近江の轍

藤瀬 慶久

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七代 利助の章

第60話 蝦夷調査隊

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 1781年(天明元年) 春  江戸城本丸


「この度の奏者番への御就任おめでとうございまする。方々からもお祝いの品をお預かりしておりますぞ」
 江戸城の一室で長谷川はせがわ平蔵へいぞう宣以のぶためが田沼意次に祝いの品の目録を示す
「ふむ。すべてご公儀のお蔵へ回しておいてくれ」
 一瞥した意次は面白くもなさそうに平蔵に返した
 長谷川平蔵宣以は、西の丸仮御進物番という、いわゆる田沼意次への賄賂を取り次ぐ係を務めていた

「相変わらずですな。老中様は送られた進物を一つも私しようとなされぬ
 何故あのような風説が出るのかが不思議でござる」
「なに、今までと違う事をすれば批判されるのはやむを得まいよ」
 意次は落ち着いた顔で穏やかに笑っていた

 田沼時代は賄賂の時代と言われ、町人達が落首や川柳によってさまざまに批判した
 しかし、意次死後に田沼家の財産を検めた際には、まさにホコリ一つ出ないほどの清貧ぶりだったという

「遊女屋や村方の醤油や味噌作りにまで運上を課されれば、まあ諸人の恨みは深くなりましょうなぁ」
 長谷川平蔵はそう言うと豪快に笑った
 それなりに意を通じているという自信の表れか、捉えようによっては無礼とも言える物言いだが、意次の方にも頓着した様子はない

「すべては民の豊かさの為だ。集まった富は全て諸人の暮らし向きを良くするために使わねばならん
 わたくしして贅を尽くせば、それはお上の評判にも関わることになろう」


 江戸時代も後期に入ると、幕府は諸人の評判つまり『世論』に様々な配慮をするようになる
 世論によって幕閣が交代させられるという事も現実にあった
 一般に封建時代は上意下達の時代と認識されるが、実情は決してそんなことはなく、むしろ諸人がおとなしく服しているからこそ政権を維持できる事を当の幕府自身が認識しているという側面もあった

 落首や川柳といった遠回しな表現ではあっても政権批判が可能になるということは、それだけ民権意識が高まっていたということの一つの証拠でもあるだろう

 田沼意次の経済政策も様々に批判されたが、それは遊女屋や飛脚問屋など今まで無税であった商売や村方の酒造や水車稼ぎ、薪にまで運上を課税したからだ
 商人の側も、運上や冥加を献上するから新しい商売を認めてもらいたいと訴える事もあった
 賄賂や汚職と言われるのは、これが原因だろう
 だが、新たなビジネスを国の認可を取って始めるにあたり、いくばくかの保証金や証拠金を拠出すると思えば、現代であればとても賄賂などという印象は出て来ない


 現代の感覚で言えば、僅かでも所得があるならばそれに応じた税負担をすることは当然だが、当時は一部の金持ち商人だけが税負担をしていることを諸人は当然と捉えていた
 これを改め、広く浅く税負担を課そうとする田沼意次の姿勢は、非農業生産も国の富と捉える『国内総生産G D P』の考え方に近いものだった


「ところで、ヲロシヤ(ロシア)とかいう北方の赤蝦夷が交易を求めて来ておると聞き及びますが…」
「左様。志摩守はひた隠しにしておるがな。長崎のオランダの商館長カピタンからも報告が上がっておる
 一度こちらから調査の者を送らねばならんと思っておったところだ」
「交易をお認めになる腹積もりですか?」
「日ノ本にとって利があるならば、認めるにやぶさかではあるまい。それに、蝦夷地は古くから金を産出する土地でもあるし、ニシンや鮭などの産物も豊富だ
 交易は置いておいても、商人達だけで開発させるには惜しい地でもある」
 意次が茶を一口すする

「松前殿からお取り上げなされるおつもりか?」
 慌てて平蔵が問いただすと、意次はニコリと笑う
「蝦夷は有望な土地だ。志摩守が十分に開発できぬというなら、ご公儀が開発してやろうという事だ」

 常と変わらぬ意次の笑顔に平蔵はうすら寒いものを覚えた
 意次は蝦夷の開発に本格的に取り組むつもりだろうが、長年蝦夷地を拝領している松前氏が大人しく承諾するとは思えない
 何か明らかな失政でもあれば別だが…

 つまり、その口実を探させようという事なのだろう

 ―――必死になって産物を開発している諸藩には気の毒な事だ。有望な産物が生まれればご公儀が召し上げようという事か…


 田沼意次の政策は一般に拡大政策であったと言われるが、実体は歳出の軽減と収入の増加による緊縮財政策だった
 今までの緊縮財政との違いは、産業を興し、それに対して課税あるいは産物の取り上げを図った事だ
『商業』という物にこだわったのが田沼意次という男だった



 1784年(天明3年) 春  蝦夷国松前城下 恵比須屋



「ご挨拶に参りました」
「お体に気を付けてくだされよ」

 住吉屋の四代目傳右衛門昌福は、蝦夷の店を息子の昌康に任せ、自身は八幡町の隠居宅へ戻ることにした

「上方でニシン粕の販売を宰領して参ります。取れ高も必要ですが、販売をもう一度考えなければなりませんからな」
「昨今の飢饉では、上方も被害が出ていると聞きます。よろしくお願いします」

 この前年から天明の大飢饉と言われる飢饉が東北地方を中心に発生していた
 こうした中で天明三年の三月には東北の岩木山が、七月には浅間山が噴火し、噴煙によって全国的に農業が被害を受けた
 掛かる時にあって、諸大名は飢饉による米価の暴騰を借金返済の好機と捉え、ただでさえ少ない収穫を年貢として次々に取り上げていった
 これにより、今までの飢饉に比べても格段に規模の大きな飢饉となり、江戸史上最悪とも言われる『天明の大飢饉』が発生する
 それは、八幡町周辺にとっても他人事ではなく、周辺村方は疲弊し、その分だけ八幡の富裕商達に朽木家からの御用金の負担が集中した

 また、近江周辺で盛んであったニシン粕を使った商品作物の生産も一時的に停止され、まずは食糧生産をという体制に変わった
 それによってニシン粕の売上が伸び悩み、販路の再構築の為に傳右衛門昌福は八幡町へ戻らざるを得なくなった



 1784年(天明4年) 夏  江戸勘定奉行 松本伊豆守私邸



 勘定奉行松本伊豆守は、松前藩士下国舎人とねりと横井関左衛門せきざえもんを松前藩邸から呼び出した
「蝦夷地の調査を行うとのご老中様の御内意だ。家名にも関わる事ゆえ、まずは松前家にて調査を実施し、その報告書を持ってご公儀から調査隊が派遣される手はずになっておる
 その方らは至急国元へ戻り、蝦夷地の調査を実施するよう志摩守殿にお伝えせよ」
「かしこまりました。しかし、何故今蝦夷の調査などと…?」
「仙台藩の工藤平助より赤蝦夷風説考あかえぞふうせつこうなる書物が田沼様へ提出された
 田沼様はそれに痛く興味を示され、一度蝦夷地を調査せよとのお達しだ」

 ―――田沼様からの御意であれば聞かぬわけにはいかぬか…

 下国と横井は承知して伊豆守邸を辞した
 どうせ遠い蝦夷の事、ロシアの事は誤魔化してしまえばわからぬだろうとタカを括っていた


 二か月後、松本伊豆守の元に松前家からの報告書が届いた



 1784年(天明4年) 夏  江戸城本丸



 江戸城の一室で田沼意次は松本伊豆守から蝦夷地の報告書を受け取り、目を通していた

「はっはっは。赤蝦夷なる者は居らぬと言い切ってきおったか。ラッコ島奥地の奥蝦夷アイヌを赤蝦夷と呼んでいるだけだ、とは…
 勘定奉行ともあろう者が、志摩守にずいぶんと舐められたものだな」
「はっ。まさかにここまで愚かだとは思いも寄りませぬで…」
 松本伊豆守が面目なさげに頭を下げる

「よいよい。嘘を吐いてくれているのなら良い口実になろう。工藤平助と言っている事が違うではないかと詰問し、志摩守に調査隊に協力させよ
 年内には江戸を送り出すように手配いたせ」
「恐れながら、人員は選定できておりますが、今から準備するとなると年内は難しゅうございます
 年明けの正月に出発という段取りで臨みたいと思いまするが…」
「わかった。それでよい。くれぐれも、田沼が事実を知りたがっておるという事を強調させよ」
「ハッ!」


 結局、この翌年の天明五年二月に山口鉄五郎、青嶋俊蔵、庵原弥六、佐藤玄六郎らを中心とした蝦夷調査隊が江戸を出発した
 翌三月には松前に到着し、打ち合わせを行って四月に蝦夷の実地調査に出る
 山口、青嶋以下の一隊は東蝦夷地をアッケシからクナシリまで調査し、庵原、佐藤以下の一隊は西蝦夷をソウヤからカラフトまで調査を行った

 彼らがそこで目にしたものは、想像以上に過酷な生活を強いられるアイヌの人々の姿だった
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