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48.さよなら、スツール

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 Aが出勤すると、フロアの方から何やら人の気配がした。明らかにヴォルテールの従業員の人数よりも多い。
 何事かと着いたその足でフロアへ向かうと、セラフィムが作業着の男たち数人に指示を出しているようだった。彼らは円陣を組むように何かを取り囲んでいる。

「何してんの」

 ひょいと輪を破り、中央を覗き込むとそこにはスツールがいた。いつもの椅子の恰好だ。スツール自身も訳が分からず戸惑いを隠せない様子だった。
 見知らぬ男たちに取り囲まれて、マスク一枚の身の上では心もとないに決まっている。
 Aは面食らって、セラフィムを見た。

「マジで何してんの……」
「今夜の吊り篭市の椅子として連れていくんだよ。
 彼らは会場まで運んでくれる業者」

 事もなげに言うセラフィムは、いつもよりヒールの高い靴を履き、黒地に金の装飾をあしらった服装だ。おまけにハンドルが銀で覆われたステッキまで持っている。

「お前、ちゃんとお客様に奉仕しろよ。
 いつでも僕のブランドロゴが見えるように、お行儀良くね」

 そう言ってセラフィムはステッキの先端で、スツールの太ももに入れられた焼き印を突いた。
 釣り篭市の客に自分の家具の出来をアピールしろ、というご命令らしい。不安そうだったスツールが俄かに表情を引き締めた。
 健気なことだ。Aはスツールに同情した。

「Aも別の服に着替えなよ。釣り篭市では白っぽい服は野暮だから。
 せっかくだから双子コーデにしようぜ」
「ぜーったいヤダ」

 白い太ももがむき出しになったショートパンツを見て、Aは思い切り顔を顰めた。



 釣り篭市はてっきり一等区でやるものと思っていたが、意外にも会場は三等区だった。それも未開発地区だ。車で向かいながら、今にも道路に野生動物が飛び出してこないか心配になるくらいだった。

 やがて車は大きな門の前に辿り着いた。
 闇の中、ふたりの男が番をしている。
 セラフィムはウィンドウを下げ、男たちに片手をかざして見せる。いつもはしていない、厳ついリングが嵌まっていた。

「屋敷まで車でどうぞ」

 リングの刻印を確認すると、男たちは鉄の門を左右に開いた。
 道なりを走らせていれば、間もなく灰色の屋敷が見えてきた。母屋といくつかの棟に別れている。周囲には何台もの車が停められており、Aとセラフィムは遅れてやってきたらしいことが分かった。

 屋敷に入ると、ドア付近で男が客あしらいをしていた。着ていたコートを預ける。
 何度か来たことがあるのか、セラフィムは迷わず進んでいく。それについていきながらAはため息を零した。

「凄いな」

 サロンにと提供された館も立派だったが、それ以上だ。屋敷と呼ぶより城が相応しい規模の広さだった。それでいて、どこもかしこも使用人に手抜かりなく磨かせているのが見て取れる。

「本番はここからだろ」

 揶揄うような笑みを含んでセラフィムがAを振り返る。
 地下へ続く階段は、筒の内側を下れるようにらせん状になっていた。天井、つまり一階の床から何本もの鎖が階下へ向かって伸びている。鎖の先端に篭を吊るためのフックが付いているようだ。
 地下は全て石造りで出来ていた。貴族趣味を凝らした階上とはまるで大違いで、地下牢という言葉がしっくりくる。

「うわ、」

 階段を下る途中、人間サイズの鳥篭の中の奴隷と眼が合った。金髪碧眼の綺麗な顔が本気の怯えで歪んでいる。当然のように服を着ていない。

「欲しいのがあれば買いなよ」
「冗談だろ……」

 パブで酒を奢るのと同じレベルで言われて、Aは頭がクラクラした。最近、なんだかんだ彼らと馴れあっていたせいもあって、かなり常識が歪んできたとは思っていたが、さすがに刺激が強すぎる。
 レッドライト地区育ちのAでも、これほど露骨な人身売買の現場は初めてだ。

 Aとセラフィムはやっと階段を登り終えた。
 宙を見上げると、二十を超える鳥篭が天井からぶら下がっている。薄暗く光源が乏しいので、白い人間の肌がぼんやりと宙に浮いて見えた。
 背の高い男なら、見上げて三十センチのところに鳥篭の底があることになる。しかも底は一枚の鉄板ではなく、編み目状になっているから、全裸の奴隷の下半身が丸見えだ。

「チーフをTVホールドにしてるのがいるだろ? あいつらに声を掛ければ、篭を下げてくれるから。
 それじゃ、何人か挨拶してくる」
「えっ、ひとりにすんなよ、」

 セラフィムはいたずらっぽく笑い声を残して、すぐに人込みに紛れてしまった。灰色のレンガを詰んだ壁に据えられた松明しか光源がないので、人を掻き分けて探すのもムリそうだ。
 案内役を失ってAは途端に不安になってきた。
 客はそれぞれ顔見知りと話をしたり、ステッキで鳥篭を突きまわして奴隷の検分をしている。それほど人見知りというわけではないが、あまりにも接点がない人種ばかりだ。

 大体、パトロンを捕まえようと言うのに、セラフィムがいないのでは話にならないではないか。
 心許無い気持ちで壁際の目立たない位置に陣取る。
 ぼんやり会場の中央に視線をやると、脂ぎった中年の男が鳥篭を下ろさせて、奴隷の容貌を確認しているところだった。
 Aの生まれでは、どうしたって奴隷を買う側より、買われる側に感情移入してしまい辟易する。

 頭上から可憐な啜り泣きが聞こえてくる。篭の形状もあって、本当に小鳥のようだ。
 彼もシュゼーのことを小夜啼鳥と呼んでいた。

 そんなことを思い出していると、Aの目の前に黄金色のグラスがかざされた。
 グラスの脚を摘まむ指から肩へと視線を移動させていくと、なんでこんな人身売買の場にと思うような、毛並みの良さそうな青年の顔に行きついた。ふたつ持ったグラスのうち、ひとつをAに差し出している。

「隣、宜しいですか」
「……はあ」

 Aはグラスを受け取った。舌先で舐めて、ケミカル臭がしないのを確認する。ドラッグは入ってなさそうだ。

「えーと、今日は何かお買い求めで?」

 つい客ではなく、商売人の立場で物を言ってしまった。習い性だ。
 青年はそれを下手なジョークだと受け取ったらしい。場に似合わない快活な笑い声をあげる。

「生体家具を試したくて。
 あなたは?」
「……知人の付き添いです。
 家具はどうでした?」
「ゴレロワの作品を見ましたが、素晴らしい出来でした。後で譲って頂けないか尋ねてみるつもりです」
「え、」

 セラフィムの名前を出していいものか迷ったAだったが、先に青年の口からそれが出た。おまけにスツールを買いたいと言う。
 Aは内心焦った。セラフィムはあの性格だ。スツールを惜しまない可能性はゼロではない。けれどスツールがセラフィムから離れることを喜ぶ筈がないのだ。

 グラスのシャンパンに口を付ける。
 舌を叩く炭酸が、スミスがパトロンになってくれた夜にスツールとひっそりお祝いした記憶が蘇らせた。一緒に祝ってくれて嬉しかった。

「それは、止めた方が」
「なぜです?」

 小さく否定した声を、青年は聞き逃さなかったらしい。Aに覆い被さるようにして距離を詰めてくる。今や吐息が混じろうかというくらいだ。

「いいえ。お譲りしますよ」

 凛とした声が、妙に縮まったAと青年を引き剥がした。
 カッ、とステッキが石畳を打つ音が響く。

 セラフィムだった。
 非日常的なシチュエーションで見る彼の存在感は、いつにも増して水際立っていた。背後に鳥篭に入れられた全裸の人間がいようが、全く問題ではなかった。ともすればコスプレじみた衣装すら、その世界の住人である証拠のように思えて、視線が逸らせない。

 青年もそうだったらしい。おもむろに差し出されたセラフィムの指に嵌められたリングに口付ける。マエストロに対する敬意を評したつもりなのだろう。
 雰囲気に飲まれていたAは我に返った。それから、喘ぐようにして抵抗をする。

「スツールが悲しむ」
「なぜ?」

 セラフィムは口付けを受けたまま蠱惑的な笑みを浮かべ、Aと視線を合わせた。まるで洗脳しようとたくらんでいるかのような眼差しだ。

「Aはまだ知らないだけだ。
 これが所有されるものの醍醐味さ。
 スツールは僕の所有物。だからこそ、他人にくれてやることができる。スツールの主人があれ・・自身なら、そんなことはできないからね。
 そしてスツールは僕に所有されることを望んだんだ」

 詭弁だ。
 いずれ他人の手に渡ることを大前提に、スツールが所有物になることを望んだ筈がない。
 しかし、けれど。
 Aは躊躇った。

 ……目の前で行われているこれは、がAにセラフィムを譲り渡そうとしていることと少しも違わない。

「……セラフィムは、自分の所有者がいきなり変わったら、どう思う?」
「嬉しいよ」

 思いがけない返事だった。虚勢でないのを肌で感じ取れるくらい、迷いがなかった。

「僕はね、出来るだけ早くロザリア・ランバルド、世界一美しいミイラになりたいんだ。
 誰かの所有物になって、人から人へ渡って棺の中で愛されたい」

 そこでセラフィムは言葉を切った。
 視線を青年へと向ける。

「私の家具作りへの精神はここから来ています。どの家具もいずれ人様の家財となる我が身と思い、些かの妥協もしておりません。
 上でお話されますか?」

 セラフィムの誘いに、青年は喜んでエスコートを申し出る。
 Aは引き留めようと反射的に手を伸ばしたが、空気を掴むばかりだった。
 明らかにセラフィムは言葉にしていない部分があった。

 ──ロザリアの歳はとっくに過ぎてしまったけど。

 セラフィムは美しいが、それは加齢によって衰退する種類の美しさだ。
 が、あと二年もすれば恨むようになると言ったのも、そういう理由からかもしれない。パパが生きているうちに子が死ねる道理はない。
 物思いに耽るAに、再び声が掛かった。

「Aじゃないか。君とここで会うなんて」
「ヴェルナー!」

 思わぬ顔にAも驚いた。
 前に会った時はレッドライト地区のパブで、身なりも荒んだ様子だった。今日は顔色こそ優れないものの、立派な紳士然としている。初めて会ったときはちゃんとした一等区民だったのに、すっかり本来の姿を忘れてしまっていた。

「パーティでもあるのか?」
「いや、今日は奴隷を買いにね」
「あんたが?」

 Aは真贋の疑わしい骨董品を睨むように、ヴェルナーを見てしまう。彼は二性こそないが正真正銘のマゾヒストだ。それも思いっきり我が儘で、ヴォルテールのDomたちに嫌われるタイプ。
 ヴェルナーは子供じみた仕草でムっと唇を突き出した。

「僕だってたまにはS役をやりたい日もあるさ」
「たまのお楽しみで人間ひとり買えちゃうんだから、金のある御仁は羨ましいよ。
 俺なんかパトロン探しだ」
「……ふぅん。それはそれは」

 別にヴェルナーにパトロンになって欲しいと思ってのことではなかったが、意外にも興味を持ったらしい返事をされた。
 このままヴェルナーとの接点を作るのは拙い。
 Aは話柄を変えることにした。

「それより、前に話してた水晶の夕餉を囲む会の余興のネタは見つかった?」
「うん。見つかった」 

 ヴェルナーがにっこりと破顔する。
 それにAもほっとした。
 と、手首に鋭い痛みが走る。
 視線を下げると、細い注射の針が刺さっている。冗談だろ、と視線を戻そうとした瞬間、膝が崩れた。
 倒れないよう、ヴェルナーがAを支えた。

「今日の奴隷はあまり良くなくてね。
 だから君にするよ。何より君は優しいから」

 光が窄まっていく間際、そんな声が聞こえた。
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