Sub専門風俗店「キャバレー・ヴォルテール」

アル中お燗

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26.スコティッシュホールドの星を目指そうよ

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 ヴォルテールの事務所は狭い。レスターの機嫌が悪いときは、もっと狭い。
 Aはちゃちな事務椅子の上で小さくなっていた。両手を拳に握り、膝の上に行儀よく乗せている。いつ拳骨が降ってきても良いように、頭を下げたまま固定させる。レスターが素手で殴ってくるイメージは全くないが、なんとなくそうなってしまう。

「どうしてEなんですか」

 レスターはAの前に立ち、両腕を組んだ。こめかみに青い筋が浮いている。肌が白いので余計に目立つ。
 Eに鞭打ちされたのは、二日前のことだ。それは、いたくレスターの機嫌を損ねたらしい。

 二日前、彼はひと目で、Aが鞭の方の処女を喪ったことに気づいたらしい。が、さすがに処女喪失の当日に糾弾するのは憚られ、我慢したのだと謎のアピールをする。

 Aは独特のモラルに窮した。

「私の方が巧いのに、どうしてですか」
「…………流れ、かな……?」
「そんな、はしたない理由で……」

 レスターは嘆かわしげに項垂れ、よろめいて片手をデスクに付いた。
 よく分からないが、レスターがAを鞭打ちしたかったことだけは理解した。しかし、彼との間にそんな約束を交わしたわけではないので、今になって咎められても困ってしまう。

「Eなら首絞めでも水責めでも良いじゃないですか。どうして鞭なんでしょう。嫌がらせでしょうか。はあ。本当に相性が悪い」

 本気で悔しがっているらしい。Eに対する不満が露骨に声に現れている。
 Aは首絞めも水責めもガチの拷問じゃないか、と思ったが、下手につつくと藪蛇になりそうで黙っていた。鞭で打たれた尻が痛いので、あまり座りっぱなしでいたくないのだ。

 それにしても、やはりレスターはEと相性が悪いのを分かっていたようだ。
 どうやらレスターはトップを影から操りたいタイプのようだし、対するEはゴリゴリのワンマンだ。自己主張の殴り合いになるのは目に見えている。

「ですが、先生もこんな思いをした筈です。気を取り直してプログラムを進行しなければ」

 自分に言い聞かせるための独り言を終えると、レスターは仮面を被るかのように、いつもの鉄面皮になった。心なしか背筋まで伸びている。

「さて、誰が貞操帯の鍵を管理するかの話ですが」

 寝耳に水だった。
 驚きのあまり、Aは椅子の上で棒で殴られた野良犬のように跳ねる。

「次!? 次って、聞いてないぞ?!」
「言う必要がないので、言わなかったまで。
 Eにお願いする予定でしたが、気が変わりました。私がやります」

 口に苦虫を十匹詰め込まれた気分だ。
 少しくらい抵抗の意思を見せなくては、とAの克己心が疼いた。 こいつは自分の思い通りに物事を進めすぎる。
 レスターのピンクがかった瞳を睨みつけた。なるべくキッパリと、押し売りを追い返す調子になるよう、腹に力を籠める。

「あのな、なんでもかんでも事後承諾にするの、止めてくれ。
 貞操帯のこともだけど、Nにレビューのこと教えたろ」
「彼、気に入ってたでしょう」

 Aは頭を掻きむしった。話の噛み合わなさが気持ち悪い。

「そうじゃなくて! 話し合って、俺とお前で決めようって言ってるんだよ!」
「あなたから建設的な意見が出てくるとは、
 ──ああ。なるほど。こういう態度が、あなたの人格形成の枷になっているわけですね。
 大変失礼を致しました。あなたの意見を尊重しましょう。鍵の所有権について、ご希望がおありですか?」

 レスターが少しだけ優しさとか妥協みたいなものを見せた。
 人の心を持たないAIが、少しだけその糸口を掴んだ瞬間みたいだった。

 なんだか真面目に怒るのが面倒になってきた。
 Aの身体から、レスターへの不満がしゅるしゅると抜けていく。

「……貞操帯自体を止めたいんだけど?」
「許諾致しかねます。
 大変残念なお知らせになりますが、Aには性的魅力が足りていません。
 あなたに理解できるよう申し上げるなら、エッチじゃない、そそられない、枯れてる、ということになります。パトロンから金を引っ張れるとは思えません。
 スコティシュホールドとチベットスナギツネが財布をさぐってきたら、どちらに投資しますか? 当然、スコティシュホールドですね?」

 前半ひどい罵倒を受けた気がするが、Aは眉根を寄せた。

「ごめん、スコ? とか、なんとかギツネのこと知らない」
「それは失礼」

 レスターがスマホで二匹の動物を見せる。

「なるほど!!」

 Aはパアっと晴れやかな笑顔で納得した。

「ということは、貞操帯付けてれば、シラケきった顔のキツネから、こっちのネコに進化するってことだな!?」
「もちろんです! 世界で一番あざと可愛いスコティシュホールドになれます!」

 興奮するAの隣で、レスターが拳を握り太鼓判を押す。
 Aとレスターは和解し合ったような雰囲気になった。

「ふたりとも、何をバカ言ってるんです」

 クレハドールが呆れた顔で事務所に入ってきた。手に封筒を持っている。
 見慣れた封筒だ。売春組合のマークがついている。

「ここにサインを下さい。
 お使いの方を待たせてるので、早くお願いします」

 急かされて、ジャケットの内ポケットからペンを取り出すと、クレハドールが嬉しそうに顔を綻ばせた。

「嬉しいな。ちゃんとお揃いのを使ってくれてるんですね」

 彼は自分のポケットからもペンを出して見せる。
 レスターが下品なデザインに物言いたそうな顔をしたのに気づき、Aは手早くサインした。やっとレスターのご機嫌が良くなってきたのだ。説教常連のクレハドールにはさっさと退場してもらわなくては困る。

「鍵だけど、レスターに任せるよ。いいだろ?」

 クレハドールの背を押して事務所から出て行かせながら、そう尋ねる。
 彼は「まあ、いいでしょう」と、どちらへの回答とも取れるふうに、両腕を背後に組んだ。
 ご機嫌の方はそこまで悪化していなさそうだ。
 Aは慎重に上目遣いで窺ってから、話を切り出した。

「あのさ、前から気になってたんだけど、なんでそこまで俺にいろいろしてくれんの? スペルチェックとか細かいことまで。
 もしかして、共同経営者先生と関係ある?」

 ジロ、と特徴的な眼がAを捉える。
 改めて真面目な顔で見られると、否応に背が伸びる。まだ何も言われないうちからミスをしてしまったのかと思い込んでしまう。
 レスターは自分の中で張り詰めた空気を吐き出すように、息を漏らした。きつい印象のある眉が、僅かに和む。

「まあいいでしょう。
 クレハドールからロワッシィのことを聞かされましたね? 口止めしていたのですが。
 私はロワッシィで調教師をしていました」

 それからレスターは、セラフィム、ヴィクトル、クレハドールもそうだったと告げた。もっとも、クレハドールはまだ見習いだったとも。
 四人は共同経営者の手で、奴隷をやり、その過程で奴隷の扱い方を覚え、調教師として育てられた。

「私は先生から才能がないと言われましてね。実際、よくお叱りを受けました。ですが先生は私を最後まで育て上げ、デビューさせてくださった。
 私は先生を愛しています。あの方と同じ視点で物を見たいのです。その為には、あの時の先生のご苦労を知るべきだと考えています」
「…………」

 Aは咄嗟に返事ができなかった。
 話している間、レスターの舌のピアスがチラチラと光った。奴隷という呼称はただのロールプレイ上の役割ではないのを物語っている。
 レスターは不意に横を向いた。俄かに赤面していた。

「話し過ぎました」

 Aはさらに信じがたいものを見たような気持ちになって、その横顔を見つめた。
 彼の口から愛という言葉が出てくるとは、予想外だった。確かにレスターからは共同経営者に対する信仰や執着を感じていたが、愛という情熱に集約されるとは思ってもみなかった。

「いや、うん。話してくれて嬉しい」

 Aは神妙に頷く。
 Eもだが、レスターもまた、特別な人の話をするとき、いつもとは違う表情になるのだと知った。

「……この話はもう止めましょう。
 そうでした、組合からの手紙はなんでした?」

 レスターはAからの視線を遮断するように片手をこちらに翳す。あまりじろじろ見ては、かえって気の毒になるような、初心な少女のような恥じらいぶりだ。
 Aはなんだか自分まで気恥ずかしくなってきて、慌てて手紙の封を切った。

『愛する子ネズミちゃん。ご機嫌いかがかしら。
 サロンの件、順調だと嬉しいわ。
 ところで、あなたの店の金髪の子。少し派手に遊ばせすぎではないかしら。マダム・グリュデが困っているわ。
 よその子のことに口出しはしたくないけれど、ロベリアが忙しくなりそうなのよ。今は面倒を起こさないで欲しいの。あなたならすぐに対処してくれると信じているわ。
 ヴァイオレットよりXOXOXO』

 金髪の子。セラフィムかクレハドールだろう。セラフィムがこの街で遊ぶわけがないから、消去法的にクレハドールということになる。

「A?」
「あ、ああ。
 売春組合の会報だった。三軒先の店の子が妊娠したから、祝儀を包めって」

 声を掛けられて、Aは咄嗟にウソを吐いた。
 不自然にならない程度の早さで手紙を折ってしまう。Nのことを諦めさせられて、ヤケになっているのだろうか。もしそうなら、素行不良でレスターに怒られるのは気の毒だと思ったのだ。
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