アデルの子

新子珠子

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第二章 深窓の君

62. 祝福

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 冬の節の半ばを過ぎると、僕は目に見えて忙しくなってきていた。社交界で行うダンスやマナーの稽古、成人の儀礼と結婚式の衣装合わせや打合せ、準備や招待客へのメッセージカードへのサイン等々……やるべき事が大幅に増えた。
 それに加え、レヴィルに仕事を教わる時間や、ジェイデンとの稽古、セレダとの寄付の練習も減らさずにいた事で、僕の日常はかなり慌ただしくなっていた。実際ジェイデンからはもう少し稽古の時間を減らそうかという提案を受けたが、ほとんど意地を張るような形でそのまま継続をして貰っている。彼から15本を先取すると大見栄を張った後で、忙しいから稽古を減らしてほしいと言うのは格好が悪くてどうにも嫌だったからだ。おかげで最近は以前よりも体力がついているような気がする。


 今日はレヴィルが休廷日で、僕たちは3人で結婚式の打合せをしていた。

「レヴィル、挨拶をする方の順番を見ていただけますか」
「ああ、ありがとう」

 レヴィルはリノから資料を受け取ると目を通し始めた。
 式の準備は、リノと僕が打合せをしてまとめたものを、レヴィルが休廷の日や夜会がない日に確認をしてもらうというやり方を取っている。といっても、僕の力量不足もありメインで取り仕切ってくれているのはリノだ。

 今日はレヴィルは休廷日で、いくつか確認してもらいたいものをまとめていた。
 レヴィルは丁寧に資料に目を通し、いくつかリノに質問をする。何度かそんなやり取りをしていたが、途中で疲れたのか資料から目を外し額に手を当てた。

「……レヴィル?」
「ああ……すまない、大丈夫だ」
「気分が優れませんか」

 リノが心配そうに彼を覗き込む、僕も確認していたリストを見るのを止め、彼を見た。彼は困ったように肩を竦める。

「少し熱っぽいだけだ、大した事はない」
「……風邪ですか?」
「ああ、そうかもしれないな」

 彼は何ともないというように返事をしたが、その様子を見たリノが眉を寄せる。

「……いつから調子が悪いんですか?」
「本当に大した事はないよ」
「いつからですか」

 リノの口調は有無を言わさない雰囲気だ。レヴィルは少し押し黙った後、渋々と言った感じで口を開く。

「…………1、2週間前くらいだ」
「え……そんなに?」

 思っていたより長い彼の体調不良に驚いて、思わず口を挟んでしまった。リノはさらに口を開く。

「……その間、ずっと熱っぽいですか?」
「…………ああ」
「お腹のあたりに熱を感じたり、痛みを感じたりはしますか?」
「…………」

 リノがそう問うと、レヴィルは少し驚いた様な顔をした。そしてしばらく沈黙した後、確かめるようにそっと自分の下腹部に手を置いた。

「…………そう……だな、そう言われれば……そうかもしれない」

 リノはそれまで、どこか怒ったような雰囲気で質問をしていたが、レヴィルが呆然とした様子で答えるのを見ると、はぁ、と息を吐いて立ち上がり、チェストの上の呼び鈴を取った。

「すぐに医師に診てもらいましょう」

 リノはすぐに呼び鈴を鳴らし、使用人に医師を呼ぶように伝えた。僕には何が何だか分からなくて、おずおずと口を開く。

「そんなに具合が悪いの……?」
「いいえ、そうではありませんよ」

 リノは優しく微笑むとそのまま言葉を続ける。

「もしかすると……レヴィルは子を授かっているかもしれません。」
「………………え?」

 僕は思いもよらない言葉に目を見開いた。

「レヴィルの体調不良は妊娠の初期に見られる"魔力障り"の症状に似ています。はっきりとした事は分からないので……まずはお医者様に診てもらった方がいいかと」
「魔力障り……」

 この世界では男性同士で子を成すため、前世での妊娠のメカニズムとは少し異なっている。
 魔力障りは前世でいうところの悪阻のようなものだ。エバは元々子を育む内臓器官をもっているわけではなく、性交により魔力が混ざり合い、核ができることで、仮腹と呼ばれる魔力でできた疑似子宮を作り始める。その仮腹を作るために大きく魔力を使うため、反動で発熱や気だるさ、吐き気などを伴うらしい。

「レヴィル、医師が来るまで自室でお待ちいただけますか。横になっていても構いません」
「……ああ、分かった」

 先ほどまで頑なに大した事はないと言っていたが、彼自身も妊娠しているかもしれないと思い至ったのか、大人しくリノに従って席を立った。僕は何をする事が最良なのかが分からず、おろおろとレヴィルとリノを交互に見る。

「ティトもお医者様が来るまでレヴィルと一緒にいてくれますか」

 リノは僕を落ち着かせるように優しくそう言った。

「分かった」

 僕はリノの言葉でようやく動き出す事が出来き、レヴィルの後を追った。






「たしかに妊娠していらっしゃいますね」

 駆け付けた初老の医師は、診察を終えると穏やかにそういった。

「おめでとうございます、仮腹の経過から6週に入ったところかと思います」

 レヴィルや僕に代わり、リノがそうですか、と返事をした。その声色はどこか嬉しそうだった。
 レヴィルは少し不安そうな表情で医師を見ていた。

「初めての事かと思いますので、少しだけ先のお話しさせていただいてもよろしいでしょうか」
「……ああ、頼む」

 レヴィルがそう答えると、医師は優しく微笑み、ゆっくりと話し始める。医師は、まだ容量を得ない僕たちが不安にならず理解をできるように、丁寧に今の経過や今後の事を説明をしてくれた。
 具体的な話を聞いている内に、じわじわとレヴィルは本当に妊娠をしたのだと思い始める。

 お腹の子は僕の子だ。

 頭では認識しているのに、何故か別の世界のことのように思えて全く実感が湧いてこない。なんだかそれが少し怖かった。








「ティト」

 僕は、は、と声のする方を見る。

「大丈夫ですか?」
「あ、うん……ごめん、ぼうっとしてしまって」
「いいえ、大丈夫ですよ」

 疲れたでしょう、とリノは優しく言った。
 医師は問診や説明を終えると、次の診察の予定を決めて帰っていった。今はレヴィルの部屋にレヴィルとリノと僕の3人だけだ。

「レヴィルも疲れてはいませんか?少し休まれた方がいいでしょうか」
「いや、大丈夫だ。それよりも少し話がしたい」

 レヴィルは僕たちを応接セットへ座るように勧めた。
 僕とリノが隣り合って座り、レヴィルが向かいに座る。レヴィルの表情は心なしか強張っているように見えた。まだ具合が悪いのではないかと心配で顔を覗き込むと、ダークブルーの瞳が僕を見る。

「……ティト……今晩からはリノと過ごすといい」
「え?」
「…………リノも気付いていたと思うが……俺は最近ずっとリノと交互に過ごす約束を破ってティトと過ごしていた。元々お前たちが関係を抑制するのは俺が妊娠するまでという話だっただろう?」

 僕は急に振られた彼の話に追いつけず、なんと答えればいいのか、思考が回らない。すると、隣に座ったリノが大きくため息をついた。

「…………だから今夜からは僕と寝るようにと?」
「……ああ」
「馬鹿も休み休み言ってください」

 リノはピシャリとレヴィルの言葉を遮った。

「レヴィルはこれからもそうやって誰かが妊娠したら、すぐに別のエバにティトを宛がうつもりですか」

 リノの声は今まで聞いたことないほどに低く、怒気を孕んでいた。

「そんな……そんな訳がないだろう……俺はお前が、」
「僕の気持ちは考えてくれるのに、ティトの気持ちは考えないんですか?」
「俺は……!!」

 ほとんど言い合いのような、叫ぶような声をレヴィルが上げる。

「俺は…………これ以上ティトとリノの仲を阻むのが心苦しいと思っただけだ……」

 言い直した彼の声はどこか泣きそうな雰囲気だった。ちくちくと胸が痛む。僕は何か言わないとという焦燥感に駆られ、必死に言葉を探す。でもとっさには言葉が出てこなかった。

 しばらくの後、沈黙を破ったのはリノだった。

「…………すみません、強い言葉を使ってしまいました……お許しください。とても嬉しい出来事が分かったばかりなのに、こんなのは良くないですね」

 リノはごめんなさい、と優しく言った。

「いや……焦ってしまったのは俺もだ、すまない」
「先にお茶にしませんか?疲れた状態で話し合うのは良くありませんから」
「ああ……そうだな」
「ティトもそれでいいですか?」

 リノは確かめるように僕の顔を覗き込んだ。僕は泣きそうな酷い顔をしているのを見られたくなくて、下を向いて小さく頷いた。




 使用人が用意してくれたのはローズヒップティーだった。僕たちは3人とも紅茶派だし、ローズヒップをブレンドティーにしてたまに飲むことはあっても、ものすごく好んでいるわけではないので、こういう風にお茶の時間に出るのは珍しかった。
 レヴィルが妊娠したと分かった使用人たちは明らかに浮ついた様子で、どれが口に合うか分からないからと幾つものお茶菓子を少量ずつ並べた。リノはそれを見て少し笑ったが、レヴィルは何とも言えない表情で口を開く。

「……もう紅茶は飲めないのか?」
「少量であれば大丈夫だとお医者様はおっしゃってましたよ」
「少量か……」
「レヴィルは外で飲んできてしまう事もありますから、気に入るお茶をこれから探しましょうね」
「……そうか」

 紅茶派のレヴィルにとっては茶菓子よりも気になるところだったのだろう。レヴィルとリノがぽつぽつと話しているのを聞きながら、僕はそっと飲み物に口を付けた。

 しばらくすると会話が途切れ、また沈黙が落ちる。
 僕はローズヒップティーを半分ほど飲んだ頃に、意を結して口を開いた。

「…………さっきの話ついていけなくて、ごめんなさい。僕がちゃんとしなきゃいけないのに正直どうすればいいか分からなかった」

 2人が一斉に僕を見る。

「こんな風に言うのはレヴィルに本当に申し訳ないんだけれど…………まだ、実感が湧かなくて、気持ちの整理がついていないんだ。リノと過ごすのもちゃんと自分の気持ちを整理してからにしたい。だから申し訳ないけど、もう少し時間をください」

 僕は2人に頭を下げた。今、僕が答えられるのはこれが限界だった。

「……ティト、俺も同じだよ。まだ俺も全然実感が湧いていない。だから申し訳なく思う必要はないよ」

 レヴィルはダークブルーの瞳をゆっくりと細めた。

「俺の方こそお前たちとの約束を破っているのが後ろめたくて、少し焦りすぎてしまった、ごめんな」
「私も同じです。私がしっかりしないとと思って結局焦ってしまいました。」

 僕は2人の言葉に緩く首を振った。レヴィルは固くなった表情を少しだけ緩めて微笑む。

「すまない、もっとちゃんと話し合おう」
「ええ、そうですね」
「ティトの意見も聞かせてくれるか?」
「……うん」

 僕が頷くと、レヴィルが微笑み、少し場が和やかになったような気がした。

「レヴィル、ティト、一番最初に言わなくてはいけなかったのに、焦って言い忘れてしまいました」

 リノがそういって僕たちの方に体を向けた。

「懐妊、本当におめでとう。私も自分の事の様にすごく、すごく嬉しいです」

 リノは花の様に微笑んだ。その声色は本当に優しくて、僕は何だかそれだけで泣きそうになる。

「ありがとう」
「……ありがとう、リノ」
「皆で大事に大事に育てていきましょうね」
「ああ」
「子を授かるのは初めてですし、ティトはこの年で父親になるんです。焦らずに沢山相談をして、悩みながら決めていきましょう。きっと大丈夫ですよ」
「……そうだな」

 リノは優しく微笑むと僕の手にそっと触れた。

「ティトも心配ありませんよ。実感が湧かなくても悪いことは全然ありません、ゆっくり時間をかけましょう」
「うん……ごめんなさい」
「ふふ、謝らないで、大丈夫」
「……うん」

 リノはゆっくりとレヴィルの方を見る。

「お2人が嫌じゃなければ、私も自分が母親になると思うくらい当事者になって色んなこと一緒に考えたいです」
「ああ、そうしてくれ。ティトもいいか?」
「うん、すごく嬉しい」
「良かった」

 リノは笑って頷く。彼は本当に自分事の様に捉えてくれていて安心感があった。彼が大丈夫だと声を掛けてくれる度に僕はどこかほっとしていた。





 結局、僕とレヴィルが父親と母親になるためには、もっとたくさんの時間を一緒に過ごした方が良いとリノが言ってくれて、僕たちは今まで通り交互に眠る事になった。レヴィルが今までの様にこっそりと僕の所に来る事をやめる代わりに、僕の一人寝を減らして、その分2人とそれぞれ過ごす。そして眠る時間以外もできるだけ、皆で過ごす時間を増やすように相談をしていこうという話になった。

 今夜は今までの順番通りレヴィルと一緒に過ごすことになったが、湯上りのレヴィルに寒い廊下を歩かせるのは嫌で、僕が彼の部屋に行くことにした。

 しん、と冷えた廊下を抜けてレヴィルの寝室に入る。そこは使い込まれたウォルナットの家具が置かれた落ち着いた部屋で、心地よい温かさになっていた。レヴィルは既にベッドに腰を掛けて待っていた。

「体調はどう?」
「ああ、平気だよ、微熱があるように感じるだけで苦しい訳ではないんだ」
「そう……」

 僕はそっとレヴィルの隣に座った。彼はそっと僕に身を寄せる。

「不安か?」
「どうかな……まだ分からない」
「……そうか、俺もだ」
「うん……でも、これからは辛い時はすぐ言って欲しいよ」
「……そうだよな、ごめん」
「ううん、僕も気付けなくてごめん」

 レヴィルは僕から僅かに身を離すと、僕の方に顔を向けた。僕たちはゆっくりと触れるだけの口付けを交わす。

「…………お腹、触ってみてもいいかな?」
「ああ、いいよ」

 彼が笑って頷くのを見て、僕はそっと彼のお腹に触れた。
 肌触りの良い寝巻き越しに、彼の引き締まった腹筋が感じられるだけで、僕にはまだ何も感じられない。

「まだ分からないだろう」

 僕の考えを察した様に、レヴィルはくすくすと可笑しそうに笑って、そう言った。
 彼の手がゆっくりと僕の手と重なる。

「お前の魔力で満たされているときの感覚と似てるんだよ……ずっとここが熱いんだ」

 彼の声は優しくて温かかった。その声は僕たちの母の様でもあり、時々夢に出てくる前世の妻の声にも温かさが似ている気がした。
 不意に夢に出てくる前世の娘の重みと温かさを思い出す。

「ティト?」
「レヴィルはお母さんになるんだね……」
「ふふ、お前も父親になるんだよ」
「………………うん……」

 僕は何度も小さく頷いた。

「大切に育もうな」
「うん…………」

 少しだけ泣きそうな僕を見たレヴィルは、困った様に笑って、優しく僕の頬を撫でた。
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