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第四部「その日の朝」
第三話
しおりを挟む廣子は夫の葬式を涙なしで乗り切っていた。周りからはさすが「軍人の妻」だと言われた。
義彦から、「たとえわしになにがあっても、人前で決して泣いちゃいけんぞ」と言われていたこともあるが、艦の上で水葬されてお骨がなかったので、夫が死んでしまったなどとはとても思えなかった。
軍隊は前触れもなくいきなり賜暇が与えられるところであるため、いつものようにまたふらっと帰ってくるような気がしてならなかった。
海軍は縦も横もつながりが強かった。
特に戦死者の遺族に対しては、未亡人には縁談話がすぐに来た。
廣子にも、肺病で妻に先立たれたという、義彦の同期の士官との再婚話が来た。
先方は生まれてくる子どもも一緒に引き受けてくれると言ったが、廣子はきっぱりと断った。
亡き夫の家が、「再婚するんなら、子どもを置いていかんといけん」と迫ったことも大きかったが、子どもは自分ひとりで育てる覚悟だったからだ。
子どもには父親のことをしっかりと話して育てたかったのだ。
ところが、今度は婚家が義弟との再婚を勧めてきた。
二つほど年下で、まだ学生の寬仁と夫婦になるなど、廣子には到底考えられなかったが、当時としてはよくある縁談話だった。
さすがに、これには心身ともに疲労困憊した。
とうとう、大事な大事な忘れ形見の子どもを流産してしまった。
義彦が先走って「勝利」と名付けていたとおり、男の子だったというのに。
だが、このときも、廣子は人前では決して泣かなかった。
けれど、体調をすっかり崩してしまった廣子が実家に戻ったある日。
父母が法事で親戚の家に泊りがけの留守をした。姉一家はすでに満洲へ旅立っていた。
だれもいない、がらんとした茶の間で、廣子は腰が抜けたようにぺたりと座り込んだ。
すると、不意に、義彦に申し訳なくて申し訳なくてどうしようもない気持ちが込み上げてきた。
廣子は突然、畳の上に突っ伏した。
そして、畳ではなく、わが心を掻き毟って泣いた。まるで、犬か狼が呻りをあげるかのように泣いた。どこからこんな声が出るのかわからない。
まさに、獣じみた咆哮だった。
そのあと、廣子はがらりと変わった。
父母と姉に可愛いがられて育った、甘ったれの末娘はもうどこにもいなかった。
本当の意味で廣子が「軍人の妻」になったのは、このときからである。
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