アデルの子

新子珠子

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第二章 深窓の君

60. ギフト

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 職人街は街と呼ばれているがイーストフィールズの一角にある通りの名前だ。イーストフィールズの中では比較的大きな通りになっているそこは、品物を受け取りに来ているのであろう商人の使いの者や荷馬車で賑わっている。辺りにはカン、カン、と何かを叩く音や、荷運び夫の声などが響いていた。

 僕たちはメイン通りを少し折れた場所で馬車を降りた。僕は初めての雰囲気の場所に少しドキドキしながら先導するテディに続いて脇道を進む。路肩には陰干しをしているのか、いくつかの絨毯が出されていたり、僅かな陽だまりに椅子を置き白い息を吐きながら煙草を吸っている人がいたり、まるで建物の外にまで生活が溢れているような雰囲気だった。時々作業をしている人達の談笑の声やラジオの音まで聞こえる。
 慣れない雰囲気にキョロキョロと視線を動かしながら歩いていると、僕の一歩後ろを歩くジェイデンが微笑み、この辺りは古くから営んでいる職人が多いんですよと教えてくれた。



「ええと……ああ、ここですね」

 しばらく歩くと先頭のテディがそう声を上げた。
 彼は錆びて文字が見えにくくなった控えめなアイアンの袖看板を確認して頷く。

 セレダの生家は職人通りの小道にひっそりと居を構えていた。少し古びた印象の石造の建物は一帯の区画整理時に作られたのか石階段と反対側の建物と一体化していて建物そのものが地形になっているような雰囲気だ。家の前の石畳や木製の扉や窓は使い込まれ古めかしい雰囲気を出しているが、定期的に掃き清められているのか、荒ぶれた雰囲気ではない。むしろ来たこともないのに懐かしい感じがする場所だった。



 テディがごめんください、と声を掛け扉を開けると、カランカランと小気味の良い音でドアベルが音を立てた。テディに続いて中に入るとそこは古びたカウンターが置かれた小部屋になっていて、商品の受け渡しのための場所なのか、今は誰もいなかった。
 テディがもう一度ごめんください、と声を掛ける。すると、奥からギィと音がして、誰かが近づいてくる物音がした。床が軋む音が近づいてきて、しばらくすると奥の扉がゆっくりと開いた。

 そこには白髪混じりのウェーブヘアに眼鏡を掛けた初老の男性が立っていた。使い込まれた分厚い皮のエプロンを付け、シャツを腕まくりした姿はまさに職人と言った雰囲気だ。

「……おや……これは……これは……この様な粗末な場所に……何か御入用でしょうか」

 眼鏡の男性は僕たちを見て少し驚いた様な困った様な雰囲気でそう言った。僕は慌てて微笑み、ゆっくりと礼をする。

「突然に訪問をしまして申し訳ありません。こちらはポーターさんの工房でしょうか」
「え?…………ええ、ええ、そうです」

 僕が礼をしたからか、敬語を使ったからか、彼は少し驚いた様子で頷く。

「ポーターさん、ですか?」
「はい……そうですが……」

 どことなく不安そうな声色の彼に申し訳なくなり、僕は安心させる様にもう一度微笑んだ。

「初めまして、クローデル侯爵家次男のティト・クローデルと申します。セレダさんに専属の術師をしてもらっている者です。
セレダさんからポーターさんの銀細工を見せていただいて一目惚れをしまして、彼に許しも得ずにここに来てしまいました。突然のご訪問となりまして申し訳ございません」
「…………セレダの……」

 呆然とした様にそう小さく呟く。その表情はどこか驚いている様だった。

「そう、でしたか……この様な所へわざわざお越しいただきまして恐れ入ります」

 彼はハッとした様に深々と頭を下げた。僕が慌てて顔を上げる様にお願いすると、彼は困った様におずおずと顔を上げる。

「僕は出来が悪くて色々な事が苦手なのですが……彼に助けてもらって何とかアデルの役目をこなせそうな目処が立ってきたんです。彼のお陰です、本当に感謝しています」
「……セレダが……そうですか……ありがとうございます……」

 セレダの母はしみじみと静かに呟いた。
 僕はベストの内ポケットに入れた懐中時計をそっと取り出した。

「セレダさんからこの懐中時計を預からせてもらっているんです。この時計を拝見してぜひこちらに訪れて見たいと思っておりました」

 セレダの母は懐中時計を見ると軽く目を見開く。

「この彫刻はポーターさんが彫られたものですよね?」
「……ええ」
「セレダさんからこの星々の彫刻には”魔除け”と”希望の成就”の意味があると教えてもらいました。今は……お守りとして僕に貸してくれていまして……」
「ああ……そうですか……」

 セレダの母は安心したように懐中時計を見つめ、ゆっくりと目を細めた。

「あの子は……まだこれを持ってくれていたのですね」
「……え?」

 僕が顔を上げると懐かしむような表情をしていた彼が僅かに微笑む。

「この時計はセレダが術師の見習いとして家を出る時に渡したものです。……貴方様の前でこの様な事を言ってしまうと失礼になってしまうかもしれませんが……当時のあの子は術師になるのを本当に嫌がっていましたから、もし耐えきれずに逃げ出して、追われる身になってもこれを売って凌げる様にと思って渡したものです」
「そう……だったんですか……」

 彼は本当に優しい眼差しでその時計を見ていた。きっと色んな願いを込めてこの彫刻を入れたのだろう。

「……あの子は今も術師としてやっているのですね」
「ええ、彼は研究者として、とても優秀なのですが、僕が無理を言って今は僕の専属術師も務めてくれています。彼が居なければ僕はまともに役割を果たせなかったと思うくらい、彼には本当に助けてもらっています」

 セレダの母親は僕の言葉に何度も頷いて、目を細めた。

「……そうですか」

 それは小さな声だったが、どこまでも穏やかで優しくて、セレダを想う温かさを秘めていた。

「そうですか……」

 彼は噛み締めるように何度も小さく頷いて、そう言葉を繰り返していた。









――――――――――――――――――


「ティト様、すみません、お待たせしました」

 僕が中央医院の部屋で読書をしながら過ごしていると、少し慌てた様子でセレダが入ってきた。僕は本を閉じて、顔を上げる。

「いや、急に来てしまってごめん。研究の方は大丈夫?」
「はい、それは大丈夫ですけど……どうされました?何かありましたか」

 セレダは心配そうな様子で僕に歩み寄る。寄付の練習の時以外に中央医院を訪問する事はあまりなかったので、何かあったのかと思ったのだろう。
 僕は笑って、首を横に振った。

「ごめん、次の練習の時でも良かったんだけど、準備が出来たら早く渡したくなってしまって……今日はセレダにプレゼントを渡したくて来たんだ」
「え、僕にですか?」
「ああ」

 彼は驚いた様に僕を見ていた。ソファに座る様に勧めると、彼はおずおずと僕の隣に座る。僕はごそごそと小さい包みを取り出しながら口を開いた。

「僕の家では聖夜前に使用人に日頃の感謝を込めてプレゼントを渡す習慣があって皆の分を用意していたんだけど……本当にお世話になってるからセレダにも何かプレゼントをしたいと思ったんだ」
「そうなんですか……お心遣いありがとうございます……」

 彼は戸惑った声を上げる。僕は笑って小さな包みをそっと彼に渡した。

「セレダ、いつも本当にありがとう。感謝の気持ちを込めて選んだんだ。良かったら受け取って欲しい」
「ありがとう、ございます」

 プレゼントは少し歪にクラフト紙包まれており、ドライフラワーと共に麻紐で結ばれている。リノに教わりながら僕が包装した物なので少し不恰好だ。
 セレダはそれを受け取ると、どうすればいいのか分からないと言った風にじっと見つめた。

「良かったら開けてみて」

 僕が声を掛けると、彼は恐る恐ると言った雰囲気で麻紐に手をかける。丁寧な手付きで包装を取ると小さな木箱がころん、と彼の手のひらに乗った。

 彼はその木箱に刻印されたマークを見てぴたりと動きを止めた。木箱にはセレダの母親の工房の刻印が施されている。

「……ごめん、セレダは嫌がっていたのは知っていたんだけれど、どうしてもプレゼントをしたくて、勝手に工房に行ってしまったんだ」
「…………どうして……」
「……僕がセレダの大切な懐中時計を預かってしまったから、せめて小さな品でもいいから何かセレダのお母様が手掛けたものをセレダに持っていて欲しかった。僕のエゴかもしれない」

 彼は手のひらに乗せた箱を開ける事もなくただ手を振るわせていた。
 僕は彼の手にそっと手を添える。

「……お母様に話を伺ったんだ。術師見習いとして召し上げられてから、ずっと家には帰っていないんだよね。セレダは責任感が強いから……きっと術師の仕事をやり遂げるために帰って来ないんだろうってお母様は言っていたよ」

 彼は僕の言葉に思う所があるのか、みるみる白くなっていって血の気が失せていく。彼の触れて欲しくない場所に軽率に触れてしまった事を、申し訳なく思う気持ちが募るが、どうしても彼の母の思いを伝え損ねたくなくて、僕は言葉を続けた。

「お母様に事情をお話しして、何かセレダのプレゼントに良いものはないかご相談をしたんだ。商品サンプルが飾られたショーケースを見せてくださったんだけど、展示作品は星の彫刻が施されているものが沢山あったよ。セレダを思い出す度に願掛けの様に星の彫刻を彫っていたら、いつの間にか沢山になってしまったとおっしゃっていた」

 穏やかな調子で話す彼の母の姿を思い出す。きっと彼の母はあの静かな工房で息子を思い、幸せを願って何度もタガネを入れていたのだろう。
 彼の母に見せてもらったサンプルの数々はどれも本当に繊細で美しくて、彼への想いに溢れていた。

「セレダの為に彫ったようなものだから、展示のものはどれでも譲ってくださると言ってくださって……相談をしてこれに決めたんだ」

 僕はそっと彼の手のひらの木箱を開ける。中に入っているのは華奢なシルバーリングとチェーンだ。
 そのシルバーリングはすごく細身で、フロント部分が夜空の星をイメージして星座のラインを描いている。星の部分にごくごく小さな貴石がはめ込まれていて、華美すぎず繊細でとても綺麗な指輪だ。セレダのさらっとした雰囲気にとても似合っている。
 彼はじっとそのシルバーリングを見つめ、動かなかったが、その瞳は水を張った様にゆらゆらと揺れていた。

「このリングは……多分セレダの指にはサイズが合わないと思う。だから……いつかサイズを合わせに来て欲しいとお母様から言伝を頼まれた。それまでは良ければネックレスとして使ってくれると嬉しい」

 僕はそう言いながらそっと彼の手のひらにシルバーリングを乗せた。


「………………母は……元気でしたか……」
「……うん、お元気そうだったよ」

 セレダは小さく頷くと、そっと指輪を優しく握り、額に拳を当て、顔を隠した。彼の手の隙間からぱたりと、涙が零れる。

「…………っすみ、ません……ちょっと……」

 言葉が続かないのかセレダは小さく声を震わせて、顔を伏せた。

「……うん」

 僕はそう返事をすると彼に少しだけ身を寄せ、ただその姿を見守った。








――――――――――――――――――

 セレダは何をするにも器用な印象を受けるが、お茶を淹れるのもとても上手だ。寄付の練習の後に彼が淹れてくれるお茶は、紅茶でもハーブティーでもとても良い香りで美味しい。

 僕は中央医院の部屋の小さなキッチンで、生まれて初めて自分で紅茶を淹れた。僕は慣れない手付きで、2人分のカップをトレイに置き、セレダの元に戻る。
 彼は瞳を赤く泣き腫らしていたが、先程よりは少し落ち着いた様で、僕がトレイを持って来たのを見て、申し訳なさそうな顔をした。

「すみません……ティト様にそんな事を……」
「ううん、でもあまり上手には淹れられなかったかも」

 僕は笑ってセレダにカップを渡した。隣に座り、セレダに飲んでもらう為に、まず先に口を付ける。同じ茶葉を使っているはずなのに、僕が淹れた紅茶は香りも味もあまりしなかった。

「やっぱり……セレダが淹れてくれた方が美味しいな」

 僕がそう言って苦笑いすると、セレダは小さく笑ってそっと紅茶に口を付けた。

「いえ……美味しいです、とても」
「ふふ、ありがとう」

 僕が笑うと、セレダも薄く微笑んでもう一度紅茶を飲む。僕はその様子に少し安心して、木箱に丁寧に戻されたシルバーリングを見た。

「セレダ……ごめんね」
「え?」
「僕、セレダの大切な懐中時計を預かっている事にどこか申し訳なさを感じていて……多分その気持ちを少しでも和らげたくて、セレダの許しも得ずに勝手にお母様の元へ行ってしまった。セレダの気持ちを全然考えられていなかった、ごめん」

 僕がそう謝ると、セレダはゆるく首を横に振る。

「いえ……すごくびっくりしましたが、その……ティト様のお気持ちは本当にすごく嬉しい、です」

 彼はたどたどしく言葉を紡ぐ。
 僕が不安げに彼を見ると、彼は万華鏡の様な瞳をゆっくりと細めて、柔らかく微笑んだ。そして、ローテーブルに置かれたシルバーリングを優しい眼差しで見つめる。

「僕は……魔力の発現が遅くて、術師適性が分かったのは今のティト様くらいの年齢だったんです」
「……そうだったんだ」
「ええ……僕は工房の仕事を……いや、母のひたむきな姿を尊敬していたし、大好きでした。ずっと手伝いをしていたし、いつか自分も同じ仕事をするのだと思っていたから……突然、適性があるから術師になれと言われても中々受け入れる事が出来なかったんです」

 僕はセレダの気持ちにどこか共感を覚えて、小さく頷く。苦しい彼の気持ちが分かるような気がして、ちくりと胸が痛んだ。

 寄付と加護の施策を打つこの国では、魔力を操る才能がある人間は必ず術師にならなくてはいけない。アデルが本人の意志に関わらず、必ず沢山のエバと交わらなければいけないのと同じ様に、術師も自分の望む未来を選択できない人々だ。
 セレダは僕の表情を見て、困った様に笑った。

「術師見習いになっても医院の預かりになるだけで、それなりに自由はあるし、望めば家から通う事も出来るんです。……でも思い描いた将来に挑戦すら出来なかった悔しさと、母の業を継ぐ事が出来なかった申し訳なさで……とても母の側にはいれなくて、そのまま時間が経ってしまった。ただの僕の気持ちの問題です」

 彼はそっとリングを手に取って、僕の方を向いた。チャリ、とリングに付けられたチェーンが音を立てる。

「母の事は尊敬していますし、仲違いをしている訳ではないんです。だから……ティト様がこれを選んでくださってすごく嬉しい」
「うん……」

 美しい瞳を細め、僕にそっとリングを渡す。

「……良かったら……付けていただけませんか」
「いいの?」
「はい」

 彼は僕に少しだけ背を向けて、首筋を見せた。薄くローズマリーの香りがして、僕は少しどきどきしながら、チェーンの留め具に手をかける。そっと彼の首に掛けて留め具を留めると、彼はゆっくりと振り返った。

「……ありがとうございます」
「うん……付けてくれてありがとう」

 僕がそう言うとセレダは振り返り、僕を見上げた。

「ちゃんと母に会って……サイズも直します」
「…………ごめん、押し付ける様な形になってしまって」
「ううん、そんな事ないです」

 セレダは僕の頬に手を伸ばし、柔く耳を撫でる。

「本当に嬉しいです、ありがとう……ティト様」
「…………うん」

 彼の言葉は優しくて、僕は頬に寄せられた彼の手に自分の手を重ねる。
 彼は僕の手に視線を向けた後、ゆっくりと僕の瞳を見上げた。その視線は妙に色っぽく、僕は無意識に彼を少し引き寄せてしまった。その動きに彼は少しだけ目を見開いた後で、ふ、と笑って僕の腕に己の腕を重ねる。

「ティト様……キスをしていただけませんか」

 それは僕の望みを代弁してくれるかの様だった。僕はその言葉を待ち望んでいたかの様に彼をさらに引き寄せる。

 僕たちは寄付の練習とは関係なく、ゆっくりと何度も唇を重ねた。


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