猫被り姫

野原 冬子

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3、王太子と護衛騎士

宵の明星

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 クリスティアナは無詠唱で風魔術を展開し、2階にある『明星の間』のテラスにふわりと音もなく降り立った。

 風を孕んだドレスが落ち着き、夜の色に映える月色の髪がサラリと背中に流れ落ちる。




 実は、クリスティアナの魔力量は、そんなに多くない。

そんなに、とは言っても侯爵以上王族未満の高位王侯貴族の平均値には届かないだけで、男爵から始まる王侯貴族全体の平均値より少し上回る程度のレベルはある。


 ただ、グリンガルド一族の魔力は高位貴族でも上位レベルだと評価されているため、その基準でいえば、とっても少ない方の部類に属する。

 祖父の魔力量は王族レベルだったし、嫡子ジョエルも、父オーウェンには届かないものの、かなり多かった。祖父の甥にあたるラウルは国内でも五指に入る。


 伯爵家出身のクロエは、頭脳明晰で優秀ではあったが、魔力量は貴族全体の平均値だった。その代わり、努力する才能を遺憾無く発揮して習得した魔力操作は、抜群に巧かった。

 母から瞳の色を受けたクリスティアナは、その資質をまるっと受け継いでいる。魔力量では、祖父やラウルには遠く及ばない。おそらくジョエルの実子アリスにも負けるだろう。
 その代わり、魔力操作は母譲り。無暗唱での魔法陣の展開速度だけなら、魔術学院内でも随一だった。



 そんなクリスティアナが、無造作に認識阻害系の隠蔽魔術を自分に向けて展開させた。

 春の気配の窺える時節になったが、夜は冷えるからテラスの大窓は閉じられ施錠されていた。んが、鍵などクリスティアナの繊細かつ的確な魔力操作の前では無いに等しい。

 テラス窓の取っ手に手を掛けた瞬間に鍵を処理してそっと押し開ける。冷たい外気が室内に流れ込んで空気を揺らさないように、風魔術でサクッと調節しながら、広間の内へ身体を滑り込ませた。

 この才能があれば稀代の大泥棒になれそうな気がする。ジュードに弟子入りして、グリンガルドの諜報部員になるのもいいのでは、と本気で考えたこともある。ジュードにさりげなく提案したら、ものすごーく嫌な顔をされた挙句に、叱られた。




 クリスティアナは、万一の時の逃走ルートを考慮し、テラス窓の傍のカーテンの前に陣取ると、やおら、明るい大広間全体を見渡した。

 広間の寄木張りは見事なものだった。中央に巨大な八芒星を描き、その周囲に幾何学模様を散らして広い空間にまとまりのある大きな図柄を描き出している。

 配色は3色とシンプルで図柄も煩くない。上に載る人々の煌びやかな装いの邪魔にならないよう、巧みな配慮が生きているデザインだ。


 

 そして、そんな大広間の中央では、一対の男女がクルクルと踊っていた。

 あのやたらとキラキラしい、むやみやたらと顔のいい男性が問題の王太子殿下だろう。ヘンリ様は、自分でお妃を選ぼうとしないとかおっしゃっていたけれど。頑張っていらっしゃるようで何よりだ。

 テラス窓を背にして、右手の壁寄りに、等間隔に6つのテーブルが並べられていて、そこに招待客が集っている。
待機場所で中央のお二方を見る御令嬢方の視線が少しばかり不穏だったけれど、まぁ、しょうがないよね、とクリスティアナは思う。


 王太子のお妃選びというだけでも意気が上がるところに、殿下のあの美貌はまさに罪作りだろう。顔立ちの美しさもさることながら、高貴な雅やかさに爽やかな気高さを持ち合わせている。トドメに鍛錬されたしなやかな身体から溢れる自信。

天が二物以上を与えてしまった人間の典型のような王太子だ。
当然のように、若い令嬢のほとんどは、広間中央の二人を注視している。


・・・のに、一つだけ様子のおかしなテーブルがあった。
それを見たクリスティアナは、思わず吹き出してしまいそうになって、慌てて口を押さえる。

 上座に近い、クリスティアナから一番遠いテーブルに、見知った魔術学院の面々が集っていた。踊る男女はそっちのけ。気ままにおしゃべりをしたり、黙々とテーブルのお菓子を賞味したり、挙句に本を読んでいる人もいる。

 相変わらず、マイペースな人たちだ。

 ちなみに、本を読んでいるのはクリスティアナが魔術学院で出会った大悪友、レオノーラ・ディアマトルだ。王太子の幼馴染で、王太子妃の最有力候補のはずなのに。周囲を憚らず、堂々と読書に勤しんでいるのだから、さすがである。



ブレない友人を見て、ふッと小さく笑む。
自分もやるべきことをやろう。

クリスティアナは徐に床に両膝をつき、次に両手をついた。

祖父が魔女を経由して贈ってくれたドレスは、最高だ。何よりも、驚くほど動きやすい。床磨きには最適な、いわゆる四つん這いのポーズになっても、苦しいところがどこにもない。

もしかしたら、緋色の魔女の巧妙な魔法がかけられているのかもしれない。

緋色の魔女特製の、魔蜘蛛の糸で織り上げられたアラクネーの手袋も最高だった。手に嵌めてまるで違和感がない。それどころか、魔力操作の介助もしてくれるようだ。



すごい、すごいわ、おばさま!

床についた手のひらで、自家製のコート剤の状態を撫で回して確認しながらクリスティアナが心の中で快哉を叫ぶ。
手袋なしでは、ここまで明晰に床の状況や施術者の力量を把握できなかったろう。

しかも、一瞬で、手に取るように伝わってくる。



ああ、この床!
なんて素晴らしいの!!!

コート剤に、陽光のような明るく力強い魔力が載っている。
それはそれは、うっとりするほどの芳しさで、素晴らしい伸びと均一性を見せていた。


どうやってコート剤を定着させたのだろう???


王宮の床職人は、超のつく凄腕らしい。
ぜひ、グリンガルドの寄木張りを見分して意見を頂戴したい。

機会があったらエリオットさんに訊いてみよう。





・・・おっと、いけない。
床に興奮している場合ではなかったですね。



クリスティアナは、軽く頭を振って、醒めやらぬ興奮を振り払う。
この大広間に侵入した、一番大きな目的を果たさねばならない。





・・・いるはずだ。

王太子の側近で近衛騎士隊長を勤めていると聞いている。
月色の髪に、エメラルドグリーンの瞳の。


クリスティアナはスッと目を細めて、床に当てた両手に意識を集中させる。
床の上に魔力探知用の魔術陣を展開し、そっと稼働させた。
お目当ては、グリンガルドの血族特有の魔力の持ち主である



愉快な友人たちの次、2番目のテーブルに、蜂蜜のように甘い色のジョエルとアリスの魔力があった。最も身近な2人だから、一瞬で探知できる。



そして、さらにもう1人。



いた。



緑金色の、穏やかで大らかな魔力。
祖父のものに似ているけれど、祖父のようなひんやりとした冷たさはない。

モーリスに聞いていた通りだ。
魔力保有量は、祖父レベルかそれ以上だろう。



クリスティアナは目的の人物の位置を見極めると、床から手を離して立ち上がった。

令嬢と踊る王太子殿下の様子を、気配と表情を消して注視している。
テーブルの並んだ壁とは反対側の壁際に、レオナルド・ウッズワーズはいた。

少し若い肖像画の祖父を、さらに若くしたような面差し。
今年で39歳になるという、壮年の美丈夫だった。




 公爵家出身で矜持の高かったジョエルの母、正妻のシャロンに疎まれ虐げられ、命までも狙われたという、由緒正しく力もあるウッズワーズ伯爵家出身の第二夫人オリビア。そのオリヴィアが生んだ次男がレオナルドだった。

モーリス曰く、初代グリンガルドと同じエメラルドの瞳を持って生まれた、利発で聡明な子供だったらしい。


 当時の王太子ヘンリのお妃候補筆頭と目されていた矜持と気位の高い正妻シャロンは、政略で夫となった侯爵家のオーウェンを格下の野蛮な冷血人間と侮り嫌っていた。長男ジョエルを溺愛し囲い込み、恣意的にグリンガルドの嫡子教育から遠ざけた。

 結果は推して知るべしだった。

長男ジョエルが6歳、次男レオナルドが5歳になる頃には、後継者にはレオナルドをと望む声が親類縁者から聞こえ始めた。


 その声を拾った正妻シャロンは怒りに青ざめ、オリビアとレオナルドを消し去ろうと、暗躍を始める。メイドを買収し毒を仕込む、闇組織に資金を流し刺客を融通することも厭わなかった。

 レオナルドが6歳になった年、母子の身の安全を確保するため、オーウェンは、秘密裏に守りに特化した隠れ家を用意し、二人を住まわせた。
 侯爵家騎士団諜報部の若きエースだった17歳のモーリス引き抜いて執事として送り込み、陰ながら護衛もつけて、実家公爵家の権勢を笠に着るシャロンから見事に隠した。


 通常の方法では第二夫人と次男に手も足も出せなくなったシャロンは、禁術を使う呪術師に接触を図り自らの血を用いて構築した渾身の呪術をオリビアとレオナルドに対して放った。

 結果、シャロンは、14歳になっていたレオナルドとオーウェン父子の守護の魔法陣に術を弾かれ呪詛返しを全身に浴びた。そして、正気を手放せぬままに顔から腐り果ててゆくという壮絶な最後を遂げたという。




この話を、クリスティアナはモーリスから聞いた。
オーウェンが危篤に陥り、クリスティアナの次期侯爵指名が確定した頃だった。

モーリスがオリビアとレオナルド母子を支えていたのは、正妻シャロンが自滅した年までで、その後侯爵家に当主秘書として帰参している。

レオナルドは15歳になると、グリンガルドからの離別を申し出て母と共に隠れ家を去り、ウッズワーズ伯爵家に身を寄せた。

そこから王立士官学校へ入学し、騎士となって現在に至っている。






クリスティアナは、王太子を見守る月の色の護衛騎士を静かに見つめていた。
力も色も足りない自分よりも遥かにグリンガルド当主に相応しいはずの、その人を。



ヘンリ王と祖父オーウェンが手がけた大粛清の最後のツケが残されている。
クリスティアナは祖父に代わり、そのツケを払うと決めている。
器用さはあるけれどパワー不足は否めない自分では、死力を振り絞ることになるかもしれない。



万一の時に、グリンガルドを託せる人だ。
あらゆる可能性を思い描きながら。


クリスティアナは、レオナルド・グリンガルドを、ただじっと見つめていた。


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