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第5章 手紙
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しおりを挟む「おじうえ!」
ヴィンセントが馬車から降りると同時に駆け寄ってきたのは、先日手紙をくれた姪のアリスだった。くりくりとした黒の大きな目がヴィンセントを見上げて、ニコッと可愛らしく笑う。
「お久しぶりです、おじうえ」
「ああ、久しぶり」
ヴィンセントが背を屈めてアリスの頬に挨拶のキスをすると、アリスはえへへとはにかみ笑いをした。そして、ヴィンセントの頬にキスを返してから、ヴィンセントの手を引っ張る。
「アリスの部屋でおはなししましょ」
「すまない、アリス。今日は父上と大事な話がしたくて来たんだ」
「えーっ?」
納得いかないという表情で、アリスはむぅっと頬を膨らませる。
すると、屋敷の中から姿を現したジャスティンが「アリス」と窘めるように娘の名を呼んだ。
「わがままを言ってヴィンセントを困らせてはダメだぞ」
「わがままなんて言ってないもん……」
むくれる娘の頭を撫でてから、ジャスティンはヴィンセントと視線を合わせる。
「ひとりで来たんだな」
「はい。たまにはいいかと思いまして」
実兄相手ではあるが、クロードの体調不良のことは伏せておいた。念のためだ。貴族の噂話は、いったいどこから漏れ、それによってどんな影響があるかわからない。
最初はクロードも一緒に行くと言って聞かなかったが、公爵と主治医に叱られて渋々といった様子で引き下がった。頭痛を理由に仕事を休んでいるのだから、叱られるのも当然だろう。
クロードが体調を崩してからもう一週間ほどたつが、クロードはいまも時々起こる頭痛に悩まされていた。特に、寝起きは頭を押さえて顔を顰めていることが多い。
離れたくないと子どものようにぐずるクロードの頬にキスをして、ヴィンセントはクロードに見送られながらミラとともに実家へと帰ってきた。
クロードの体調に関してはヴィンセントも気掛かりだが、今回ばかりは都合が良かったかもしれない。ヴィンセントには、クロード抜きで父に確認しなければならないことがあるのだ。
「父上は?」
「まだ出かけているが、たぶんもうすぐ帰ってくる。客室で待つか?」
「ええ、そうですね。……いや、母上の部屋で待ってもいいですか?」
ジャスティンは一瞬目を丸くしたが、すぐにニヤリと笑う。
「ああ、構わない。母上の部屋だったら、父上も少しは大人しくなるかもな」
「そうだったらいいんですが……」
希望的観測である。
しかし、ヴィンセントは仮にそうでなくても別に良かった。ただ、久しぶりに亡き母の部屋を訪れる口実が欲しかっただけなのかもしれない。
「ここがおばあさまのお部屋?」
「ああ」
ヴィンセントに付いてきたアリスは、物めずらしげに部屋の中を見回す。
亡き母の部屋は生前と同じく綺麗な状態で残されていた。ベッドも調度品もテーブルの上の花瓶も、なにもかもがそのままだ。父の命令で毎朝花瓶には美しい花が飾られており、それはいまも続いているようだった。
「おばあさまはどんなひとでしたか?」
「そうだな……あまり喋らないひとだったけれど、優しいひとだったよ」
「ちちうえやおじうえと一緒ですね」
アリスの言葉に、ヴィンセントはなんともいえない表情をする。
兄弟の顔も性格も全員よく似ていて、それは誰から見ても母譲りであった。
ただ、ヴィンセントが本当に母のようなひとになれていれば、クロードを傷付けたりはしなかっただろう。母はとても、聡いひとでもあったから。
ヴィンセントの母であるサリエルは、ヴィンセントが五歳の頃に亡くなった。
三人目の子ども──つまりはヴィンセントを産んだときに体調を崩し、それから徐々に弱るようにして五年後に息を引き取った。
自分のせいで死んだのだと、ヴィンセントはいまもずっと思っている。だが、口にしたことは一度しかない。
母が死んだ直後に自分のせいだと泣いたヴィンセントの頬を父が泣きながら引っ叩いて、痛いくらいの力でヴィンセントを抱きしめてきたからだ。
父に手をあげられたのは、あれが最初で最後かもしれない。
ヴィンセントはゆっくりとした足取りでベッドへと歩み寄り、誰もいない白いベッドを見下ろす。
母が生きていた頃は、何度もこの部屋を訪れた。寝たきりの母はヴィンセントをベッドの上に呼んで、よく絵本を読み聞かせてくれたのだ。
ヴィンセントを見て微笑んでくれる母が愛しかった。自分は生まれてきてもよかったのだと、そう思えたからかもしれない。
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