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21. よそよそしさ
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『彼氏がよそよそしい⁉︎ 別れのサイン5選』
待ち時間を潰すために立ち寄った本屋さんで、そんな見出しが大々的に描かれた女性誌を思わず私は手に取った。
雑誌のページを捲り、該当の特集記事にじっくり目を通す。
「あまり話を聞いてくれなくなる」、「自分のことを話さなくなる」、「忙しいと言って会う頻度が減る」、「スキンシップをとらなくなる」、「会っている時に時間を気にする」……このサインが出ていたら危険かもと紹介されている。
ひと通りの内容をチェックし、いずれの項目にも当てはまっていないことに私はホッと胸を撫で下ろした。
「志穂? なに見てるの?」
その時ふいに背後から声を掛けられ、無意識にバッと雑誌のページを閉じる。
振り向くとそこには待ち合わせをしていた若菜の姿があった。
私が本屋さんにいるとメッセージを送っておいたのを見て、ここまで来てくれたらしい。
「あ、うん、ちょっとこの雑誌が気になって」
「その雑誌って毎回特集が面白いよね! 確か今月号は今話題のイケメン特集してるんだっけ?」
「え? ああ、そうみたいだね! ね、そろそろお店に向かわない?」
「そうだね。行こっか」
私は手に持っていた雑誌をそのまま元の場所に戻し、若菜と連れ立って本屋さんをあとにする。
私たちが向かうのはここから程近いところにあるスイーツビュッフェの専門店だ。
春のシーズナルメニューである苺のデザートを堪能しに休日にこうして若菜と出掛けていた。
季節は3月の上旬を迎えていて、まだまだ寒い日が多いものの、スイーツ界隈では桜や苺のデザートが席巻し一足早く春を迎えている。
「うわぁ、どれも美味しそう~! テンション上がるね!」
「種類が多くて迷っちゃうね!」
予約しておいたため、すぐに席に着いた私たちはさっそく色鮮やかなスイーツを目の前にして目を輝かせる。
100分制のスイーツビュッフェは、時間内はスイーツとドリンクが食べ放題だ。
その時々で話題になったスイーツや、季節の素材をふんだんに取り入れたデザートが並び、目移りしてしまう。
どれを食べるか物色するだけでもワクワクして楽しい。
私は苺のレアチーズタルトとカヌレを、若菜は苺のパンナコッタとマリトッツォをまず選び、お皿に取って席に戻った。
「苺のデザート見ると春だなぁって感じするよね!」
「分かる分かる! あー、このレアチーズタルト本当に美味しい!」
「えー気になる! 私もあとで志穂の食べてるそれ食べてみようっと!」
「うん、ぜひ食べてみて!」
「ね、それで志穂は一体何に悩んでるの? 彼氏と何かあった?」
スイーツに舌鼓をうち、キャッキャっと楽しんでいた最中、突如若菜がサラリとそう切り出した。
斬り込むようないきなりの話題転換に私は目を丸くし、思わずフォークを持つ手が止まってしまった。
「……えっ、急にどうしたの?」
「だってさっき真剣な表情で雑誌読んでたでしょ? 確かあの雑誌、今月イケメン特集じゃなくて、恋人との出会いと別れ特集だったなぁと思い出して」
若菜の言う通りだった。
4月という新生活を迎える人が多いタイミングを前に、出会いと別れという特集が組まれていたのだ。
私はそんな特集の中の別れをフューチャーしたページに見入っていたわけである。
「もしかして彼氏とうまくいってないの?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」
尋ねられて返答する私の言葉は歯切れが悪く、語尾は尻すぼみになってしまった。
航さんとは付き合い出して約2ヶ月になるのだが、若菜にはすでに彼氏ができたことは報告した。
もちろん相手が誰かまでは言っていない。
上司と部下という公の関係上、秘密にする必要があるからだ。
嘘をつくのは心苦しかったため、出会いを聞かれた時には「夏前に出会って何度か会ってるうちに惹かれて付き合うことになった」と話した。
夏前に出会って=航さんが異動して来て、何度か会ってるうちに=ハフレ&ソフレの関係をしているうちに、だから一応事実である。
「もう! 志穂ったら歯切れ悪いよ! うまくいってないわけじゃないけど、何か気になることがあるんでしょ?」
「……うん」
「良かったら話してみて? 第三者から見れば何か気付くこともあるかもしれないから」
そう促されて確かにそうかもと思う。
特に若菜と藤沢くんのカップルはいつも仲が良くて私にとって憧れの二人だ。
何かいいアドバイスを貰えるかもしれない。
そこで私はここ最近気になってモヤモヤしていたことを打ち明けてみることにした。
「実はね、なんか彼氏がよそよそしいの」
「よそよそしい? どんなふうに?」
「ハグとかキスとかのスキンシップ自体はしてくれるし、嫌がってる感じもないんだけど、ただなんか前より軽い感じのスキンシップが多くなったというか……」
航さんとは以前と変わらずほぼ毎週末に会っているし、優しいし、甘やかしてくれるし、いつも私の心に潤いとトキメキをもたらしてくれる。
仲良くやっているし、関係は良好だと思う。
だけど、なんだかスキンシップが軽く、触れている時間も短くなった気がするのだ。
「スキンシップが軽くなったって、具体的にはどんな感じになったの?」
「えっと、例えば……」
そう重ねて尋ねられ、私は記憶を遡るように航さんの様子を脳裏に思い浮かべる。
まず私が「あれ?」と思った最初のキッカケはリビングで映画鑑賞をしていた時のことだ。
一緒に観る時に、床に座って後ろから包み込むようなハグをしてくれなくなった。
付き合う前はほぼ毎回その体勢だったのに、思い返せば付き合ってからは一度もしていない。
以前みたいに後ろからハグして欲しいとリクエストもしてみたけど、チュッとキスされて誤魔化された気がする。
それにキスもそうだ。
触れるだけのような軽いフレンチキスの割合が増え、舌を絡ませるような深いキスが減った。
決してしてくれないわけではないけど、その時間は短いし、特にベッドの上では極力避けられているような感じがする。
くっつくのも私からで、最近は「かまって」とねだるように、航さんの背中に抱きついてばかりだ。
繰り返すが、航さんはスキンシップ自体はしてくれるし、嫌がっているわけではない。
ただ、なんとなくよそよそしさを感じてしまい、付き合う前より距離を感じてしまう。
やっぱり私は「彼氏」という存在とはとことん相性が悪いのではないだろうか。
つい過去の彼氏達が私にだけダメだった事態が脳裏を過り、彼女として魅力のない自分を思い知らされ自信を失くしてしまう。
もしかしたら航さんも彼女になった私に愛想を尽かし始めてるのかもと邪推が止められない。
そんな具体的な出来事を差し支えない範囲で掻い摘んで若菜には話した。
「う~ん、話を聞く限りだと別によそよそしいっていう印象は受けないかなぁ。もし気持ちが離れてるならスキンシップ自体避けると思うよ? 志穂的には軽めだと感じるハグやキスは応えてくれるんでしょ?」
「うん。向こうからもしてくれる」
「じゃあ絶対大丈夫だよ。それに夜の営みもしてるんでしょ? そっちで満足していて、普段のスキンシップが軽めになったのかもよ?」
「あ、うん。そうかもね……」
一瞬ギクリとした私は取り繕うようにぎこちない笑顔を浮かべた。
いい歳した大人の男女が付き合っているとなると、やっぱり体の関係は当然あるものだと思うのが普通だ。
若菜はまさか私が彼氏と体の関係はないなんて思ってもいないのだから、この意見はもっもとだと言えた。
私は誤魔化すようにフォークを持つ手を再び動かし、苺のレアチーズタルトを口に頬張る。
甘ずっぱい苺と爽やかで濃厚なチーズの味わいが口いっぱいに広がった。
ちょうどその時、鞄からブーブーブーとスマホのバイブ音が耳に飛び込んできた。
長さから電話だろうと思った私と若菜は、それぞれが鞄の中を確認する。
どうやらその電話は、私のプライベート携帯から奏でられているようだった。
「気にしないで出ていいよ。私は次のスイーツ取りに行ってくるね!」
若菜が気を利かせてそう言い残して席を立つ。
ごめんねと断りを入れてから、私はバイブ音が鳴り響く電話に出た。
「もしもし」
「あ! 志穂さんですか! お久しぶりです!」
電話口からは弾むような明るい声が聞こえてくる。
大学時代に仲良くしていた後輩の女の子・果湖ちゃんだった。
私が大学4年の頃に、果湖ちゃんは大学1年だったのだが、就活後に始めたバイト先が一緒で、さらには同じ大学の同じ学部の同じ学科だと分かり仲良くなった。
社会人になってからはなかなか会う機会もなかったのでこうして話すのは久々だ。
懐かしい気持ちが湧き起こってきて、自然と顔が綻ぶ。
「果湖ちゃん! 久しぶりだね。今大学4年だっけ? もうすぐ社会人だね!」
「そうなんですよ~。来月からお菓子メーカーのOLです。志穂さんの職場と近いはずなんで、仕事終わりに飲みに行ったりしましょうね!」
「ぜひぜひ! ところで今日はどうかしたの?」
「謝恩会のお知らせをしたくてお電話しました!」
「謝恩会?」
「はい! 志穂さん、私たちの学科にいた槙本教授って覚えてます?」
問いかけられて当時の記憶を呼び覚ます。
ゼミの担当教授だったこともあり、もちろんしっかり覚えている。
目尻に皺のある優しげな顔をした老教授の姿が浮かんできた。
「覚えてるよ! ゼミの担当教授だったから。懐かしいなぁ。それでその槙本教授がどうかしたの?」
「槙本教授が今年で退職されることになったんです。それで謝恩会を開催することになったんですけど、せっかくだから学科のOBやOGにも声を掛けようって話になって。運営メンバーが今それぞれ知り合いの先輩方に連絡しているんです。あ、私もその運営メンバーの一人なんですけどね!」
「そうなんだ。槙本教授にはお世話になったから私もお礼を伝えたいなぁ」
「急な話だったんで、実は開催日が再来週の土曜日なんですよ。志穂さん予定空いてますか? 場所は都内のホテルです」
特に予定は入っていなかったはずだと思い、私はその旨を果湖ちゃんに伝える。
あとで詳細をメールで送ってもらうことになり、久々に会えるの楽しみにしてるねとお互い言い合って電話は終了した。
ちょうどそのタイミングで若菜がお皿にさっきよりもたくさんのスイーツを乗せて席に戻って来た。
「ちょっと若菜、それ食べられるの?」
「余裕余裕~! 志穂は電話終わったの?」
「あ、うん。大学時代の後輩からで謝恩会のお知らせだった」
「謝恩会?」
謝恩会ってなんだっけ?という顔をする若菜に、私はさっき果湖ちゃんから聞いたことを話す。
そういうことねと納得顔になった若菜は、今しがた取ってきたケーキを頬張りつつ、今度は警告するような顔つきを私に向けた。
「ねぇ、それって同窓会みたいなものでしょ? 確か志穂の元カレって同じ大学の人だったって前に言ってなかった? 再会する可能性あるんじゃない?」
「あっ……」
今の今までその可能性を1ミリも考えなかったが、確かに若菜の言う通りだ。
彼も同じ学科だったから、声を掛けられている可能性は大いにあり得る。
「同窓会ってさ、再会して燃え上がったりしがちだから、恋人に行かれるのちょっと嫌だよね。私も尚人が行く時、心配になるもん。もちろん信じてないわけじゃないけど。だから志穂も行くならせめて彼氏にちゃんと言ってから出席した方がいいよ。あとで分かると隠してたって思われるかもだから、個人的には元カレと会う可能性も事前に報告しておいた方がいいと思うなぁ」
「確かに若菜の言う通りかも」
「あとさ、さっきの話に戻るけど、気に掛かることがあるなら直接彼氏に話してみた方がいいと思うよ。やっぱり話し合いは大事だもん」
「うん、そうだよね……!」
若菜の言葉はどれももっともで身に沁みる。
頷きながら今度航さんに会った時にどちらもちゃんと話そうと思った。
◇◇◇
「謝恩会? へぇ、大学の時にお世話になった教授なんだ。それは顔を出してお礼を伝えた方がいいね」
航さんに話したのは、翌週の週末だった。
いつものようにリビングのソファーに座りながら、私は来週に迫った謝恩会について説明する。
お世話になった教授だと話すと、ぜひ行っておいでと航さんは笑顔だ。
「あの、それでその謝恩会なんですけど、私みたいなOGやOBにも幅広く声を掛けているみたいで、ある種の同窓会みたいな感じらしいんです」
「ああ、確かに歴代の教え子達が集まったらそうなるだろうね」
「それで、その、もしかしたら元カレが来ている可能性もあって……。あくまで可能性ってだけで確定ではないんですけどね。でも一応航さんには事前に伝えておいた方がいいかなと」
「元カレ……? 3年前に別れたって言ってた?」
「あ、いえ、別の人です。その人はもう5年以上前のことですし、万が一再会しても絶対になにもないです」
「……そうなんだ」
なんとなく航さんの態度が固くなった気がして、やっぱり嫌なのかなと感じる。
隣に座る航さんの様子を窺い見ながら問いかけた。
「やっぱり行かない方がいいですか?」
「え? いや、そんなことない。せっかくの機会なんだから行ってきたらいいと思うよ」
片手で頭を撫でてくれた航さんはいつも通りの落ち着いていて余裕のある感じに見えた。
……態度が固くなった気がしたのは気のせいかな? きっと航さんは私みたいにヤキモチとか焼かないよね。
ちょっとだけ焼いて欲しかったなとワガママな寂しさを感じつつ、私は横から航さん体に腕を回し抱きついた。
本当は膝の上に乗って前から抱っこするみたいにくっつきたかったけど、航さんはマグカップを手に持って膝に置いていたのだ。
「キスしていいですか?」
そう少し上目遣いで問いかけ、答えも待たずに私は彼の唇に自分の唇を押し付けた。
応えるように航さんも顔の角度を変えて、何度か啄むようなキスをしてくれる。
でもなかなか舌が差し込まれてこない。
そのことがもどかしくって、痺れを切らした私は航さんの唇をペロリと舐め、反動で開いた口に自らの舌を捩じ込んだ。
一瞬航さんの体がギクリとするように揺れたのを感じたけど、気付かないふりをしてそのまま舌で彼の口の中を弄る。
もっと航さんにも舌を絡めて欲しい――そう思った刹那、彼の唇が離れていく。
「……どうしたの? いつにも増してやけに積極的だけど」
「航さんこそどうしてですか? 付き合ってからなんかよそよそしいです」
「いや、そんなことない。それは志穂の気のせいだと思う」
「でも前はキスだってもっと応えてくれたのに」
「……俺だってもっとしたいよ」
「じゃあなんでですか?」
「それは……」
言葉を詰まらせた航さんの様子を見て、何か言い難いことを隠しているのだとピンと来る。
恋人の間で隠し事といえば、やっぱり定番は浮気ではないだろうか。
航さんはデキナイから、体の浮気はしていないはずだけど、他の女性に心変わりをしたのかもしれない。
なにしろ指輪を外した今の航さんの周りには、航さんを狙う素敵な女性がたくさんいるのだ。
ヤキモチすら焼く必要のない、魅力のない彼女なんかお呼びでないだろう。
「……そっか、やっぱり私って彼女として魅力ないんですね。ハフレやソフレの関係のままでいた方が良かったのかもしれないですね」
「違う。そうじゃない。たぶん志穂は勘違いして変な結論を導き出してる気がする。実は志穂に隠していたことがあって――……」
「いいです! 聞きたくないです! すみません、今日は帰りますね」
何かを言いかけた航さんの言葉を遮り、私は勢いよくその場を立ち上がった。
荷物を手に取り、逃げるようにマンションをあとにする。
私の脳裏を占領していたのは、初カレが他の女性と浮気した際に後日釈明された時のことだ。
あの時のショックと傷みを思い出し、航さんから釈明めいたことを聞きたくなかった。
航さんとずっと一緒にいたい、この関係を終わらせたくない。
だから聞きたくないと思ってしまったのだ。
付き合って約2ヶ月、以前の関係から含めると約6ヶ月を一緒に過ごしているが、こんなふうに口喧嘩っぽい事態になるのは初めてのことだった。
待ち時間を潰すために立ち寄った本屋さんで、そんな見出しが大々的に描かれた女性誌を思わず私は手に取った。
雑誌のページを捲り、該当の特集記事にじっくり目を通す。
「あまり話を聞いてくれなくなる」、「自分のことを話さなくなる」、「忙しいと言って会う頻度が減る」、「スキンシップをとらなくなる」、「会っている時に時間を気にする」……このサインが出ていたら危険かもと紹介されている。
ひと通りの内容をチェックし、いずれの項目にも当てはまっていないことに私はホッと胸を撫で下ろした。
「志穂? なに見てるの?」
その時ふいに背後から声を掛けられ、無意識にバッと雑誌のページを閉じる。
振り向くとそこには待ち合わせをしていた若菜の姿があった。
私が本屋さんにいるとメッセージを送っておいたのを見て、ここまで来てくれたらしい。
「あ、うん、ちょっとこの雑誌が気になって」
「その雑誌って毎回特集が面白いよね! 確か今月号は今話題のイケメン特集してるんだっけ?」
「え? ああ、そうみたいだね! ね、そろそろお店に向かわない?」
「そうだね。行こっか」
私は手に持っていた雑誌をそのまま元の場所に戻し、若菜と連れ立って本屋さんをあとにする。
私たちが向かうのはここから程近いところにあるスイーツビュッフェの専門店だ。
春のシーズナルメニューである苺のデザートを堪能しに休日にこうして若菜と出掛けていた。
季節は3月の上旬を迎えていて、まだまだ寒い日が多いものの、スイーツ界隈では桜や苺のデザートが席巻し一足早く春を迎えている。
「うわぁ、どれも美味しそう~! テンション上がるね!」
「種類が多くて迷っちゃうね!」
予約しておいたため、すぐに席に着いた私たちはさっそく色鮮やかなスイーツを目の前にして目を輝かせる。
100分制のスイーツビュッフェは、時間内はスイーツとドリンクが食べ放題だ。
その時々で話題になったスイーツや、季節の素材をふんだんに取り入れたデザートが並び、目移りしてしまう。
どれを食べるか物色するだけでもワクワクして楽しい。
私は苺のレアチーズタルトとカヌレを、若菜は苺のパンナコッタとマリトッツォをまず選び、お皿に取って席に戻った。
「苺のデザート見ると春だなぁって感じするよね!」
「分かる分かる! あー、このレアチーズタルト本当に美味しい!」
「えー気になる! 私もあとで志穂の食べてるそれ食べてみようっと!」
「うん、ぜひ食べてみて!」
「ね、それで志穂は一体何に悩んでるの? 彼氏と何かあった?」
スイーツに舌鼓をうち、キャッキャっと楽しんでいた最中、突如若菜がサラリとそう切り出した。
斬り込むようないきなりの話題転換に私は目を丸くし、思わずフォークを持つ手が止まってしまった。
「……えっ、急にどうしたの?」
「だってさっき真剣な表情で雑誌読んでたでしょ? 確かあの雑誌、今月イケメン特集じゃなくて、恋人との出会いと別れ特集だったなぁと思い出して」
若菜の言う通りだった。
4月という新生活を迎える人が多いタイミングを前に、出会いと別れという特集が組まれていたのだ。
私はそんな特集の中の別れをフューチャーしたページに見入っていたわけである。
「もしかして彼氏とうまくいってないの?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」
尋ねられて返答する私の言葉は歯切れが悪く、語尾は尻すぼみになってしまった。
航さんとは付き合い出して約2ヶ月になるのだが、若菜にはすでに彼氏ができたことは報告した。
もちろん相手が誰かまでは言っていない。
上司と部下という公の関係上、秘密にする必要があるからだ。
嘘をつくのは心苦しかったため、出会いを聞かれた時には「夏前に出会って何度か会ってるうちに惹かれて付き合うことになった」と話した。
夏前に出会って=航さんが異動して来て、何度か会ってるうちに=ハフレ&ソフレの関係をしているうちに、だから一応事実である。
「もう! 志穂ったら歯切れ悪いよ! うまくいってないわけじゃないけど、何か気になることがあるんでしょ?」
「……うん」
「良かったら話してみて? 第三者から見れば何か気付くこともあるかもしれないから」
そう促されて確かにそうかもと思う。
特に若菜と藤沢くんのカップルはいつも仲が良くて私にとって憧れの二人だ。
何かいいアドバイスを貰えるかもしれない。
そこで私はここ最近気になってモヤモヤしていたことを打ち明けてみることにした。
「実はね、なんか彼氏がよそよそしいの」
「よそよそしい? どんなふうに?」
「ハグとかキスとかのスキンシップ自体はしてくれるし、嫌がってる感じもないんだけど、ただなんか前より軽い感じのスキンシップが多くなったというか……」
航さんとは以前と変わらずほぼ毎週末に会っているし、優しいし、甘やかしてくれるし、いつも私の心に潤いとトキメキをもたらしてくれる。
仲良くやっているし、関係は良好だと思う。
だけど、なんだかスキンシップが軽く、触れている時間も短くなった気がするのだ。
「スキンシップが軽くなったって、具体的にはどんな感じになったの?」
「えっと、例えば……」
そう重ねて尋ねられ、私は記憶を遡るように航さんの様子を脳裏に思い浮かべる。
まず私が「あれ?」と思った最初のキッカケはリビングで映画鑑賞をしていた時のことだ。
一緒に観る時に、床に座って後ろから包み込むようなハグをしてくれなくなった。
付き合う前はほぼ毎回その体勢だったのに、思い返せば付き合ってからは一度もしていない。
以前みたいに後ろからハグして欲しいとリクエストもしてみたけど、チュッとキスされて誤魔化された気がする。
それにキスもそうだ。
触れるだけのような軽いフレンチキスの割合が増え、舌を絡ませるような深いキスが減った。
決してしてくれないわけではないけど、その時間は短いし、特にベッドの上では極力避けられているような感じがする。
くっつくのも私からで、最近は「かまって」とねだるように、航さんの背中に抱きついてばかりだ。
繰り返すが、航さんはスキンシップ自体はしてくれるし、嫌がっているわけではない。
ただ、なんとなくよそよそしさを感じてしまい、付き合う前より距離を感じてしまう。
やっぱり私は「彼氏」という存在とはとことん相性が悪いのではないだろうか。
つい過去の彼氏達が私にだけダメだった事態が脳裏を過り、彼女として魅力のない自分を思い知らされ自信を失くしてしまう。
もしかしたら航さんも彼女になった私に愛想を尽かし始めてるのかもと邪推が止められない。
そんな具体的な出来事を差し支えない範囲で掻い摘んで若菜には話した。
「う~ん、話を聞く限りだと別によそよそしいっていう印象は受けないかなぁ。もし気持ちが離れてるならスキンシップ自体避けると思うよ? 志穂的には軽めだと感じるハグやキスは応えてくれるんでしょ?」
「うん。向こうからもしてくれる」
「じゃあ絶対大丈夫だよ。それに夜の営みもしてるんでしょ? そっちで満足していて、普段のスキンシップが軽めになったのかもよ?」
「あ、うん。そうかもね……」
一瞬ギクリとした私は取り繕うようにぎこちない笑顔を浮かべた。
いい歳した大人の男女が付き合っているとなると、やっぱり体の関係は当然あるものだと思うのが普通だ。
若菜はまさか私が彼氏と体の関係はないなんて思ってもいないのだから、この意見はもっもとだと言えた。
私は誤魔化すようにフォークを持つ手を再び動かし、苺のレアチーズタルトを口に頬張る。
甘ずっぱい苺と爽やかで濃厚なチーズの味わいが口いっぱいに広がった。
ちょうどその時、鞄からブーブーブーとスマホのバイブ音が耳に飛び込んできた。
長さから電話だろうと思った私と若菜は、それぞれが鞄の中を確認する。
どうやらその電話は、私のプライベート携帯から奏でられているようだった。
「気にしないで出ていいよ。私は次のスイーツ取りに行ってくるね!」
若菜が気を利かせてそう言い残して席を立つ。
ごめんねと断りを入れてから、私はバイブ音が鳴り響く電話に出た。
「もしもし」
「あ! 志穂さんですか! お久しぶりです!」
電話口からは弾むような明るい声が聞こえてくる。
大学時代に仲良くしていた後輩の女の子・果湖ちゃんだった。
私が大学4年の頃に、果湖ちゃんは大学1年だったのだが、就活後に始めたバイト先が一緒で、さらには同じ大学の同じ学部の同じ学科だと分かり仲良くなった。
社会人になってからはなかなか会う機会もなかったのでこうして話すのは久々だ。
懐かしい気持ちが湧き起こってきて、自然と顔が綻ぶ。
「果湖ちゃん! 久しぶりだね。今大学4年だっけ? もうすぐ社会人だね!」
「そうなんですよ~。来月からお菓子メーカーのOLです。志穂さんの職場と近いはずなんで、仕事終わりに飲みに行ったりしましょうね!」
「ぜひぜひ! ところで今日はどうかしたの?」
「謝恩会のお知らせをしたくてお電話しました!」
「謝恩会?」
「はい! 志穂さん、私たちの学科にいた槙本教授って覚えてます?」
問いかけられて当時の記憶を呼び覚ます。
ゼミの担当教授だったこともあり、もちろんしっかり覚えている。
目尻に皺のある優しげな顔をした老教授の姿が浮かんできた。
「覚えてるよ! ゼミの担当教授だったから。懐かしいなぁ。それでその槙本教授がどうかしたの?」
「槙本教授が今年で退職されることになったんです。それで謝恩会を開催することになったんですけど、せっかくだから学科のOBやOGにも声を掛けようって話になって。運営メンバーが今それぞれ知り合いの先輩方に連絡しているんです。あ、私もその運営メンバーの一人なんですけどね!」
「そうなんだ。槙本教授にはお世話になったから私もお礼を伝えたいなぁ」
「急な話だったんで、実は開催日が再来週の土曜日なんですよ。志穂さん予定空いてますか? 場所は都内のホテルです」
特に予定は入っていなかったはずだと思い、私はその旨を果湖ちゃんに伝える。
あとで詳細をメールで送ってもらうことになり、久々に会えるの楽しみにしてるねとお互い言い合って電話は終了した。
ちょうどそのタイミングで若菜がお皿にさっきよりもたくさんのスイーツを乗せて席に戻って来た。
「ちょっと若菜、それ食べられるの?」
「余裕余裕~! 志穂は電話終わったの?」
「あ、うん。大学時代の後輩からで謝恩会のお知らせだった」
「謝恩会?」
謝恩会ってなんだっけ?という顔をする若菜に、私はさっき果湖ちゃんから聞いたことを話す。
そういうことねと納得顔になった若菜は、今しがた取ってきたケーキを頬張りつつ、今度は警告するような顔つきを私に向けた。
「ねぇ、それって同窓会みたいなものでしょ? 確か志穂の元カレって同じ大学の人だったって前に言ってなかった? 再会する可能性あるんじゃない?」
「あっ……」
今の今までその可能性を1ミリも考えなかったが、確かに若菜の言う通りだ。
彼も同じ学科だったから、声を掛けられている可能性は大いにあり得る。
「同窓会ってさ、再会して燃え上がったりしがちだから、恋人に行かれるのちょっと嫌だよね。私も尚人が行く時、心配になるもん。もちろん信じてないわけじゃないけど。だから志穂も行くならせめて彼氏にちゃんと言ってから出席した方がいいよ。あとで分かると隠してたって思われるかもだから、個人的には元カレと会う可能性も事前に報告しておいた方がいいと思うなぁ」
「確かに若菜の言う通りかも」
「あとさ、さっきの話に戻るけど、気に掛かることがあるなら直接彼氏に話してみた方がいいと思うよ。やっぱり話し合いは大事だもん」
「うん、そうだよね……!」
若菜の言葉はどれももっともで身に沁みる。
頷きながら今度航さんに会った時にどちらもちゃんと話そうと思った。
◇◇◇
「謝恩会? へぇ、大学の時にお世話になった教授なんだ。それは顔を出してお礼を伝えた方がいいね」
航さんに話したのは、翌週の週末だった。
いつものようにリビングのソファーに座りながら、私は来週に迫った謝恩会について説明する。
お世話になった教授だと話すと、ぜひ行っておいでと航さんは笑顔だ。
「あの、それでその謝恩会なんですけど、私みたいなOGやOBにも幅広く声を掛けているみたいで、ある種の同窓会みたいな感じらしいんです」
「ああ、確かに歴代の教え子達が集まったらそうなるだろうね」
「それで、その、もしかしたら元カレが来ている可能性もあって……。あくまで可能性ってだけで確定ではないんですけどね。でも一応航さんには事前に伝えておいた方がいいかなと」
「元カレ……? 3年前に別れたって言ってた?」
「あ、いえ、別の人です。その人はもう5年以上前のことですし、万が一再会しても絶対になにもないです」
「……そうなんだ」
なんとなく航さんの態度が固くなった気がして、やっぱり嫌なのかなと感じる。
隣に座る航さんの様子を窺い見ながら問いかけた。
「やっぱり行かない方がいいですか?」
「え? いや、そんなことない。せっかくの機会なんだから行ってきたらいいと思うよ」
片手で頭を撫でてくれた航さんはいつも通りの落ち着いていて余裕のある感じに見えた。
……態度が固くなった気がしたのは気のせいかな? きっと航さんは私みたいにヤキモチとか焼かないよね。
ちょっとだけ焼いて欲しかったなとワガママな寂しさを感じつつ、私は横から航さん体に腕を回し抱きついた。
本当は膝の上に乗って前から抱っこするみたいにくっつきたかったけど、航さんはマグカップを手に持って膝に置いていたのだ。
「キスしていいですか?」
そう少し上目遣いで問いかけ、答えも待たずに私は彼の唇に自分の唇を押し付けた。
応えるように航さんも顔の角度を変えて、何度か啄むようなキスをしてくれる。
でもなかなか舌が差し込まれてこない。
そのことがもどかしくって、痺れを切らした私は航さんの唇をペロリと舐め、反動で開いた口に自らの舌を捩じ込んだ。
一瞬航さんの体がギクリとするように揺れたのを感じたけど、気付かないふりをしてそのまま舌で彼の口の中を弄る。
もっと航さんにも舌を絡めて欲しい――そう思った刹那、彼の唇が離れていく。
「……どうしたの? いつにも増してやけに積極的だけど」
「航さんこそどうしてですか? 付き合ってからなんかよそよそしいです」
「いや、そんなことない。それは志穂の気のせいだと思う」
「でも前はキスだってもっと応えてくれたのに」
「……俺だってもっとしたいよ」
「じゃあなんでですか?」
「それは……」
言葉を詰まらせた航さんの様子を見て、何か言い難いことを隠しているのだとピンと来る。
恋人の間で隠し事といえば、やっぱり定番は浮気ではないだろうか。
航さんはデキナイから、体の浮気はしていないはずだけど、他の女性に心変わりをしたのかもしれない。
なにしろ指輪を外した今の航さんの周りには、航さんを狙う素敵な女性がたくさんいるのだ。
ヤキモチすら焼く必要のない、魅力のない彼女なんかお呼びでないだろう。
「……そっか、やっぱり私って彼女として魅力ないんですね。ハフレやソフレの関係のままでいた方が良かったのかもしれないですね」
「違う。そうじゃない。たぶん志穂は勘違いして変な結論を導き出してる気がする。実は志穂に隠していたことがあって――……」
「いいです! 聞きたくないです! すみません、今日は帰りますね」
何かを言いかけた航さんの言葉を遮り、私は勢いよくその場を立ち上がった。
荷物を手に取り、逃げるようにマンションをあとにする。
私の脳裏を占領していたのは、初カレが他の女性と浮気した際に後日釈明された時のことだ。
あの時のショックと傷みを思い出し、航さんから釈明めいたことを聞きたくなかった。
航さんとずっと一緒にいたい、この関係を終わらせたくない。
だから聞きたくないと思ってしまったのだ。
付き合って約2ヶ月、以前の関係から含めると約6ヶ月を一緒に過ごしているが、こんなふうに口喧嘩っぽい事態になるのは初めてのことだった。
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