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20. ヤキモチ

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「ちょっと、速水さんのアレ見た⁉︎」

「見た見た! 一体どうなってんの⁉︎  離婚⁉︎」

「実は独身だったらしいよ!」

「うそー! 既婚者だと思って諦めてたのにっ!」

「でも確かに思い返せば、速水さん本人が奥さんのこと語ってるの聞いたことないもんね」

「つまり女避けでワザと付けてたのかな?」

「そうみたいよ!」

「でもなんでいきなり指輪外したのかな⁉︎」

「なんでも、彼女ができたから不倫だと思われたくないんだって!」


社員食堂でランチを食べていた私の耳に、近くでおしゃべりに夢中な女性社員の話し声が飛び込んでくる。

ここ数日で同じような会話を何度聞いたことだろう。

ワイドショーでしばらくずーっと同じ話題を取り上げて紹介しているのと同じように、年始の社内は航さんの話題で持ちきりだった。

その発端は、年明けの仕事始めの日に航さんが指輪を外して出社して来たことだ。

多くの人が目敏く気付いたのだが、最初はただ単に付け忘れただけなのかなと思ったらしく、それほど騒ぎにはならなかった。

だけど指輪をしていない状態で出社するのが数日続いた頃には、ザワザワと周囲が騒めき出す。

そしてワイドショーの記者よろしく、本人に突撃した猛者に対して航さんはサラリと言ったそうだ。

「もともと独身だから」と。

ついでに「彼女ができて不倫だと思われたくなくて」とハッキリ彼女いる宣言まで飛び出したらしい。

それを耳にした時には嬉しいような恥ずかしいような気持ちになって、しばらく執務室でまともに航さんを見ることができなかった。

目線で周囲にバレてしまいそうな気がしたのだ。

航さんはというと、涼しい顔をしていつも通りで、上司として私に接する時には彼氏としての面影は一切ない。

ともすれば、あの甘いひと時は幻だった?と思ってしまいそうなくらい、完璧に公私を分けていた。

だから私もそれに倣って、いつも通りの部下を装った。

だから誰も私がその噂の彼女だとは思いもしないだろう。


「えーー、結局奥さんいなくても彼女いるなら見込みなしかぁ」

「そんなことないよ。既婚者じゃないんだから恋愛は自由じゃん! まだ彼女なんだから」

「それもそうだね。ただの彼女だもんね。やっぱ奥さんと彼女の差は大きいよねぇ」

「本当そうだよ。彼女がいるって知ってもそんなの関係ないってさっそく張り切ってアプローチ開始した子も多いしね」

まだ続いていた女子社員のおしゃべりは、こう締め括られる。

彼女がいようがいまいが関係なく、独身というステイタスだけで恋愛市場に舞い戻って来た航さんは、一躍超人気物件となってしまっているのだ。

この噂が広まり数日経つが、その短期間の間でさえ、もう何度も航さんが女性にアプローチされているのを私も目にしている。

何かと理由をつけて航さんのデスクに訪れる女性も増えた。

同じ執務室で働く上司と部下だからこそ、そんな場面を目撃せざるを得ない。

航さんは華麗にスルーしているし、なびく素振りなんか見せないけど、やっぱり見るたびに少しだけヤキモキしてしまうのは止められなかった。

 ……彼氏ができるってこういう不安になる側面もあるよね。でも航さんは大丈夫。少なくとも誰かと体の関係を持っちゃう心配はないもんね。

初めての彼氏の時のように、他の女性とホテルから出てきたところに遭遇してしまうという事態は起こりえないだろう。

もちろん心配すべきはそれだけではないのだろうが、あの時の傷みが再び訪れることがないと思うだけで少し救われる気がした。

そんな航さんの身辺が騒がしい年明けだったが、慌ただしいのはそれだけではない。

仕事面も新年早々に大口顧客のシステムに大幅なトラブルが起きてバタバタしていた。

私は関わっていない案件だったのでさほど影響は受けなかったのだが、航さんはそういうわけにはいかない。

部下である主担当の社員とともに何度も顧客を訪問し、SEと打合せして……とかなり忙しそうだった。

そんなこともあり、私が航さんにプライベートで会えたのは、年が明けてから約2週間が経った週末のことだった。

「年始からバタバタですね。疲れてないですか?」

「いや、本当に参った。やっと落ち着いてきたけど。先週会えなくてごめん」

「全然大丈夫です! 会社で航さんの顔は見れてましたから。こう言う時、社内恋愛っていいですよね。会社で毎日会えるし、忙しい状況も理解できますし。でも……」

「どうかした?」

「航さんにくっつきたかったです!」

ソファーに座っていた私は、隣に座る航さんに横から抱きついた。

毎日会えても触れられない中、女性にアプローチされている姿を見て悶々としていたのだ。

思いっきりすり寄り、久しぶりの温かさを堪能させてもらう。

 ……あー、これこれ! 不安も心配も全部溶けていくみたいなパワーがあるんだよね。

「航さんが年始から指輪外して出社するようになったじゃないですか。すっごい噂になっていて、女性社員の皆さんが目の色変えてアプローチしてるのを近くで見ていて実はヤキモキしてました」

くっつきながら、思いの丈を吐露してみる。

すると航さんはちょっと嬉しそうな顔をしてギュッと抱きしめ返してくれた。

「……なんか喜んでます?」

「志穂が可愛いなと思って」

「ヤキモチ焼かれると可愛いって感じるんですか? でも航さんは嫉妬による束縛とか干渉とか嫌いですよね?」

「それ、志穂は気にしなくていいって前に言ったのに。それにこんなの束縛のうちに入らないと思うけど」

「その、こんなこと聞いていいか分からないですけど、元カノさんにどんな束縛されたんですか?」

実はちょっと気になっていたので思い切って聞いてみた。

というのも、3年前に別れたという元カノさんは航さんが女性に対して勃たなくなったキッカケを作った人物だ。

イチャイチャするだけの関係の時はさほど気にならなかったけど、付き合うようになると彼氏の元カノというのはやっぱり不思議と気になってしまう存在である。

「別に話すのはいいけど、そんな気になる? もう昔のことだし、聞いても面白い話ではないと思うよ」

「気になります!」

「そう? 志穂が聞きたいなら話すけど、まあ、スマホ勝手に見たり、執拗に誰とどこで何してるか聞いてきたり、俺の人間関係を管理したり……とかかな。でも本人もあの時はおかしくなってたって言ってたし、俺にも悪いところはあったから」

私の聞きたいというリクエストに応えて、当時を思い出すように具体的なことを航さんは話してくれる。

だが、その言葉の中で一部引っ掛かるところがあった。

「本人が言ってた、ですか……?」

「ああ、この前偶然再会したんだ。取引先回りしてる合間に立ち寄ったカフェでね」

至極アッサリ航さんの口から飛び出したのは、その例の元カノと会ったという事実だった。

途端に、社内の女性社員がアプローチしていること以上に気持ちが騒めいてしまう。

「……あの、再会してまたやり直そう、みたいな話になったりとかは……?」

「え? まさかそれはない。完全に俺にとって過去だし。ただ普通にちょっと話しただけ。当時のこと謝られて、俺も非があったって気付かされた感じかな。それに向こうは結婚していてもうすぐ子供生まれるんだって。もちろん連絡先も交換してないし、本当にその場で話をしただけだよ」

「そう、なんですか」

なんとなく元カノさんが既婚者になっていたことにホッとした。

 ……なんか私って意外とヤキモチ焼きだったんだなぁ。前はこんな風じゃなかった気がするのに。

立て続けにちょっと子供じみた嫉妬を見せてしまった私は少々バツが悪くなる。

それを誤魔化すように、航さんの顔に自らの顔を寄せ、頬にチュッとキスをした。

「疑うようなこと言ってすみませんでした」

きっとやましい事がないから元カノさんと会ったこともサラリと航さんは口にしたのだろう。

なのに過剰に気にしてしまい申し訳なく思った。

「……志穂は謝る時までこんな感じなのか」

「こんな感じ?」

「いや、こっちの話。それより志穂の方こそ、元カレと会ったり連絡取ったりは?」

「私ですか? 別れてからは一切関わってないですよ? たとえ再会してもやり直すなんて絶対ないです」

このことは断言できる。

どちらの元カレもデキナイ私とやり直そうなんて考えるはずがない。

彼らにとって私は女性として魅力がないのだから。

「航さん、私から元カノさんのこと聞いたり過去の話を始めておいてなんですが、もうこの話はやめませんか? せっかく久しぶりに会えたからもっとイチャイチャしたいです」

「確かに、そうだね」

「じゃあキスさせてください!」

そう希望を述べて、私は航さんの膝の上にまたがる。

航さんより顔の位置が高くなったため、見下ろすように見つめながら、彼の頬に手を当てて自分から唇をそっと押し当てた。

触れるような口づけを顔の角度を変えて何度もしているうちに、それはどんどん濃厚なキスになっていく。

航さんの手も私の腰へ回され、膝の上で抱っこされているようになり密着度が増す。

「んっ……気持ちいい……」

触れる唇の柔らかさと、口の中でねっとり絡みつく舌の動きに、だんだん頭がボンヤリするような感覚が訪れる。

すべてを溶かして、とろけさせていくような、そんな錯覚に陥った。

「……志穂、そろそろ映画でも観ない? ほら、この前志穂が気になるって言ってたやつ、動画配信サービスに追加されてたから」

そんなキスの気持ち良さに思わず夢中になる私から航さんは唇を離すと、代わりに首筋にチュッと軽くキスをしてそう問いかけたきた。

私が前に話したことを覚えていてくれたらしい。

確かにこのままずっとキスをしているわけにもいかないし、会えなかった分は十分満たされた。

同意して首を縦に振ると、「じゃあ準備するから降りて」と促される。

言われた通りに、私はまたがっていた航さんの膝の上から移動しようとする。

その時、一瞬だけ何か硬いモノに触れたような気がした。

 ……ん? 今のなに?

疑問に思ったのはほんの一瞬で、そのことはすぐにどうでも良くなった。

なぜなら私が退いたことで自由に動けるようになった航さんが私の耳をペロリと舐めたからである。

「ひゃっ……!」

こそばゆい感覚に思わず声を上げ、バッと手で耳を覆った。

完全に気を抜いていたタイミングでの不意打ちに、顔が赤くなってしまう。

「ちょっとトイレ行ってくるから、コーヒーでも飲んで待ってて。俺の分まで淹れてくれると嬉しいな」

「あ、はい。分かりました!」

そのままお手洗いに消えて行った航さんを見送り、私はキッチンへ向かった。

電気ケトルでお湯を沸かし、市販のドリップパックコーヒーをマグカップに固定して、お湯を注いでいく。

次第に華やかな香ばしいコーヒーの香りがふわりと部屋に広がる。

ちょうどその頃、航さんがリビングに戻ってきて映画を再生する準備を始めたので、マグカップを2つ持ってソファーの方へ移動した。

「はい、コーヒーです」

「ありがとう。じゃあ再生するよ」

頷きながら私はコーヒー片手にソファーの下のカーペットが敷かれた床に腰を下ろす。

ここで一緒に映画を観る時は、だいたいいつも 二人とも床に座って、航さんに後ろからハグしてもらいながら鑑賞していたからだ。

だが、この日は違った。

航さんはソファーに座ったままだったのだ。

まぁそんな日もあるかなと思い、私は床に座ったまま、航さんの片足にもたれかかるようにしてくっついた。

それに呼応するように上から手が降りてきて、ポンポンと頭を撫でられる。

「寝ないでね?」

「寝ませんよ! 観たかった映画なんですから」

寝てしまった過去の行いを示唆しながらからかい口調で航さんに言われ、私はちょっと拗ねたように言い返す。

そんな私に航さんが耐えかねたように小さく笑い出したところで映画が始まった。

私たちは会話を止め、その後は映画を堪能するおうちデートを楽しんだのだった。
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