白猫様は悩める乙女の味方なり~こちら、しろねこ心療所~

恵喜 どうこ

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case8 大石菜々美『優しい少女と白い魔法使い』

第42話【計画実施2】今度間違えたら助けてやらねえぞ

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 雨が降っていた。
 バケツをひっくり返したような大雨だった。
 真っ黒な空から青い稲光がいくつも走っている。
 ゴロゴロと低いうなり声を上げて荒ぶっている空を窓から眺めていた私は「眠れないんですか?」の声に振り返った。
 
「ひどい雨ですもんね」

 そう言いながら犬飼君はよいしょっと布団から起き上がった。
 ジャージ姿の彼の傍らには狛十郎さんもいて、彼の動きに合わせるように顔をあげていた。

「こういう雨の日にいい思い出がないの。なにか悪いことが起こるときはいつも雨。だから……そうならないといいなって」

 腕時計に目を走らせる。
 夜の11時半。
 いつもならこの時間に寝ることはない。
 だけど今日は久能さんになるべく早く寝るようにと言われていた。
 久能のおじい様に至っては毎日8時に就寝しているらしく、本殿に敷かれた三組の布団の真ん中で大の字の姿勢で盛大ないびきをかきながら爆睡している。

「久能さん……大丈夫かな」

 約束を果たしに行くと言って出かけたのが夜の7時。
 あれからもう三時間半も経っているのに帰ってくる様子ももちろんのこと、連絡ひとつない。
 なにもなければいいけれど、あまりにも重苦しい空気にどうにも晴れた気持ちになれなかった。

「創始様は大丈夫です。だって、四神が認めた人なんですから。それに満守の魂を封じたのも創始様であられますし」
「あのさ。その満守って誰なの? あと四神ってなに?」
「そうか。あかりさんは四神のことも満守のことも教えていただいていないんですね」
「うん。この神社の神様が白虎の化身の白夜様っていうのはわかったんだけど」
「そうですか。四神とは白虎、青龍、玄武、朱雀のことを言うんです。この神社には白虎の爪が祭られています。ほかの三神の器はここからほど近い社にそれぞれ祭られていて、ぼくら狛犬一族はその神器を創始様と共に守ってきたんです。ですが、その神の力を使って人の世を滅ぼそうとする人間が現れました。それが久能満守――創始様の弟君でした」
「え!? 満守って、久能さんの弟なの?」
「ぼくも話でしか聞いたことないんですが、双子の弟だったそうです。だから創始様同様、すごく霊力も高くて。でも、兄という立場から創始様が神使いに選ばれた。弟の満守は自分こそがふさわしいと白夜様他三神に直訴したそうですが受け入れられず不満を募らせて、神の守る世界を壊そうと神殺しになったそうです」
「神使いの兄と、神殺しの弟……なんだ」
「想像を絶する戦いだったそうです。天は荒れ、地は荒廃し、町は燃え、何百人も命を落としたそうですから。そんな戦いが60日以上繰り広げられて、やっと満守を討つことができた創始様は、その魂を封じるためにこの神社と三神の社を建てたんです。満守と創始様との戦いについての書物は神社に保管されていますから、また借りて読んでみるといいと思いますよ」
「うん、そうする」

――そんなすごい人だったなんて、ぜんぜん思いもしなかったな。

 いつも明るく優しい久能さんと、仲睦まじくじゃれ合う白夜様にそんな過去があったなんて思いもしなかった。
 弟の魂を封じるために建てたこの神社を千年以上も守ってきた久能さんはこの世界をどんなふうに見てきたのだろう。
 彼に比べたら私なんて一瞬しか生きていない。
 それでもつらいことがあって、後ろ向きになることもたくさんあるのに――

「ちょっとトイレ行こうかな」
「あっ、それならぼくもついていきますよ。なんなら狛十郎さんも……」
「大丈夫だって。トイレ、すぐそこだし。それに犬飼君まで本殿からいなくなっちゃったら、クロちゃんは誰が守るの?」

 私たちの布団の頭のほうに置かれた木製の小さな棺に目を向ける。
 
「でも……」
「大丈夫。いざとなったら大声あげるから!」
「わかりました。そのときはすぐに駆け付けますからね」

 本殿の入り口までついてきてくれた犬飼君に手を振って、私はトイレへ向かう。
 50mほどのまっすぐの廊下の突き当りにトイレはある。
 急いで済ませようと小走りになったけど、背後に不意に気配を感じて振り返った。

「あっ!」

 黒髪の長身の男性が立っていた。
 真っ黒な羽織袴姿の男性の顔はなじみのものだった。

「久能さん?」

 久能さんがうつむいていた顔をあげて私を見る。
 彼の目が爛々として血走っていた。
 雷鳴が轟いて鼓膜を打つ。
 稲光に浮かんだ相手の顔に、ぶわっと全身に鳥肌が立った。

「あなた……久能さんじゃない!」

 ブルブルと震える唇の端を手で押さえながら言葉を投げた。
 黒の羽織袴姿の男はニタアッと白い歯を見せて笑う。
 姿は久能さんだけど、彼じゃない。
 なにかに憑りつかれているような気味の悪い笑みだった。

 ――もしかして!?

 先ほどの犬飼君の話がよみがえる。
 久能さんは双子だったと言った。
 
 ――私の前にいる男が久能満守!?

 身の危険を本能で感じた。
 本殿に戻らなくちゃ!

『このときを長い間、ずうっと待っていた』

 男の左手がぐんっと伸びてきた。
 避けようと身をかわしたけれど、かわしきれずに首を右手に掴まれる。
 ヘビが獲物を殺すように、ぎゅるぎゅると喉元を締められる。
 息が……苦しい。

「満……守……」

 かすれる声で呼んでみる。
 男はシシシッと卑しい笑いを放った。

『そうだ。我こそが久能満守。時が満ちるのを待っていた。再び神器を手にするその日を』

 男が涼しい顔でさらに首を絞める手に力を込めた。
 喉がつぶされてしまう。
 気道が確保できずに意識が白む。
 鼓膜に水が入ったように、男の笑い声がくぐもって聞こえる。

『高い霊力を持つ魂は我の力の源となる。喜んで贄となるがよかろう』

 ほほ笑みながら、男が懐から短刀を取り出した。
 暗闇の中で、短刀の刃が赤く光っている。
 刃先をちろりと舌で舐めて、男は「これがなにかわかるか?」と訊いた。

『神殺しの刀だ。千年前に四神の力で壊されたが長い年月をかけて、人の血と魂をささげて再生させたのだ』

 男の右手に握られた赤い刃先がぷっつりと胸に刺さる。
 心臓のある場所だ。

 ――ああああああっ!

 大火で焼かれたみたいに熱い痛みが全身をほとばしった。
 視線を下方にずらす。
 男はくつくつと喉を鳴らしながら、躊躇することなくゆっくりと刀を沈めていく。
 皮膚からシューシューと白い湯気が立ちのぼる。
 鼓動する心臓が危険を知らせる警報のようにけたたましい音を上げて鼓動している。
 ドクン、ドクン、ドクンッと――

――助けて、久能さん!

 痛みで狂いそうになりながら、私は心の中で叫んだ。

――お願い! 白夜様っ! どうか、助けてっっっ!

 パアンッと風船が割れるような音がこだまして、私の体は廊下の上に投げ出された。
 ゲホゲホッと咳き込む私の前にシュッと空を切って、なにかが降り立った。
 長いしっぽがたゆたうように左右にゆらゆらと揺れている。

「あの孝明バカを呼ぶ前に俺様を呼べ! 今度間違えたら、二度と助けてやんねえぞ!」

 目の前に雷光を背負った大きな白い虎がいた。
 青々と冴えた目は見覚えがある。
 猛々しい光を湛えた白猫と同じ目を持った存在が私を見つめ返していた。

 そう、甘いものが大好きで、女の子と涙にめっぽう弱いあの白猫がたしかに私の前で笑っていたのだった。
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