アデルの子

新子珠子

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第一章 静かな目覚め

22. 術師

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 村の教会は緩やかな丘の上にある。ちょうど村を挟んで屋敷と反対側の位置だ。

 僕たちは村の中央道を通り、丘へ向かう。村を通り過ぎ、丘を登ると石造りの建物が見えて来た。三角屋根の建物が3つ連なっていて、奥には背の低い塔と厩舎がある。中央の屋根の先端には二柱の加護を示すシンボルがついていた。この教会はかなり小さめの教会だが、村の人々からとても大事にされている。教会の周りは綺麗に掃き清められ、道沿いには美しい花々が咲いていた。

 僕たちが教会の前に馬車を止めると、裏手から小姓が出てきて、馬車を引き受けてくれた。僕たちは彼に礼を言って、馬車から降り立つ。

 すると音を聞きつけたのか、教会の扉が開いて中から司祭と若い男性が出てきた。

「ティト様、リノ様、ようこそお越しくださいました。」
「司祭様、今日はありがとうございます。」

 僕が礼をすると、彼らも答える。司祭の隣にいる若い男は綺麗な礼をして顔を上げた。

「ティト様、こちらが貴方を担当する術師のセレダです。」

 セレダと紹介された男は、ふわっと緩くウェーブのかかった綺麗な赤毛をツーブロックにして無造作に整えていた。20代後半くらいだろうか、全体的な風貌はかっこいい若者と言った雰囲気だ。けれど瞳は青緑色の虹彩に黄色が差したような不思議な瞳の色をしていた。まるで万華鏡を覗きこんでいるような綺麗な瞳だ。
 彼は神秘的な瞳を細め、柔和な笑顔を浮かべた。

「初めまして、セレダ・ポーターと申します。」

 僕はまじまじと見つめ過ぎないように、少し視線を下げて笑みを浮かべる。

「初めまして、ティト・クローデルです。こちらは婚約者のリノです。」
「初めまして、リノと申します。」
「ティト様、リノ様、お会いできて光栄です。」

 彼は雰囲気のある表情を緩め、屈託のない人好きする笑顔を浮かべた。惹き込まれるような瞳の印象とは違い。その笑顔はとても明るかった。好青年そうだ。




 お互いに挨拶を済ませると、司祭が礼拝堂に僕たちを導いた。この教会の礼拝堂はそこまで大きくはないが、アーチ状の柳梁天井が美しく、柔らかなステンドグラスから光が差し込み優しい雰囲気を持っている。
 僕はこの温かな雰囲気の教会が好きだった。

 僕たちはまずステンドグラスの前に祀られた二柱の聖像の元に跪いて、祈りを捧げる。僕は今日の時間への感謝と、この教会への加護を祈った。
 祈りを終えるとゆっくりと司祭が身体を起こし、こちらへ振り返った。

「奥の間でお茶にいたしましょう。こちらへどうぞ。」

 司祭は礼拝堂から続く奥の扉へ案内した。立ち上がる際にそっとセレダの様子を伺うと、万華鏡のような瞳と目があった。彼は何も言わずにこっと微笑む。僕はどう反応すればいいか分からず、曖昧に微笑んだ。




 奥の間には簡素な応接セットが置かれていた。僕たちがそこへ腰をかけると、先程の小姓が不慣れな様子でお茶を持ってきてくれた。それに気付くとセレダはすっと立ち上がり、慣れた様子でお茶の準備を手伝い始める。室内に爽やかな香りが漂い始めた。

「いい匂い…。」
「ティト様にお出しするような良いお茶ではなく、恐縮ですが…教会の裏手で育てているハーブのお茶です。」

 司祭はそう言って小姓を優しい目で見守っていた。セレダはお茶を淹れ終わると、小姓に静かな声でお茶を出す順番を教えたようだった。小姓が緊張した面持ちで僕にお茶を出してくれる。

「ありがとう。」

 小姓が問題なく僕にお茶を出せたのを見届けると、セレダはゆっくりと自分の席についた。彼は微笑んで口を開く。

「ティト様はフレッシュのレモングラスティーはお好きですか?」
「うん、とても。」
「そうですか、それはよかった。そこの彼がちょうどさっき摘んできたばかりなんです。」

 セレダは優しい表情でそう言った。小姓は恥ずかしそうにはにかむ。僕は少し微笑んでレモングラスティーに口をつけた。レモンのようなすっきりと爽やかな香りが鼻に抜ける。

「うん、すごく美味しいよ。」

 僕がそういうと小姓はパッと表情を明るくさせた。彼は辿々しく給仕を終えるとぺこりと頭を下げて部屋を出て行った。その姿を微笑ましく見届けるとリノが司祭の方を向いた。

「彼はいつから?」
「2週間前にセレダと一緒に来ました。術師見習いです。」
「ああ、そうなんですか。…寄付の際には彼も一緒に?」

 リノが心配そうにそう聞いた。僕も少しびっくりして司祭とセレダを見る。

「いいえ、あの子はまだ行儀見習いの段階なので立ち会わせないつもりです。」
「そうですか。」

 僕は安心してほっと息を吐いた。1対1でもちゃんとできるか心配なのに、複数人のエバがいる中で寄付をするのは、流石に今の僕にはハードルが高すぎる。
 僕が安心していると、セレダと目が合った。万華鏡のような不思議な瞳が細くなる。人懐っこい彼の笑顔は不思議と安心感を覚えるような笑みだった。

「ご事情はお伺いしています。不安な事がありましたら僕に。言いにくかったら司祭様やリノ様を通してでも構いません。ひとつひとつ相談をしながら進めていきましょう。」
「うん…、ありがとう…。」

 僕が頷くと司祭が口を開いた。

「セレダは研究者としても優秀ですから、分からない事があれば彼に聞くといいですよ。」
「研究者?」
「ええ、彼は王都の中央医院の研究者でして、加護の研究をしているんですよ。」

 僕は初めて聞いた言葉に目をぱちぱちとさせた。あまり分かっていない様子の僕にセレダが口を開く。

「王都に医師と術師が合同で医療研究をしている施設がありまして、僕はそこの所属です。」
「そんな施設があるんだ…。」
「はい、寄付や加護の仕組みが出来たのもその施設の研究成果なんです。」
「…そうなんだ。」

 アデルが激減したのは50年ほど前だ。それまでは寄付や加護という仕組みはなかった。セレダの話によると今の仕組みが出来てまだ2、30年ほどのようだった。

「セレダは具体的にどんな研究をしているの?」
「加護での受精率向上の研究をしていました。定期的に保護地区に通っている人と、教会に通っている人の子を宿す確率はかなり違うので、それを出来るだけ近づけるための研究です。」

 僕はなるほど、と思った。この世界はアデルが少な過ぎて何もしなければきっと人類は滅んでしまう。それを打開するためには、そう言った研究は不可欠だろう。

「アデルの出生率が少ない原因も研究されてるの?」
「もちろんです。僕はその担当ではなかったですが、一番人員が割かれている分野ですよ。」
「そうなんだ。」

 僕は今までに知らなかった事を知って、ふんふんと思考させながら頷いた。セレダは僕の様子に微笑みながら声を掛ける。

「他に知りたい事や不安な事は何かありますか?」
「あ…、あの、僕、寄付について…話は聞いているんだけど、実際のイメージが湧かなくて…。」
「ああ、そうですよね。ご説明します。実際に施術の場所をご覧いただいた方がいいですね。」
「うん、ありがとう。」

 セレダが司祭の方を向いた。司祭は頷く。

「私はリノ様にお話したい事があるから2人で行ってきてくれるかな。」
「分かりました。ティト様よろしいですか?」
「うん。」

 僕は立ち上がってリノを振り返った。リノは優しく微笑む。

「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫…だと思う。」
「不安になったら呼んでください。すぐ行きますから。」
「うん、ありがとう。」
「セレダ、よろしくお願いします。」
「はい、承知しました。」





 僕はセレダに導かれて教会のさらに奥へ通された。そこは廊下になっていていくつかの部屋があるようだった。

「普段加護を受ける方には礼拝をしていただいた後、先程入った扉とは反対側の扉からこちらの廊下に来ていただいています。」

 彼は廊下の曲がり角を指さした。そこには礼拝堂に続くであろう扉が見える。僕がそれを確認すると彼は廊下の奥へ足を進める。

「奥に施術室があります。この教会は小さいですから施術室は1室しかありませんが、場所によっては何室もあったり、礼拝堂と別の建物として単独で設けられていたりする場合もあります。中へどうぞ。」

 セレダは木製の扉を開けて僕を中へ通してくれた。
 中は居室の様になっていた。使い込まれた木製の家具が置かれ、洗いざらしの白いファブリックが使われていて清潔そうだった。窓にはレースカーテンが二重で掛けられ、外の雰囲気は分からないが優しい光が差し込んでいた。チェストの上には愛らしい小さい花が素朴に生けられていた。先ほどの小姓が飾ったのかも知れない。

 ベッドの前にはスタンド型のカーテンが置かれていた。

「加護はこちらのベッドで行います。寄付は…、貴方のご希望に添います。この部屋の中でしたらどちらでも大丈夫です。」
「あ、うん…。」

 僕は何となく気まずくて小さく返事をした。セレダは僕にソファに座る様に進めると、チェストの中から小さめの木箱を取り出した。
 そして、その木箱を持って振り返るとあ、という表情をした。

「どうしたの?」
「すみません。その、お隣に座っても大丈夫ですか?」
「あ、うん。大丈夫だよ。」

 この部屋のソファは1台しかない。彼は隣に座っていいのか迷ったのだろう。僕は彼が座りやすい様に少し身体を動かしてソファを広く開けた。
 彼は失礼しますと声をかけて、遠慮がちに隣に座る。彼からは微かに優しい香りがした。

「実際に中身が入っているものはお見せ出来ないので空瓶ですが…。」

 そう言ってセレダは木箱を開けた。中にはキラキラと不思議な色で輝く細長い瓶が入っていた。試験管の様に細さで上下に金属とガラスでできたキャップが付いている。

「綺麗…。」
「魔鉱石でできた瓶です、この中に提供していただいた精子を保管します。この瓶には魔力を保管するために必要な処置が施されているんです。」

 僕はこくこくと頷いた。こんな綺麗な瓶に自分の出したものが入ると思うとなんとも言えないが、その瓶は本当に綺麗だった。

「触ってもいい?」
「ええ、構いませんよ。」

 僕はセレダから瓶を受け取る。その瓶は光の角度が変わりセレダの手元で見た色とは違う色をたたえていた。僕は少し瓶を上にあげ、光にかざす。瓶を形作っている魔鉱石は肉厚でクリスタルの様だった。

「こんなに綺麗なんだ…。」
「綺麗ですよね。この瓶を開発するのにかなり時間がかかった様です。」
「そうなんだ…。」

 僕はしばらく瓶を眺めた。そこで、はたと思い当たる。

「…この瓶にどうやって精子をいれるの…?」

  瓶は直径2、3cmほどで長細く、穴はそれよりも小さい。直接注ぎ込むのは難しい気がする。

「ええと…直接この瓶に入れていただく訳ではなくて、僕の手に出していただく必要があります。」
「手に。」

 それは普通に手淫という事だろうか。

「手のひらに魔力を集めるので、そこに出していただく必要があるんです。精子に魔力を定着させる処置をしてから瓶の中に収めます。」

 僕は少し怯みながらもこくりと頷いた。セレダは少し心配そうに僕の様子を見る。

「大丈夫ですか?」
「う、うん…その、思ったより機械的じゃなくてびっくりしただけ。」
「そうですよね、僕もそう思います。ただ最終的に術師の手に出していただく必要があるのですが、それまでの過程は指定がないので、相談しながら決めましょう。なるべくティト様のご負担がない様にしますので。」
「うん…ありがとう。」

 怯んだ僕を安心させる様にセレダは丁寧に説明をしてくれた。彼の態度はあくまでもフラットで好感が持てた。

「…ちなみに他のアデルはどんな風に寄付をしてるか聞いてもいいの?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
「じゃあ、教えて欲しい。」
「はい。本当に人それぞれですが、一般的なのは術師が手淫をして、そのまま手に出してもらう方法が多いと思います。保護区の方は大体その方法です。」
「やっぱりそうなんだ…。」

 何となく説明の端端からそうなんじゃないかとは思っていた。

「ただそう言った事が苦手な方もいらっしゃるので、術師がフェロモンだけ出してご自身でされる方もいますし、あとは…寄付をするアデルが希望するエバに同行してもらって、その方にしていただく事もあります。」
「…最終的に術師の手に出せれば、過程は術師でなくても良いってこと?」
「そうですね、そういう事になります。ティト様もリノ様にご同行いただいた方がよろしければその様に致しますよ。」
「いや。」

 僕は慌てて首を振った。アデルが義務付けられている寄付回数はかなりの数だ。おそらく週に何回か提供しなければ達成できないだろう。その度にリノに同行してもらう訳にはいかない。

「そこまでリノに迷惑はかけたくないんだ。できれば僕1人で寄付が出来る様になりたい。」
「そうですか。」

 セレダは頷いたが、少し心配そうな顔をしていた。僕の事情を聞いているのであれば彼も心配だろう。

「聞いてると思うんだけど、僕は慣れてない人のフェロモンを嗅ぐのが怖いんだ。」
「はい、聞いております。」
「今すぐ寄付をしろと言われても難しくて、できればもう少しセレダと話ができるようになりたい。成人前でも遊びに来てもいいかな。」
「はい、もちろんです。」

 セレダは僕を安心させる様に静かに微笑んで頷いた。

「あと、セレダがしていた研究についてもすごく知りたい。差し支えなければ話を聞かせて欲しい。」
「ええ、光栄です。ぜひ。」

 セレダは人好きしそうな屈託のない笑みを浮かべた。



 彼は研究についてかなり知識があり、誇りを持っているようだった。僕は段々と情報が整理できて、ふと、疑問が浮かぶ。

「……僕の担当術師になったら、セレダの研究はどうなるの?」
「僕は貴方の担当術師として従事する事になります。研究は他の者へ引き継ぎました。」
「えっ。」

 あっさりと告げる彼の言葉に僕は目を丸くした。

「僕の…担当になるために、研究から外れたって事?」
「ええ、そうです。」
「そんな…。」

 僕の為だけに1人の人間の仕事内容まで変わってしまう事に驚きを隠せなかった。僕は急に怖くなる。

「僕…担当をつけて貰わなくても…クーペルーベンまで通ってもいいよ…。」
「それはダメです。」
「どうして…?」

 セレダの万華鏡のような瞳と目があった。じっと見ていると引き込まれそうだった。
 彼はとても冷静な様子で口を開く。


「貴方の寄付には、この国を支えるほどの価値があるからです。」
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