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第14話

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「健人――っ!!!」
「大吾?」

声のほうを振り返ると、課長以下第七係のメンバーが竹藪をかき分けてやってきた。

「大丈夫か、傷だらけじゃないか。何があったんだ?」
「薫子さん、和久井さん、課長まで……どうしてここへ?」
「アンタのスマホのGPSをたどってきたんだけど、ふもとの入り口で途切れちゃってさ。途方に暮れていたら、あの着物のイケメンが連れてきてくれたの」

薫子が犬君を指さす。
健人は犬君を睨みつけるが、犬君は視線を合わせぬよう明後日の方向を向いた。
仕方ない、今はそんなことにかまっている場合ではない。

「東の建物に白羽の矢にさらわれた人たちがいます。病院へ運びますから手伝ってください」
「わかった」

和久井と瀬尾、薫子は中へ向かった。
ふらつく健人に大吾が手を貸そうとする。

「大吾、俺は平気だから」
「でも」
「菜摘もいる、行ってやってくれ」
「あ、ああ」

大吾は脱兎のごとく駆け出した。
よろける健人を空蝉が抱える。急激に痛みが襲ってきた。息をするだけで激痛が走る。ろっ骨が折れているかもしれない。

「お座りください、ただいま手当いたします」

駆け付けた玉鬘が傷口に手を当てる。すこしずつ傷がふさがってゆく。

「熊童子は?」
「なんともありやしませんよ」

寝転がったまま熊童子が応えた。


空蝉の肩を借りて健人は東の対に戻った。
玉鬘と御法による治癒はあらかた終わったようだ。
意識を取り戻した菜摘は、大吾の腕の中で泣きじゃくっていた。
大吾は菜摘の髪と背中を優しく何度も撫でている。

薫子は姉の沙也加に付き添っていた。

「姉さん、聞こえる?目を覚まして」

頬や腕をさすると、青ざめた肌に少しずつ赤みが戻ってきた。
ゆっくりと瞼が開く。

「姉さん、私よ、薫子、わかる?」
「あれ、薫子ちゃん、大人っぽくなってる」
「私もう26歳だよ、沙也加姉さんより年上になっちゃったよ」

薫子は泣き笑いする。


和久井と瀬尾は瀬尾の妻の姿を探していた。 
御法がその前を飛び跳ねながら横切る。

「ああっ!」

和久井のわずかに残った記憶にある、黒い着物のおかっぱの女童。

「そこのお嬢ちゃん、このお兄さんに会ったことない?」

和久井が自分を指さす。
御法も思い出したのか、あっという顔をする。
御法の話によると、黒星丸はさらってきた人間から少しずつ時間をかけて生気を吸い取り、すべてを吸い尽くした亡骸は庭園の池に捨てていた。
ただ、魂にも味があるらしく、気に入らないものはさらってもすぐに廃棄していた。
御法は、黒星丸の目を盗み、生気の残っている人間をこっそり引き上げると、白羽の矢を抜き、傷を癒し、わずかな結界のほころびから現世に投げ返していた。
和久井を含む帰還者たちはコレに当たるらしい。

「お嬢ちゃんは俺の命の恩人だよ。どれだけ感謝してもしつくせない」

ありがとうと女童に頭を下げる。

「しかし、俺って不味かったのか……。嬉しいような悲しいような」

瀬尾が尋ねる。

「君はずっとここにいたのか?」

御法はうなずく。

「私の妻を知らないかな。名前は綾子、18年前にさらわれた。」

御法は首を振る。
さらわれた人間が持ちこたえられるのはどんなに長くても10年だという。おそらく瀬尾の妻は亡くなっているだろう。


生存者をすべて結解の外に運び出し終わり、和久井が警視庁へ搬送の応援要請をしていた。
まもなく救急車や警察車両がたくさん来るだろう、必要以上の騒ぎにならぬよう、鬼神たちでいったん内側から結界を閉じることになった。

熊童子が言う。

「時任様、いえ健人様、あなたはもうお行きください」
「え?」
「われわれは後始末のためしばらくここにとどまります」

庭園の池には犠牲になった人々が何人も沈んでいる。なかにはもう親族が死に絶え、帰るところのない者もいるだろう。その者たちを池から引き揚げ、菩提を弔うという。

「それなら俺も」
「なりませぬ。黒星丸を倒すことは時任様の検非違使としてのお役目でした。しかし、健人様には今生での使命がおありでしょう」

刑事としてやるべきこと、生き延びた人たちを無事に家族のもとへ帰すこと。

「そうでした。熊童子、あとはよろしくお願いします」


健人が第七係のメンバーに声をかける。

「みなさん、外にでましょう」
「私はここに残りたい」
「課長?」
「私の妻はもう亡くなっているだろう。なら、せめて骨だけでも連れて帰りたいんだ。彼らを手伝わせてくれないか?」
「しかし、ここは危険です」

結界の中は、黒星丸の亡骸から漏れ出した瘴気がわずかではあるが漂い始めている。
鬼神たちには影響ないが、人間にはとっては猛毒であり、長時間さらされていれば心も体も蝕まれてしまう。
御法が健人の袖をくいくいと引っ張る。

「くるしくなったら妾がなおしてあげる。人間もすこしなら居られる」
「御法……」
「時任様、おねがい」

瀬尾を見る。瀬尾の決心も固いようだ。

「わかりました。課長、くれぐれも無理なさらないでください」
「ありがとう」
「御法、課長のこと頼みましたよ」

頭を撫でられ御法はにっこり微笑んだ。


「健人様」
「玉鬘、あなたには助けられました、ありがとう」
「お礼など……。短い間でしたが、健人様とご一緒出来て嬉しゅうございました」
「お願いがあります」
「はい、何でしょうか」
「全て終わったら俺のところに来てくれませんか?」
「えっ……?」
「その、もちろん、あなたがよかったら、ですけど」

玉鬘の瞳が潤んだ。

「ああ、泣かないでください」
「申し訳ありません、妾、健人様にお会いしてから泣いてばかりですね」
「1年でも2年でも待っていますから」
「はい、かならず参ります」

着物の袖で涙を拭いながら微笑む。美しい笑顔だった。

そして、鬼神たちにより結界がとじられた。
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