アデルの子

新子珠子

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第一章 静かな目覚め

26. 収穫

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「ティト、流石に…そろそろ…出る時間ですよね?」
「ああ…うん、そうかな。」

 部屋に置かれた柱時計に視線をやると、たしかにそろそろ出発の時間だ。僕が身動ぎをすると、リノがゆっくりと身体を起こした。

 僕も続いて立ち上がると、リノは手慣れた様子で身なりを整えるのを手伝ってくれる。

「ティト…。」
「ん?」

 リノは少し不安そうに俯いた。

「バカンスの事、ティトに相談せずに決めてしまった事は…謝ります……でも…本当に僕の事を想っていてくれるなら…、どうかレヴィルとの関係を進めてくれませんか…?」
「………リノは…その方がいいの?」

 僕は様子を伺うように、そっと彼の顔を覗き込んだ。彼は少し困ったように微笑む。

「今のままの状況が続くより…楽…かな……。」
「……そう、か。」

 僕はなんと言えばいいのか分からず言葉を詰まらせる。

「……無理にとは言いません。でも僕ももう一度レヴィルと話してみます。…もし……もしその時が来たら…受け入れていただけませんか…。」

 リノの声はだんだんと小さくなっていった。どういう思いでそう言ってくれているのかを思うと堪らなくなって、僕は思わず彼を抱きしめる。彼は縋るようにそっと僕の肩口に顔を埋めた。

「…リノ……ごめんね。」
「…僕の事思ってくれているなら…謝らないで。いいって言ってください…。」
「うん……分かった、よ…。」

 リノは僕のシャツをきゅっと握って僕に寄り掛かる。

「……湖水に着いたら……また今日みたいに過ごしたいです…。」
「もちろん。湖水だけじゃなくて普段もたくさん一緒に過ごそう。」
「うん…。」

 リノが僕のシャツを緩くひっぱった。

「ティト…。」

 伏し目がちにそっと顔を上げて、僕を呼んだ。榛色の瞳と目が合い、お互いの顔が近づく。僕たちは引かれあうように口づけを交わした。









「ティト様、次はこの木箱を荷馬車へ運んでいただけますか。」
「うん。」

 僕はジェイデンの指示に頷いた。
 袖口で汗を拭い、イチゴがたくさん入った木箱に手をかける。木箱に入れられた沢山のイチゴは、先ほど村人たちやジェイデン、そして僕が時間を掛けて収穫した採れたてのものだ。
 広大な農場のイチゴを見分し、頃合いのものをすべて収穫する作業は途方もなくて想像以上に大変だった。けれどそれだけ苦労した分、愛着が湧いて収穫したばかりのイチゴはとても可愛らしかった。
 初夏にかけて旬になるイチゴは完熟前で張りがあり、つやつやとしている。


 けれど、瑞々しいイチゴがたくさん入った木箱は重い。僕が気合をいれてぐっと力を入れると、横にいたジェイデンがすぐにそれを止めた。

「ティト様、腕の力で持ち上げると腰を痛めます。」
「腕…?」
「はい、腰を曲げずに木箱をお腹に引き寄せて脚の力で持ち上げてください。腕は伸ばして。」

 ジェイデンはそういうと、見本を見せてくれる。彼はしっかりと膝を折り、木箱を身体に引き寄せてからすっと身体を起こした。同じ木箱だとは思えないほど軽々とした動作だ。
 僕も見様見真似で木箱を持ち上げてみる。すると先ほど力を入れた時よりもはるかにスムーズに持ち上げることができた。びっくりしてジェイデンを見ると、彼は目を細めて笑う。

「そう、いいですね。今日は数を多くこなすよりも、その方法で正しく持つことを心がけてみてください。」
「分かった。」

 僕は頷いた。

 木箱は重く、体力がない僕には難しい作業だ。けれどジェイデンが身体の動かし方から丁寧に教えてくれるおかげで何とかこなせそうだった。
 こんな事ができるなんて、今までの僕では考えられない事だ。僕はこうした体験が毎回できるジェイデンの手伝いが楽しくて仕方がなかった。

 僕は時々ジェイデンに助言を貰いながら、夢中になって荷運び作業を進めた。




「ティト様、そろそろ終わりにしましょう。」

 荷馬車にイチゴを積み終わるとジェイデンがふう、と一息ついてそう言った。

 結局、僕は本当にごく一部の木箱を運んだだけで、ほとんどはジェイデンと村人たちが慣れた手つきで運んでしまった。けれど、僕は数回往復しただけでかなりくたくたになっていた。

「…うん。」

 僕は頷き、農場の主である村人の方へ向き直る。

「今日は手伝わせてくれてありがとう。邪魔をしてしまってごめんね。」

 僕はそう言って礼をする。僕は手伝いと言う建前ではあるが、正直今は全く役に立てていない。それでも嫌な顔をせず、手伝わせてくれる村人達の優しさがとてもありがたかった。

「とんでもありません。丁寧に摘み取ってくださったので安心して任せられましたよ。ティト様にお手伝いいただけるなんて、夢のようでした。」

 村人は慌てて首を振ったあと、気恥ずかしそうに笑った。

「ありがとう、感謝します。迷惑だろうけど、また色々教えて。」
「ええ、ええ、もちろんです。いつでも喜んで。」

 村人は目尻のシワをさらに深くさせて微笑む。手伝いに来ている他の村人たちも笑いながら僕にねぎらいの言葉をかけてくれた。

 生活がかかっている大切な仕事を、貴族の子息が興味本位で手伝いたいと言う事はきっと大変失礼なことだ。それでも色んなことを知りたいと思う僕の気持をくみ取って、村人たちは快く色んなことを教えてくれていた。
 僕は本当に人に恵まれている。





 片付けをしながら、村人たちに村での生活の話を聞いているとふと、彼らの視線が僕の後ろに流れた。

「…おや、あれはセレダ様か?」
「え?」
 
 皆の視線を追って振り返ると、農場の小道に馬影が見えた。
 それはよく見ると栗毛の馬に乗ったセレダだった。彼は教会の平服であるキャソックではなく、シャツにベージュのベストを着込んだラフな格好をしていた。最近ようやく見慣れた彼の普段着だ。

 彼は僕たちの姿を見ると少しがっかりしたようなそぶりを見せ、馬を止めて軽やかに降りた。馬を農場の入り口にある馬留に移動させ、こちらにやってくる。
 彼は綺麗な仕草で僕に礼をすると、明らかに落胆した様子ではぁと軽くため息をついた。僕は予想していた通りの仕草に思わず笑ってしまう。

「セレダ、こんにちは。」
「こんにちは、ティト様。すみません…今日こそ手伝いたかったのに、また間に合いませんでした。」
「ふふ、仕方がないよ。いつもありがとう。」

 セレダはがっかりといった雰囲気をすぐに直し、僕に一礼した後、ジェイデンや村人たちに挨拶をした。そして、そのまま手慣れた様子で荷馬車を固定していた村人を手伝い始める。


 セレダは僕がジェイデンの手伝いをしている事を知ると、僕が手伝いをする時には必ず顔を出してくれるようになっていた。
 けれど、彼は教会の仕事をなによりも優先しなくてはいけない術師だ。大体の場合、手伝いには間に合わず、終わりの頃に顔を出すことが大半だった。それでもこうやって何とか顔を見せてくれようとしてくれるので、僕は緊張せずにセレダと話ができるようになっていた。

 彼は手伝いをしながら僕の方を向いて、不思議な瞳を細める。

「イチゴの収穫はどうでした?」
「すごく勉強になった。簡単な作業なのかと思っていたけど、広大な農場のイチゴを摘むのはとても大変な仕事だね。人手が沢山いることも分かったよ。」
「ええ、これだけ立派な農場ですから、摘み取りだけでも大変でしょうね。」
「うん、それにこの村のイチゴは丁寧に手が掛けられているから美味しいんだっていうことも分かった。」

 僕は自分でそう言いながら、今日教わったことを咀嚼するようにうんうんと頷いた。セレダは首を傾げて微笑む。

「どんな風に手を掛けられているんですか?」

 僕はセレダにそう聞かれ、思わず農場の主である村人を見る。目が合った村人は優しく笑って頷いていた。どうやら僕が説明をしてもいいらしい。僕はこくりと頷き返して、つい先ほど村人たちやジェイデンに教えてもらったばかりの事をセレダに話した。

 セレダは平民出身だ。彼の生家が何を生業にしている家なのかは聞いたことがないが、もしかすると農業の手間については知っているかもしれない。けれど彼は興味深そうに相槌を打って聞いてくれた。

「ああ、なるほど。実に甘さが行くように脇芽は摘み取るんですか。」
「うん、そうなんだ。それにクーペルーベンや王都へ出荷するイチゴは完熟前のものを出荷するから、収穫が遅れてしまったものも摘み取るんだ。今日はその作業もやらせてもらったけど、しっかり手入れしていても熟してしまうイチゴはいくつもあって、収穫が遅れてしまうととても大変なんだって言うことも分かった。」

 僕は振り返り広大なイチゴ畑を見る。

「こんなに広い畑でそうやって丁寧に仕事をするのがどれだけすごい事か、今日お手伝いして初めて分かったよ。」

 僕が満足そうにそういうと、彼は微笑んで頷いてくれる。

「そうやって知れると、これからイチゴを食べるのがますます楽しみになりますね。」
「うん!本当に楽しみ。」

 セレダの言葉に僕は笑顔で頷いた。





 一通り片付けを終えると、農場主である村人が僕の方にやってきた。

「ティト様、今日はもうこれで終わりなので、これを持って帰ってください。」
「えっ?」

 村人は僕にハンパーを差し出した。
 それは先ほど僕が使っていた収穫用のかごだ。中をのぞくと熟して出荷できない不揃いなイチゴたちが入っていた。僕が手伝いで摘果したものだ。

 それをみて僕は慌てて首を振る。

「貰えないよ。丹精込められた大切なイチゴなんだ。ちゃんと対価を支払う。」

 僕がそういうと、村人はからからと笑う。

「こいつらは熟していて出荷はできないし、形も不揃いで本来だったらお屋敷に上げてはいけない不出来なイチゴです。対価なんてとても貰えませんよ。」
「でも…丁寧に育てられたイチゴには変わりはないよ。」

 僕がそういうと村人は歯を見せて笑った。

「はは、ティト様にそういってもらえるだけで嬉しいもんだ。」

 村人が笑っている様子をみて、ぬいっと他の村人たちが何人か僕の方へ近づいてきた。

「ティト様、俺たちはこいつから今日の日当を貰うんです。今日の手伝いの対価としてね。労働にも対価が付くんですよ。」
「そうそう、だからこれはティト様の手伝いの対価です。ちゃんと貰わないと。」

 僕は曖昧に首を振った。労働にも対価が付くことはもちろん理解はしている。
 けれど今日の僕はほとんど役立たずだった。対価を貰えるような働きではとてもない。

「対価が貰えるほど手伝えてないよ…。」

 自信なく僕がそう答えると、村人たちは互いの顔を見合わせた。そして、わっと笑いが起きる。

「確かに荷運びはまだまだだったなぁ!」
「もっと腰入れてやってもらわないと、まだこいつらと同じ日当は払えませんね。」
「ティト様は背は高くなられたが、まだまだ細っこいからな!もっとたくさん食べないと。」

 村人たちは気持ちが良いほど遠慮なく快活に笑った。僕がどう答えていいか分からずにいると、荷馬車の準備を終えたジェイデンとセレダも近づいてきた。
 ジェイデンは僕や村人たちの様子を見たあと、穏やかに口を開く。

「ティト様、不揃いなイチゴがお嫌じゃなければ、貰ったらいかがですか?」
「えっ?もちろん嫌じゃないよ!でも、僕が貰っていいの…?」

 僕がそう言うと、ジェイデンは村人を見る。村人は頷くと僕の方を向いた。彼は先ほどの快活な笑いではなく、目尻のシワを深くさせ穏やかに笑う。

「今日はティト様にはたくさん頑張っていただきましたから、何かお礼をしたいのです。不出来なイチゴを差し上げるのは、本当は大変失礼な事だと思いますが…今日の貴方にはこのイチゴを食べてもらいたい。貴方が初めて収穫したイチゴです。味はとてもいいですから。」

 村人はハンパーをそっと僕に差し出した。

「……ありがとう…すごく嬉しい…。」

 僕はハンパーを受け取り、中に入った可愛らしいイチゴを見た。イチゴは確かに不揃いだが、しっかりと陽の光を浴びて熟していて、とても良い香りがしていた。

 僕は働きによって初めて得た対価が嬉しくてたまらなかった。

「ありがとう、大切に食べるよ。」
「はは、日持ちはしませんから、大事に食べずに早めに食べてください。」

 僕は頷いた。様子を見ていたセレダが笑う。

「良かったですね、ティト様。」
「うん、僕今日の事は絶対に忘れないよ。」

 そう言って僕はハンパーを大事に抱え直した。


 照れ臭そうに笑う村人の横で、他の村人やジェイデンも微笑んでくれていた。
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