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13. 憂鬱とお誘い

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 ……ああ、なんだかすべてが上手くいかなくて憂鬱になるわ……。

王都の片隅にあるアイゼヘルム子爵邸に久しぶりに一時帰宅している私は、邸宅内の自室で窓の外を眺めながら長い溜息を吐いた。

普段は学園寮で生活しているが、今日は祖母からの呼び出しが入り、戻って来ている。

その用件というのが、溜息の原因の一つだ。

邸宅に到着するなり、祖母は何人もの貴族男性の釣書を私の目の前に広げだした。

ギルバート様との婚約が破棄されて半年以上が経つため、そろそろ次を決めなさいということらしい。

婚約打診は複数の貴族家から来ており、その中から祖母が厳選した方々の釣書を熱心に見せてくる。

貴族の義務としていずれ結婚をしなければならないのは一応理解しているが、正直やっと望まぬ婚約から自由になれたのだがら、もうしばらくは放っておいて欲しい。

祖母が勧めてくる縁談が、侯爵家や辺境伯家など家格が格上の方々のものばかりであることにもゲンナリしてしまった。

「……お祖母様、私の身分では恐れ多い方ばかりに思いますが。同じくらいの家格の方の方が望ましいとは思いませんか?」

「いいえ、我がアイゼヘルム家が躍進する好機だと心得なさい。皆様、あなたの美貌を高く評価してくださっているの。元平民であるあなたの母親は教養もなく本当に躾には手を焼かされたけど、我が家に利をもたらす美しい娘を産んだことだけは賞賛に値するわ。あなたもその自覚を持ってギルバート様以上の良縁を掴みなさいな」

何度話しても祖母はこう言って私をコンコンと説教する。

家格が上の家に嫁いでも苦労するだけなのは目に見えているし、容姿だけを理由に婚約打診を受けても嬉しくないのだが、それを祖母は理解できないらしい。

身の丈に合った平穏を望む私と、アイゼヘルム家の躍進を願う祖母ではどうしても考えが相容れないのだ。

結局ギルバート様との婚約を破棄して間も無く、まだ次へ進む心の準備が整っていないという苦しい言い訳で、縁談の話はうやむやにした。

それがつい先程の出来事である。

 ……お祖母様だけでなく、ギルバート様の態度も私を憂鬱にさせるのよね……。

つい思い出してしまったのは、先日王城で久しぶりに対面した時の元婚約者の様子だ。

フェリクス様との打合せを終えて帰寮するために王城を歩いていたら、偶然にもギルバート様に出くわしたのだ。

ギルバート様は成人を迎えたこの春から王城勤務となっているため、確かに顔を合わせても不思議はない。

だが、その際の態度は違和感を覚えるものだった。

もう婚約者ではないはずなのに、以前と変わらない感じで接して来られたからだ。

要は馴れ馴れしかった。

「シェイラ、久しぶりだな。君に会えて嬉しい。君も俺に会いたいと思っていたのだろう? なにしろ俺たちは二年間も婚約していたのだからな」

「……いえ、バッケルン公爵子息様にはカトリーヌ様がいらっしゃいますので」

「カトリーヌか。正直、彼女の我儘には最近ほとほと参ってる。侯爵令嬢として甘やかされてきたのだろうな。半年以上を婚約者として過ごしてそれが分かってきたところだ。……二年共にいてもシェイラへは我儘などと不満に思ったことがなかったのに」

私のことを名前で親しげに呼ぶ上に、カトリーヌ様への不満まで漏らしてくる始末だった。

果てには婚約破棄を後悔しているとも取れる口ぶりで私を見つめてくる。

「俺はもしかすると道を誤ったのかもしれないな。今日シェイラに会ってそんな気がしてきた。……それにしてもやはりシェイラはいつ見ても美しいな。前にも増して美貌に磨きがかかったのではないか?」

さらには私の顔を覗き込みながら、何の断りもなく私の頬に手を当ててきた。

その瞬間、ゾワリとして肌が粟立った。

眉を顰めるような気持ちを止められず、顔に出そうになるのを必死で押し留めた。

私はやんわりギルバート様の手を剥がし、彼から距離を取った。

その後一言二言だけ言葉を交わして、脇目もふらず足早に王城をあとにしたのだった。

 ……あの時は本当に驚いたわ。その少し前にフェリクス様の指が私の顔に触れた時には何も感じなかったのに。似たような状況だったけれど、ギルバート様のあれは不快感しかなかったわ。

カトリーヌ様という婚約者がいるにも関わらず、あのような言動をするのはどうかと思う。

たとえカトリーヌ様との関係が上手くいっていないのだとしても、関係のない私を巻き込まないで頂きたいものだ。

ただ、なんだか嫌な予感がそこはかとなくする。

だからこそ憂鬱になり、私の溜息の一原因となっているのだ。

――コンコンコン

その時私の溜息を掻き消すような扉のノック音が響いた。

返答をすれば、手に手紙を携えたエバが中へ入ってくる。

「お嬢様、王城からお手紙が届きました。お持ちになった使者様は返事を持ち帰りたいとのことで、一階の応接室でお待ちになっていますよ」

「お手紙……?」

王城という点から送り主は大体想像がつく。

でもわざわざ手紙を、しかも邸宅の方へ送って来たのはどういう意図だろうか。

使者の方をあまり待たせるのも失礼だと思い、私は手紙を受け取るとすぐに内容に目を通す。

それは簡潔に言うとフェリクス様からの視察のお誘いだった。

今度の休日に王都にあるマクシム商会の店舗へ一緒に行こうと綴られている。

セイゲル共和国の珍しい品々を扱うマクシム商会は授業の参考になることもあるだろうとのことだ。

 ……これも授業の内容を検討するという依頼の一部、ということよね……?

手紙を手に持ったまま戸惑っていると、王城から使者が来ていることを聞き付けたらしい祖母が部屋へ押し入って来た。

その顔には隠しきれない喜びが浮かんでいる。

「王太子様からのお手紙ですって!? あなた、いつの間に王太子様と面識を得ていたの? アイゼヘルム家始まって以来の好機ですわよ……!」

「あの、いえ、これは……お手伝いの一環というだけのことで」

「お手伝いだろうとなんだろうとお近づきになれることに意味があるのよ。ほら、何をしているの。使者様をお待たせしないようさっさとお返事を書きなさい。もちろん王太子様からの申し出や依頼を断ることは、アイゼヘルム家の当主代行である私が許しませんよ!」

ピシャリとこう言い切った祖母に監視されながら、お誘いを受けるという答えしか許されない状況にて私は返書をしたためる。

どうやら祖母は雲の上の存在である王族が相手でも怯まないらしい。

果てしない上昇志向に、呆れるのを通り越して、なんだか笑えてくる。

家を盛り立てること第一主義もここまでくればあっぱれだった。


◇◇◇

「王太子殿下、今日はうちのシェイラをどうかよろしくお願い申し上げます!」

「シェイラ、殿下にくれぐれもご迷惑をおかけしないようにな!」

約束の視察の日。

フェリクス様が馬車で子爵邸まで迎えに来てくれることになり、私はこの日も寮から邸宅へ戻って来ていた。

祖母の指示のもと、エバによって朝から徹底的に身体の隅々まで磨き上げられ、衣装の着付けもお化粧もいつもの倍以上の時間をかけて施された。

まだお昼過ぎだというのに、もうぐったりだ。

そうこうしているうちに、王城から馬車が到着して、フェリクス様が姿を現すと祖母と父は緊張と興奮を露わにして挨拶をしていた。

その後は邸宅にいる使用人も含めて子爵家総出で私を送り出してくれたのだった。

アイゼヘルム家の並々ならぬ気合いが分かるというものだ。

縁談相手とのデートかなにかと勘違いしているのではないかと苦笑いが浮かぶ。

 ……ただの視察なのだけれど。お祖母様には「なんとしてでも王太子様を落としてきなさい」とまで耳打ちされたし。困ったものだわ……。

「どうかした?」

私が今朝の出来事を思い出して遠い目をしていると、向かいの席にいるフェリクス様が問いかけてきた。

今この馬車の中にはフェリクス様と私の二人だけだ。

王族の馬車とあって普通の馬車より十分広いが、いつもフェリクス様と顔を合わせる応接室などに比べるともちろん狭い。

手狭かつ密室という状況は、なんだか異様にフェリクス様との距離を近く感じさせ、若干居心地が悪くてモゾモゾする。

「いえ、なんでもありません。……ところでなぜ当家まで迎えに来てくださったのですか? 学園やマクシム商会で待合せでも大丈夫でしたのに」

「シェイラのご家族にお会いしてみたくてね。ご祖母上もお父上もとても面白い方だね。特に祖母上は挨拶した時にいかにシェイラが自慢の孫娘かを熱く語ってくれたよ」

フェリクス様はその時の祖母の様子を思い出したのか、クスクスと笑い出した。

 ……王族を前にしてそんな振る舞いをするなんて、お祖母様の精神力は尋常じゃないわ。

「お父上もおっしゃっていたけど、シェイラは亡くなったお母上似なんだってね? どんな方だったの?」

「母は……自分の経験をもとに人生において大切なことを色々教えてくれる人でした」

「そうなんだ。僕の両親は、父も母も放任主義で基本的には何も口を出して来ないんだよね。自由にさせてくれるのはありがたいけど。ちなみにどんなことを教わったの?」

身の丈に合った生活が一番だということです、と思わず口にしそうになって私は口を閉じた。

これをフェリクス様に言ったところで意味がない。

 ……そう、それよりも重要なことは、その母の教えに従うためにも、フェリクス様には嫌われなければいけないということよ。ここまで失敗続きで、逆に面白がられている感じだけれど、今日こそはより大胆にいくわよ……!

母の話をしていて改めて自分の初心を思い出した私は息巻く。

フェリクス様からの質問には「貴族令嬢としての立ち居振舞い方などですね」と無難な言葉を返すにとどめ、その後はこの後の作戦を黙々と練り始めたのだった。
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