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夏休み初旬 私と名も無き青年

黒い目と青い目

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地響きのような音が響き渡る。

実際は小さな音かもしれない。

でも私にはとても大きな音に聞こえた。

扉が全て開き終えると才田さんが私に声をかける。



「桜様が入った途端に閉まるようになります。再び出る際には窓から合図してください。それではよろしくお願いします」

「はい……」



私はお父さんを少し見る。

目線は私ではなく奥にいる人に向けられていた。

そんなお父さんを見てから足を恐る恐る出して扉をくぐる。

私が完全に入り切った後、扉の重い音がして部屋を完全に閉じられた。

中央に蹲っている人は何も反応を見せない。

まずこの空間に私が居ることを認識しているのだろうか。

扉の重い音で気付くはずだろうと思うが、そんな様子は一切見せなかった。

私はその人にゆっくりと近づく。

なるべく驚かせないように。

怖がらせないように。

近づく度にわかるその人の呼吸。

ちゃんと生きているのは当たり前なのに、1ミリも動かない体はまるで死んでいるようだった。

お互いの距離が1メートル程になると私は足を止める。

流石に隣に居ようという気にはなれなかった。

今回が初めてなのだからあまり近くには居ない方がいい。

私は止まったその場にしゃがんで、同じように体育座りをした。



「は、はじめまして。私は海辺桜って言います。貴方と会話するように言われてここに来ました」

「………」



無視。



「えっと、年齢は17歳。高校2年生です」

「………」



2度目の無視。

持ち札となる自己紹介は尽きる。

私の情報から話題を広げようという作戦だったのだが、無様に終わった。

私はガクッと頭を下げる。

でもすぐに上げて次の話題に入った。



「名前教えてくれませんか?」

「……」

「年齢とか…」

「……」

「好きな食べ物は…?」

「……」



私の一方的な質問は一言も答えることなくこの部屋に気まずい雰囲気を充満させる。

その前にこの人は起きているのだろうか?

最悪息をしていなかったら?

でも先程呼吸は聞こえた。

しかし返事はない。

私は不安になってまた声をかける。



「あ、あの、起きてますか?」

「…」



それでも答えなかった。

私は遂に立ち上がって側に行く。

やはり呼吸はしている。

だとしたら寝ているのか。

私は隣に正座して座るとその人の左手を握って確かめた。



「冷たっ…」



驚くほどの冷たい体温。

凍っているかのように冷えていた。

人間の体温ではない。

私は目を開いてどうしようか迷っていると、小さな声が耳に届いた。



「あったかい、ね…」

「え…?」



少し掠れた声がそう言う。

私は顔を覗き込むとその人はゆっくりと顔を上げた。

前髪が長くて目に入ってしまいそう。

でもその隙間から見える目は青く光っていた。

私の黒い目と、その人の青い目が見つめ合う。

才田さんの時とは全く違う意味で見惚れてしまった。

青い目はまだ私を捕らえる。

我に返った私はすかさず目を逸らした。

すると私が握っていた手が握り返される。



「あったかい…」



目を閉じて感じ取るようにその人は強く握った。

それでも全く力は無いし、痛くない。

それもそうだ。

腕に視線をずらせば骨と皮のように細い。

涼あたりが力を入れたら折れてしまうのではないだろうか。

そう思ってしまうほどの細さだった。

そして握ってる逆の右腕には点滴の管が刺されている。

痛々しいその姿に私は眉を寄せた。

正座だったのを座り直して、体育座りに戻る。

俯きがちの顔を覗き込むように私は傾けた。



「寒いんですか…?」

「うん。でも、これが、僕の体温、だから…」



途切れ途切れの言葉は私の質問に答えてくれた。

やっと話してくれたのに対して喜ぶと同時に私はこの人の性別がわかる。

声の低さと、自分を僕と呼んでいるからきっと男性だろう。

外見は細すぎて性別が判断できない。

髪も一般的な男性にしては長いし、前髪に関しては切ってあげたくなるほどだった。



「あの、名前教えて貰えませんか?」

「……ない。名前、無い」

「えっ無い?」



まさかの返答に私は驚く。

年齢的には私よりも少し上に感じるがそこまで生きていても名前が無いとは驚きだ。

かと言って私が名前を付けるわけにもいかない。

とりあえず、口では君とか貴方呼びにしよう。

心の中では……青年?呼びに決めた。



「貴方は何でここに?」

「……」

「あっ答えたく無いのならいいです!無理矢理聞くのは失礼なので…」

「うん…」

「そうだ。私のことは桜って呼んでください」

「桜ちゃん…」

「はい」



青年は私の名前を呼ぶと少し表情を柔らかくした。

なんだか嬉しさが倍になってくる。

ただ名前を呼ばれただけなのに。

次の話題はどうしようか。

そんな事を考えていると部屋のガラスを軽く叩く音がする。

私は音がした方を向くと、お父さんが手招きしていた。

帰ってこいという意味だろう。



「すみません。時間みたいで…」



私はそっと繋がれていた手を離すと青年が小指を控えめに掴んできた。



「帰るの…?」

「は、はい」

「そう…」

「また来ます!その時はもっと面白い話題を用意してくるので!」

「……」



少し震えた声で青年は私に問いかけるので私は思わず約束を交わす。

すると掴まれた小指は離されて、青年の手は床に落ちた。

その後は何も言わずにまた顔を俯ける。

私は思わずまた手を握ろうとしたけど、お父さんの視線を感じて留まった。



「また来ます」



私はそう言って扉へ向かって行く。

扉の前に立つと重い音を鳴らして横に開くと同時に後ろを振り返った。

最初の時と同じ姿勢に戻った青年は全くこっちを見ずに動かなかった。

扉を通ってお父さんの元へ行くと腕を組んで私を待っていた。

後ろには才田さんがファイルを持って立っている。



「ありがとう桜。また1歩進めた。この調子で夏休みの間は頼む」

「う、うん…」



やはり拒否権は無いらしい。

でも私は青年と約束をしたから行かなければならないのは確定している。

するとお父さんは側にあった白衣を着て私の横を通った。



「私はこれからやる事がある。帰りは才田が送ってくれるから安心しなさい。才田、後は頼んだぞ」

「かしこまりました」



そう言うとお父さんはまた別の部屋へと消えて行った。
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