸くなった。左手で右肩をぎゅっと掴んだまま。
「兄さんか若槻さん呼ぼうか?」
 私は断わるために首を振った。
「……手は?」
 司先輩の手がそっと目の前に差し出される。その手にゆっくりと自分の右手を重ねた。
「……わかった」
 先輩はそう言うと、ずっと手を握っていてくれた。
 呼吸がそれ以上ひどくなることはなく、薬のせいか少しずつ少しずつ意識が薄れていく。
 耳に響くは司先輩の声。単調に、静かに数を数える司先輩の声。

 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。
 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。
 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。

 繰り返し繰り返し、その声をずっと聞いていた気がした。それは記憶が織り成す幻聴なのか、実際の声なのか……。
 泡沫うたかたの数は泡沫の思考。泡沫の数は泡沫の想い――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...