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ハロウィンには異界との境目が曖昧になる。
あちら側では、訪ねて行く私たちに似せた装束を纏ってこの日を無事に過ごせるように願うんだとか。なんでだろう。それでは群衆に容易に紛れてしまう私たちを自由にさせるだけなのに。好きに貪ってくださいと美味しいソースを体にまぶしてお皿の上に載るようなものだよね。
稀血の魔女の名を継いで三年、私も近い内に子供の種を頂きにあちらへ足を運ぶつもり。
辺境に位置するダンジョンを起点に興った自由都市グロット。早朝、その郊外の森近くに建つログハウスの住人が裏庭のハーブ畑に降りてきた。朝露に濡れて咲き誇る花々から、これぞと思う一輪を摘み取ると、手折った茎から広がる独特の清香を楽しみつつ、踵を返して出てきた扉をまた潜る。コツコツとブーツの踵を鳴らして室内を横切ると、奥の間の小さな祭壇に採ってきた花を供えた。
「母さん、おはよう」
緩く波打つクリーム色の髪の毛はふわふわと綿毛のように柔らかく、灰色の瞳は光の加減で紫を帯びる。まだまだ新米魔女のベルの容姿は、魔女と言うより魔女お手製の自動人形か何かのように儚げである。
朝の日課を一つ終えたベルは、手早く髪をまとめると次の仕事に取り掛かる。体が資本の冒険者家業には食事の質がモノを言うのだ。栄養満点の朝食は二人分。全粒粉のハードブレッドに木苺のジャム、残り物のシチューを温めて、ベーコンと目玉焼きが焼き上がる頃、鼻の利く同居人が朝の鍛錬から戻ってきた。
「おはようイザーク、いい天気だね」
アッシュグレイの頭髪からぴょこりと立ち上がる三角の耳と、返事の代わりにひと振りした尻尾が、朝日を浴びて白銀に輝いた。狼獣人らしく引き締まった体躯と端正な顔立ちの青年は、並び立てば頭ひとつ勝る長身を屈めてベルのつむじに口付ける。慣れた様子でそれを受けたベルは、ザラザラするイザークの手に洗浄魔法をかけてやると、エプロンを外して二人分のベーコンエッグを食卓に並べた。
先に席に着いたイザークが、コップにミルクを注ぐベルに向かって、手のひらに載せた採取ポットを差し出す。時空魔法のかけられた透明の容器の中には、開く直前の蕾がひとつ収められていた。
「アスフォデルス」
蕾を受け取ったベルが花の名を呟いてうっとりと目を輝かせると、その様子を静かに眺めるイザークも、しかつめらしい顔を僅かに綻ばせた。
魔の花アスフォデルスは希少な高級素材で、ギルドに持ち込めば高値で買ってもらえるし、魔女の秘薬錬成にも欠かせない。何より、ベルの亡き母の愛した花だった。
「森で?」
「ああ、今日は採取に出よう」
「うん。でも、先にギルドに注意勧告してもらわないとね」
ベルは時計を見上げる。コップに手を伸ばしたイザークが、ギルドへの通達はベルが装備を点検している間に済ませてくると請け合い、二人は猛然と食事に取りかかった。ベルの猛然さは子猫レベルだったが、今日は忙しくなりそうだと張り切って顎を開け閉めした。
自由都市グロットにおけるギルドの役割は、他の帝国都市のそれとは一線を画す。皇帝直轄領であるグロットの自治を一任され、都市行政とあらゆる実務を集約するギルドが、グロットの中心であり、何事もギルドを原点に波及すると言っていい。
「ようイザーク、早いな」
まだ人も疎らな時間、夜番の上がりと思しき古株職員ダラスが変事を察知してイザークに声をかけた。
「西の森でアスフォデルスが出た」
「アスフォデルスか!班長!カテゴリB2、勧告発令」
「了解!」
慌ただしくなる奥向きをよそに、朝のシフトを担当する受付嬢がのんびりと尋ねる。
「ダラスさん、アスフォデルスって、何ですか?」
「ああ、魔の花だ。気をつけねぇと、開花時に大量の魔力を吸い取るもんで、近づいた生き物は干からびちまうんだよ」
「ひえ~こわいですね~」
「素材としても一級品なんだけどな。イザーク、採取依頼も受けてくれるか?」
問われたイザークは鷹揚に頷く。
「そのつもりだ」
「お隣さんがキナ臭せぇので立て込んでてな、お前らが出てくれりゃ一安心だ。よろしく頼む」
「鬼人の国か?」
「ああ、武器取引が激増してる。お前も下手な依頼を受けねぇように気を付けろ」
「分かった」
終始無表情で手続きを終えたイザークは、軽く手を上げて謝意を示すと足早に立ち去った。
「仕事のできる寡黙イケメン……今日も素敵です~」
その場に残された独身ネズミ獣人の受付嬢は祈りのポーズでイザークの消えた出口を見つめる。
「あー、まあ、そーだな」
「なんです?なんか文句ありますか?嫉妬ですか?」
「いや、ありゃあ、ベルにしか興味のねぇ残念イケメンだろ?」
「やだなー、そーゆーのがいいんですよ!自分だけを見てくれるイケメン。サイコーです!」
「へーへー」
なだかんだと言いながら、職員たちは次の仕事に取り掛かる。今日もギルドの一日は目まぐるしく進むのだろう。
濃紺のエプロンドレスに無骨なワークブーツとフード付きポンチョ。大きめの採取ポットと光の雫を織り込んだ時のベール、絶縁手袋にアラクネのより紐。得物はミスリルのフルメタルナイフ。お昼ごはんにサンドイッチとハーブティーと、それから回復薬を幾つかと。ポケットに入りきらない携帯品はバスケットに収めて肘に掛けた。
適度に人の手が入り、木漏れ日が差し込んで爽やかな風が吹き抜ける西の森は、多様な動植物の楽園であり、ベルのお気に入りの場所である。
「イザーク見て!」
ベルの視線の先には、目の覚めるオレンジ色に白い斑点のキノコが、森への侵入者に驚いて土の中から白く細い脚を引き抜き、大慌てで逃走する姿があった。あちらこちらで派手な色の笠が蠢き、森の奥へとぶつかったり倒れたり転がったりしながら消えて行く。
「ああ、まぬけ……」
小さな森の住人を口では貶していても、全身をトキメキに悶えさせるベルにイザークは閉口する。あのよく分からない存在がベルの心の琴線に触れるのがイザークには不服らしい。
お目当てのアスフォデルスの他にも、シダの花や悪魔の実を採取して行く。不用意に魔力が伝導しない様に装着した絶縁手袋ごしにひとつひとつ感謝を捧げて摘み取る。廻る命の輝き、与る恩みの貴さが、ベルの心をも豊かにしてくれるのを感じて益々ベルは森を尊崇する。そしてベルの想いに応えるように、森は興味深い姿で次々にベルの目を奪うのだ。その度にイザークは機嫌を悪くして、そんなイザークに仕方がないなとベルが笑う。
そうして森を進み、角うさぎの求愛ダンスを覗き見して、更に西へと踏み入ると漸く目的のマテリアルの気配が強まった。
「呼んでる」
花が喋るわけではなく、魔力を欲する気配がベルには分かるらしい。導かれるように進んで行った先に、群生するアスフォデルスを見つけた。ここに辿り着くまでに疎らに萌え出ていた分を差し引いても、半年は遊んで暮らせる実入りになりそうだ。思わず「おおお」と感嘆がもれる。
魔力を奪われないように伝導を断ちつつ、広げた時のベールの上に刈り取っていく。最後の一本まで穫り終えて、時空魔法で固定されたベールの内側の空間に丁寧に包み込み紐をかけた。
森中を歩き国境近くまで見回って探査を終えると、午後遅くにようやく二人はギルドへ向かった。
黄昏時、自由都市グロット中心部。
区画整理された通りの目抜きに堂々と聳えるギルド本部は、クエスト帰りの冒険者で溢れ、あちこちで今日の収穫を競い合ったり、情報交換に勤む姿が見られる。
屋外の換金所の柱の影でフードを目深に被って立つベルにも、顔馴染みの男達がめざとく声を掛けた。
「あれ、ベル?換金かい?」
竜人のカイルとおっさん淫魔のシャルルの二人組と、それに兎獣人フェイと蛇獣人ヨルク。どちらも男二人でパーティを組む先輩冒険者だ。面倒見の良い彼らに顔ぶれに、ベルはほっと笑顔になる。
「うん、今イザークがしてる」
「今日も保護者同伴か~」
警戒心のないあどけない微笑みに男達はやに下がる。
「あれだろ?アスフォデルス。もう駆除し終わったのか?」
「うん。もう心配ないよ」
「そっか、ご苦労さん」
「流石だな」
我も我もと話しかけられて圧倒されがちのベルに、男たちの言う彼女の保護者が駆けつけた。
「ベル、待たせた」
「あ、おかえりイザーク……え?」
戻ってきたイザークに一本だけ売らずに残したらしいアスフォデルスを差し出されて、ベルは戸惑った。ベルが調合に必要とする分は確保済みだとイザークも知っているはずだった。忘れたのか?と首を傾げるベルに、イザークはいつもの淡々とした飾り気のない口調で訊いた。
「手向けるだろ?」
誰に、と問う必要はなかった。
たった一人の肉親を亡くして三年。天涯孤独の自分に、何も言わなくても通じ合える誰かが居てくれる幸運を不意に思い知り、ベルは胸を詰まらせた。無性に叫び出したい衝動が心に暴れて泣きたくなったけれど、目の前の得難い存在を心配させたくなくて、目頭が熱いのを誤魔化して手袋を脱いだ。
そしてありったけの想いを「ありがとう」の言葉に換えて、母が愛でた花を受け取った。
無数の花芽が密集する房咲きのアスフォデルスを開花させるために、刻々と沈殿する夕闇みに、途方もない魔力を迸らせるベルが浮かび上がる。冷たく燃える青白い寂光を身に纏い、伏せられた睫毛に翳る灰色の瞳は、薄墨に血を零したように朱が交じって妖しく輝く。腕に抱くアスフォデルスの真白の花弁は雪の結晶に似て、次々に花開く様はまるで、冬の女神の胸に雪の精が集き憩うようであった。
神秘の光景を誰もが固唾を呑んで見守るなか、一人だけ別の景色を見ていたベルが、のほほんと笑って綺麗だねとアスフォデルスの花を褒める。ピント外れな彼女の言葉に毒気を抜かれた皆が、まごまごと不満そうに同意したので、周囲の反応を不思議に思ったベルが顔を上げた。
誰かが「あっ」と声をあげた時には既に、フラついたベルの肩はイザークに支えられていた。彼の明け透けな独占欲に気が付いていないのはベルだけだったろう。
「疲れたろ」
「うん、帰ろうか」
それじゃあと軽く辞して魔女と狼獣人の二人組は人混みに消えて行った。
「相変わらず、とんでもねー魔力量だな」
「だなー」
「しかしあの男、しれっと魔力消費させるよな、大量に……」
「あー、だなー……」
稀血の魔女が誇る豊富な魔力の源泉を知る中堅冒険者たちは、なんとも言えない空気に目を泳がせたあと、各々目的を思い起こして散開した。
雑踏を抜けてから自宅へ転移したベルは、キッチンへ直行するとアスフォデルスを水に挿した。ダメ押しの転移で魔力切れ寸前に追い込まれてしまって思考が鈍る。これは一度座ったらもう立ち上がれないぞと、気力を振り絞ってのろのろと食べ物を漁りはじめた。
「ベル、食事よりも俺が欲しいんじゃないか」
装備を解除したイザークがやって来て、呆れたようにベルに話しかける。
「うん……でも、お腹も空いたし、イザークだって食べたいでしょ?」
何か食べる物はないかと鈍い動きで頑張るベルを横目に、流し台に腰を凭れるイザークは、時計草の蔓で編んだ籠いっぱいのチョコレートを一粒摘んで口に入れた。イザークの口内の熱に溶け出したカカオの香りが広がり、匂いに引き寄せられたベルは簡単に男の罠にかけられた。
籠に伸ばした手は虚しく宙を掻き、力強く腰を引かれてイザークの両の脚の間に囚われる。背中を撫で上げた手にうなじを掬われて上を向かされると、直ぐに唇が重なった。熱い舌とチョコレートが与えられ、痺れる甘さに「ふぁ」と溜息が漏れる。
舌を擦り合わせ、吸い、甘く噛んではまた吸われる。
チョコレートの塊が消えて甘味が薄れた頃、ちゅっと名残惜しく音をたててイザークが離れた。
「今はこれで十分だ」
十分だと言いながらもイザークの下半身は怒張して不満を示す。食欲よりも優先したい欲をベルに擦り付ける。
「後で俺が給餌する。任せろ」
脳に直接沁みるような甘い囁き、耳をくすぐる吐息の誘惑に、ベルは呆気なく陥落する。
ここは魔法の力に溢れ魔力を宿す生命が繁栄を極める世界。天地開闢の瞬間に分かたれた双生の世界からは魔界と呼ばれ、分身たる異界の民が想像し恐れ敬う幻の生き物が跋扈する。
二つの世界は不安定に近づいては離れ、影響を及ぼし合い、時に混ざり合う。それはたとえば淫魔が異界の夢に渡り魅せる幻影であり、ハロウィンに起こる悪戯であり、転んだ拍子に魔界に落ちる稀人である。
稀人は文字通り稀なる存在だが、異界から落ちた刹那に魔力に染まり、不思議と魔界の理にも容易に馴染む。大方はハロウィンを待って異界に戻るが、事情によっては魔界の暮らしを望み住み着く者もある。ただし、稀人の魔界での生殖は叶わず、性交で生まれるエネルギーは魔力に変換され無限に蓄積して膨大なパワーが恣となる。
よって、落ちてくる以外に増加の見込みの無い稀人は今も昔も稀なる人であり、三年前に母を亡くしたベルは現世にただ一人の稀血の魔女である。
あちら側では、訪ねて行く私たちに似せた装束を纏ってこの日を無事に過ごせるように願うんだとか。なんでだろう。それでは群衆に容易に紛れてしまう私たちを自由にさせるだけなのに。好きに貪ってくださいと美味しいソースを体にまぶしてお皿の上に載るようなものだよね。
稀血の魔女の名を継いで三年、私も近い内に子供の種を頂きにあちらへ足を運ぶつもり。
辺境に位置するダンジョンを起点に興った自由都市グロット。早朝、その郊外の森近くに建つログハウスの住人が裏庭のハーブ畑に降りてきた。朝露に濡れて咲き誇る花々から、これぞと思う一輪を摘み取ると、手折った茎から広がる独特の清香を楽しみつつ、踵を返して出てきた扉をまた潜る。コツコツとブーツの踵を鳴らして室内を横切ると、奥の間の小さな祭壇に採ってきた花を供えた。
「母さん、おはよう」
緩く波打つクリーム色の髪の毛はふわふわと綿毛のように柔らかく、灰色の瞳は光の加減で紫を帯びる。まだまだ新米魔女のベルの容姿は、魔女と言うより魔女お手製の自動人形か何かのように儚げである。
朝の日課を一つ終えたベルは、手早く髪をまとめると次の仕事に取り掛かる。体が資本の冒険者家業には食事の質がモノを言うのだ。栄養満点の朝食は二人分。全粒粉のハードブレッドに木苺のジャム、残り物のシチューを温めて、ベーコンと目玉焼きが焼き上がる頃、鼻の利く同居人が朝の鍛錬から戻ってきた。
「おはようイザーク、いい天気だね」
アッシュグレイの頭髪からぴょこりと立ち上がる三角の耳と、返事の代わりにひと振りした尻尾が、朝日を浴びて白銀に輝いた。狼獣人らしく引き締まった体躯と端正な顔立ちの青年は、並び立てば頭ひとつ勝る長身を屈めてベルのつむじに口付ける。慣れた様子でそれを受けたベルは、ザラザラするイザークの手に洗浄魔法をかけてやると、エプロンを外して二人分のベーコンエッグを食卓に並べた。
先に席に着いたイザークが、コップにミルクを注ぐベルに向かって、手のひらに載せた採取ポットを差し出す。時空魔法のかけられた透明の容器の中には、開く直前の蕾がひとつ収められていた。
「アスフォデルス」
蕾を受け取ったベルが花の名を呟いてうっとりと目を輝かせると、その様子を静かに眺めるイザークも、しかつめらしい顔を僅かに綻ばせた。
魔の花アスフォデルスは希少な高級素材で、ギルドに持ち込めば高値で買ってもらえるし、魔女の秘薬錬成にも欠かせない。何より、ベルの亡き母の愛した花だった。
「森で?」
「ああ、今日は採取に出よう」
「うん。でも、先にギルドに注意勧告してもらわないとね」
ベルは時計を見上げる。コップに手を伸ばしたイザークが、ギルドへの通達はベルが装備を点検している間に済ませてくると請け合い、二人は猛然と食事に取りかかった。ベルの猛然さは子猫レベルだったが、今日は忙しくなりそうだと張り切って顎を開け閉めした。
自由都市グロットにおけるギルドの役割は、他の帝国都市のそれとは一線を画す。皇帝直轄領であるグロットの自治を一任され、都市行政とあらゆる実務を集約するギルドが、グロットの中心であり、何事もギルドを原点に波及すると言っていい。
「ようイザーク、早いな」
まだ人も疎らな時間、夜番の上がりと思しき古株職員ダラスが変事を察知してイザークに声をかけた。
「西の森でアスフォデルスが出た」
「アスフォデルスか!班長!カテゴリB2、勧告発令」
「了解!」
慌ただしくなる奥向きをよそに、朝のシフトを担当する受付嬢がのんびりと尋ねる。
「ダラスさん、アスフォデルスって、何ですか?」
「ああ、魔の花だ。気をつけねぇと、開花時に大量の魔力を吸い取るもんで、近づいた生き物は干からびちまうんだよ」
「ひえ~こわいですね~」
「素材としても一級品なんだけどな。イザーク、採取依頼も受けてくれるか?」
問われたイザークは鷹揚に頷く。
「そのつもりだ」
「お隣さんがキナ臭せぇので立て込んでてな、お前らが出てくれりゃ一安心だ。よろしく頼む」
「鬼人の国か?」
「ああ、武器取引が激増してる。お前も下手な依頼を受けねぇように気を付けろ」
「分かった」
終始無表情で手続きを終えたイザークは、軽く手を上げて謝意を示すと足早に立ち去った。
「仕事のできる寡黙イケメン……今日も素敵です~」
その場に残された独身ネズミ獣人の受付嬢は祈りのポーズでイザークの消えた出口を見つめる。
「あー、まあ、そーだな」
「なんです?なんか文句ありますか?嫉妬ですか?」
「いや、ありゃあ、ベルにしか興味のねぇ残念イケメンだろ?」
「やだなー、そーゆーのがいいんですよ!自分だけを見てくれるイケメン。サイコーです!」
「へーへー」
なだかんだと言いながら、職員たちは次の仕事に取り掛かる。今日もギルドの一日は目まぐるしく進むのだろう。
濃紺のエプロンドレスに無骨なワークブーツとフード付きポンチョ。大きめの採取ポットと光の雫を織り込んだ時のベール、絶縁手袋にアラクネのより紐。得物はミスリルのフルメタルナイフ。お昼ごはんにサンドイッチとハーブティーと、それから回復薬を幾つかと。ポケットに入りきらない携帯品はバスケットに収めて肘に掛けた。
適度に人の手が入り、木漏れ日が差し込んで爽やかな風が吹き抜ける西の森は、多様な動植物の楽園であり、ベルのお気に入りの場所である。
「イザーク見て!」
ベルの視線の先には、目の覚めるオレンジ色に白い斑点のキノコが、森への侵入者に驚いて土の中から白く細い脚を引き抜き、大慌てで逃走する姿があった。あちらこちらで派手な色の笠が蠢き、森の奥へとぶつかったり倒れたり転がったりしながら消えて行く。
「ああ、まぬけ……」
小さな森の住人を口では貶していても、全身をトキメキに悶えさせるベルにイザークは閉口する。あのよく分からない存在がベルの心の琴線に触れるのがイザークには不服らしい。
お目当てのアスフォデルスの他にも、シダの花や悪魔の実を採取して行く。不用意に魔力が伝導しない様に装着した絶縁手袋ごしにひとつひとつ感謝を捧げて摘み取る。廻る命の輝き、与る恩みの貴さが、ベルの心をも豊かにしてくれるのを感じて益々ベルは森を尊崇する。そしてベルの想いに応えるように、森は興味深い姿で次々にベルの目を奪うのだ。その度にイザークは機嫌を悪くして、そんなイザークに仕方がないなとベルが笑う。
そうして森を進み、角うさぎの求愛ダンスを覗き見して、更に西へと踏み入ると漸く目的のマテリアルの気配が強まった。
「呼んでる」
花が喋るわけではなく、魔力を欲する気配がベルには分かるらしい。導かれるように進んで行った先に、群生するアスフォデルスを見つけた。ここに辿り着くまでに疎らに萌え出ていた分を差し引いても、半年は遊んで暮らせる実入りになりそうだ。思わず「おおお」と感嘆がもれる。
魔力を奪われないように伝導を断ちつつ、広げた時のベールの上に刈り取っていく。最後の一本まで穫り終えて、時空魔法で固定されたベールの内側の空間に丁寧に包み込み紐をかけた。
森中を歩き国境近くまで見回って探査を終えると、午後遅くにようやく二人はギルドへ向かった。
黄昏時、自由都市グロット中心部。
区画整理された通りの目抜きに堂々と聳えるギルド本部は、クエスト帰りの冒険者で溢れ、あちこちで今日の収穫を競い合ったり、情報交換に勤む姿が見られる。
屋外の換金所の柱の影でフードを目深に被って立つベルにも、顔馴染みの男達がめざとく声を掛けた。
「あれ、ベル?換金かい?」
竜人のカイルとおっさん淫魔のシャルルの二人組と、それに兎獣人フェイと蛇獣人ヨルク。どちらも男二人でパーティを組む先輩冒険者だ。面倒見の良い彼らに顔ぶれに、ベルはほっと笑顔になる。
「うん、今イザークがしてる」
「今日も保護者同伴か~」
警戒心のないあどけない微笑みに男達はやに下がる。
「あれだろ?アスフォデルス。もう駆除し終わったのか?」
「うん。もう心配ないよ」
「そっか、ご苦労さん」
「流石だな」
我も我もと話しかけられて圧倒されがちのベルに、男たちの言う彼女の保護者が駆けつけた。
「ベル、待たせた」
「あ、おかえりイザーク……え?」
戻ってきたイザークに一本だけ売らずに残したらしいアスフォデルスを差し出されて、ベルは戸惑った。ベルが調合に必要とする分は確保済みだとイザークも知っているはずだった。忘れたのか?と首を傾げるベルに、イザークはいつもの淡々とした飾り気のない口調で訊いた。
「手向けるだろ?」
誰に、と問う必要はなかった。
たった一人の肉親を亡くして三年。天涯孤独の自分に、何も言わなくても通じ合える誰かが居てくれる幸運を不意に思い知り、ベルは胸を詰まらせた。無性に叫び出したい衝動が心に暴れて泣きたくなったけれど、目の前の得難い存在を心配させたくなくて、目頭が熱いのを誤魔化して手袋を脱いだ。
そしてありったけの想いを「ありがとう」の言葉に換えて、母が愛でた花を受け取った。
無数の花芽が密集する房咲きのアスフォデルスを開花させるために、刻々と沈殿する夕闇みに、途方もない魔力を迸らせるベルが浮かび上がる。冷たく燃える青白い寂光を身に纏い、伏せられた睫毛に翳る灰色の瞳は、薄墨に血を零したように朱が交じって妖しく輝く。腕に抱くアスフォデルスの真白の花弁は雪の結晶に似て、次々に花開く様はまるで、冬の女神の胸に雪の精が集き憩うようであった。
神秘の光景を誰もが固唾を呑んで見守るなか、一人だけ別の景色を見ていたベルが、のほほんと笑って綺麗だねとアスフォデルスの花を褒める。ピント外れな彼女の言葉に毒気を抜かれた皆が、まごまごと不満そうに同意したので、周囲の反応を不思議に思ったベルが顔を上げた。
誰かが「あっ」と声をあげた時には既に、フラついたベルの肩はイザークに支えられていた。彼の明け透けな独占欲に気が付いていないのはベルだけだったろう。
「疲れたろ」
「うん、帰ろうか」
それじゃあと軽く辞して魔女と狼獣人の二人組は人混みに消えて行った。
「相変わらず、とんでもねー魔力量だな」
「だなー」
「しかしあの男、しれっと魔力消費させるよな、大量に……」
「あー、だなー……」
稀血の魔女が誇る豊富な魔力の源泉を知る中堅冒険者たちは、なんとも言えない空気に目を泳がせたあと、各々目的を思い起こして散開した。
雑踏を抜けてから自宅へ転移したベルは、キッチンへ直行するとアスフォデルスを水に挿した。ダメ押しの転移で魔力切れ寸前に追い込まれてしまって思考が鈍る。これは一度座ったらもう立ち上がれないぞと、気力を振り絞ってのろのろと食べ物を漁りはじめた。
「ベル、食事よりも俺が欲しいんじゃないか」
装備を解除したイザークがやって来て、呆れたようにベルに話しかける。
「うん……でも、お腹も空いたし、イザークだって食べたいでしょ?」
何か食べる物はないかと鈍い動きで頑張るベルを横目に、流し台に腰を凭れるイザークは、時計草の蔓で編んだ籠いっぱいのチョコレートを一粒摘んで口に入れた。イザークの口内の熱に溶け出したカカオの香りが広がり、匂いに引き寄せられたベルは簡単に男の罠にかけられた。
籠に伸ばした手は虚しく宙を掻き、力強く腰を引かれてイザークの両の脚の間に囚われる。背中を撫で上げた手にうなじを掬われて上を向かされると、直ぐに唇が重なった。熱い舌とチョコレートが与えられ、痺れる甘さに「ふぁ」と溜息が漏れる。
舌を擦り合わせ、吸い、甘く噛んではまた吸われる。
チョコレートの塊が消えて甘味が薄れた頃、ちゅっと名残惜しく音をたててイザークが離れた。
「今はこれで十分だ」
十分だと言いながらもイザークの下半身は怒張して不満を示す。食欲よりも優先したい欲をベルに擦り付ける。
「後で俺が給餌する。任せろ」
脳に直接沁みるような甘い囁き、耳をくすぐる吐息の誘惑に、ベルは呆気なく陥落する。
ここは魔法の力に溢れ魔力を宿す生命が繁栄を極める世界。天地開闢の瞬間に分かたれた双生の世界からは魔界と呼ばれ、分身たる異界の民が想像し恐れ敬う幻の生き物が跋扈する。
二つの世界は不安定に近づいては離れ、影響を及ぼし合い、時に混ざり合う。それはたとえば淫魔が異界の夢に渡り魅せる幻影であり、ハロウィンに起こる悪戯であり、転んだ拍子に魔界に落ちる稀人である。
稀人は文字通り稀なる存在だが、異界から落ちた刹那に魔力に染まり、不思議と魔界の理にも容易に馴染む。大方はハロウィンを待って異界に戻るが、事情によっては魔界の暮らしを望み住み着く者もある。ただし、稀人の魔界での生殖は叶わず、性交で生まれるエネルギーは魔力に変換され無限に蓄積して膨大なパワーが恣となる。
よって、落ちてくる以外に増加の見込みの無い稀人は今も昔も稀なる人であり、三年前に母を亡くしたベルは現世にただ一人の稀血の魔女である。
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