バラの精と花の姫

緒方宗谷

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目の前のことにとらわれすぎて、未来のことを疎かにしてはいけない

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 ジタバタジタバタ、バラが駄々をこねています。姫が作ったトゲの道具は3人分しかありません。なのに、これを使えば、神気が弱い自分でも一緒に働けますから、バラも行くと言って聞きません。
 しかし、姫は幼いバラが、虫にやられるのではないかと心配して、フキノトウの中で待っているように言いました。
 バラは納得がいかず、ほっぺを膨らませています。
 「あまり姫を困らせるでない」
 爺やが神気を使ってバラを持ち上げ、無理にフキノトウへ連れて行こうとします。バラはイバラを出して抵抗しようとしますが、実力が違いすぎて、1つのトゲすら具現化することが出来ません。
 姫は思いました。せっかくやる気になっているのに無理に拒否すれば、バラのやる気を挫いてしまう、と。幼すぎるバラは全く役に立ちませんが、何もできなかったとしても何か任務を与えて遂行してもらい、褒めてあげよう、と思ったのです。
 姫は幼いころ、牛乳を飲もうとして自分で注いだことがありました。まだ1000歳くらいでしたから、今のバラと変わらない年齢です。当時の姫には牛乳瓶が大きすぎて、上手く注げません。結局、ほとんどの牛乳をこぼした挙句、コップに注げたのは半分だけでした。
 家庭によっては、「何やってるの」と怒る母親もいますが、母親である花の主神は違いました。「良く注げましたね」と頭を撫でて褒めてくれたのです。そういう経験の繰り返しが、心優しく積極的な姫の性格を形成しました。
 そんな思い出を思い出していた姫は爺やを制止し、バラを連れていくことにしました。
 「わたしのそばを離れちゃだめよ」
 「ん!!」
 バラは、真剣なまなざしで唇をギュッと閉め、気を付けして返事をしました。
 8人いる兵隊を目の前に並べた姫は、彼らを3隊に分けました。町に医者を呼びに行く係2人、お城に報告する係2人の分隊と、治療に参加する先発隊の2人と残りの4人からなる6人の小隊にです。
 「まず、町班と城班に町に行ってもらい、町班は医者を連れて戻ってきてもらいます。
  お城班は、町の兵の詰所に行って竹編みの船を借りて、この手紙を宮殿に持って行って、檜の神に見せてください」
 姫は急いで手紙を書いて渡し、2班を出発させました。
 檜の神は老神で、大臣の地位にある偉い神様です。檜は植物の神の中で、杉と並ぶ神気の強い存在です。草木の生活環境を管理する地位にいるので、彼に協力をお願いすれば、すぐになんとかしてくれるでしょう。
 残った4人の兵士を蜜蜂とペアにしました。残った蜜蜂の内、1人を自分とバラの警護、1人を爺やの警護につけ、2人をパンジー達の護衛につけました。
 みんな神様ですから、油断をしなければ、悪い虫の精ごときに負けるはずはありません。ですが、植物にとって体に巣食う虫は相性が悪いので、万が一ということがあります。ですから、相性が良くも悪くもない蜜蜂を護衛につけることによって、防御力を高めようとしたのです。
 「先生!! 先生!!」
 キツツキの医者は力尽きようとしていました。ゴマダラカミキリのあごにやられて、全身血だらけです。羽ばたくことはおろか、立ち上がることさえ出来ません。木々は冷ややかな目で見ています。
 「なんでことだ!! このやぶ医者め!!」
 何本かの木が言いました。ほとんどの木は、同情はしていたものの、この医者をかばう者はいません。この期に及んで、ようやく木々は、町に助けを呼びに行くことを協議しだし、悪い虫が発生していないところに生える木に、行ってもらうことにしました。
 「こんなにも一生懸命治療してくれた先生に、何て言い草ですか!!」
 泣いて叫ぶ弟子を止め、医者が言いました。
 「治療を続けなさい、私は少し休めば大丈夫だから」
 ほとんどの神気を使い果たし、これ以上力を使えば本当に死んでしまいそうでした。少し休んだくらいでは、回復する見込みは全くありません。弟子が自分に注ぎ込もうとした神気を拒絶し、木々の治療を続けるよう、右手を振って指示します。 
 医者がゆっくりと臥せり、土の冷たさが頬の内に伝わりだした時でした。2人を囲むように緑に光る魔法陣が形成されていきます。少しずつですが、2人の神気が回復し出したようです。医者は目を開けませんでしたが、それでも死の淵から戻ることが出来ました。
 弟子が見上げると、両手を広げで舞い降りてくる松の神の姿が、視界いっぱいに広がっています。その上を、つくしの精霊と蜜蜂の精が大勢通過していきました。中央には、七色に輝く花の姫がいます。
 姫の初陣です。見て分かるほど腐っている部分をシャベルで掘って、奥の方にキリを突き刺し、穿り返してまわりました。顎が牙のように発達して胴が長く、長い触角を持つ頭と胴の左右が黒くて、胴の中央は薄茶色、長い足が4本ある甲虫です。
 「ゴマダラカミキリですな!!」
 爺やが叫びます。
 ゴマダラカミキリは虫の里の住人で、普段は悪さを働くことはありません。木を主食にしていましたが、普段は木にことわりを入れて古枝を貰ったり、悪くなった幹肌を食べてあげたりしています。虫の里には木々はありませんから、里内では、基本的に伐採された木を花の里から届けてもらって、それを食べています。
 悪さを働かなければ、木々にとっても、どうということのない虫でした。ですが、ひとたび悪さをすると、枝や幹に穿孔して枯死させてしまう恐ろしい存在です。ですから、悪魔に勧誘されて堕天するゴマダラカミキリの精霊も稀にいました。
 なぜ悪さをするかは分かりません。人間の中にも犯罪を犯す人がいるように、そういう性格に生まれてしまったのか、魔界の者に唆されたのか、大半は幼い精ですから、ただ無分別なだけかもしれません。ですが、分別できない無知な状態は、自分や周りを悪い方向に向かわせてしまいます。
 普通の虫なら、木々の痒いところやいらない枝でお腹を満たすのですが、何も知らないばかりに、数本の木を死に至らしめてしまいました。そして、そのような悪い仲間を増やして、今駆除されようとしています。
 黒茶色の硬い殻に覆われていましたが、蜜蜂の槍の前ではなすすべなく、貫かれていきました。あまり強そうにないつくしの兵士達も、さすがは姫の兵だけあって、とびかかってくる虫達を、自分の身長より少し長い程度の槍を使って、叩き切っていきます。
 槍は普通突く武器のように考えられていますが、中には鞭のように叩きつけて使う槍もあります。大変良くしなる短めの槍で、叩く力にしなりの反動が加わって、とても強い破壊力になります。力の弱い兵でも高い攻撃力を発揮できるので、つくしの精霊は、みんな愛用していました。
 パンジーの2人も意外に頑張ります。襲ってくる虫達から逃げる隠れるの繰り返しで、戦うのはもっぱら護衛の蜂でしたが、木の中に隠れる虫を見つけては、次々に駆除していきます。
 どれだけ多くの虫が隠れているのでしょう。倒しても倒してもきりがありません。キツツキの精霊を守りながら四方八方に松葉を飛ばして、援護してくれる松の神がいなければ、姫達は取り囲まれて、負けていたかもしれません。
 姫がシャベルで掘り起し、バラがキリでつついて、虫を倒していきます。何時間か経った頃、ようやく虫の勢いが弱まってきました。ですが、姫達も疲弊の色を隠せません。特に姫は、相性の悪い虫からバラを守りながらの戦いでしたから、とても疲れています。
 息を切らせた姫の目の前には、死にかけた若い木が1本あります。巣食っていた虫は全て取り除いたはずでした。ですが、もう手遅れの様です。
 「死んではいけません!!」
 姫は必死に幹を叩いて起こそうとします。木の精は返事をしません。バラも護衛の蜜蜂も、傍らで見ていることしか出しませんでした。姫は、残った神気を木に注いで、なんとか救援が来るまで持ちこたえさせようとします。
 しかし、なぜなのでしょう。いっこうに木に生気が戻る気配がありません。姫は驚き、木の隅々を見てやりますが、全く分かりません。
 突如、木の皮を粉砕して、大きな悪い虫が襲ってきました。小さい頭は腫れただれた様な汚い赤、黄土色ががった白い体は、潰れた球が連なったように長く、それぞれに短い脚がついています。ゴマダラカミキリの幼虫でした。下級の精なのに、どうしたことでしょうか、とても強い力を発していて、姫達よりも大きく成長しています。
 実は、死にかけた木の精に注がれた姫の神気は、潜んでいたこのテッポウムシの精に全て吸い取られていたのです。
 突然のことで身構える暇がなかった姫を守ろうと、護衛の蜜蜂が槍を構えて突撃します。ブジュ! という音が鳴って突き刺さりましたが、芋虫の力の方が強く、槍は折れ、屈強な働き蜂が跳ね飛ばされました。
 バラは怖くてその場から動けません。その場にへたり込んで、茨の結界を張り巡らせます。ですがバラ程度の力では、今の大きな芋虫にとって縫い糸ほどの意味もなしません。姫は咄嗟にバラを抱きしめ、その身を盾にしました。イバラのトゲが全身に突き刺さるのもいとわずに。
 その本性を象徴するような七色の光を放つ結界に、さすがのアゴも役に立ちません。巨大化したといってもただの精ですから、神の力を破ることはできませんでした。巨大化した芋虫は何匹もいましたが、体勢を立て直した兵士達は、一致団結して1匹1匹倒していきます。
 キツツキの弟子が死にかけた木の全身をくちばしでくまなく調べ、もう虫がいないことを確認しました。姫はもう一度神気を注ぎます。神といってもまだ幼いので、思うように回復させられません。
 幼虫の精は幹の中心に住み着くので、この木の中心部は上から下まで空洞になっていました。根から水や栄養を吸い上げる力も弱まっているので、このままでは死んでしまいます。
 爺やに頼めば、もしかしたら回復させられるかもしれませんが、まだ虫は這いまわっていましたから、松葉の援護を失うわけにはいきません。杉の香油の防虫効果も薄れてきました。杉の神が精製したものではないので、宮殿にある物ほどの力は無いようです。
 姫は諦めませんでした。死にゆく木の精の様子を見たバラは諦めていましたが、姫の頑張りか天の定めか、死んでしまう前に町からの救援が到着しました。町の警備兵が20人と米の医者達です。
 米の医師団を束ねる米の神は、瑞穂で木々の全身を撫でて状況を見極め、腐ったところを綺麗に取り除き、洗い清めました。そして、檜油から作った薬をそこに塗りこんでいきます。
 檜の香油には、抗菌、防虫の効果ばかりでなく、創傷の治癒力も兼ね備えています。町医者の物とはいえ、薬効のある他の香油と比べて高い効果がありました。檜の老神が作ったものであれば、花の里において、杉の老神が作った杉の香油と並ぶ大変貴重なお薬です。
 微かにですが、生きる兆しが表れた様でした。米の神は、持ってきた甘酒を飲ませて体力の回復を試みます。甘酒の滋養強壮の力は大変高く、疲れなんで一瞬で吹き飛びます。
 米の医者達は、爺やから沢山の松葉を貰って煎じました。松葉は仙人の長寿食としての伝説もあり抗菌作用も高いのです。医師団は、この煎じた汁で病に侵された木々を洗い清めました。
 松葉を焼いて残った虫をいぶりだしたり、卵を駆除したりしました。ここまでくればとりあえず安心です。松の良い香りが森に広がっていきました。疲れ切った姫達は、松の種をおやつに甘酒を飲みながら、松のお香を楽しみました。
 森は広いので、宮殿の上位神達からなる医師団による調査を待たなければなりません。卵が1つでも残っていれば、また同じことの繰り返しになってしまうからです。
 町から来た米の医者は辺りを調査して、途中経過を姫に報告しました。もし姫が真っ先に町に救援を頼まなければ、もっと多くの木々は死んでいた、と言うのです。
 姫は森に入る前、とても重要な視点で森を見ていました。目の前で苦しむ者がいれば、みんなで行ってすぐに助けてやりたいのが情ですが、姫は我慢しました。もっと多くの助けがあれば、沢山の木々を救えるからです。
 キツツキの医者ですら思いもよらないほどの虫が潜んでいましたから、もし姫達だけなら、いまだに戦い続けていたことでしょう。大局を見ることの出来たおかげで、大惨事を免れることが出来ました。
 米の神の話を聞いた森の木々は、姫に感謝しました。ですが、姫は言いました。
 「本当に感謝しなければならないのは、キツツキのお医者さんに対してです」
 目を覚ましたキツツキの医者は、感激して泣きました。そして、大局を見れなかった事を反省しました。弟子を町にやれば、もう少し楽に退治できたかもしれません。
 ですが、今回のことは、キツツキの医者にとって良い事もありました。非常時に本当の性格が出ると言います。5人いた弟子は、たった1人しか残りませんでしたが、この弟子は、将来立派な先生になることでしょう。


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