アデルの子

新子珠子

文字の大きさ
63 / 114
第二章 深窓の君

63. 変化

しおりを挟む
「ティト様、決裁書を確認いただけますか、一通りご説明をさせていただきます」
「ああ、ありがとう」

 僕は家令のアズレトから決裁書を受け取った。アズレトはいくつかの資料を用意し、僕が理解できるようにゆっくりと説明を始める。今まで度々手伝いをさせて貰っていた資料を用意する側ではなく、決裁をする側になるのは初めての経験だった。僕は決裁書に目を通しながらその説明を真剣に聞いた。

 レヴィルの妊娠が分かってから、僕たちは少し生活のリズムが変わり始めていた。僕たちは話し合いの末、レヴィルの仕事の一部を分担して引き受ける事に決めた。
 家令のアズレトは、通常はクローデル領に留まり領地運営の仕事を行なってくれているが、レヴィルの妊娠が分かると、何人かのベテランの使用人と共に王都へ駆け付けてくれ、レヴィルの仕事の整理や、僕たちのサポートに奔走してくれている。

 決裁の処理を終えると、アズレトはリノから頼まれていた仕事があるらしく丁寧に挨拶をしてそちらに向かう事を教えてくれた。今タウンハウスの中で一番忙しいのは、きっと間違いなくアズレトだろう。

 アズレトが退室すると、入れ替わりで従者のテディが入室し、恭しく礼をする。

「お疲れ様でございます。レヴィル様はライブラリーでお過ごしになられているようです。本日はそちらでご休憩されてはいかがでしょうか」
「そうか、ありがとう。そうするよ」

 僕は微笑むと、書斎机の上を片付け、ライブラリーへ向かった。レヴィルはライブラリーで度々休憩を挟みながら仕事を片付けているようだった。最近の彼は体調が優れない日も多いので、僕はできるだけ時間が空くと彼に会いに行くようにしている。

 ライブラリーには気分が悪い時に休憩ができるように、今まではなかった寝椅子やブランケットが運び込まれている。今日の彼は寝椅子ではなくソファに座り、書類に目を通していた。彼は僕の姿を見ると美しく微笑み、顔を上げた。

「ティト」
「レヴィル、体調はどうですか」
「ああ、大丈夫だよ」

 近くに歩み寄ると、彼は隣に座るように勧めた。僕はそっと隣に座り、確認するように彼の顔を覗き込む。すると彼は少しだけバツが悪そうに笑って、僕の太ももに手を置いた。

「……嘘だ。本当はちょっと熱っぽいし、気持ちが悪い」
「そっか……」

 僕はそっとレヴィルの背に手を回し、ゆっくりと背中を擦った。彼は僕に少しだけ寄り掛かる。

「議会は休まれますか?」
「いや、議会に出ている方が気を張っているせいか辛くない気がするんだ。今日は出てみるよ」
「そう……分かった、でも無理はしないでね」
「ああ」

 レヴィルは寄りかかり、すん、と僕の匂いを嗅いだ。僕のフェロモンの匂いを嗅ぐと気分が和らぐらしく、時々こういう仕草をする。僕は変な気持ちが湧かないよう誤魔化すように少しだけ笑って、彼の背をゆっくりと撫でた。

 しばらくするとテディが飲み物を持ってライブラリーにやってくる。彼が給仕したカップの中身はスライスしたレモンが浮かぶシンプルなホットレモンウォーターだ。紅茶を控えているレヴィルの最近のお気に入りの飲み物で、僕もレヴィルと一緒にいる時はこれを飲むようにしている。
 レヴィルは飲み物を口に含み、ふうと息を吐くと僕を見た。

「村の決済はどうだ?」
「とても勉強になります。今まで村で見てきていた事がこんな風に回っていたのかと驚くことばかりです」
「そうか、分からないことはどんどんアズレトに聞くと良い」
「はい」

 僕はレヴィルからクローデル領の麓の村の決裁権限の仕事を引き受けた。
 領地の通常の管理についてはアズレトがメインで行ってくれているが、大きな決済事はレヴィルを通している。その中の麓の村の部分だけ僕が引き受ける事になったのだ。レヴィルの仕事としてはごくわずかな部分だが、僕には初めてのことで、今はアズレトに丁寧に説明をしてもらいながら少しずつ進めている。
 今は僕自身が成人の儀礼に向けた準備で余裕がないため、彼から引き受けた仕事は少ない。だがこれから少しずつ増える予定だ。

 僕は飲み物に口をつけ、そっとレヴィル顔を見た。

「仕事を手放す事、不安ではありませんか?逆にストレスになっていないか少し心配しています」
「いや…………思ったより不安ではないよ。お前やリノやアズレトを信頼しているから任せられる」

 そう答えるレヴィルの様子は無理をしているようには感じられなかった。

 今まで頑なに自身の仕事を手放すことを嫌がっていたレヴィルが、僕たちに仕事を渡す事を決めたのは、やはり妊娠がきっかけだった。

 貴族の家で子供が生まれると、育児は全て乳母に任せる事が一般的だ。けれど僕が生まれた時、僕たちの母親は、乳母や使用人のサポートを受けながら領地管理も子育ても自身が中心となって行っていたらしい。
 その姿を見ていたレヴィルは、自身に子供が出来たら同じ様に育てたいという思いを抱いていたようだった。リノもその思いを知っていて子育てをする事自体は賛成をしてくれたものの、レヴィルが今まで通り仕事を抱え込むなら絶対に許すことはできないとかなり厳しく意見をしてくれたらしい。子育てを分担するとしても、今までのレヴィルの忙しさを見ていると現実的には僕にも思えなかった。話し合いの結果、レヴィルは遂にずっと1人で抱えこんでいた仕事のいくつかを手放すことに決めた。

「心配はしていないが……もし悩むことがあったらいつでも相談をしてくれ、答えは出さないがアドバイスくらいはできる」
「はい、ありがとうございます」

 レヴィルは優しく微笑むと僕の頬を撫でた。




「……レヴィル、嫌じゃなければ少しお腹触ってもいいですか」
「ああ、もちろんいいよ」

 レヴィルは笑って頷いた。彼の負担にならない様に本当にそっとお腹に触れる。
 僕は最近、時々こうしてレヴィルのお腹を触らせてもらっている。もちろん胎動を感じることはまだないが、触れることでお腹の子を感じることができるような気がして、どうしても触らせてもらいたくなってしまう。

 レヴィルは、僕がそうしている間、優しく僕を見ていた。
 今の彼は体調が許す限り議会には出席をしているが、夜会などの社交界に出かける頻度は目に見えて減って、こうして静かに過ごしている事が増えた。もちろん体調が優れない日も、思う様に働けないせいかイライラしている日もあるのだが、今までの様に不安から僕の寝室を訪れたりする事も無くなって、精神的には安定している様に思える。
 それはきっとお腹の子のおかげだろう。彼の中で僕への嫉妬や不安の気持ちより、お腹の子に対する思いが強くなっているのかもしれない。

 僕は彼のお腹に触れながら、心の中でありがとうと話しかけた。彼の気持ちが向く場所が変わった事に少しだけ寂しさもあるが、やはり幸せで嬉しい気持ちが何よりも大きい。

 しばらく心で語りかけながら触れさせてもらい、そっと離すと彼は穏やかな表情で僕を見ていた。

「何を話してたんだ?」
「え?」
「語り掛けてるように見えたから」

 彼が察していたことに照れ臭さを感じ、少しはにかんで顔を上げる。

「……元気に大きくなってね、と話しかけてました」
「ふふ、そうか」

 レヴィルは優しく微笑むとそっと自身のお腹に手を当てた。

「……早く会いたいな」
「はい、会いたいです」

 レヴィルは伏し目がちにして穏やかな笑みを浮かべる。

「レヴィル……すごく綺麗ですね」
「え?」

 彼は顔を上げて少し目を見開く。

「どうしたんだ急に」
「あ……その、普段全然言えてないから、思った時に言わなきゃと思って」

 恥ずかしくて、慌てて答えるとレヴィルは可笑しそうに笑う。

「可愛いな」
「……できれば格好良くなりたいです」
「ふふ、格好良いよ、お前は俺の自慢の夫だ」

 レヴィルは美しく微笑み、僕の頬に手をやった。僕はまっすぐに彼を見つめる。彼のダークブルーの瞳は相変わらず美しかった。

「レヴィルはとても大切な僕の自慢の妻です」
「……うん」

 レヴィルは優しく頷いた。僕は頬に添えられた手を取りキスを落とす。

「愛しています。生涯ずっと」
「……俺もだよ、ティト」
「はい」

 彼はくしゃりと顔を歪めて優しく笑うと、ゆっくりと僕を寄せてキスを交わした。




 しばらくレヴィルと一緒に過ごしていると、テディがそっと時刻を伝えに来た。そろそろ外出の支度をしなくてはいけない。

「ああ、そうか、今日は……ローランド中将夫妻の茶会だったな」
「ええ、そうです」

 今日、僕はリノと共にローランド家の茶会に出席をすることになっていた。

「ティトはジーン様ともユーネリウス様ともお会いするのは初めてだろう」
「はい、とても緊張はしていますが……お話しできるのはとても楽しみです」
「ああ、お二人とも素晴らしい方だよ。たくさんお話しを聞くといい」

 ローランド中将と呼ばれるジーン様は、王家の縁類であるローランド公爵家の嫡男に当たる方で、現在は陸軍中将の任に就いている。
 ユーネリウス様は、もともとはローランド公爵家に養子に入られた方で、今はジーン様の義弟であり、夫であるアデルだ。
 オーウェン公爵がアデルの役目を引退した現在は、公爵家の出身で活動しているアデルはユーネリウス様しかいない。僕はこのユーネリウス様とお話ができることを楽しみにしていた。

 今回、名目上はユーネリウス様が同じアデルである僕を気にかけて、練習として設けてくれた社交の席という事になっている。実際に僕は社交界に慣れておらず、それはとてもありがたいお誘いであった。でも、真相はユーネリウス様が発案したわけではなく、裏でオーウェン公爵が根回ししてくれたらしい。

「先方にも話はしてある。気分が悪くなるようなら途中で帰ってきてもいいんだ、無理はするなよ」
「はい、でも出来るだけ頑張ります。いつまでも色んなことができないままじゃ格好が付かないから」
「お前は何にもできない訳じゃないだろう、もっと自信を持っていいんだ」
「……うん」

 レヴィルがこめかみの辺りを優しく撫でた。顔を上げるとダークブルーの瞳が優しく僕を見る。

「ディンクシャー伯の次男も来るんだろう?……彼はとても好青年だ。きっとお前も気に入る」

 その声色はとても優しかった。僕は堪らなくて彼の手を取る。
 今回、ローランド中将の部下である方も数名参加を予定している。その中に僕との関係を打診していたディンクシャー伯爵の子息も含まれているらしい。ディンクシャー伯爵は僕とレヴィルが初めて身体を重ねた頃から声を掛けてくださっていた方だ。今回の子息の出席も偶然では無く、これから先、僕が役目を果たすためのステップとして、レヴィルやリノが作った機会なのだろう。

「無理はしなくていいんだよ、難しかったら挨拶をするだけでもいい。ティトの心のままに過ごして来なさい」

 僕は曖昧に頷いて、彼の手にもう一度キスを落とす。彼は困った様に眉を寄せて笑い、僕をそっと抱き寄せた。

「ティトが楽しんでくれるのが俺にとっても一番嬉しいんだ、お前の気持ちを優先するんだよ」
「……はい」

 レヴィルは優しく僕の背を撫でた。けれど、その手は微かに震えている様な気がした。
 僕はきゅう、と切なくなる胸の痛みを逃す様に、彼の腕の中でゆっくりと息を吐き、彼をそっと抱きしめ返す。


 今までずっと僕がアデルの役目に就く事に怯えていた彼は、リノと話し合いをして今回の茶会には出席をしない事を決めた。僕には、きっとそれが彼の決意なのだと感じていた。

 僕がアデルとしての役目を果たすのは、もう本当に間近だ。僕もレヴィルもリノも、覚悟を決めなくてはいけない時期になっている。



「……レヴィル……愛しています」

 こんなタイミングで口走る愛の言葉なんて、きっと取ってつけたように聞こえてしまうだろう。そう分かっていても、言わずにはいられなかった。
 レヴィルはくしゃりと顔を歪め、ダークブルーの瞳を僕に向ける。


「ああ……っ知ってるよ」


 彼は少し泣きそうな顔で優しく笑った。

しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

お兄ちゃん大好きな弟の日常

ミクリ21
BL
僕の朝は早い。 お兄ちゃんを愛するために、早起きは絶対だ。 睡眠時間?ナニソレ美味しいの?

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

皇帝陛下の精子検査

雲丹はち
BL
弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。 しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。 このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。 焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?

処理中です...