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107.目玉の神様②(怖さレベル:★☆☆)
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音は次第に大きくなり、アパートの全容が見えるころには、
赤く点滅する回転灯の光が、まぶしく目を焼いてきました。
(なにか……あったの……?)
三台ほどのパトカーがアパートの前に陣取り、
端の方には救急車も一台、止まっています。
野次馬めいた人たちがアパートを取り囲むようにワラワラと集っていて、
まるで新芽につどうアブラムシを彷彿とさせました。
私はオドオドしながら、慎重に近づいていきました。
「ねー、怖いよねぇー……」
「あれ、あったんでしょ……?」
「ひどい話よ……」
ヒソヒソと、なにごとかをささやく人たち。
しかし、聞こえてくる話は断片的で、詳細がまるでわかりません。
人垣に囲まれてしまっている現状で、
私が部屋に戻ることもできず、すっかり途方に暮れていると。
「あっ……あなた!」
人波にまぎれていたアパートの大家さんが、
こちらに気づいて声をかけてきてくれました。
「あ、どうも……これ、なにかあったんですか?」
「ええ、そうなのよ……もう、困ったわぁ」
大家さんは、眉をグッと八の字に下げて、
もごもごと口ごもります。
「その、ね……うーん……なんといえばいいか……」
彼女は、しばらくウロウロと視線をさ迷わせた後、
意を決したように顔を上げました。
「えぇと、ね……あなたの部屋の上、若い男の子が住んでたでしょう」
「あぁ……そう、だったような」
アパートのほとんどの人と面識はなく、たまにそれらしき姿を見るくらいです。
言われてみれば、駐車場で車にのりこむ姿をなんどか見たことがあったような。
「えっ……まさか自殺、とか……」
パトカー、それに救急車。
連想された最悪の事態を口に出すと、
大家さんはウっと一度目をそらした後、震える手で口を覆いました。
「だったらまだ……いや、それは失礼ね。
えぇとね、その男の子……人を、殺してたらしいの」
「え……っ」
人殺し。
自殺よりなお衝撃的な一言に、私は言葉を失いました。
「なんでも、恋人の女の子との別れ話がもつれたとかで……
勢いあまって、殺してしまったんだって……」
「そっ……そんな、ことが」
下の部屋に住んでいるというのに、なにも気づいていませんでした。
呆然と口をポカンと開ける私に、大家さんは頷きながら続けます。
「それもねぇ……殺したの、今日や昨日じゃないらしくって。
もう、ひと月以上前らしいのよ」
「えっ……ひと月以上、前?」
「うん、そうなの。私もね、今日、彼のとなりに住んでるって人から、
ヤバイ臭いがするから注意してくれって頼まれて……それで、わかったのよ」
「えっ……し、死体が、ずっと部屋にあったってことですか?」
「そうみたい。むりやり床をひっぺがして、そこに押しこんでたみたいなの。
あたしが部屋に入ろうとしたら、暴れ出してね……いっしょに旦那が来てたから、どうにかなったけれど。
様子がおかしいから通報したら、ソレが見つかってねぇ……」
大家さんはその光景を思い出したのか、
うつむき加減でため息をはきだしました。
「警察がしばらく出入りするだろうから、
ちょっとバタバタしちゃうと思うけれど……」
「そう……ですか」
彼女はまだその話を続けたい雰囲気でしたが、
私は頭がまっ白になって、生返事を返すことしかできません。
それを、大家さんは部屋へ帰りたがってのことと思ったか、
「ああ、ごめんね! つかれてるところを引き留めちゃって……
警察の人は、住人は通してくれるって言ってたから、声かければ入れてくれるよ」
「あ……あぁ、ありがとうございます……」
なんとかあいまいにお辞儀してから、
ふらふらと自分の部屋へ向かいました。
バタバタと階段を警察が上ったり下ったりして、
どこか物々しい雰囲気がただよっています。
入口の警官に事情を説明すれば、
こころよく部屋へ通してもらえました。
キィ、バタン
「…………」
部屋へ戻った私は、買い物袋を玄関に置き去りにしたまま、
ある一点へと向かいました。
廊下を通り、リビングを抜け、奥の寝室へ。
たたまれた布団の真上――目玉のシミを、確認するために。
「あ……まだ、ある」
じっとりと、しめった濃い色の目玉のかたち。
それは消えることなく、ハッキリと視界に存在しています。
『むりやり床をひっぺがして、そこに押しこんでたみたいなの』
床に押しこめられた死体。
一か月以上前に殺された女性。
自分がシミに気づいたのは――ちょうど、そのくらいの時期。
「う……――ッ!!」
声もなく、私は扉をたたきつけるようにして部屋をとび出しました。
私が神様として感謝していたアレは――
殺害された女性の、死体からしみだす体液そのものだったんです。
その日からしばらくは、ネットカフェやカプセルホテルを点々として、
仕事が見つかっておちついたころ、引っ越しました。
幸い、部屋は片づいていて、荷物も少なくしていたから、
引きはらいはスムーズに進みました。
あんなこともあって、大家さんも理解してくれていましたし……。
ああ……あのシミですか?
ええ、警察の方にはお話しました。
引っ越すころにはまだあったので、
その後、どうなったのかはわかりませんが……。
幽霊の怖い話、では到底ありませんでしたが、
私にとっては、人生で一番恐ろしかった体験です。
知らぬうちに、上の住人が殺人を犯していたという事実も怖ければ、
人間の体液が、真下の天井にまで染みてくることも、もちろんとても恐怖でした。
でも……一番恐ろしかったのは、そんな液体がつくった目玉のシミを、
神様として崇拝していた、自分の当時の頭のおかしさです。
おかげで、今の生活があるといえばそれまでですが……。
もう、あんなに追い込まれる生活は、二度と御免です。
話を聞いてくださって、ありがとうございました。
赤く点滅する回転灯の光が、まぶしく目を焼いてきました。
(なにか……あったの……?)
三台ほどのパトカーがアパートの前に陣取り、
端の方には救急車も一台、止まっています。
野次馬めいた人たちがアパートを取り囲むようにワラワラと集っていて、
まるで新芽につどうアブラムシを彷彿とさせました。
私はオドオドしながら、慎重に近づいていきました。
「ねー、怖いよねぇー……」
「あれ、あったんでしょ……?」
「ひどい話よ……」
ヒソヒソと、なにごとかをささやく人たち。
しかし、聞こえてくる話は断片的で、詳細がまるでわかりません。
人垣に囲まれてしまっている現状で、
私が部屋に戻ることもできず、すっかり途方に暮れていると。
「あっ……あなた!」
人波にまぎれていたアパートの大家さんが、
こちらに気づいて声をかけてきてくれました。
「あ、どうも……これ、なにかあったんですか?」
「ええ、そうなのよ……もう、困ったわぁ」
大家さんは、眉をグッと八の字に下げて、
もごもごと口ごもります。
「その、ね……うーん……なんといえばいいか……」
彼女は、しばらくウロウロと視線をさ迷わせた後、
意を決したように顔を上げました。
「えぇと、ね……あなたの部屋の上、若い男の子が住んでたでしょう」
「あぁ……そう、だったような」
アパートのほとんどの人と面識はなく、たまにそれらしき姿を見るくらいです。
言われてみれば、駐車場で車にのりこむ姿をなんどか見たことがあったような。
「えっ……まさか自殺、とか……」
パトカー、それに救急車。
連想された最悪の事態を口に出すと、
大家さんはウっと一度目をそらした後、震える手で口を覆いました。
「だったらまだ……いや、それは失礼ね。
えぇとね、その男の子……人を、殺してたらしいの」
「え……っ」
人殺し。
自殺よりなお衝撃的な一言に、私は言葉を失いました。
「なんでも、恋人の女の子との別れ話がもつれたとかで……
勢いあまって、殺してしまったんだって……」
「そっ……そんな、ことが」
下の部屋に住んでいるというのに、なにも気づいていませんでした。
呆然と口をポカンと開ける私に、大家さんは頷きながら続けます。
「それもねぇ……殺したの、今日や昨日じゃないらしくって。
もう、ひと月以上前らしいのよ」
「えっ……ひと月以上、前?」
「うん、そうなの。私もね、今日、彼のとなりに住んでるって人から、
ヤバイ臭いがするから注意してくれって頼まれて……それで、わかったのよ」
「えっ……し、死体が、ずっと部屋にあったってことですか?」
「そうみたい。むりやり床をひっぺがして、そこに押しこんでたみたいなの。
あたしが部屋に入ろうとしたら、暴れ出してね……いっしょに旦那が来てたから、どうにかなったけれど。
様子がおかしいから通報したら、ソレが見つかってねぇ……」
大家さんはその光景を思い出したのか、
うつむき加減でため息をはきだしました。
「警察がしばらく出入りするだろうから、
ちょっとバタバタしちゃうと思うけれど……」
「そう……ですか」
彼女はまだその話を続けたい雰囲気でしたが、
私は頭がまっ白になって、生返事を返すことしかできません。
それを、大家さんは部屋へ帰りたがってのことと思ったか、
「ああ、ごめんね! つかれてるところを引き留めちゃって……
警察の人は、住人は通してくれるって言ってたから、声かければ入れてくれるよ」
「あ……あぁ、ありがとうございます……」
なんとかあいまいにお辞儀してから、
ふらふらと自分の部屋へ向かいました。
バタバタと階段を警察が上ったり下ったりして、
どこか物々しい雰囲気がただよっています。
入口の警官に事情を説明すれば、
こころよく部屋へ通してもらえました。
キィ、バタン
「…………」
部屋へ戻った私は、買い物袋を玄関に置き去りにしたまま、
ある一点へと向かいました。
廊下を通り、リビングを抜け、奥の寝室へ。
たたまれた布団の真上――目玉のシミを、確認するために。
「あ……まだ、ある」
じっとりと、しめった濃い色の目玉のかたち。
それは消えることなく、ハッキリと視界に存在しています。
『むりやり床をひっぺがして、そこに押しこんでたみたいなの』
床に押しこめられた死体。
一か月以上前に殺された女性。
自分がシミに気づいたのは――ちょうど、そのくらいの時期。
「う……――ッ!!」
声もなく、私は扉をたたきつけるようにして部屋をとび出しました。
私が神様として感謝していたアレは――
殺害された女性の、死体からしみだす体液そのものだったんです。
その日からしばらくは、ネットカフェやカプセルホテルを点々として、
仕事が見つかっておちついたころ、引っ越しました。
幸い、部屋は片づいていて、荷物も少なくしていたから、
引きはらいはスムーズに進みました。
あんなこともあって、大家さんも理解してくれていましたし……。
ああ……あのシミですか?
ええ、警察の方にはお話しました。
引っ越すころにはまだあったので、
その後、どうなったのかはわかりませんが……。
幽霊の怖い話、では到底ありませんでしたが、
私にとっては、人生で一番恐ろしかった体験です。
知らぬうちに、上の住人が殺人を犯していたという事実も怖ければ、
人間の体液が、真下の天井にまで染みてくることも、もちろんとても恐怖でした。
でも……一番恐ろしかったのは、そんな液体がつくった目玉のシミを、
神様として崇拝していた、自分の当時の頭のおかしさです。
おかげで、今の生活があるといえばそれまでですが……。
もう、あんなに追い込まれる生活は、二度と御免です。
話を聞いてくださって、ありがとうございました。
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