電脳遊客

万卜人

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第九回 荏子田多門との対決の巻

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 天守閣は、再建途上の姿で、暗闇にどっしりと存在を誇示していた。竹櫓が周囲に組まれ、建材があちこちに置かれたまんまだが、ほぼ完成直前である。
「明かりが……!」
 晶が驚きの声を上げる。
 天守閣の内部から、煌々とした明かりが洩れていた。江戸で使われている、油や、蝋燭の明かりではない。明らかに電気的な照明だ。
 油や蝋燭の明かりは、燃焼によるものだから、どうしても仄かに瞬いたり、揺らいだりする。が、天守閣内部からの光は、一切、揺らいだり、瞬いたりはしない。強烈な光芒を周囲に放っていた。
 入口は大きく開け放たれ、俺たちを待ち構えているようだった。入口に立ち止まり、俺たちは顔を見合わせた。
 このまま、突っ込むべきか、どうか?
 吉弥の顔を見上げた晶は、躊躇いがちに声を掛ける。
「あのう……吉弥姐さん……?」
 呼び掛けられ、吉弥は吃驚したように晶を見た。
「なんだえ?」
 晶はモジモジしながら、吉弥の顔を凝視して言葉を続けた。
「あの、もし間違ってたら御免なさい。吉弥姐さんの顔……」
 吉弥は、むっとしたように答える。
「あちしの顔に、何か付いているのかえ?」
 晶は「うん」と頷いた。
 言われて、吉弥は慌てて自分の顔を手の平で撫でる。
 じょりっ! と音がする。
 吉弥の両目が飛び出んばかりに、見開かれる。
 俺は呟いた。
「吉弥、お前、髭が……!」
「いやだ──っ!」
 吉弥は大声を上げ、蹲る。
「見ないでおくれよ! ああ、どうしよう……始まっちまった!」
 晶は、目顔で俺に尋ねている。俺は解説してやった。
「〝ロスト〟のせいだ。仮想人格は、本来の身体を基本にデザインされている。たとえ性別を変えても、本来のセルフ・イメージが影響して、いずれは本当の性別に戻ってしまう。吉弥は女の仮想人格で接続していたんだが、本当は男だ。〝ロスト〟したまま、長い年月を仮想現実で過ごしていたんで、本来の性別が表に出てきたんだ」
 晶は、ぱくぱくと、何度か口を開いたり閉じたりしていたが、やっと声を上げた。
「じゃ、じゃあ……吉弥姐さんは男になっちゃうの?」
「止めておくれっ!」
 吉弥はじたばたと、足踏みする。
「あちしは、女! 男なんかじゃないっ! そんなの、あちしは、現実世界へ捨てて来たんだ……!」
 最後は呻き声になる。俺は首を振りながら、声を掛けた。
「諦めろ、吉弥。いずれこうなるとは、判っていたんだろう?」
「そりゃそうだけどさ……。あちしだけは、違うと思っていたんだ……」
 吉弥は、べそを掻いていた。玄之介は、笑って良いのか、同情すべきか、迷っているようで、複雑な表情を浮かべている。
 俺は吉弥の感情を切り捨てるように、背筋を伸ばし、一歩さっと前へ出た。
「さあ、お城に踏み込むぞ!」
 手を挙げ、思い切り吉弥のずんぐりとした肩を叩く。
「どうする、お前はここで、メソメソしているつもりか? 俺は先へ行くぜ」
 吉弥は、むっつりと頷いた。
「行くよ……。このままじゃ、もう一人のあちしが可哀想だ……。あいつだけは、あちしがなりたかった姿のまんま、過ごさせてやりたい……!」
 俺たちは用心深く、天守台に通じる斜路を登って、入口に近づいた。
 入口の扉は大きく開け放たれ、内部から白々とした明かりが眩しい。明かりは提灯や、龕灯などに偽装しているが、江戸市中ではまず見られない強い光で、電気の照明である。
 内部に踏み込むと、新築特有の木材の香りが鼻をつく。どの柱も、床も、ぴかぴかに磨き上げられ、非現実的ともいえる清潔さを保っている。床を見下ろすと、あまりに磨きたてられているので、顔が映るのではないかと思われた。
 弁天丸は、すでに先回りしているはずだ。
 もう、天守まで達しているのか?
 江戸城の天守閣は、五層五階になっている。天井は思い切り高く、贅沢な格子天井になっている。漆、金箔が充分に施され、欄間の浮き彫りは実に丁寧な仕事を見せている。江戸にいる、腕自慢の職人が、入念な仕事をしたのだろう。
 階段を上がり、一階、一階、緊張しながら登っていく。
 俺は罠を感じていた。
 よそよそしいほどに人の気配の感じられない天守閣内部に、執念深い悪意が孕んでいるのを、俺はひしひしと感じていた。
 階段を上がり、四階に辿り着くと、俺の足がずるりと滑った。
「わっ!」
 玄之介が、床を見下ろして「ああっ!」と悲鳴を上げていた。
 晶は息を吸い込み、両手で口を覆う。すぐに顔を背け、壁に凭れかかる。
 吉弥だけが、じっと目の前の光景にたじろぎを見せないでいる。
 一面の赤。立ち上る異臭。血の匂いである。広がる血の海に、一人の男がうつ伏せになって倒れていた。
 倒れているのは、弁天丸だった。
「弁天丸っ!」
 俺は叫び声を上げ、一歩ささっと室内に踏み込む。血潮の匂いが、むっと室内に籠もっている。
 倒れているにも拘わらず、弁天丸は相変わらず、長大な、役立たずと思われる刀を掴んでいる。
 血溜まりの中、弁天丸が身動きした。
 まだ生きている!
 俺は膝をつき、弁天丸の顔を覗きこんだ。微かに弁天丸の顔が動き、俺を見上げる。細長い顔に、弱々しい笑みが浮かぶ。
「伊呂波の旦那か……。やられちまった……。舐めていたな……」
 ひひ……と、それでもどうにかこうにか、笑い声を上げた。
「相手は、荏子田多門か?」
 俺の質問に、弁天丸はがくりと顔を自分の血潮に埋める。にちゃ……と、乾きかけた血が厭な音を立てた。
 うぐ……、と晶が吐き気を堪えている。俺だって、今にも胃の内容物を盛大に吐き散らしたい気分だ。
 俺は立ち上がった。
 踵を返そうとする俺に、弁天丸が必死に声を掛けた。
「ま……待て……これを!」
 震える手で、握りしめた刀を持ち上げる。
「この刀を、持って行け……! この刀を……使って……!」
 俺は再び膝をついて、弁天丸の手から、刀を受け取った。最後の力で握り締めているのか、ほとんど毟り取るようにしないと、弁天丸の手から離れない。
 弁天丸は最後の足掻きに、呟くような声を上げた。
「これで、消去刑は免れた……本望だ!」
 弁天丸は動かなくなった。今度こそ、本当に死んだのだろう。
 俺は呆然となっている三人の顔を、順に見詰めて口を開く。
「どうする? 多門は相当に手強そうだ。引き返したい奴は、いないか?」
 晶は真っ青な顔をしていたが、それでも唇をきつく引き結び、頭を振る。
 玄之介は黙って、懐から十手を取り出し、翳して見せた。決意の表情を浮かべ「御一緒いたしましょう!」と呟いた。
 吉弥は、ゆっくりと首を振り、腕捲りした。電柱のように太い腕に、逞しい筋肉が浮かぶ。ぐっと腕を伸ばし、俺が握っている弁天丸の刀を指さす。
「あちしに、その刀をおくれ。それを振り回せるのは、あちししか、いないよ!」
 俺が差し出すと、吉弥は両手で受け取り、刀をすらりと鞘から引き出した。
 ぎらり、と刀身が照明に冴え冴えと光を放つ。吉弥はずっしりと腰を落として、刀を構えた。
 一声「むん!」と唸ると、正眼に構え、さっと振り上げ何度か素振りをくれる。
 吉弥が素振りをするたび、びゅうびゅうと切っ先が空気を切り裂いた。恐ろしいほどの迫力だった。
 芸者の格好をしているが、今の吉弥は完全に達人の風格を漂わせている。
 何度か刀のバランスを試していた吉弥だったが、ようやく満足したのか、ぱちりと鞘に刀を収め、帯に捻じ込んだ。吉弥の巨体に、弁天丸の刀は誂えたように、ぴったりとしている。
 吉弥は、にったりと笑いを浮かべた。
「良い刀だ! あちしに、ぴったりだよ!」
 俺はすっかり度肝を抜かれ、ぽかんと馬鹿のように口を開いたまんまだった。
 のしのしと足音を立て、吉弥は最上階への階段に向かっていく。階段のきざはしに足を掛け、こちらに首を捻じ向ける。
「どうしたんだえ? 多門と対決するんじゃないのかえ?」
 俺はぶるっと首を振り、慌てて階段に足を向ける。
 多門との対決が待っている!
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