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21巻
21-2
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「やらせるかぁあ!」
姉を案ずる気持ちが終焉竜への殺意に変換され、アレキサンダーの喉の奥から銀色の光が溢れる。
首筋に食らいついたまま全力のブレスを放射して、終焉竜に少しでも傷を負わせるか、あるいはその尾の動きを阻害しようと狙っての行為だ。
しかし、終焉竜の動きに乱れは生じなかった。
終焉竜の三本の尾の内の一本がヴリトラの頭部を、もう一本が下半身を砕くべく、灰色の三日月の軌跡を描いて襲い掛かる。
ヴリトラは体内を蹂躙する衝撃と苦痛に苛まれながらも、このままでは迫りくる二本の尾を回避する事が出来ないと、冷静に分析していた。
(こりゃまずいや。痛みで完全に翼が止まっちゃった。再生は出来るだろうけれど、上半身くらいしか残りそうにないな。流石にそれは嫌だなあ……)
ここまで心中で思考を進めてから、ヴリトラは血反吐を撒き散らしながら叫んだ。
「ごめん、任せた!」
「ほ~い」
この場には似つかわしくない呑気な声と共に乱入した何者かが、ヴリトラの頭部を狙う尾に横合いから体を叩きつけて軌道を逸らした。
助けに入ったのは、紫色の鱗を持つ目を閉ざした竜――残る七竜の内の一柱、ヒュペリオンである。
始祖竜の尾から誕生したヒュペリオンが自分の体を鞭のようにしならせて体当たりし、どうにか一本の尾を弾くのに成功した。ドランに倍する巨体の終焉竜だが、その尻尾一本の軌道をずらす程度なら可能だった。
一方、残るもう一本の尾はこの時、まるで見えない針で縫い付けられたように動きを止めていた。
そればかりか、終焉竜の首筋に噛みついていたアレキサンダーとヴリトラ、ヒュペリオンの姿が消え、いつの間にかドランとリヴァイアサンの傍らに移動している。
既にバハムートもドランらの隣に動いていたが、こちらは自ら移動した結果であり、他者によって移動させられたアレキサンダー達とは事情が異なる。
この御業をなしたのは、始原の七竜最後の一柱――六つの頭に一つずつ眼を持つ異形の古神竜。
ドラン達のさらに後方に姿を見せたその者の名を、終焉竜が口にする。
「〝涯と頂を見通す〟ヨルムンガンドか……」
終焉竜の尾を止めたのも、アレキサンダー達を移動させたのもヨルムンガンドの瞳に秘められた力による。
ヨルムンガンドは六つの竜眼によって尾を強制的に拘束し、同時にヴリトラ、ヒュペリオン、アレキサンダーの姿をドラン達の傍らに幻視する事によって、彼らの位置を入れ替えて瞬間移動させたのだ。
本来なら存在しない対象を、幻視する事によって存在を確定させる。〝眼〟に由来する異能の中でも最上位に位置する能力の一つだが、ヨルムンガンドはその使い手としても頂点に立つ。
「なるほど……これで始祖竜の頭、眼、牙、四肢、翼、尾、心臓、そして心が集ったな。予定通り、始祖竜の残像を消し去る絶好の機の巡りに、我ら――否、我は浮き立つかのような気持ちだよ」
ドランの一撃も、バハムートの黒炎も、アレキサンダーの牙も、ヴリトラの爪も、ヒュペリオンの体当たりも、全てを無防備に受けた終焉竜だが、その体に負傷は見受けられない。
ひょっとしたら体内に苦痛の蓄積があるかもしれない、と期待するのはあまりに希望的観測が過ぎるだろう。
ヴリトラは砕けた鱗と骨、破れた内臓や血管の修復を終えて、救い主である二柱に顔を向ける。
「いたたたた、ありがとう、ヒュペリオン、ヨルムンガンド。いやあ、速さで負けるなんて、初めてだなあ」
彼女は口元を濡らす血をペロリと舐め上げて、悔しさが三分の一、残る三分の二にワクワクドキドキとした興奮が含まれる声を出す。
「礼は不要。しかし同胞よ、お互いに無傷とはいえ、あちらはもとより傷一つないが故の無傷。我らは受けた傷を癒し終えての無傷。結果は同じでも、過程は雲泥の差と言えよう。過酷なる戦いだ」
ヨルムンガンドの声音は徹頭徹尾厳しく、冷たく、険しいものだが、ヒュペリオンはその反対で変わらずポワポワとした声で応える。
「あっちとこっちの体格差もあるけれど、ぶつかってみて完全に力負けしちゃったなあ。尻尾で叩き合いをしたら、こっちの尻尾が付け根から引きちぎれちゃいそうだよ」
直接接触して攻撃をするなら気を付けてね、という意味なのだが、その呑気さがアレキサンダーの癇に障ったらしい。
顎の具合を触って確かめていた彼女が、言葉の牙でヒュペリオンに噛みつく。まだまだ元気いっぱいの様子だ。
「呑気な声で物騒な事を言うな! はん、自分の力だけで勝てぬのは腹立たしいが、私達始原の七竜が揃って滅ぼせない存在などあるものか!」
アレキサンダーは単独では滅ぼせないと悔しがりながらも、気炎万丈といった調子で全身に力を漲らせる。その姿は、終焉竜の力を直に感じて眦を険しくしている他の六竜に、さらなる奮起を促す格好の材料だった。
僅かな戦闘の間に得られた情報を分析していたバハムートが、末の妹の強がりに一瞬笑みを零すが、即座に厳粛な面持ちへと戻って終焉竜を見据える。
この場に居るどの始原の七竜よりもはるかに巨大な格上の敵を。
「アレキサンダーの闘志を見習わねばならんか。さて、我らがこうして肩を並べて同じ敵と戦うなど、初めての事態。理由と内容を別にすれば、喜ばしき兄弟の共同作業だ。油断も慢心もならん。我らの力でも足りまい。霊魂と血肉の全てからあらん限りの力を絞りつくせよ、我が弟と妹達よ」
それに応えるリヴァイアサンは眦を吊り上げて怒りを滲ませており、普段の温厚な様子はすっかり鳴りを潜めている。
「言われるまでもないぞ、バハムート。妾も初めて鱗を砕かれたのは新鮮な驚きではあるが……思った以上に腹が立っておる。あやつの鱗という鱗を砕いてやらねば腹の虫がおさまらぬのう」
「終焉竜なんて大層な名前を名乗られちゃったら、ボク達もやる気を出さないわけにはいかないもんね!」
ヴリトラは、もう捕まらないぞ、とばかりに小刻みに翼を動かして、さらに速度を求めようとしている。
誰かに遅いと言われたのは彼女にとって生まれて初めての経験だ。それはヴリトラの挑戦心に火をつけると同時に、彼女にこの上ない屈辱を味わわせていた。
「ふん、今度こそ首を噛みちぎってやる」
アレキサンダーは鼻を鳴らし、牙を剥き出しにして息を巻く。
そんな中、かつてない緊張感に満ちているドランがヨルムンガンドに声を掛けた。
「ヨルムンガンド」
「どうした、ドラン。あまり悠長に話す余裕はないぞ」
「分かっている。だが、確かめておかねばならん。私の転生に際して、終焉竜は私の力の大部分を奪い、今や完全に使いこなしている。元となった六柱の邪神共も、カラヴィスやマイラールに並ぶ大神だ。この時に至るまで力を蓄え続けてもいただろう。……しかし、それにしても強すぎはしないか? 私単独を上回るだけならばまだあり得る。だが、バハムート達の猛攻を受けて無傷で済む程の強さを得るのはあり得ん。私であろうともあれだけの攻撃を受け続ければ、再生が追いつかず、五体無事とはいかん。君の〝眼〟で何か分からんか?」
ドランに問われたヨルムンガンドが、重々しく口を開く。
「……君の生きている世界の時間で十七年前になる」
「ふむ」
「私の眼をもってしても錯覚かと思うようなごく僅かな変化が、原初の混沌に生じた。新たな神が生まれても、新たな世界が形作られても、大きく減る事のなかった混沌の領域が、その時不自然に減ったように見えた。しかしそれも瞬き一つの間に元通りになった為、見間違えただけかとも思ったが……」
「君が原初の混沌を見ている時間が増えたと、以前、竜界を訪れた時に耳にした。見間違いとは断じずに、監視し続けていたわけか」
「だが気付くのが遅すぎた。奴はこれまでの間に相当量の原初の混沌を侵食し、同化し、取り込んでいる。同化した部分を擬態し、私の眼をも欺いていた。六柱の邪神達が自らの滅びを我々や神々からも欺瞞したように、力を蓄える方法もまた完全に隠蔽してのけたのだ。始祖竜の眼から生まれた者としては、ただただ恥じ入るばかりだ。終焉竜は六柱の邪神、君の力、そして大量の原初の混沌の集合体だ。だが、それでもアレの強さには理解の及ばぬ点がある」
つまるところ、ヨルムンガンドにも終焉竜の〝不可解な強さ〟の理由が完全には分からないという事だ。
両者はただ、アレが始原の七竜達からしても格上だと改めて確認し合っただけだった。このような状況でなかったなら、始原の七竜の二柱が、自分達よりも格上だと認めた事実だけで世の神々が絶望する事実である。
「ふむ……全てを解明出来なくとも、強さの理由が分かれば多少の手立てはある。奴の力の一端が私から奪った力であるのなら――」
ドランが、悠然と構えてこちらの動きを待っているような終焉竜へ右腕を向けると、直後、彼の指先から肘に至るまでがあっという間に灰色に染まった。
ドランは予めそうなると分かっていた様子で、すぐさま変色した右肘から先を左手で引きちぎって放り捨て、自身のブレスで跡形もなく消し飛ばす。この時には既に、ちぎった左手の再生を終えている。
六つの眼でドランの動きを注視していたヨルムンガンドが、腕の変色の理由について確認する。
「終焉竜の中の君の力に干渉しようとしたのだな?」
既に腕の再生を終えたドランは、忌まわしげな顔で兄弟に頷き返す。
「ああ。以前、バストレルという輩と戦った時には、あちらの持つ私の力を奪う形で利用したが、今はそうはいかなかった。バストレルとアレを同格とは口が裂けても言えんが、私とアレもまた同格ではないわな」
「見た限り、逆に力を奪われたわけではなく、繋がった経路を経由して破壊の力を流し返されたようだ。腕一つを引き換えと考えるなら、充分な情報だったか?」
「終焉竜はこれ以上私の力を手に入れる必要性を感じていないのだろう。私達が奴を滅ぼすつもりでいるように、奴も私達を完全に滅ぼすつもりでいる」
「それは見るまでもなく分かる。原初の混沌については手を打った。残る問題は私達が勝つか、終焉竜が勝つかだ」
「あらゆる意味で私達が勝つ他ない戦いさ」
ヨルムンガンドの言う〝手〟については、すぐに知れた。
始原の七竜と終焉竜という既知世界最強の存在同士による激戦が行われている戦場に、竜界に住まう竜種達、さらには天界と魔界の区別なく、あらゆる神々が次々と姿を見せはじめたのである。
三つの神器で身を固めて完全武装した姿の混沌の大神ケイオス。
愛馬に跨り、身の丈を越える長槍を手に、黄金の髪を獅子の鬣の如くなびかせる戦神アルデス。
牝鹿に腰かけ、愛用の弓に油断なく矢を番えて終焉竜を睨むのは、アルデスの妹でもある戦女神アミアス。
宝石と貴金属で飾られた額冠や指輪など、普段は身につけない神器を纏う大地母神マイラール。
見慣れた褐色金髪の踊り子の姿ながら、その周囲に目玉や牙の生えた闇を広げる女神カラヴィス。
他にも、時の女神クロノメイズや欲望の女神ゼノビア、魔導神オルディンといったドランの知己も参戦していた。
それこそ過去に勃発したいくつもの神々の大戦の規模を上回る、荘厳にして威風堂々たる神々の大軍勢がこの場に集結している。
さらに、これまで決して神々の戦いに手出しをしなかった者や竜界を離れなかった者も含んだ竜界のほぼ全戦力が参陣しており、まさに史上初の光景が実現していた。
彼らはドラン達と終焉竜を遠巻きに囲み、油断なく身構える。
ドランはその中にマイラールやアルデス、カラヴィスといった普段から自分と関係の深い神々だけでなく、混沌の大神ケイオスの姿を認め、ヨルムンガンドの狙いを理解した。
終焉竜は戦闘開始時から、もはや隠蔽の必要はないと自分が同化した原初の混沌を引き寄せて吸収し、その力を高めている。
ここからさらに、残る手つかずの原初の混沌を取り込んで力を高める事も可能なはずだが、それがケイオスの出現と同時に阻まれていた。
呼吸をするように吸収していた原初の混沌は、今は別の誰かの支配下に置かれ、これ以上吸収出来なくなっていたのだ。
突然、終焉竜が周囲に向けて軽く力を放出した。
無色の衝撃波となって走った力は、ドラン達ばかりでなく神々や竜種達にも容易に防げるものだったが、終焉竜の目的は敵の一掃ではなかった。
衝撃波はある一定の距離まで進んだところで、壁にぶつかったように砕け散り、隠されていたモノの全貌を露わにする。
それは七竜と終焉竜が戦闘していた一帯を中心として囲い込む、うっすらと発光する球形の結界と、さらにその球形の結界を囲い込むキューブ状の結界だ。
これらは内部の存在を閉じ込める事に特化した二重の隔離結界であり、終焉竜と始原の七竜が戦闘に突入した直後から神々と竜種が密かに張り巡らせた代物である。
七竜と終焉竜の周りに球形の結界が展開され、その結界を取り囲む神々と竜種達のさらに外側を、キューブ状の結界が囲い込んでいる。
球形の結界はドラン達の戦闘の余波が漏れるのを防ぐのが主目的で、キューブ状の結界の方が吸収阻害と逃走防止を主目的としているのだろう。
「我とドラゴンが戦闘を開始してからの短時間では、いくら神々と竜種が手を結んだとて間に合わない代物であると認めよう。以前からこのような事態を想定していたか? 始祖竜の頭であった者よ」
既に終焉竜の混沌食いによる強化を阻害出来ている以上、時間稼ぎはドラン達の利益となる。
バハムートはそう判断し、終焉竜の問いかけに応じた。
「これまで我ら始原の七竜の力が及ばぬ敵は居なかった。だが、これからもそうとは限らん。ならば我ら竜種の力のみに頼らず、備えをしておくのは当然の話。事実、こうして役に立った」
「なんの対策も打てぬほど無能ではないか。しかし我が名の如くもたらす終焉は阻めぬぞ。神々よ、竜種よ」
終焉竜の五つの瞳が周囲の神々や竜種へ向けられるのを見てから、ドランはヨルムンガンドとの会話を続ける。
「ケイオスは原初の混沌から生まれた神々の中でも極めて混沌に対する親和性と影響力が強い。無論、始祖竜から生まれた私達よりも。そのケイオスを、他の神々と我らの同胞達が援護し、終焉竜のこれ以上の強化と進化を阻んだのだな?」
「そうだ。終焉竜に同化された混沌の隠蔽が解かれれば、我が眼で捉えられる。同化されざる混沌をケイオスの支配下に置き、吸収を妨げる程度の事は叶った。だが、他の同胞や神々が手出し出来るのはそこまでだ。終焉竜には我らが直接当たらなければ戦闘すら成り立たん」
ヨルムンガンドの言葉は揺るぎのない事実である。
そもそも始原の七竜は一柱だけでも、全ての神々を敵に回して勝利する圧倒的強者だ。
その七竜が総がかりでこうも苦戦を強いられる終焉竜を相手に、神々と七竜に遠く及ばぬ竜種達に何が出来よう。
およそ直接的な戦闘においては、近づくだけでも足手まといとなるだけだ。
間接的な支援として強化の加護や祝福を七竜に、また弱体化の呪いや祟りを終焉竜に与えたとしても、根本的な力が違いすぎてなんの役にも立たない。
太陽の輝きに蝋燭の灯りを足したところで、一体どれだけ変わるというのだ。なんの足しにもなりはしない。
混沌を司る大神のケイオスの特異性がたまたま終焉竜と相性が良かったからこそ、これ以上の原初の混沌の吸収を防げただけの事である。それはドランを含めた七竜達も理解していた。
そして終焉竜にとっては、ケイオスによる妨害も想定の内だったのだろう。何故なら、彼――あるいは彼女は、全ては遅きに失したと、こちらに来る前に高らかに宣言していたではないか。
全ての神々と高位の竜種達が見守る中で、終焉竜は真なる強者の如き威風を湛えて、七竜達の闘志を正面から受け止めている。
ドランは脳裏に、こちらに移動させられる寸前に見たセリナの動揺した表情を思い出していた。
「すぐに戻ると言ったが、約束を守るのはとても難しいようだな。だからといって、反故にするつもりは毛頭ないが!!」
七枚の翼を広げ、全身から虹色の魔力光を迸らせるドランに続き、他の七竜達もこの戦闘で全ての力を出し尽くす覚悟で戦意と魔力を高め、終焉竜へと挑む。
「来るがいい、始祖竜の残滓達。始祖たる竜を終焉たる竜が終わらせよう。〝他者との繋がりを求めた始祖竜の意志〟が汝らならば、〝終焉をもって孤独を終わらせようとした始祖竜の意志〟が終焉竜! 我ら、分かたれたる始祖竜の意志に真の決着を!」
自らもまた始祖竜の残滓だと告げた終焉竜は、まずは同じ始祖竜の残滓たるドラン達の抹殺を最優先とした。周囲を取り巻く神々と竜種達は、自ら手を下すまでもない雑魚だと吐き捨てる。
「神々よ、我にも七竜にも遠く及ばぬ竜達よ。お前達如きは我が直接手を下すまでもない。疾く滅びゆけ」
終焉竜の発した言葉と、ずわりと不快に変わった雰囲気に、ドランは神経がささくれ立つのを感じた。
直後に、始原の七竜の後方――やや竜種の包囲網に近い位置に、無数のナニカが突如として生じる。
二重の結界で隔離される前、周囲の飛散していた終焉竜の力の残滓から、この場限りの新たな存在が誕生しようとしている。そして、それは当然終焉竜の側に立つ厄介な存在であるに違いない。
「この期に及んで雑兵なんぞ!」
ドランが忌々しげに吐き捨てるが、結界の外に干渉するだけの余裕は彼を含め始原の七竜にはなかった。注意をこれ以上外に向ければ、即座に終焉竜の一撃が飛んできて、五体の一部が吹き飛ぶだけで済めばいい方だろう。
「お前達には通じずとも、その他の者共には充分であろうよ。我が手によらず終われる幸福を享受せよ」
加勢に来た神々と竜種達よりもなお多く出現したのは、歪な竜の頭部を生やした灰色の化け物達だった。硬質の皮膚を持ち、細長い胴体から複数の手足や翼を生やしたその姿からは、竜としての威厳も力強さも感じられない。
終焉竜が目障りな周囲の神々を葬る為だけに即興で生み出した、ある意味では哀れな偽竜である。
「偽竜。偽りの竜。全てが我の与える終焉に呑まれれば、真も偽もなくなる。偽りの竜と嘲り、侮り、呼べるうちにそう呼んでおく事だ。己らは真なる竜、真の神であると思いながらそ奴らに滅ぼされる方が、我によって一切合切纏めて滅ぼされるよりはまだ救いがある」
即興で生み出された偽竜──終焉偽竜とでも呼ぶべき存在は、ドラン達からすれば十把一絡げで始末出来るような相手だが、そうでない者にとっては充分な脅威だ。
少なくとも、数を投じれば周囲の神々と竜種らを倒せる、と終焉竜が判断する程度の力を持っているのは間違いない。
もし終焉竜の力の増大を止める封の役目をしているケイオスに何かあれば、大きな痛手になる。ただでさえ大きな隔たりのあるドラン達と終焉竜の力の差はさらに広まり、ますます勝機が失われてしまうだろう。
しかし、終焉竜からの攻撃が再開された事により、ドラン達にはこれらに対処する余裕がなかった。
「短期決戦を強いられるとはな! 悠長に戦いながら考察し、勝機を見出す暇はなくなったか……」
虹色の瞳を細めて全身にさらなる力を巡らすドランを、傍らについたバハムートが冷厳なる声で制止する。
終焉竜は七竜がそれぞれ単独で挑んでは敵わぬ相手というのもあるが、ドランの考えに幾許かの誤りがあるのを指摘する為である。
「少しは他の者に任せてみよ、ドラン。我らの同胞も神々も、お前が思うほどに軟弱ではない。自分だけで何もかもを解決しようとするのは、汝の欠点である」
ドランも自覚する欠点を告げられた直後、戦神アルデスの大笑いが戦場を震わせた。
そしてその笑い声には、終焉偽竜達のものであろう悲鳴らしきものが混じっていた。
「ぬははははは、まったく……まったくもって、バハムートの言う通りだぞ、ドラン!!」
アルデスはかつてベルン村に襲来したゴブリンを相手に無双した時のように、愛馬を駆って真っ先に終焉偽竜の群れに突っ込んでいく。
彼は自分の半身にも等しい長槍を振るい、鱗のない終焉偽竜の頭を叩き潰し、腹を貫き、あっという間に一体、二体と屠ってみせる。
長槍に貫かれたままの終焉偽竜が苦痛も恐怖も見せず、アルデスの首を引きちぎろうと複数の腕を伸ばしてくるのを、アルデスは左手で纏めて握り締めると、一息に引き抜く。さらに終焉偽竜の頭部にアルデスの鉄拳が叩き込まれて、頭から胴体までが無数の肉片に爆散してようやく終焉偽竜は動きを止め、そのまま灰色の粒子へと崩壊していく。活動を停止すれば、骸も残らないのだ。
姉を案ずる気持ちが終焉竜への殺意に変換され、アレキサンダーの喉の奥から銀色の光が溢れる。
首筋に食らいついたまま全力のブレスを放射して、終焉竜に少しでも傷を負わせるか、あるいはその尾の動きを阻害しようと狙っての行為だ。
しかし、終焉竜の動きに乱れは生じなかった。
終焉竜の三本の尾の内の一本がヴリトラの頭部を、もう一本が下半身を砕くべく、灰色の三日月の軌跡を描いて襲い掛かる。
ヴリトラは体内を蹂躙する衝撃と苦痛に苛まれながらも、このままでは迫りくる二本の尾を回避する事が出来ないと、冷静に分析していた。
(こりゃまずいや。痛みで完全に翼が止まっちゃった。再生は出来るだろうけれど、上半身くらいしか残りそうにないな。流石にそれは嫌だなあ……)
ここまで心中で思考を進めてから、ヴリトラは血反吐を撒き散らしながら叫んだ。
「ごめん、任せた!」
「ほ~い」
この場には似つかわしくない呑気な声と共に乱入した何者かが、ヴリトラの頭部を狙う尾に横合いから体を叩きつけて軌道を逸らした。
助けに入ったのは、紫色の鱗を持つ目を閉ざした竜――残る七竜の内の一柱、ヒュペリオンである。
始祖竜の尾から誕生したヒュペリオンが自分の体を鞭のようにしならせて体当たりし、どうにか一本の尾を弾くのに成功した。ドランに倍する巨体の終焉竜だが、その尻尾一本の軌道をずらす程度なら可能だった。
一方、残るもう一本の尾はこの時、まるで見えない針で縫い付けられたように動きを止めていた。
そればかりか、終焉竜の首筋に噛みついていたアレキサンダーとヴリトラ、ヒュペリオンの姿が消え、いつの間にかドランとリヴァイアサンの傍らに移動している。
既にバハムートもドランらの隣に動いていたが、こちらは自ら移動した結果であり、他者によって移動させられたアレキサンダー達とは事情が異なる。
この御業をなしたのは、始原の七竜最後の一柱――六つの頭に一つずつ眼を持つ異形の古神竜。
ドラン達のさらに後方に姿を見せたその者の名を、終焉竜が口にする。
「〝涯と頂を見通す〟ヨルムンガンドか……」
終焉竜の尾を止めたのも、アレキサンダー達を移動させたのもヨルムンガンドの瞳に秘められた力による。
ヨルムンガンドは六つの竜眼によって尾を強制的に拘束し、同時にヴリトラ、ヒュペリオン、アレキサンダーの姿をドラン達の傍らに幻視する事によって、彼らの位置を入れ替えて瞬間移動させたのだ。
本来なら存在しない対象を、幻視する事によって存在を確定させる。〝眼〟に由来する異能の中でも最上位に位置する能力の一つだが、ヨルムンガンドはその使い手としても頂点に立つ。
「なるほど……これで始祖竜の頭、眼、牙、四肢、翼、尾、心臓、そして心が集ったな。予定通り、始祖竜の残像を消し去る絶好の機の巡りに、我ら――否、我は浮き立つかのような気持ちだよ」
ドランの一撃も、バハムートの黒炎も、アレキサンダーの牙も、ヴリトラの爪も、ヒュペリオンの体当たりも、全てを無防備に受けた終焉竜だが、その体に負傷は見受けられない。
ひょっとしたら体内に苦痛の蓄積があるかもしれない、と期待するのはあまりに希望的観測が過ぎるだろう。
ヴリトラは砕けた鱗と骨、破れた内臓や血管の修復を終えて、救い主である二柱に顔を向ける。
「いたたたた、ありがとう、ヒュペリオン、ヨルムンガンド。いやあ、速さで負けるなんて、初めてだなあ」
彼女は口元を濡らす血をペロリと舐め上げて、悔しさが三分の一、残る三分の二にワクワクドキドキとした興奮が含まれる声を出す。
「礼は不要。しかし同胞よ、お互いに無傷とはいえ、あちらはもとより傷一つないが故の無傷。我らは受けた傷を癒し終えての無傷。結果は同じでも、過程は雲泥の差と言えよう。過酷なる戦いだ」
ヨルムンガンドの声音は徹頭徹尾厳しく、冷たく、険しいものだが、ヒュペリオンはその反対で変わらずポワポワとした声で応える。
「あっちとこっちの体格差もあるけれど、ぶつかってみて完全に力負けしちゃったなあ。尻尾で叩き合いをしたら、こっちの尻尾が付け根から引きちぎれちゃいそうだよ」
直接接触して攻撃をするなら気を付けてね、という意味なのだが、その呑気さがアレキサンダーの癇に障ったらしい。
顎の具合を触って確かめていた彼女が、言葉の牙でヒュペリオンに噛みつく。まだまだ元気いっぱいの様子だ。
「呑気な声で物騒な事を言うな! はん、自分の力だけで勝てぬのは腹立たしいが、私達始原の七竜が揃って滅ぼせない存在などあるものか!」
アレキサンダーは単独では滅ぼせないと悔しがりながらも、気炎万丈といった調子で全身に力を漲らせる。その姿は、終焉竜の力を直に感じて眦を険しくしている他の六竜に、さらなる奮起を促す格好の材料だった。
僅かな戦闘の間に得られた情報を分析していたバハムートが、末の妹の強がりに一瞬笑みを零すが、即座に厳粛な面持ちへと戻って終焉竜を見据える。
この場に居るどの始原の七竜よりもはるかに巨大な格上の敵を。
「アレキサンダーの闘志を見習わねばならんか。さて、我らがこうして肩を並べて同じ敵と戦うなど、初めての事態。理由と内容を別にすれば、喜ばしき兄弟の共同作業だ。油断も慢心もならん。我らの力でも足りまい。霊魂と血肉の全てからあらん限りの力を絞りつくせよ、我が弟と妹達よ」
それに応えるリヴァイアサンは眦を吊り上げて怒りを滲ませており、普段の温厚な様子はすっかり鳴りを潜めている。
「言われるまでもないぞ、バハムート。妾も初めて鱗を砕かれたのは新鮮な驚きではあるが……思った以上に腹が立っておる。あやつの鱗という鱗を砕いてやらねば腹の虫がおさまらぬのう」
「終焉竜なんて大層な名前を名乗られちゃったら、ボク達もやる気を出さないわけにはいかないもんね!」
ヴリトラは、もう捕まらないぞ、とばかりに小刻みに翼を動かして、さらに速度を求めようとしている。
誰かに遅いと言われたのは彼女にとって生まれて初めての経験だ。それはヴリトラの挑戦心に火をつけると同時に、彼女にこの上ない屈辱を味わわせていた。
「ふん、今度こそ首を噛みちぎってやる」
アレキサンダーは鼻を鳴らし、牙を剥き出しにして息を巻く。
そんな中、かつてない緊張感に満ちているドランがヨルムンガンドに声を掛けた。
「ヨルムンガンド」
「どうした、ドラン。あまり悠長に話す余裕はないぞ」
「分かっている。だが、確かめておかねばならん。私の転生に際して、終焉竜は私の力の大部分を奪い、今や完全に使いこなしている。元となった六柱の邪神共も、カラヴィスやマイラールに並ぶ大神だ。この時に至るまで力を蓄え続けてもいただろう。……しかし、それにしても強すぎはしないか? 私単独を上回るだけならばまだあり得る。だが、バハムート達の猛攻を受けて無傷で済む程の強さを得るのはあり得ん。私であろうともあれだけの攻撃を受け続ければ、再生が追いつかず、五体無事とはいかん。君の〝眼〟で何か分からんか?」
ドランに問われたヨルムンガンドが、重々しく口を開く。
「……君の生きている世界の時間で十七年前になる」
「ふむ」
「私の眼をもってしても錯覚かと思うようなごく僅かな変化が、原初の混沌に生じた。新たな神が生まれても、新たな世界が形作られても、大きく減る事のなかった混沌の領域が、その時不自然に減ったように見えた。しかしそれも瞬き一つの間に元通りになった為、見間違えただけかとも思ったが……」
「君が原初の混沌を見ている時間が増えたと、以前、竜界を訪れた時に耳にした。見間違いとは断じずに、監視し続けていたわけか」
「だが気付くのが遅すぎた。奴はこれまでの間に相当量の原初の混沌を侵食し、同化し、取り込んでいる。同化した部分を擬態し、私の眼をも欺いていた。六柱の邪神達が自らの滅びを我々や神々からも欺瞞したように、力を蓄える方法もまた完全に隠蔽してのけたのだ。始祖竜の眼から生まれた者としては、ただただ恥じ入るばかりだ。終焉竜は六柱の邪神、君の力、そして大量の原初の混沌の集合体だ。だが、それでもアレの強さには理解の及ばぬ点がある」
つまるところ、ヨルムンガンドにも終焉竜の〝不可解な強さ〟の理由が完全には分からないという事だ。
両者はただ、アレが始原の七竜達からしても格上だと改めて確認し合っただけだった。このような状況でなかったなら、始原の七竜の二柱が、自分達よりも格上だと認めた事実だけで世の神々が絶望する事実である。
「ふむ……全てを解明出来なくとも、強さの理由が分かれば多少の手立てはある。奴の力の一端が私から奪った力であるのなら――」
ドランが、悠然と構えてこちらの動きを待っているような終焉竜へ右腕を向けると、直後、彼の指先から肘に至るまでがあっという間に灰色に染まった。
ドランは予めそうなると分かっていた様子で、すぐさま変色した右肘から先を左手で引きちぎって放り捨て、自身のブレスで跡形もなく消し飛ばす。この時には既に、ちぎった左手の再生を終えている。
六つの眼でドランの動きを注視していたヨルムンガンドが、腕の変色の理由について確認する。
「終焉竜の中の君の力に干渉しようとしたのだな?」
既に腕の再生を終えたドランは、忌まわしげな顔で兄弟に頷き返す。
「ああ。以前、バストレルという輩と戦った時には、あちらの持つ私の力を奪う形で利用したが、今はそうはいかなかった。バストレルとアレを同格とは口が裂けても言えんが、私とアレもまた同格ではないわな」
「見た限り、逆に力を奪われたわけではなく、繋がった経路を経由して破壊の力を流し返されたようだ。腕一つを引き換えと考えるなら、充分な情報だったか?」
「終焉竜はこれ以上私の力を手に入れる必要性を感じていないのだろう。私達が奴を滅ぼすつもりでいるように、奴も私達を完全に滅ぼすつもりでいる」
「それは見るまでもなく分かる。原初の混沌については手を打った。残る問題は私達が勝つか、終焉竜が勝つかだ」
「あらゆる意味で私達が勝つ他ない戦いさ」
ヨルムンガンドの言う〝手〟については、すぐに知れた。
始原の七竜と終焉竜という既知世界最強の存在同士による激戦が行われている戦場に、竜界に住まう竜種達、さらには天界と魔界の区別なく、あらゆる神々が次々と姿を見せはじめたのである。
三つの神器で身を固めて完全武装した姿の混沌の大神ケイオス。
愛馬に跨り、身の丈を越える長槍を手に、黄金の髪を獅子の鬣の如くなびかせる戦神アルデス。
牝鹿に腰かけ、愛用の弓に油断なく矢を番えて終焉竜を睨むのは、アルデスの妹でもある戦女神アミアス。
宝石と貴金属で飾られた額冠や指輪など、普段は身につけない神器を纏う大地母神マイラール。
見慣れた褐色金髪の踊り子の姿ながら、その周囲に目玉や牙の生えた闇を広げる女神カラヴィス。
他にも、時の女神クロノメイズや欲望の女神ゼノビア、魔導神オルディンといったドランの知己も参戦していた。
それこそ過去に勃発したいくつもの神々の大戦の規模を上回る、荘厳にして威風堂々たる神々の大軍勢がこの場に集結している。
さらに、これまで決して神々の戦いに手出しをしなかった者や竜界を離れなかった者も含んだ竜界のほぼ全戦力が参陣しており、まさに史上初の光景が実現していた。
彼らはドラン達と終焉竜を遠巻きに囲み、油断なく身構える。
ドランはその中にマイラールやアルデス、カラヴィスといった普段から自分と関係の深い神々だけでなく、混沌の大神ケイオスの姿を認め、ヨルムンガンドの狙いを理解した。
終焉竜は戦闘開始時から、もはや隠蔽の必要はないと自分が同化した原初の混沌を引き寄せて吸収し、その力を高めている。
ここからさらに、残る手つかずの原初の混沌を取り込んで力を高める事も可能なはずだが、それがケイオスの出現と同時に阻まれていた。
呼吸をするように吸収していた原初の混沌は、今は別の誰かの支配下に置かれ、これ以上吸収出来なくなっていたのだ。
突然、終焉竜が周囲に向けて軽く力を放出した。
無色の衝撃波となって走った力は、ドラン達ばかりでなく神々や竜種達にも容易に防げるものだったが、終焉竜の目的は敵の一掃ではなかった。
衝撃波はある一定の距離まで進んだところで、壁にぶつかったように砕け散り、隠されていたモノの全貌を露わにする。
それは七竜と終焉竜が戦闘していた一帯を中心として囲い込む、うっすらと発光する球形の結界と、さらにその球形の結界を囲い込むキューブ状の結界だ。
これらは内部の存在を閉じ込める事に特化した二重の隔離結界であり、終焉竜と始原の七竜が戦闘に突入した直後から神々と竜種が密かに張り巡らせた代物である。
七竜と終焉竜の周りに球形の結界が展開され、その結界を取り囲む神々と竜種達のさらに外側を、キューブ状の結界が囲い込んでいる。
球形の結界はドラン達の戦闘の余波が漏れるのを防ぐのが主目的で、キューブ状の結界の方が吸収阻害と逃走防止を主目的としているのだろう。
「我とドラゴンが戦闘を開始してからの短時間では、いくら神々と竜種が手を結んだとて間に合わない代物であると認めよう。以前からこのような事態を想定していたか? 始祖竜の頭であった者よ」
既に終焉竜の混沌食いによる強化を阻害出来ている以上、時間稼ぎはドラン達の利益となる。
バハムートはそう判断し、終焉竜の問いかけに応じた。
「これまで我ら始原の七竜の力が及ばぬ敵は居なかった。だが、これからもそうとは限らん。ならば我ら竜種の力のみに頼らず、備えをしておくのは当然の話。事実、こうして役に立った」
「なんの対策も打てぬほど無能ではないか。しかし我が名の如くもたらす終焉は阻めぬぞ。神々よ、竜種よ」
終焉竜の五つの瞳が周囲の神々や竜種へ向けられるのを見てから、ドランはヨルムンガンドとの会話を続ける。
「ケイオスは原初の混沌から生まれた神々の中でも極めて混沌に対する親和性と影響力が強い。無論、始祖竜から生まれた私達よりも。そのケイオスを、他の神々と我らの同胞達が援護し、終焉竜のこれ以上の強化と進化を阻んだのだな?」
「そうだ。終焉竜に同化された混沌の隠蔽が解かれれば、我が眼で捉えられる。同化されざる混沌をケイオスの支配下に置き、吸収を妨げる程度の事は叶った。だが、他の同胞や神々が手出し出来るのはそこまでだ。終焉竜には我らが直接当たらなければ戦闘すら成り立たん」
ヨルムンガンドの言葉は揺るぎのない事実である。
そもそも始原の七竜は一柱だけでも、全ての神々を敵に回して勝利する圧倒的強者だ。
その七竜が総がかりでこうも苦戦を強いられる終焉竜を相手に、神々と七竜に遠く及ばぬ竜種達に何が出来よう。
およそ直接的な戦闘においては、近づくだけでも足手まといとなるだけだ。
間接的な支援として強化の加護や祝福を七竜に、また弱体化の呪いや祟りを終焉竜に与えたとしても、根本的な力が違いすぎてなんの役にも立たない。
太陽の輝きに蝋燭の灯りを足したところで、一体どれだけ変わるというのだ。なんの足しにもなりはしない。
混沌を司る大神のケイオスの特異性がたまたま終焉竜と相性が良かったからこそ、これ以上の原初の混沌の吸収を防げただけの事である。それはドランを含めた七竜達も理解していた。
そして終焉竜にとっては、ケイオスによる妨害も想定の内だったのだろう。何故なら、彼――あるいは彼女は、全ては遅きに失したと、こちらに来る前に高らかに宣言していたではないか。
全ての神々と高位の竜種達が見守る中で、終焉竜は真なる強者の如き威風を湛えて、七竜達の闘志を正面から受け止めている。
ドランは脳裏に、こちらに移動させられる寸前に見たセリナの動揺した表情を思い出していた。
「すぐに戻ると言ったが、約束を守るのはとても難しいようだな。だからといって、反故にするつもりは毛頭ないが!!」
七枚の翼を広げ、全身から虹色の魔力光を迸らせるドランに続き、他の七竜達もこの戦闘で全ての力を出し尽くす覚悟で戦意と魔力を高め、終焉竜へと挑む。
「来るがいい、始祖竜の残滓達。始祖たる竜を終焉たる竜が終わらせよう。〝他者との繋がりを求めた始祖竜の意志〟が汝らならば、〝終焉をもって孤独を終わらせようとした始祖竜の意志〟が終焉竜! 我ら、分かたれたる始祖竜の意志に真の決着を!」
自らもまた始祖竜の残滓だと告げた終焉竜は、まずは同じ始祖竜の残滓たるドラン達の抹殺を最優先とした。周囲を取り巻く神々と竜種達は、自ら手を下すまでもない雑魚だと吐き捨てる。
「神々よ、我にも七竜にも遠く及ばぬ竜達よ。お前達如きは我が直接手を下すまでもない。疾く滅びゆけ」
終焉竜の発した言葉と、ずわりと不快に変わった雰囲気に、ドランは神経がささくれ立つのを感じた。
直後に、始原の七竜の後方――やや竜種の包囲網に近い位置に、無数のナニカが突如として生じる。
二重の結界で隔離される前、周囲の飛散していた終焉竜の力の残滓から、この場限りの新たな存在が誕生しようとしている。そして、それは当然終焉竜の側に立つ厄介な存在であるに違いない。
「この期に及んで雑兵なんぞ!」
ドランが忌々しげに吐き捨てるが、結界の外に干渉するだけの余裕は彼を含め始原の七竜にはなかった。注意をこれ以上外に向ければ、即座に終焉竜の一撃が飛んできて、五体の一部が吹き飛ぶだけで済めばいい方だろう。
「お前達には通じずとも、その他の者共には充分であろうよ。我が手によらず終われる幸福を享受せよ」
加勢に来た神々と竜種達よりもなお多く出現したのは、歪な竜の頭部を生やした灰色の化け物達だった。硬質の皮膚を持ち、細長い胴体から複数の手足や翼を生やしたその姿からは、竜としての威厳も力強さも感じられない。
終焉竜が目障りな周囲の神々を葬る為だけに即興で生み出した、ある意味では哀れな偽竜である。
「偽竜。偽りの竜。全てが我の与える終焉に呑まれれば、真も偽もなくなる。偽りの竜と嘲り、侮り、呼べるうちにそう呼んでおく事だ。己らは真なる竜、真の神であると思いながらそ奴らに滅ぼされる方が、我によって一切合切纏めて滅ぼされるよりはまだ救いがある」
即興で生み出された偽竜──終焉偽竜とでも呼ぶべき存在は、ドラン達からすれば十把一絡げで始末出来るような相手だが、そうでない者にとっては充分な脅威だ。
少なくとも、数を投じれば周囲の神々と竜種らを倒せる、と終焉竜が判断する程度の力を持っているのは間違いない。
もし終焉竜の力の増大を止める封の役目をしているケイオスに何かあれば、大きな痛手になる。ただでさえ大きな隔たりのあるドラン達と終焉竜の力の差はさらに広まり、ますます勝機が失われてしまうだろう。
しかし、終焉竜からの攻撃が再開された事により、ドラン達にはこれらに対処する余裕がなかった。
「短期決戦を強いられるとはな! 悠長に戦いながら考察し、勝機を見出す暇はなくなったか……」
虹色の瞳を細めて全身にさらなる力を巡らすドランを、傍らについたバハムートが冷厳なる声で制止する。
終焉竜は七竜がそれぞれ単独で挑んでは敵わぬ相手というのもあるが、ドランの考えに幾許かの誤りがあるのを指摘する為である。
「少しは他の者に任せてみよ、ドラン。我らの同胞も神々も、お前が思うほどに軟弱ではない。自分だけで何もかもを解決しようとするのは、汝の欠点である」
ドランも自覚する欠点を告げられた直後、戦神アルデスの大笑いが戦場を震わせた。
そしてその笑い声には、終焉偽竜達のものであろう悲鳴らしきものが混じっていた。
「ぬははははは、まったく……まったくもって、バハムートの言う通りだぞ、ドラン!!」
アルデスはかつてベルン村に襲来したゴブリンを相手に無双した時のように、愛馬を駆って真っ先に終焉偽竜の群れに突っ込んでいく。
彼は自分の半身にも等しい長槍を振るい、鱗のない終焉偽竜の頭を叩き潰し、腹を貫き、あっという間に一体、二体と屠ってみせる。
長槍に貫かれたままの終焉偽竜が苦痛も恐怖も見せず、アルデスの首を引きちぎろうと複数の腕を伸ばしてくるのを、アルデスは左手で纏めて握り締めると、一息に引き抜く。さらに終焉偽竜の頭部にアルデスの鉄拳が叩き込まれて、頭から胴体までが無数の肉片に爆散してようやく終焉偽竜は動きを止め、そのまま灰色の粒子へと崩壊していく。活動を停止すれば、骸も残らないのだ。
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