その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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薬師錬金術士の歩む道

暗闇の中の光

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 エスタット司祭様が、懇願にも似た表情を浮かべるの。 それは、すでに聖廟から漏れ出てこようとする、異界の魔力を抑えきれないと、そう言っているのと同じ。 司祭様の周囲に侍られている、助祭様たちだって、幾多の年月を研鑽に捧げられた、神聖な神官様たちよ?

 そんな方々も又、とても疲労の色が濃いわ。

 つまり、” 抑えきれないかもしれない ” との、思いが司祭様にして、一介の薬師に縋り付きたくなる程の惨状という訳ね。 わかった。 結界から漏れ出す、異界の魔力は重く、そして 濃い。 聖廟の中は推して知るべしね。



「結界を緩めていただけますか?」

「……やってくれるのか?」

「精霊様の思し召しでございます。 特に、聖廟はノクターナル様の御座所。 闇の属性を保持するわたくしは、何としても、異界の魔力を払わねばなりますまい。 そして、中に居る方が、まだ ” 生きて ” いらっしゃるのならば、私は薬師の誓いを守らねばなりません」


 そう答えると同時に、荘厳な鐘の音が、頭の中に響き渡るの。

 ――― ゴーン、
     ――― ゴーン、
         ――― ゴーン。

 そう、精霊様のご意思に沿う決断なのよ。 精霊様がそう私に応えて下さったの。 私が為さねば成らぬと決意したとき、それが、精霊様のご意思に叶うとき…… この荘厳な鐘の音が、私の中に響き渡るの。 だから、これは正道。



「すまぬ。 ナーリン小聖堂の神官は、私も含め力の限りを尽くしたのだ。 だが……」

「存じております。 精霊様方が、とても、この小聖堂を愛しておられるのは、精霊様の息吹が強い事からも、判っておりますわ。 しかし、この穢れは、そんな神聖な方々を以てしても…… そう云う事なのでしょう?」

「薬師殿には、この穢れを払う力がおありになる。 そう…… 聖堂内での、あの慈しみの光景は、何にも増して、その思いを強くしました。 そして、精霊様方はお示しになられました」

「……司祭様? 司祭様にも、あの荘厳な鐘の音が?」

「はい。 確かに聞きました。 ” 託宣セイレクト ” の鐘の音を」

「そうでございましたか。 ならば、必ずやり遂げねばなりますまい」




 深く、腰を折り、手に闇の精霊様の印紋を結ぶ。 幸いなるかな、魂の器。 ” 永久の眠りを妨げんが物、浄化する。 ”  誓文を言上げする。 ノクターナル様がお力をお貸しくださるわ。

 突然、大きな声とともに、私の前に出てくる人影が一人。 

 ――― エスト。




「い、いけません!! あれは、人の対処できるようなものでは御座いません。 わたくしは成かけでした。 だから、判るのです!! あれは…… あれは…… バケモノなのですッ!! 大切な御身を、そのようなモノの前に曝け出すなど、言語道断に御座いますッ!!」




 突然、そんな言を言い出すのよ。 ほんとに、困った人ね。 私が何者で、精霊様が私に ” 託宣 ” をお与えになっていることすら、理解していない。 ほら、見てみなさい。 シルフィーもラムソンさんも、私がこうやって、瞳の色を深くして、決意を以て発した言葉に関しては、なにも言わないわ。

 だって、それは、精霊様のご意思に他ならないんだものね。



「エスト。 控えなさい。 すでに、決めました。 貴女は私の行く道を遮るのですか?」



 少し、厳しめにそう口にするの。 判ってもらえそうにないけれど、一応はそう云うしかない無いもの。 シルフィーが、エストを抑えようと、肩に手を掛けると、それを振り払うのよ。



「シルフィー! 貴女だって、判っているのでしょうッ! この聖廟の中がどんな状態に成っているかってことぐらいッ! ラムソンだってそう。 何故リーナ様がそんな危ない場所に赴かねばならないのよッ!」

「リーナ様は、精霊誓約を誓約されているの。 そして、リーナ様のご意思は、精霊様も『精霊誓約の履行の為の行為』だと認められたのだ、エスト。 私は、リーナ様の行く道を阻むことは出来ない。 何故ならば、リーナが、精霊様が、そう望むからだ。 …………ラムソン。 私はエストを抑えるよ。 リーナの背中を頼む」

「承知」



 剣呑とも云えるような、そんな目でエストを睨みつける、シルフィー。 そんなシルフィーに対して、嘲りの様な表情を浮かべつつ、言葉を綴るのはエスト。 その紡がれる言葉は、怒りと嘲りが綯交ぜになって、棘の様に私の耳朶を打つ。 遣り切れない思いが浮かぶわ。 だって……

 みんな、私を思っての言葉なんだものね。



「……貴方って、やっぱり、北のギルドの者なのね。 そうやって、主人の危機を見逃し、あわよくば、主の束縛を外れようとする。 首の後ろの奴隷紋の主はリーナ様なんでしょ? その紋がある限り、貴女は自由には成れないんですものねッ! お為ごかしで、リーナ様に取り入り、機会を伺っていたのでしょう! こ、このッ!」

「それ以上、言ってはなりません」



 私は厳しく叱責も兼ねた言葉を吐くの、 奴隷紋は………… シルフィーの奴隷紋は、ずっと昔に無効化しているわ。 ラムソンさんのも同じ。 第十三号棟で出会った時にね。 はぁ…… どんな、罵詈雑言を言おうとしたのよ…… シルフィーが、寛大にもまだ発せられていない言葉は、無視していてくれているわ。 もし、本当に言葉に出せば……

 ――― 私は、大切な仲間を一人失う所だった。

 口を噤んだ彼女は、それでも怒気を孕んだ視線をシルフィーに向けているんだもの。 その場に渦巻くのは、黒々とした激情の気配。 一触即発にも似た、どうしようも無い、荒ぶった感情の嵐。 対処しなくては、血の雨が降るわ……

 シルフィーの顔が、不敵な笑みに変貌するの。 片方しか無い耳がペタリと伏せられ、飴色の髪が逆立ち、黄金色の瞳が怪しく輝く。 それは、血に飢えた森猫の表情。 久しぶりに見た…… あの王城外苑での舞踏会ファーストナイト以来の表情…………

 頭の中に響く声がしたわ。 天祐といえる言葉だったの。




 〈なら、私が出ましょうか? あぁ、人族の神官も居るわね。 そうねぇ…… 杖を出して、エストの前に突き刺しなさい。 彼女が杖に触れたなら、彼女に直接あげる〉

 〈シュトカーナ様。 貴女に、そう仰って頂けるのであれば、とても心強くありますわ〉 

 〈いいのよぉ、リーナ。 貴女の行く道を塞ぐモノは、精霊様のご意思に反するんだもの。 貴女は、貴女の思う道を、精霊様と歩まなくてはならないだもの。 それを見守り、助力する事がわたくしの『 使命 』 でも、あるのよね。 リーナ、気を付けていきなさい。 ブラウニーとレディッシュは、わたくしと共に。 ホワテル、グリーニー、エイローは、貴女の護衛に付けます。 よいですね〉

 〈有難く…… ご助力、感謝申し上げます〉


 私とシュトカーナ様のお話は、エストには聞こえていない。 目を怒らせ、そして、その光の中にシルフィーに対する嘲りの光が宿っているわ。 えっと…… いけないわね。 こんな事では、この先が思いやられる。 シュトカーナ様が、お手伝いを申し出てくださったのは、とてもありがたい事なの。

 だから、さっと左手を振るい、腕の中から「 魔法の杖 」を振り出したの。

 ええ、樹人族 シュトカーナ=パエシア様が宿る、神聖で大切な ” 魔法の杖 ” をね。 めったに使わない、私の身の丈程もある長大な「 魔法の杖 」は、お師匠様である、おばば様が仰っていた通り、ファンダリアの王宮宝物庫にすら、同等のモノは存在しないわ。

 目の前に突然振り出された 「 魔法の杖 」 に、エストは目を白黒させている。 彼女程の情報通なら、その杖がどれ程のモノかは、何も言わなくても理解できるでしょ? ね?

「エスト。 この杖に触れなさい。 命じます。 わたくしが何者であるか、そして、シルフィーやラムソンさんが、わたくしに深い忠誠を捧げて下さっている ” 本当の理由 ” が、理解できるでしょう」

 殊更に平坦な声で、そう伝えるの。 だって……ねぇ。 大切な仲間を、蔑ろにするような言葉を吐いたんだもの。 それは、絶対に許してあげないわ。 理解して、自身の言葉に後悔感じるならば、「許す」けれどもね。 

 さぁ、お触れなさい、エスト。

 恐る恐る、魔法の杖に手を伸ばすエスト。 指先が、杖に触れる瞬間に、ピシッと電光が走るわ。 そうね、シュトカーナ様も少々ご立腹だったものね。 途端に、エストの目から光が抜ける。 あぁ…… 精神が杖の中に取り込まれたのね。 

 身動ぎもせず、その場に立ちすくむエスト。 そんな彼女を背にして、聖廟の『石の扉』の前に立ったの。 シュトカーナとラムソンさんが私の傍についてくれている。 足元には、妖精騎士の三人が、私を見上げて立ち止まっているの。




「シルフィー。 エストの事、頼みました」

「はい、リーナ様。 もし、アレが森の民ジュバリアンの誇りを忘れていれば、精霊様の御加護を受け取らぬと決意したならば…… 排除します」

「シュトカーナ様の御前に於いて、彼女は理解してくれると思います。 私が何者で、何を成す者かを。 見守って上げてください。 もし、どうしてもダメであれば、彼女には西方の暗殺者ギルドに帰ってもらいます。 いいですね、シルフィー」

「…………ご意思のままに」




 ふぅぅぅ………… 大きく溜息が出たわよ。 ほんとに、もう。 だけど、そうは成らないと思うの。 だって、シュトカーナ様の御前で、お説教よ? 怖いわよぉぉ…… シュトカーナ様。 魂の奥底から恐怖が競り上がるような、そんなお説教よ? 耐えられるかしら? 森の民ジュバリアンが、その聖域の主の怒りに……

 耐えてほしいな。 彼女も又、私の大切な仲間なんだものね。




「神官様方、結界を緩めてください。 ラムソンさん、私の背を。 妖精騎士の皆さんは、私の横と前を。 精霊様の御意志の元、我、薬師錬金術師リーナ、異界の魔力を払い、この世のことわりの中に、生きとし生ける者を取り戻さんッ。 いざッ!」




 両手を前に出して、紡ぐ魔法陣は、【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】と、【解呪デカース】。 



 ギギギと、蝶番を軋ませながら、闇の精霊様の印紋を施した石扉が開く。 結界に押止められている、猛烈な ” 異界の魔力 ” が、吹き荒むその聖廟に、私たち四人は足を踏み入れたの。


 背後で閉じる石扉の音。


 そして、漆黒の闇が……


 私たちを……


 取り囲んだの。




























 ―――― 闇の向こう側に、二つの赤い光が、爛爛とこちらを睨みつけていたわ。









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