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case3小池幸子『お礼はかつお節踊るたこやきで』

第12話【相談内容】お酒を強要されました

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 小池幸子と言います。
 三月に大学を卒業した社会人一年生です。
 実は私、まったくお酒が飲めなくて。
 大学時代も新入生歓迎会や合コンには誘われたんです。
 お酒自体もダメなんですけど、飲み屋さんの雰囲気もどうも苦手で。
 だからなにかと理由をつけてはお酒の席、断ってきたんです。
 
 それでもどうしてもって頼まれたときは、付き合いで出たこともあります。
 だけどお酒は飲みませんでした。
 ウーロン茶一筋。
 お酒が飲めない人にとって、飲み放題のもとをとるまでソフトドリンク飲み続けるって結構たいへんだったんですよ?

 なので、ぜんぜん楽しめませんでした。
 飲み会終わりはもうお腹タップタプで苦しかったくらいでしたから。

 お酒が飲めないことが悩み?
 うーん。
 悩みと言えば悩みかもしれません。
 お酒に強かったら、きっとこんなところで泣くようなこともなかったと思うから。

 すみません。
 ちょっと待ってもらっていいですか?
 なんか、ちょっと泣けてきちゃって。

 あっ、大丈夫です。
 ハンカチ持ってます。
 
 えっ?
 さっきたくさん泣いたからハンカチも使い物にならないでしょ?って。
 本当に久能先生はお優しいんですね。

 ありがとうございます。
 ええ。
 続きを話しますね。

 学生だったら、いやなこともいやって断れたんです。
 でも社会人になって働くようになったら、いやなこともいやって断れないんだって知ったんです。
 新人歓迎会は私たちを歓迎するために開いているんだって言われたら断る理由が見つからなくなっちゃいまして。
 
 ええ、そうですね。
 アレルギーがあるって言えばよかったですね。
 そうやって言えば、高塚課長も強引なことはしなかったのかなあ。

 高塚課長は私の所属している経理課の課長です。
 もうすぐ50歳になるのかな。
 入社当時はすっごく気さくで話しやすい上司だったんです。
 だから課長に言ったんです。
 欠席しますって。

 そうしたら課長はあからさまに不機嫌な顔をしました。
 何を言っているんだってにらまれて、「酒を飲まなくてもドリンクはいくらでもあるだろう?」って言われたんです。
 あとで先輩に聞いたら、課長が新人歓迎会の幹事だったんです。
 しかも大のお酒好き!
 そんな課長からしたら、酒が苦手な人間がいるなんて信じられない話だったんでしょうね。
  
 仕方なく、私は歓迎会に出ることにしました。
 課長の言うことももっともだって思ったからです。
 お酒を飲めなくてもソフトドリンクを飲めばいいだけの話。
 今までだってそうしてきたんだからって。
 そう思って、テーブルの隅っこでおとなしく静かにやり過ごそうとしたんです。
 でも、それは最初から無理な話でした。

 はあ……
 すみません。
 ちょっと苦しくて。
 
 あら?
 ゆっくりでいいって猫さん、言ってくれてるんですか?
 ありがとう。
 あなたも本当に優しいのね。
 うん。
 じゃあ、聞いてくれる?
 
 一時間ほど経った頃です。
 課長に突然、こんなことを言われました。

『ええ、それでは課を代表して、小池君に新人としての意気込みを見せてもらおうと思います』

 寝耳に水でした。
 あまりにも驚きすぎて、手にしていたウーロン茶のグラスを落としてしまったくらいです。
 そのせいで穿いていたベージュのタイトスカートにウーロン茶が豪快にこぼれてちゃって、シミができちゃったんですよ。
 おもらししたみたいに見えちゃって、それももうすっごく恥ずかしくて。
 でも、課長はぜんぜん気にもしてくれませんでした。

『さあ、小池君。立って!』

 って、慌てふためく私の傍にやってきた課長に無理やりビールジョッキを握らされました。
 課長は口元を歪めてにやっと笑いました。
 タバコとアルコールの匂いが鼻をついて、吐きそうになりました。
 あっ、ギリギリこらえましたけど。

 お酒は飲めないって課長だけに聞こえるように伝えました。
 そうしたら課長はこう言ったんです。

 『だからだよ』

 って。
 まったく意味がわかりませんでした。
 そうしたら続けてこう言ったんです。

『お酒が嫌いなら、好きになるまで飲めばいい。大丈夫さ。酔っぱらったら、私がきちんと責任をとるから』

 って。
 いやな予感がしました。
 必死になって課長に直訴をしました。
 だけど課長はビールジョッキを私に握らせたまま、決して手の力をゆるめてはくれませんでした。

『はい、それではみなさん! 応援をよろしく!』

 課長がそう言って周りを煽ると、『小池、がんばれ!』とか『女を見せろ!』『一気! 一気!』っていう声が次々に聞こえました。
 逃げられないようにわざと盛り上げたんだって気づいたときには遅かったんです。
 課長がまたささやきました。

『これ飲まないと君、明日から仕事ないよ?』

 ざらりと肌触りの悪い声でした。
 隣に視線だけ向けると、冷たい眼差しの課長の顔がありました。
 ブルブルと自分の手が震えていました。
 もうどうやっても逃げられない――そう思ったんです。
 
 だから私は意を決して、ジョッキに口をつけました。
 やけくそだったんです。

 一杯くらいならきっと大丈夫。
 我慢して飲もう。
 今回だけだ。
 きっとこれを飲めば許してもらえる。

 そう思って、きつく目をつむって一気飲みしました。
 口の中いっぱいに苦味が広がって、喉が焼けつくようでした。
 気管支にビールが入ってしまってむせてしまいました。
 涙目になりながら、必死で空のグラスをテーブルに置くと、課長が私の腕を勝者のように掴みあげたんです。
 それを見た人たちが『おお!』とか『よくやった!』『いい飲みっぷり!』って歓声を上げたのが聞こえました。
 私に続けとばかりに、他の新入社員や先輩たちが次々に酒を煽っていきました。
 だけど、私はそれどころじゃなくなりました。
 気持ち悪いくて、頭がぐるぐるしたんです。
 体がぼんやり重くなって、力も入らなくなりました。
 そのままテーブルに突っ伏すと、課長が私の頭を優しくなでながら『よく頑張ったね』って言ったんです。

 ゆっくり顔を上げて高塚課長を見ると、今まで見たことがないくらい柔らかな笑みを浮かべていました。
 ただ残念なことに、その顔は二重にダブって見えたんですけど……

 課長が私に透明の液体が入ったグラスを手渡してくれました。

『水だから。安心して。大丈夫。君はよく頑張ったよ。偉かったね』

 って言いながら、課長が手を添えてくれました。
 私は課長に渡された飲み物を口にしました。
 言われた通り、水だったんです。
 ホッとしました。
 冷たい水が熱くなった体に溶けていくようでとても気持ちよくて、グラスの中の液体を飲み干した――ところまでの記憶はあるんです。

 ええ。
 その後の記憶はありません。
 思い出そうとしても記憶が途切れてしまってわからないんです。

 次の朝、目が覚めた私は知らないベッドの上にいました。
 しかも……裸で。

 すみません。
 言葉が……ちゃんと出てこなくて。
 
 はあ……
 裸だったことに……私はすごく驚きました。 
 でも驚いたのはそれだけじゃありませんでした。
 隣に……
 隣に課長が寝ていたんです……
 何も……着ていなかったんです。
 
 私はすぐにその場から逃げ出しました。
 課長に気づかれる前にって、とにかく急いで。

 翌日から、それでも頑張って会社には行きました。
  
 だけど苦しくて、苦しくて。
 どうしていいかわからなくて。
 会社にはもう一秒もいたくなくて。
 ここでずっと泣いていたのはそういう理由です。



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