バラの神と魔界の皇子

緒方宗谷

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9 悪意を挫くのは、未来へつなぐ優しさ

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 天には恐ろしげな暗雲が立ち込めています。心を不安にさせる低く唸るような音がゴロゴロとなり、時折落雷が落ちて爆音が木霊します。とても不快で、絶望に誘う悪魔のオーケストラです。
 人の世界でも、味方を鼓舞したり敵を怯えさせたりするために楽器を使います。皆さんも、楽しい音楽を聞いて心が弾んだり、悲しい音楽を聞いて落ち込んだりしたことがあると思いますが、正にそういう効果を狙って悪魔達が演奏していたのです。
 日本という国では、雷のことをイナヅマと言いうのを知っていますか?稲の妻と書いて稲妻です。
 本来、ゴロゴロという雷雲の音もバリバリバリという落雷の音も、植物にとってはお祭りのお囃子のようなもの。雷鳴はみんなの中に元気を湧きあがらせ、雨は大地を潤します。大勢の精霊や精達が雨の中で躍りに繰り出して、飲めや歌えの大さわぎ。
 雷の時期は、特に稲にとっては重要でした。稲は雷と結婚しなければお米を作ることが出来ません。稲の妻と書いて、雷のことをイナズマと呼ぶのは、神話の昔からです。
 しかし、今花の里に鳴り響く雷は、心躍るお祭りのお囃子ではありません。死に向かって心が蝕まれる、恐怖の演奏でした。なんせ演奏しているのは、雷神でもなく雷の精霊でもなく、悪魔だからです。
 天界の神々も及ばない更に高位な存在に、光や空気、風や電気、匂いなどの神々がいます。誰も見たこともないのですが、確かにいると信じられていました。
 その様な神々が起こす自然現象と違って、悪魔が起こす雷雲による暴風と雷鳴は、悪意に満ち満ちており、精霊達を恐怖のどん底に突き落とします。
 襲われた花の精霊達は逃げまどい、生き残った者は集まって、果ての岩地に逃れていきました。
ここは1歩足を踏み入っただけで死に誘われる不毛の大地です。皆踏み出す1歩をためらいますが、腐肉の軍団はもうすぐそこに迫っていました。
 名も無き小さな森が襲われたのは突然でした。何事もなく平和に生活していた心優しい女性が突然豹変し、一緒にいたお友達の首を絞めたのです。
 この女性1人だけではありません。至る所で突然豹変した精霊達が、周りにいた精霊達を襲い始めたのです。
 初めは、力のある神や精霊達が取り押さえていたのですが、数が多すぎて対応しきれません。ついには豹変した者達が干からびたミイラのようになったり、腐り始めたりしました。それなのに彼らは生きていました。
 「山桜の女神様、彼らは悪魔に呪われているのではありませんか?」
 1人の精霊が言うと、避難していたみんなはとても恐ろしくなって叫び声をあげます。
 オナモミの自警団が、迫りくるゾンビをモーニングスターやフレイルで倒しますが、いくら叩いても甦ってきて襲ってきます。中には、助けて助けてと泣き叫びながら襲ってくる精もいて、皆戦うのを躊躇してしまいました。
 その様子を見ていた山桜の女神は言いました。
 「確かにそうかもしれませんね。早く町に行って、力の強い神々におすがりしましょう」
 しかし、避難して集まっていた精霊達の中からも豹変するものが現れ始め、ついにその数は正常な者達を上回りました。もはや集団で避難できる状況ではなくなり、塵尻に逃げ回ります。
 そんな中、方々の町や村から逃げてきた精霊達から、魔軍が侵略してきた、という話が広まってきて、小さな森は大パニックとなりました。
 行く当ても定まらぬまま、みんなは急いで荷物をまとめて森を離れていきます。山桜の女神も、助けを乞う精霊や精達を引き連れて逃げました。
 そして、森を出た山桜達は、追われるがままに走り続け、ついには果ての岩地に追い詰められてしまったのです。
 これ以上躊躇している暇はありません。みんなは意を決して、全ての精気を吸い取るような乾いた大地に入って行きました。
 風に乗ってやってくる呪われた腐臭から逃れるため、何カ月もさまよい続けました。幸い、腐肉の軍団は追ってきません。彼らも精気を吸われては生きていけないからです。ですが、草と岩地の境に留まり続けました。
 そもそも腐肉の軍団は、死んでもなお生きているわけではなく、取り憑いたウジ虫の魔物に操られているだけです。ですから、死の大地に入って宿主が干からびてしまうと、憑依したウジ虫は死んでしまいます。
 腐肉の軍団は、精霊達を取り逃がしてしまったことを悔やんではいません。精霊達が戻ってくれば食べてしまえば良いし、戻ってこなければ枯れて死ぬからです。
 軍団を率いていたゴキブリバチの悪魔が言いました。
 「まあ良いさ。美味しい山菜や木の実は、いくらでも手に入るからな。奴らが出てくるまで、美食に耽るとしよう」
 果ての岩地に入った者達の中で、力の弱い精や妖精が光の粒子となって消滅し始めました。ロウソクの火を吹き消した時に立ち上る煙のように。
 「もうだめだ! 喉が渇いて耐えられない!」
 「死にたくない! 水を! 水をちょうだい!!」
 狼狽する精霊が続出する中、1人の精霊の根が養分となる神気に気が付きました。みんなで辺りの石ころをまさぐって回ると、何かが埋まっているのに気が付きました。掘り起こすと、埋まっていたのは大きなカメでした。
 「ここにもあるぞ!」
 「ここにもあったわ!」
 それらは、いたるところに埋まっているようでした。開けてみると、筍の塩漬けが入っているではありませんか。
 いくつのも空のカメには水がいっぱい溜まっています。竹のコップから滲み出る水が大地に吸われて、埋まっていた空のカメに溜まったのでした。死を覚悟していた精霊達は、争うように水を求め、浴びるように飲みます。
 「ああ、なんて奇跡だ、私達は運が良いぞ。何でこんな物がこんな所にあるのかは知らんが、これで死なずに済む」
 喜びのあまり、みんな大騒ぎです。
 そんな中、神妙な面持ちの菜の花の女性が、ふと追われたバラの話をしました。
 「・・・・・」
 誰も何も答えられません。みんなは、静かに喉を潤しながら、菜の花の精霊の身に起こった話を聞きました。
 もしや、バラがいたところなのでしょうか? 竹の神が皆を割って、大きな石の前に出てきて言いました。
 「これは・・・、まさか信じられん・・・」
 竹の神と竹の精霊達は筍の塩漬けを手に取って、とてもびっくりしています。竹の神は、これが間違いなく自分の筍だと確信しました。
 桑の精が泣き崩れました。バラを知る精達が言いました。
 「僕達はバラのおかげで助かったのか」
 「あんなひどい事をしてしまうなんて・・・」
 バラのお陰で生き延びることが出来そうです。皆バラをイジメていた事を後悔し、そして感謝しました。

 “このままが良い。  
  また誰かが追い出されてきた時、悲しみながら死なないように。
  いつかお友達ができるかもしれないから”

 あれから5千数百年の月日が流れました。バラの生まれ故郷の森の住人達は、ついにバラのお友達になったのです。
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