アデルの子

新子珠子

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第一章 静かな目覚め

21. 教会

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 僕を担当する術師が決まったと連絡があったのは夏前だった。僕は司祭の誘いでリノと教会を訪れる事になった。僕たちは午前の勉強や執務を終えて昼食を取った後、村の教会へ向かうことにした。
 馬に声を掛けて、屋敷の前に止められた1頭立ての小型の馬車に乗り込む。

「リノ、出発してもいい?」
「はい、お願いします。」

 リノは僕の隣に座り、僕にも影が落ちるように日傘を差した。それに礼を言って僕は馬車を出発させる。村までは御者を呼ぶほどの距離ではないため、今日は僕が馬車の手綱を握っていた。このスタイルは僕たちが村に行く時の定番だ。箱馬車と違い、屋根のない小型馬車は外の空気や景色を直に楽しめるのが良い。

 レバノン杉の木立の中、一本道をゆっくり下る。日差しは強いが日陰は爽やかで心地よい。僕たちは夏の兆しを探しながら馬車を走らせた。




 丘を下り、村へと続く道に入ると牧草地に見知った人影を見つけた。

「あれ、ジェイデンかな?」
「ああ、本当ですね。今日は牧場を手伝ってくれているんでしょう。」

 僕はジェイデンの傍まで馬車を走らせると、ゆっくりと馬車を止めた。彼は僕たちに気付くと綺麗な所作で帽子をとり、礼をした。彼は壊れた柵の一部を補修しているようだった。

「ティト様、リノ様、村へお出かけですか?」
「うん。ジェイデンは今日は牧場の手伝い?」
「ええ、柵の修理を頼まれていたので。」

 ジェイデンは寡黙そうな雰囲気を崩し、穏やかに頷いた。そして首に掛けているタオルで、無造作に黒髪から伝う汗を拭う。彼は作業がしやすいように生成りのシャツを腕まくりし、ワークキャップをかぶっていた。簡素な服装でも、すっと背が高く、精悍な体つきの彼が着ると異様に様になっている。汗をかいていても彼自身の爽やかな雰囲気からか、不快には感じなかった。
 奥の方で同じように作業をしていた村人が慌てて礼をしているのが見えた。恐らく彼に頼まれて手伝っているのだろう。僕は村人に軽く手を挙げて挨拶をした。

「ジェイデン、いつもありがとう。」
「いいえ、とんでもありません。」
「村屋敷はどうですか?不自由はありませんか。」
「ええ、過分なほど心地よく過ごさせてもらっていますよ。」

 彼はわずかに口角を上げて微笑んだ。
 彼にはクローデル家が所有する村の邸宅に滞在してもらっている。僕たちと一緒に本邸で過ごすのは、気を遣って負担だろうと考えての事だった。
 小さい頃は村屋敷には祖母が住んでおり、僕自身も良く遊びに行っていた。思い入れのある場所だけに、僕たちとしてもそこに人が住んでくれた方がありがたかった。

「ジェイデン、まだお稽古を全然お願い出来なくてごめんなさい。」

 ジェイデンは僕の剣術と体術の先生であり、護衛でもある。ただ以前よりは格段にマシにはなったもののやはり僕には体力がなく、彼にはまだ週に3回ほど僅かな時間の稽古しか付けてもらえていない。護衛が必要な場面もまだ多いわけではないため、彼は開いた時間に率先して村の仕事を手伝ってくれていた。

「焦る必要はないですよ。」
「うん…でも先生と護衛として来てもらったのに、村でのお手伝いばかりやってもらっているから。」

 今のジェイデンは村屋敷を管理し、僕の稽古を付けに屋敷に来てくれているが、それ以外の時間はほとんど村で手伝いをしてくれてくれているようだった。僕が成人すれば、いずれは護衛や先生としての役割が彼の主な仕事になるが、今は村での仕事が主になってしまっていた。

 ジェイデンは落ち着いた物腰でゆっくりと目を細めた。

「ただ屋敷に住まわせていただくよりも、こうして身体を動かす方が性にあっているのでさせてもらっているだけです。気に病む必要はありませんよ。」
「…でも軍ではこんな仕事はしなかったでしょう?」
「そんなことはありません、地方の保護地区に行けば同じような事もしていました。」
「そうなんだ…。」
「村の人から直接お礼を言われる分、こちらの方が楽しいですよ。」

 ジェイデンは穏やかな調子でそう言った。
 彼はこの国の国防軍に所属をしていた元軍人だ。それだけではなく彼自身はかなり高い身分の家の出身者で、おそらく本来はこんな仕事をさせてはいけない人物だ。それでも彼は身分をひけらかすこともなく、村人からの頼まれ事を嫌な顔ひとつせずやってくれているようだった。
 彼はおしゃべりではなく、愛嬌があるタイプでもないが、穏やかな気性で良く働くので、村の人からもとても好かれていた。

「ジェイデンはすごいね。」
「ええ、本当に。ジェイデンが来てくれてから助かっていると村の方からよく聞きます。ありがとうございます。」
「ありがとうございます。」
「何か不自由があれば仰ってくださいね。」
「はい。」

 ジェイデンは静かに頷いた。


 しばらく僕たちはジェイデンから村の様子について話を聞いた。僕はその話を聞いて彼の姿勢に尊敬すると共に、一つの思いが芽生え始めていた。僕は意を決して口を開く。

「ジェイデン、…その、村のお手伝いって僕にもやらせてもらう事ってできないかな。」
「え?」
「僕、今領地の勉強をさせてもらっているんだ。…書類で見るだけじゃなくて実際にどんな風に皆が過ごしているのか知りたくて。」

 ジェイデンは驚いた表情をした。そして彼が答えるよりも先に隣に座っていたリノが口を開く。

「ティト、ジェイデンが頼まれるのは力仕事です。貴方が手伝っても迷惑になるだけですよ。」

 リノはぴしゃりとそう言った。彼はこの領地の事も僕の事も良く分かっている。興味本位で僕が口走っているならば互いのためにならないと判断したのだろう。彼の心配も良く分かる。僕は手綱を握りこまないように注意して、身体を向き直してリノと目を合わせた。

「今の僕が手伝っても迷惑になるのは分かってる。でもこのままずっと屋敷でリノやレヴィルに守られているだけの存在でいるのは嫌なんだ。ちゃんとこの領地の事も社会の事も肌で知って学びたい。」
「ジェイデンや村の迷惑になることが分かっていて、やりたいのですか。」
「…申し訳ないと思うけど…、やりたい。遊びでやりたい訳じゃないんだ。」

 リノはじっと僕を見た。僕がどういうつもりで言っているのか推し量っているようだった。こういう時のリノはいつもの優しいリノとは少し違う。彼はクローデル家の者として、この領地と家を守るための厳しさを持っていた。
 リノはしばらく榛色の瞳で僕を見つめた後、はぁ、とため息をつく。

「ジェイデンは…どう思いますか?」
「は、…そう、ですね…。」

 ジェイデンは少し考えこむような素振りを見せて、もう一度汗を拭った。

「……体力をつけるという意味では、稽古の一環として手伝ってもらっても良いかもしれません。この先も素振りだけでは飽きてしまうでしょうから。」
「でも…貴方の負担が大きくなりすぎませんか。」

 リノは心配そうにそう言った。ジェイデンはわずかに微笑む。

「使えない部下を動かす仕事には慣れています。」

「使えない。」

 率直にそう言われるのは初めてで呆然と復唱すると、リノがふっと吹き出して笑った。

「リノ…。」
「ふ、ふふ、っすみません。」
「あ、っいや!すみません。言葉の綾で…。」 

 自分の発言に気付いたジェイデンは焦ったように言葉を詰まらせた。

「いや…謝らないで、実際に僕はジェイデンが引き受けたどの部下よりも使えないと思うから…。」
「いや、そう言うこと言いたかったわけではないのです…っすみません…。」
「ふっ、ふふふっ。」

 リノは僕たちのやり取りにひとしきり笑った後、はあ、と息を吐いた。

「ジェイデンがそう言ってくれるなら、一度レヴィルに相談をしてみましょうか。」
「本当?」
「ええ、ジェイデンも構いませんか。」
「はい。」
「嬉しい…ありがとう。」

 僕が思わず顔を綻ばせるとリノは優しく微笑んで僕の頬を撫でた。僕はリノが僕の願いを認めてくれた事が何より嬉しかった。

「ジェイデン。」
「はい。」
「ティトは私たちが過保護にしすぎてしまって、知らないことが多いのです。申し訳ありませんが力を貸してください。」
「はい、喜んでお受けいたします。」
「ありがとう。」

 丁寧に頭を下げたリノと一緒に僕も頭を下げる。この件は一度持ち帰ってレヴィルに相談をした上で決めていくことになった。話がひと段落したところでジェイデンが時間を気にするような素振りを見せた。

「…お二人ともどちらかでお約束ではないのですか。時間は大丈夫ですか。」
「ええ、そうですね。ティトそろそろ行きましょうか。」
「うん。」
「今日はどちらに?」
「教会に来てくれた術師の方に会いに。」
「ああ、セレダですか。」

 ジェイデンは納得したように頷いた。

「知ってるの?」
「はい、2,3週間前から加護は彼がやっていますから。」
「そう、なんだ。」

 僕はあまり動揺を見せないように頷いた。

「ティト。」
「あ、うん。ジェイデンありがとう。」
「ええ、お気をつけて。」

 僕はジェイデンにもう一度お礼を言って馬車を出発させた。彼はもう一度帽子をとって礼をしてくれる。遠くで村人も同じように挨拶をしてくれていた。僕たちはそれに手を振って答えた。








 ジェイデンと別れて村に向かう道を走らせる。何となく落ち着かない様子の僕に気付いて、リノが首を傾げた。

「ティト?どうかしましたか。」
「あ…うん……、ジェイデンは教会に通ってるのかなって思って、びっくりしちゃった。」

 先ほどジェイデンが言っていた加護というのは、エバがアデルの精子を体内にもらい受けるという意味だ。その加護を与える仕事を最近は術師がやっていることを彼は知っている。つまり、彼はきっと子種を貰いに教会に通っているのだと僕は思った。
 リノは少し考えるような仕草をした後、口を開く。

「…狭い村ですから、彼が加護を受けているから知っているとは限りませんよ。」
「あ、そうか…。」
「ティト、エバが教会に通っているかどうかを聞くのは失礼なことですから、思っても誰かの前で口に出してはだめですからね。」
「うん、ごめん。」
「いいえ、私には聞いても大丈夫ですから、少しずつ覚えていきましょう。」
「…うん。」

 僕はそわそわとしながら、口を開く。

「その…もし嫌だったら答えないでいいんだけど……リノは…教会で加護を受けたことはある?」
「いいえ、ありません。私は成人前から貴方に嫁ぐことが決まっていましたから。」
「そうか…。」
「気になりますか?」
「うん…加護ってどんな感じなんだろう。」
「そうですね、教会でちゃんと教えてもらいましょう。」
「うん…。」

 どうしてもそわそわと落ち着かない僕を宥めるように、リノは僕の背中にトンと触れた。

 身近な人で教会に通っているかもしれない人が居る事を知って、いよいよ現実なのだと思えてくる。教会に向かう道中、僕は何となくジェイデンの事が頭から離れなくなっていた。
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