バラの精と花の姫

緒方宗谷

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過去から学べる者は、未来を切り開く

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 満点の星空です。見渡す限りの大草原、地平線を遮るのは、全く何もありません。明日になれば、姫のお城に到着します。
 みんな夢の中にいましたが、バラだけは心が高ぶって眠れませんでした。蜂の巣から空を見上げています。この数ヶ月色々なことがありました。姫は、バラが行った善行を受けた者達が、どの様に感じているのか本人に見せようと、ゆっくりと旅してきました。
 花の里は地球ほどの面積がありましたが、姫なら1週間程度で城に戻れる距離です。果ての岩地と睡蓮城の直線距離は、人間界であれば中東から日本位の距離でした。それを数カ月かけて、ゆっくりと廻ってきたのです。
 バラはいつ生まれたのでしょう。気が付いた時には独りぼっちでした。記憶の中の自分は真っ暗闇の中で、1人膝を抱えて座っています。常に涙ぐんでいたようですが、泣いてはいないようです。最初にイジメられたのはいつのことだったでしょう。思い出せません。
 不意に、姫の言葉が頭に浮かびました。

 “なぜ、わたししかいないと思うの? わたしがいたのよ。お友達は1人もいないと思っていた花の里に、1人いたのですよ。
 たった1人かもしれないけれど、わたし1人分、あなたの周りに光がさしたのよ。
  それに、わたし1人いたのだから、2人いないとは限らないでしょう。たった1人でも、1人分あなたの世界は変わったのですよ。
  悪いことをすれば、1人分世界は悪くなるし、良いことをすれば、1人分世界は良くなるの。
  わたしは、あなたに良くしてあげようと思ったの。そうしたら、わたし1人分あなたの世界は良くなったわ。
  バラちゃんも、人に良くしてあげなさい。
  そうすれば、あなた1人分、その方は良い方向に変わるのよ。
  そうやって、みんなはお友達になっていくの“

 どうして自分は、アケビの種を蒔いた後、アケビのもとに蒔いた場所をお話ししに戻らなかったのだろう、とバラは悩みました。あんなに勇気を出してアケビが食べたいと伝えたのに、なぜ、翌年食べに行かなかったのでしょう。
 アケビの精霊は自分を悪く言っていない、と姫が言っていました。もし、翌年に実を貰いに行っていたら、1つくれたかもしれません。もしかしたら、年月を経た今、バラが撒いた種も成長して、沢山の実をつけているかもしれません。
 バラのおかげでみんなは生まれたのだと、親であるアケビの精霊が子らに対して話してくれたら、自分を嫌わないかもしれない、とバラは思いました。もしかしたら、自分の蒔いたアケビの精が、少し年下のお友達になってくれたかもしれません。
 そうしたら、甘いアケビの実を分けてくれたかもしれないのです。そして、その実を食べながら、色々なところに種を蒔いて、お友達を増やせたかもしれません。
 竹の神との日々を思い出すと、みんなは自分につらく当たりませんでした。そもそも竹は固いので、バラのトゲが触れた程度では傷もつきません。バラよりも幼い筍ですら、分厚い衣に包まれていたので、触れたところで痛くもかゆくもなかったでしょう。
 もし、竹の神様にお願いして、お友達になってくれる筍の精を生んでもらえたら、お友達が出来たのだと思いました。竹の精達は自分の為に筍を茹でて盛りつけてくれました。休憩するために、竹を縦に割ってベッドを作ってくれました。
 竹の精達は、バラのことをお友達とか弟とかと思ってくれていました。おぼろげながらに竹の精の表情を思い出したバラは、確信しました。自分が友達になろうとしなかったから、友達がいなかったのだと。
 確かに意地悪する精達は大勢いましたが、してこない精も大勢いました。バラの目には、彼らが映っていなかったのです。
 ミントの精を助けた日、バラは果ての岩地に向かいました。なぜ向かったのでしょう。なぜ、竹の神のところに行かなかったのでしょう。あの森で一番神気が強かったのは、竹の神です。森の偉い役人ではなかったけれど、かばってくれたかもしれません。
 竹の神はバラを必要としていました。毎年筍を掘ってほしかったからです。竹林に住まわせてくれたかもしれません。
 竹の根があるから、自分が根付くことは出来なかったかもしれませんが、竹のコップに土を入れてそこに居候させてもらうことが出来たかもしれません。食べきれないほどの筍が生えますから、根から栄養を吸うことが出来なくても、生きていけます。なんせ、果ての岩地でも生きてこられたのですから。
 そもそも、果ての岩地に行ったのは、なぜなのでしょうか。みんなが岩地に行けと言ったからでしょうか。いいえ違います。言われはしましたが、自ら進んでいったのです。そして、自ら進んで戻らなかったのです。
 果ての岩地に行かない選択肢はいくらでもありました。全て自分で放棄してしまったのです。
 姫と旅をしてきて、色々なものを見ました。小川とはいえ、バラにとってはとても大きな川でした。あんなに水が豊富なら、もしかしたら菜の花達は分けてくれたかもしれません。石ころの上に坐ってたまに水を貰うことくらい、許してくれるでしょう。
 トゲがあるから直接遊べませんが、おしゃべり位はしてくれたかもしれません。なんせ、あの女の子は、何百年もずっと自分に感謝してくれていたのですから。
 ミントの精を助けた時、あの赤ちゃんはバラに触れられて痛がりませんでした。土のベッド越しであったし、種の中にいたからです。何か間にあれば、触れ合うことはできるのです。袖が袋状になっていましたから、これを使って手をつなぐことだって出来たはずです。
 自分以外にもトゲのある植物はいっぱいいました。彼らは、誰にもイジメられることなく立派に森で生活しています。バラに出来ないはずがありません。
 バラ自らがしようとしなかったのです。仲良くする方法はたくさんあったのに、無知であったが故に、友達を作ることが出来なかったのです。更にバラが学ぼうとせずに、ただただうずくまってばかりいたので、みんなは友達になりたくてもなれなかったのです。
 ガキ大将は、バラの様子がおかしかったので、話しかけて来たではありませんか。話しかけてくれたのです。もしバラが、既にミントが生まれている、と教えてあげていれば、彼の反応は違っていたかもしれません。
 ガキ大将は自分を心配してくれたんだと、バラは気が付きました。だからこそ、ちゃんと話していれば、ガキ大将は率先してミントを助けようとしたかもしれません。一緒に頑張って事を成せば、お友達になれたかもしれません。
 直接触れ合わなくとも、枯枝を使ったチャンバラや、ボール遊び、川遊び、一緒に甘い実を食べるなど、いろいろ楽しむことが出来ます。それなのにバラは、トゲがあることを理由にガキ大将を拒否してしまったのでした。
 突然バラは起き上がって言いました。
 「そうだ! はじめて自分をイジメたのは、自分だったんだ」
 両方の手のひらを見つめ、腕に絡まるイバラを見ました。自分のトゲで自分を傷つけていたのです。幼いころ、自分の力量を計れず、痛い思いをした経験は誰にでもあります。トゲの鋭さを知らなかったバラは、自らのトゲで傷ついたのでした。
 その痛みを恐れたバラは、同じ痛みを誰かに与えることを恐れ、みんなを拒否したのです。そして、いつしか誰かから同じ痛みを受けるのではないか、と恐れるようになったのです。
 バラは、壁越しに眠る姫を想いました。今自分が気が付いたことは、姫がバラにしてきたことでした。相手を知ろうとし、喜びも悲しみも気持ちの良いことも痛い思いをすることも、みんな一緒にしてくれました。
 悪い虫と闘った日のことを思い出しました。あの時、バラはわがままを言いました。わがままを言ったのは初めてでしたし、世間一般には良い事とは受け取られません。ですが、それは本当にわがままなのでしょうか。
 周りのわがままに意見しているだけの時もありますし、自分の気持ちをちゃんと伝えている時もあります。悪く言えばわがままですが、どちらか一方が我慢するのではなく、話し合ってお互いが満足する、より良い関係を構築する努力、ととることもできます。
 姫はバラの希望を受け入れました。もともとバラは1人で戦う気でいましたが、それは全く無謀なことでしたから、姫は自分の傍を離れず共同作業する、という折衷案を提案してくれました。
 確かにバラは全く役には立ちませんでした。ですが、一緒に戦ったことで、みんなと戦友になれたのです。あの戦いの前と後では、心の距離感が全く違いました。
 人間の皆さんにもあるはずです。あまり仲良くなかった子が、自分と同じ趣味を持っていることを知ったり、何かを一緒にやってみたりしたことで、急に心の距離が縮まって仲良くなったことが。
 全ての者がそういうわけではありません。実際、悪魔のように、相手を貶めることを目的とした者もいます。笑顔で近づいてきて、後ろから包丁で刺してくるのです。誰かれかまわず信じて接すれば良いわけではありません。あえて遠ざけることも必要です。森の中にもそのような者がいたからです。
 ですからバラは、果ての大地に行ったことを後悔しませんでした。少なくとも、イジメられなければならない環境が全てだったバラに、他の世界があるのだということを気が付かせました。それに、あそこでは、1人でいる強さを手に入れました。悪意のある者達など相手にせず、気高き存在になっても良かったのです。
 どうすれば、善悪を識別して、本当の悪意とそれ以外に対応することが出来るのでしょうか。それは、姫の様な視点と思考と言動が必要です。
 バラをイジメた者の中には、家族が傷つけられるのではないか、との思いから、噂を信じてイジメに加担した者もいました。歪んだ発露でしたが、根源は家族への愛でした。姫のように凛とした態度で、ちゃんと説明すれば分かってくれるのです。
 悪いのはイジメていた方であって、バラには何の罪もありません。ですから、果ての大地にバラが追い込まれて苦しんだことの根本原因は、イジメていた側にあります。ですが、バラがとれる選択肢は、他にも無限にあるということを、絶対に忘れてはいけません。

 “なぜ、わたししかいないと思うの? わたしがいたのよ。お友達は1人もいないと思っていた花の里に、1人いたのですよ。
 たった1人かもしれないけれど、わたし1人分、あなたの周りに光がさしたのよ。
  それに、わたし1人いたのだから、2人いないとは限らないでしょう。たった1人でも、1人分あなたの世界は変わったのですよ。
  悪いことをすれば、1人分世界は悪くなるし、良いことをすれば、1人分世界は良くなるの。
  わたしは、あなたに良くしてあげようと思ったの。そうしたら、わたし1人分あなたの世界は良くなったわ。
  バラちゃんも、人に良くしてあげなさい。
  そうすれば、あなた1人分、その方は良い方向に変わるのよ。
  そうやって、みんなはお友達になっていくの“

 バラは、何度も何度も姫の言葉を繰り返して思い出しました。姫1人分の明るさは、影が存在することすら微塵も許さないほどの眩しさで、バラを照らしています。バラは、もう誰とでもお友達になることが出来るでしょう。

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