電脳遊客

万卜人

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第九回 荏子田多門との対決の巻

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 一歩、一歩、俺たちは階段を登って行く。張り詰めた緊張感が、ぴりぴりと肌を刺すようだ。
 階段の登り口が、いやに明るい。天守閣の最上階は、それまで通過して来た天守とは、別の構造をしているようだ。
 俺のすぐ目の前を、吉弥がやや腰を屈め、用心深く登って行く。腰に捻じ込んだ弁天丸の長大な刀の柄に手を掛け、いつでも抜き打ちできる構えを取っている。
 多門はすでに、俺たちの接近を気付いている。弁天丸を殺したのが、証拠だ。
 それにしても弁天丸は、どういう殺され方をしたのだろう? 普通に考えれば、刀でばっさり斬り殺されたと思える。が、俯せになっていたので、斬り口は判らない。
 だいたい、多門が剣術の達人、などという噂は、聞いていない。
 多門は江戸創設メンバーで、どちらかというと支配者側の人間だ。自分で手を汚す仕事は、嫌がってやらない。俺は最初から、江戸でのヒーローとしての生活をするつもりだったから、北辰一刀流を修得している。仮想人格をデザインするときに、特殊技能として、インストールすれば、誰でも即、剣術の達人になれるのだ。
 階段を登りきった吉弥が、ぎくりと立ち止まった。見上げると、吉弥の両目は、驚きに一杯に見開かれている。いつもは一本の線のようだった両目が、今は何とか黒目がはっきり判るほど、開かれている。
「どうした?」
 俺は声を掛けつつ、急ぎ足になった。
 顔を上げ、辺りを見回し、驚きに立ち竦む。
 俺も思わず「おおっ!」と、声を上げていた。
「何があるの?」
 背後から登って来た晶が、俺の背後で立ち止まる。晶もまた、俺と同じように驚きに、足を止める。
 たんたんたん、とリズミカルに階段を登って来た玄之介は、あんぐりと顎が外れそうなほどに口を開け、棒立ちになった。まじまじと両目を見開き、辺りを見回す。
「こ、これはいったい……?」
 後は言葉にならず、もぐもぐと自分の驚きを咀嚼している。
 階段を登り切ったそこには、信じられない光景が広がっていた。
 いや、正確に表現すると、何もなかった……。
 正真正銘、何も存在しない。
 あるのは、真っ白な光だけ。光源がどこにあるのか判らないが、一様な、べったりとした白い光が満ち溢れている。白い闇、と形容したほうがいいかもしれない。
 俺は天守閣の最上階に、何を期待していたのだろう? 江戸に結界を作り出すための、最新式の装置? それとも、多門が俺たちを出迎えるための仰々しくも、おどろおどろしい儀式の場?
 そのいずれの予測も、天守閣の最上階は裏切っている。
 不思議なのは、ちゃんと上下の感覚はあって、足下は固い床を感じている。後ろを振り返ると、俺たちが上がってきた階段の入口が見えて……。
 もう、存在しない!
 いつの間にか、階段の入口そのものが消え去っていた。べったりとした白い光が、どこまでも続いている。
 吉弥、晶、玄之介はお互いの顔を、きょろきょろと見合わせている。
「ど、どうなったので御座る? 階段は、どこへ消えたので御座ろう」
 玄之介は、顔中に脂汗を噴き出させ、ごくりと唾を呑み込んだ。
 晶は眉を顰めた。
「あたしたち、帰れなくなっちゃった!」
 俺はぐっと歯を食い縛った。息を吸い込み、大声を上げる。
「多門! 出て来い!」
 俺の声は、白い闇に吸い込まれた。
 白い闇は、完全に反響を吸収し、思い切り怒鳴っても、実に頼りない。お互いの声は、どこか遠くから聞こえるようで、すぐ間近にいるのに、無限の彼方から聞こえてくるようである。
 俺は懐を探った。指先に、ひやりとした硬質の感触が伝わる。
 ぐっと、懐から俺は弁天丸の拳銃を取り出した。灰鉄色の、重々しい鋼鉄の光沢が、ずしりとした重みを手に加える。禍々しいほどの、重量感である。
 どう、という考えがあった訳ではなかった。ただ、この不気味な沈黙を破りたかっただけだった。
 他の三人が呆然と見詰めている中、俺は拳銃を宙に翳し、銃爪に指先を掛ける。
 ぐわあーんっ、と構えている俺のほうが吃驚するような、派手な音が響き渡る。
 ぴっ! と拳銃を擬している真っ白な闇の一角が、罅割れた!
 ぴぴぴぴ……! と、罅割れは見る見る広がり、遂に目の前の空間が、真っ二つに引き裂かれる!
 気がつくと、俺たちは広々とした広間に立っていた。天井は恐ろしく高く、十丈はありそうだ。
 また、壁までも、同じくらいの遠さで、明らかに天守閣の最上階とは思えない。こんな広さの空間が、天守の最上階に存在は絶対に不可能である!
 広間の真ん中に、丸い卓があった。卓に視線を落としているのは、荏子田多門である。
 贅沢な絹の着物に、同じく絹の羽織、袴姿で、多門は物思いに耽るように、微動だにせずに卓を見詰めている。
 何をああ、熱心に見詰めているのだろう?
 俺は多門の卓に視線を移した。
 卓には、江戸の町並みが、精緻な模型となって再現されていた。縮尺は相当に大きそうで、卓のほぼ全部を占めている。
 模型は江戸の総ての町屋、大名屋敷、寺社、蔵など、通りの細かい部分まで再現されている。
 やがて多門が、静かに顔を上げた。
 ギリシャ彫刻を思わせる、神々しい顔。広い肩幅、百八十センチはありそうな、逞しい長身。暑苦しいほどの美男子である。
「やれやれ、鞍家二郎三郎。お前が銃を手にしていたとは、意外だった。お前さんは、他人を殺すような武器は持ち歩かない主義だと聞いていたがね。あの銃撃で、お前さんたちを閉じ込めていた結界が、あっさり破れてしまった」
 多門の口調は平静で、怒りの感情は微塵も含まれていない。一日の天候を話し合っているように、日常的な口調だった。
 俺もまた、平静な口調を強いて保って、多門に話し掛ける。
「この拳銃は、弁天丸が持っていたやつだ。お前、弁天丸を殺したな?」
 多門は苦々しげな表情を浮かべた。神々しいほどの美男顔が歪み、その下から下卑た本性がちらりと覗く。
「悪党ではないか! たかが悪党の一人、死んだから、って何だ! お前さんだって、今まで散々、江戸で悪党退治をしてきたんじゃないのか?」
 俺は肩を竦めた。
「まあな! 今日の俺は、江戸最大の悪党を退治するためやって来た」
 多門は、ちょっと、顎を上げた。
「江戸最大の悪党? ほう、誰を悪党と、お前は主張するのかな?」
 俺は手にした拳銃の銃口を、多門に向ける。
「お前だ、多門! お前、江戸全域を封鎖したな? なぜ封鎖する? 理由を言え!」
 多門は物凄い笑い顔になった。唇の両端がきゅっと吊り上がり、鼻の脇に深々と皴が穿たれる。両目は爛々と輝き、眉がぐっと跳ね上がった。
 悪魔の笑みだ。
「理由? 江戸の総てを、俺の物にするためだ! 今日から江戸は、正しく、俺の所有物だ! 俺は江戸の支配者なのだ!」
 俺は、かっとなって叫んだ。怒りで、銃口がぶるぶると震える。
「今すぐ、江戸の封鎖を解け! 江戸には、何も知らない《遊客》が多数いるんだぞ。全員、このままでは〝ロスト〟してしまう」
 うふうふ……と、多門は密やかな笑い声を上げる。
「済まないが、江戸にいる《遊客》には〝ロスト〟の運命を甘んじて受けて貰う。江戸は、もう二度と、外界と接触はしない! 今日から、完全な独立状態になったのだ!」
 俺の胸に疑問が広がる。多門の絶対的な自信は、どこから来るのだろう?
「多門。お前も〝ロスト〟してしまうんだぞ。それでも良いのか?」
 多門は深々と頷いた。
「そうだ! 俺の目的は〝ロスト〟だ。〝ロスト〟こそが、究極の救いなのだ! 俺の目的を理解した《遊客》たちの支持により、俺は今日から、大老に就任する!」
 俺は驚きに仰け反った。
「大老! 誰がお前に投票したんだ?」
 江戸幕府には五名の老中が常在し、江戸のありとあらゆる行政を〝国務大臣〟として取り仕切る。
 しかし、特別な場合に限り、《遊客》の投票によって、大老が定められる。大老は絶対的な権力を持ち、いわば江戸を治める大統領のような役割だ。もちろん、この仮想現実の江戸においてであり、史実とは大違いだが。
 多門は、得々と俺に向かって説明する。
「この江戸から締め出された《遊客》たちさ。俺は、各関所に残っている記録を集めて、江戸から所払いになった《遊客》たちのデータを収集した。再び江戸入りする見返りに、俺が大老に就任できるように、投票して貰った。大老の権限を持って、江戸の封鎖に踏み切った訳だ」
 俺は首を捻った。
「判らん。なぜ、好きこのんで〝ロスト〟が決まっている封鎖をする?」
 多門はニヤニヤと、無言で笑っているだけだった。
 俺の胸に、信じられない〝ある考え〟が湧き上がって来た。俺は目を見開き、多門をじっと見詰めた。
「まさか……。多門! まさか、あれを実行するつもりなのか?」
 多門は、ゆっくりと頷く。
「そうだ。俺は〝ゴースト・ダイブ〟を決行するつもりなんだ!」
 俺の全身に、どっと冷たい汗が噴き出した。
 晶が恐る恐る、俺に尋ね掛けた。
「〝ゴースト・ダイブ〟って、何よ?」
 吉弥はぐっと口を引き結び、仁王のような表情になっている。吉弥もまた、多門の呟いた〝ゴースト・ダイブ〟という言葉を、完全に承知しているのだ。
 俺は晶に向かって説明した。
「もし、仮想現実に接続している間、本体が死亡したら、どうなる?」
 晶はぽかん、と口を開いた。
「本体が死亡……って、何を言っているの? そうなったら、仮想現実の仮想人格はコピーされたまま、戻れなくなって……」
 晶は「あっ!」と小さく叫んで、自分の口を手で抑えた。俺は頷いた。
「そうだ。もし接続した間に、本体が死亡したら、仮想人格が唯一の本人となる。コピーが本物とされるんだ。つまり、仮想現実で生きる幽霊……ゴーストだよ。仮想現実に接続している間、安楽死装置を使って自殺するのを〝ゴースト・ダイブ〟という」
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