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思惑の迷宮
予期せぬ訪問者 シルフィー=ブレストン 暗殺者の恭順 (1)
しおりを挟む「そろそろ、時間ね」
「ええ…… そうですわね」
「今日は、会えてよかった。 これでも、かなり無理したのよ? リーナ、いい? ロマンスティカは、来なかった。 急に別件の用事が入って、そのお詫びをする為に、侍女が来た。 だから、ロマンスティカは、貴女と今日、会ってはいない」
じっと私を見る、ロマンスティカ様。 その瞳には幾つもの思惑が揺れている。 まるで、迷路のような……。 そして、彼女がそう言うという事は、何かしらの理由があるという事ね。 そして、それは、さっき合意した事に必要な事。 だから、私も了承したの。
「はい、ロマンスティカ様は、本日、急な御用事があり、見えられませんでした。 その事を伝えに、侍女の方が見えられた。 わたくしは、ロマンスティカ様をよく知らないので、その侍女の方にお話を伺った。 とても素敵な方だったと、理解した。 これで、宜しいでしょうか?」
「まったく、貴女って人は…… いいわ、それで。 とてもいいわ」
「お一人で、帰られるのですか? もう夕暮れ時、そのお姿でも、女性の一人歩きは……」
「大丈夫よ、私にはコレがあるから」
ロマンスティカ様は、エプロンのポケットから、小さな箱を取り出されたの。 何気なく扱われているけれど、強い〈 符呪 〉の気配がするの。 箱の蓋を取ると、黒の下縁の眼鏡を取り出されたのよ。 何気に、その眼鏡を掛けられると、彼女の姿が急に曖昧になったわ。
――― 認識阻害―――
そこにいらっしゃる事は、 ” 何となく ” 認識できるけれど、印象はとても薄くなる。 そんな術式を符呪しているのね。 成程…… 此れじゃぁ、誰もロマンスティカ様を認識できないわ。 意識を集中しないと、そこに居る事さえ、失念してしまう。 とても、強い『符呪』ね。
彼女は一度、眼鏡を外されたの。 そして、笑いかけられたわ。
「流石ねリーナは。 この眼鏡を付けても、わたくしをちゃんと見ていた。 この眼鏡ね…… ちょっと、曰く付きなの」
「” 曰く付き ” で、御座いますか?」
「コレを使っていたのは、あの女狐。 狙った殿方との密会の場所へ向かう際に使われていたそうよ…… お父様の弟である、叔父様が苦々しくそう、仰っていたもの。 それを、わたくしが使うとはね。 全く、なんの因果なのかしら。 ……でも、ある意味、コレは、お母様の形見。 大切に使わせて頂くことにしたの。 わたくしが、わたくしである為にね。 でしょ、リーナ様?」
「……心中、お察し申し上げます」
「いいのよ、わたくしの中では、” 産みの母 ” は、亡くなっていると思っているもの。 大丈夫よ、そんな顔しないで」
何とも言えない、そんな顔をしていたのかもしれない。 ロマンスティカ様は、爽やかに笑い、眼鏡を掛け、扉の前まで歩いて行かれた。 私もその後をついて行き、扉を開けたの。
「ほんと、貴女には、驚かされるわ。 コレを掛けた私を認識したのって、貴女が初めてよ」
「左様でございますか? ……街中でお会いしたら、まず、判らないでしょうね」
「そうであって欲しいわ。 とても、高価なものなのよ。 易々と符呪が破られると、困るもの。 じゃぁね、リーナ様。 また、「礼法の時間」か、どこかでね」
「ええ、ご連絡、お待ち申し上げております」
手をヒラヒラさせながら、赤く染まる回廊に消えていくロマンスティカ様。 夕食や家路を急ぐ人影に、あっという間に紛れ込んで…… 見えなくなってしまった。 驚きばかりの一時だったわ。
「もうすぐ、五刻の鐘が鳴る。 薬箱を出すぞ」
ラムソンさんの言葉で、現実に戻るの。 なんだか夢の中に居たみたいな心持ちよね。
「えっ、ええ、そうね。 ” お仕事 ” だものね。 お願いできる?」
「あぁ、わかっている。 ―――お前、貴族だったのか?」
「さぁ…… 私は、薬師リーナよ。 辺境の災害孤児の。 さぁ、薬草箱を出したら、お夕飯に行きましょう! もう、なんだか、お腹ぺっこぺこ! 疲れちゃった」
「そうだな…… 判った。 人族っていっても、色々あるんだな」
ラムソンさん、なんか一人で納得してる。 おかしいね。 でも、まぁ、そうだろうね。 あんなに突然言われたら、誰だって動揺するし、まして、あの名前を持ち出されるとは、思ってなかったもの。 流石はニトルベイン大公家のお嬢様ね。
” 信用も、信頼もいらない。 ただ、利用しあえばいい。 重く太い鎖を絶ち切る為にね ”
ってね。 私には、そう聞こえたもの。 一筋縄ではいかない、したたかな女性。 ロマンスティカ様。 そうね、利用しあう…… その通りかもしれないわ。
夕日に沈む回廊を見つめながら、私はそんな事を考えていたの……
^^^^^
食堂で夕ご飯を食べて、第十三号棟に戻る。 今日は本当に疲れたわ。 まさか……ね。 でも、口外しないって「精霊様」にお約束して頂いたからね。 ……大丈夫よね。 不安だわ……
もう、今日は寝よう…… 眠ってしまえば、このモヤモヤはどうにかなるかもしれないしね……
扉を抜け、しっかり【施錠】。 周辺の気配を読む為、【気配察知】を掛け直して中にはいったのよ。 これで、ゆっくりと眠れる。 そう思ってたの。
ラムソンさんは、疲れていたのか、ベッドにすぐに潜り込んで、寝息を立てているわ。 私も、【洗浄】を使って、体を清めてから、寝間着にしている薄物に着替えて、ベッドに潜り込もうとしたの。
コトリ……
部屋の奥の方で音がした。 ラムソンさんの鍛錬場として使っている場所だったの。 ラムソンさんは……もう、眠っているわ。 音が出るようなものは…… 無い。
なにか…… いる…… 絶対に…… いる。
そっとベッドから起き出して、ベッドの傍らに置いてある、山刀を手に奥へと向かう…… 中間部分には、奥と間仕切るように、仕分け済みの薬草箱が、積み上がっているの。
もう、魔法灯は落としてある。
倉庫の高い所から、月明かりだけが、差し込んでいたわ…… そっと、足音を立てないように、ゆっくりと奥へと向かうの。 間仕切りの薬草箱の影から、奥を見た。 ラムソンさんの鍛錬の為に、色々と置いてあるんだけど…… 箱を積み上げた、山に見立てた場所の上に人影が一つ。
立膝をついて、その上に腕をのせていた。 身体にぴったりとした、独特の装備をしている。 見た事があるわ。 そして、頭部は…… 面体を付けているの。 表情も何も判らない。
「コソコソするのは、私の方なのよ。 出てきたら?」
「暗殺者…… ですね」
「ええ。 …………そうよ」
早速…… 仕掛けて来たのか。 誰が雇い主か…… ふと、アッシュブラウンの髪が揺れるのが見えたような気がしたの。 いえ、違うわね。 この人は、この人の意思で、ここに来たんだ。 でなければ、さっさと、『 お仕事 』 を、していた筈。 何も判らない内に、骸が転がっていた筈よね……
「お前は、私の『仕事』の邪魔をしてくれた」
「ええ、そこに害されそうな命があるなら、いくらでも戦うわ」
「そう…… あの獣人の子も、助けるべき者か、人族!?」
ラ、ラムソンさん!!
彼に何をしたの!! 人の気配には人一倍敏感なのに、起きてこない! もう、すでに、この人の術策の中に居るって言うの? 一体どこから? あんなに固く【施錠】したのに、いつの間に! 【気配察知】にも、掛からないなんて…… 表情の読めない面体の後ろから、声だけが流れてくる。
「大丈夫、眠ってもらっただけ。 貴女とお話がしたくてね。 貴女とだけ」
「そう……なの。 なにかしら? こんな夜分に、ご招待もしてないのだけれど?」
「『仕事』は、失敗した。 まぁ、雇い主からは、なにも言ってこない。 まぁね、頭が、逝ったからね。 繋ぎは消えたし、私は、頭の手だったし。 と、云うより、頭は、私が殺した。 アイツの事は嫌いだったし、丁度よかったからね」
「そう…… 自由になる為に殺したの、その……貴女の頭とやらを? でも、一党だったんでしょ?」
「あぁ、あいつは、一党の頭だった。 けど、屑だった。 一党の者達は、何かしらの鎖でアイツに縛られていた。 私は…… 奴隷だ。 奴隷暗殺者だ。 だが、マスターが、私を解放したんだ。 奴隷から」
「マスターと、頭とは、違う人なの?」
「あぁ、その通りだ。 用心深い男でね。 アイツは、散々、私を嬲るだけで、絶対に私の様な奴隷のマスターにはならないような奴さ。 使い捨てする駒に、紐なんか付けない。 付けるのは、私を縛る鎖を握る者だけさ」
「マスターに命じて、貴女を自由にしていたって事?」
「なにかあれば、直ぐに切り離し、足が付かない様にする為さ」
「そう…… で、御用は何かしら?」
ふわりと、音もなく人影が、私の直ぐ近くに舞い降りる。 私も、山刀のグリップに手を掛ける。 ピシリと空気が張り詰め、キンと音が出るような緊張感が走る。
その人が…… 面体をむしり取る様に、脱いだの。
綺麗な飴色の髪が流れ落ち、金色の眼が私を捕らえるの。
彼女が何のために、来たのか。
そして、どうしようとしたのか。
まるで判らない。
だからこそ、私は、強い恐怖を感じたの。
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