迷宮階段

西羽咲 花月

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3度目の交換

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女子トイレの個室でこっそりスマホを操作して麻衣のお父さんに関して調べてみると、有名企業だけあって簡単にヒットした。
 顔も、名前もネットに出ている。

「へぇ、桃尾和夫さんって言うんだ」
 ネット情報を確認して私はニヤリと笑う。

 この人が父親になってくれれば私だって好きなコスメを好きなだけ買ってもらうことができる。
 今は格安コスメを集めているけれど、もうそんなことをする必要はなくなるんだ。

 それに、コスメだけじゃない。きっと服もバッグもジュエリーも、欲しいと言えばなんでも手に入るんだろう。
 想像してゴクリと唾を飲み込んだ。もしもそんな世界に暮らすことができればどれだけ幸せだろう。


 すでに口うるさい母親はいなくなっているし、沢山お小遣いをもらうことができれば自分の好き勝手にできるはずだ。
 それは今までの自分の人生では考えられないことだった。口うるさい母親に安月給の父親。

 窮屈で、安っぽい生活をしてきた。
「でもまぁ、それも今日で終わりだけどね……」

 私はスマホを握りしめてポツリと呟いたのだった。


☆☆☆

 それからの時間は放課後が待ち遠しくて仕方がなかった。授業中も上の空で、先生に当てられても全く答えることができなかった。

 そんな私を見て友人らは笑っていたけれど、私は全然気にならなかった。今の生活が大きく変わるかもしれないんだ。その期待に胸が膨らんでいく。

「真美、今日も遊びに行くでしょ?」
 ようやく待ち望んでいた放課後になり、麻衣がすぐに駆け寄ってきた。

「ごめん。今日も用事があるんだよね」
 顔の前で両手をパンッと合わせて謝ると、麻衣は面白くなさそうに唇を尖らせた。

「最近の真美付き合い悪くない?」
「ごめんって。ほら、私のお父さん安月給だからさぁ、なにかとすることがあるんだよね」

「ふぅん? そんなもんなの?」
 麻衣は首をかしげている。
「そんなもんなんだって」


 答えている間に海人が近づいてきて麻衣の隣に立った。
「麻衣、今日はどこに行く?」

「あぁ~……今日はいっかな。私も用事があるの思い出しちゃった」
 麻衣の肩に乗せられた手を振り払い、麻衣は教室を出ていく。海人は慌ててその後をついていく。

 その様子に私はゆるゆると息を吐き出した。
 海人のことはとても好きだったけれど、なんだか今の海人は好きになれない。

 あんな風に相手にされていない麻衣のあとを追いかけている海人には魅力を感じられなくなっていた。
「昔の方がずっとかっこよかったなぁ」

 私はポツリと呟いたのだった。


☆☆☆

 スマホ画面を確認すると四時四十一分を回ったところだった。
 やっとこの時間がやってきた。私はすでに屋上へと続く階段の下から四段目に立っていた。心待ちにしすぎて、十分前からここで待っている。

 スマホの時計の進みがやけに遅く感じるのは、今回の交換をそれほど楽しみにしているからだった。
「あと三分。あと三分」

 ぶつぶつと口の中で呟く。それはまるで誕生日プレゼントをもらうのが待ちきれない子供のようで、我ながら呆れてしまう。
 けれど期待する気持ちを押さえることができない。

 四時四十二分になった。ゴクリと唾を飲み込む。
 あと二分。あと二分すれば私の人生は大きく変わる。私は明日から社長令嬢になるんだ!

 緊張から、心臓が早鐘を打ち始めた。


 四時四十三分。あと一分!
 私はその場で何度も足踏みを繰り返す。

 これをしてしまえば自分の両親は本来の両親ではなくなることになる。親が全くの別人になってしまうというのは、どういう気持になるだろうか。

 少なくても今はとても楽しみだけれど。
 そして、スマホの時計が四時四十四分になる。私は大きく息を吸い込んだ。

「父親の榊原誠を桃尾和夫に交換」
 自分の声だけが階段に響く。それはやけに大きく響き渡り、反響した。

 ゾクリと一瞬背筋が寒くなり、四時四五分になった頃私は逃げるようにその場を後にしたのだった。


☆☆☆

 ついにやってしまった。お母さんの次に、お父さんまでも。
 ドキドキする心臓を胸の上から押さえながら帰宅すると、お母さんはダラダラとリビングのソファに寝そべってテレビを見ていた。

 香の母親は子供や夫に対して放任主義だけれど、その分自分も好きに生きていくタイプみたいだ。
 私はゴミが散乱しているリビングをチラリと確認しただけで、すぐ自分の部屋へ向かった。

 お母さんが見ているドラマには全く興味がないし、汚いリビングにいたいとは思えない。
「って言っても、私の部屋もあんまり変わらないんだけどね……」

 自室へ入ると雑誌やマンガが散乱している。ゴミ箱の中もパンパンに詰まっているのだけれど、誰もなにも言わないから捨てるのを忘れて放置してしまっていた。

「まぁいっか。香の部屋だって汚かったみたいだし」
 すぐに気を取り直して学生カバンを投げ出し、ベッドに横になる。手を伸ばして昨日購入したばかりのマンガを手に取った。


 こうしてベッドに寝転んでお菓子を食べながらマンガを読んで入れば、前のお母さんならすぐに文句をつけてきた。

『そんな風にダラダラしないの』
『ベッドの上に食べこぼしちゃうでしょう』

 何度も言われてきた言葉を思いだし、胸の辺りが少しだけ切ない気持ちになった。
 あのお母さんは、もう私のお母さんじゃい。今は香のお母さんになって、毎日小言を言っているはずだ。

「ふんっ。私にはもう関係ないし」
 私は胸の隙間風を無視してそう呟いたのだった。


☆☆☆

 その日の晩ごはんはずっと食べてみたいと思っていた中華料理屋のお弁当だった。エビチリもあんかけご飯もとても美味しかった。

 けれどそれを食べながらもお父さんはずっと難しい顔をしていた。
 なにをそんなに眉間にシワを寄せているんだろうと思ったけれど、触らぬ紙に祟りなしだ。

 私は特になにも聞くことなく、自室へ戻って眠ってしまった。しかしその数時間後、一階から聞こえ漏れてくる声に目を覚ましてしまった。

「なんでいつも弁当や菓子パンで終わらせるんだ」
 足音を立てないようにリビングの前までやってくると、お父さんのそんな声が聞こえてきた。

「だって、そのほうが楽でいいじゃない」
「真美は育ち盛りなんだぞ。たまにはちゃんと料理してやれよ」


「あら、パンやお弁当だって誰かが手作りしたものじゃない。なにが悪いっていうの?」
「母親の味を食べさせてやれって言ってるんだ」

「なに言ってるのよ。あなた、自分の稼ぎが少ないか食費にかけられないだけでしょう?」
 その言葉にお父さんが黙り込む。

 夕飯の中華弁当を思いだし、それが引き金になったのだとすぐにわかった。あれは美味しかったけれど、たしかに高級だった。
「実はまた給料が減るんだ」

 お父さんの声が聞こえてきたかと思うと、やけに弱々しい。さっきのは図星だったみたいだ。
「知らないわよそんなの」

 お母さんはすぐに突っぱねている。なにかを考えることが面倒なのかもしれない。
「そんなこと言わずに、お前も手伝ってくれよ。これから先も真美を育てなきゃいけないんだから」


「真美真美って言うけど、あなたの給料が安いのが真美のせいって言い方ね?」
「そんなことは言ってないだろ!」

「そう? とにかく、今日はもう寝かせて頂戴。眠いのよ」
 夫婦の会話がヒートアップする前にお母さんのあくびが聞こえてきた。こうして会話することも面倒なのかもしれない。お父さんが大きな溜息を吐き出している。

「お金のことはまた明日でいいじゃない。ね?」
 お母さんがひとりで寝室へ入っていく音が聞こえてきて、私はそっとその場を後にしたのだった。


☆☆☆

 夫婦喧嘩については少しだけ気になったけれど、ベッドに戻るとすぐに眠りに落ちていた。気がつけば窓から朝日が差し込んでいる。

 ベッドに寝転んだまま大きく伸びをすると、昨日食べかけたお菓子の袋が床に落ちてしまった。
 中身が散乱する様子を見てめんどくさいなぁと感じたけれど、今は小言を言うお母さんがいないことを思い出して、そのまま放置してしまった。ほっといたって、私が死ぬわけじゃないし。

 今日は学校が休みの日だから、できるだけ長い時間眠っていたい。ベッドから起き出したくもない。
 ゴロゴロとしていると階下からゴトゴトと物音が聞こえてきた。両親のどちらかが起き出しているのかもしれない。

 まぁ、私には関係ないけれど。


 そう思い直して二度寝しようとしたけれど、お腹が減ってうまく眠れない。仕方なくまた目を開けてのろのろと上半身を起こした。

 大きくあくびをしてスマホの時計を確認すると、すでに一一時を過ぎていた。
 その時間に驚いて目を見開いてしまう。今まで休日だからといってここまで眠ったことはなかった。いつも九時にはお母さんが起こしにやってくるからだ。

「すごい寝ちゃったんだ」
 咄嗟にすぐ起き出して着替えようとするけれど、はたと思い直す。

 そうだ。もう別に慌てて着替えて、顔を洗う必要だったないんだ。そんなことをしなくても、注意されることはないんだから。
 私はパジャマ姿のまま鼻歌交じりに階下へ向かう。

 キッチンのドアを開けるとそこには大柄な男性が立っていて、思わず悲鳴を上げそうになった。
 その人はキッチリと紺色のスーツを着込んで今にも仕事へ向かいそうな装いだ。

「真美。おはよう」

 にこっと笑いかけられて、その人が桃尾和夫だということを思い出した。
 写真で見ただけだと、もっと小柄な人だと思っていた。今目の前に立っている人は慎重一八十センチ以上はありそうな、ガッチリ体型の人だった。

「お、おはよう……」
 ぎこちなく挨拶をして、無理に笑顔を浮かべる。

「今日は会議で遅くなるから先に寝ているようにお母さんに言っておいてくれ」
「う、うん。わかった」

「そうだ。今日はどこか遊びに行くのか?」
「え? ううん、まだ決めてないけど」

 ぎこちなく返事をする私の目の前に突然一万円札が差し出された。
「お小遣いだ。休日なんだからしっかり遊んでおいで」

「え、く、くれるの!?」
 驚いてつい声が裏返ってしまった。こんなに大金、お正月以外にもらったことがない。
「なにを驚いてるんだ? 休日にはいつもやってるだろう?」


 不審そうな顔になるお父さんの手から一万円札を受け取る。
 休日の度にお小遣い一万円!?それは今までの自分の生活からは考えられない贅沢だった。さすが、大企業の社長だ。

「そ、そうだったよね。ごめん」
「この家も本当はもっと大きくしたいんだけどなぁ。思い出があるから、なかなか改築できないんだ」

 お父さんは小さな我が家を愛おしそうに眺める。本当の桃尾家はいったいどれほど大きいのだろう。きっと、私の想像もつかないくらいだろう。

 やがて外に車が停車する音が聞こえてきてお父さんがカバンを手にした。
「じゃ、行ってくる」


 お見送りのために玄関先まで出ていくと、そこには黒いハイヤーが横付けにされていて運転手さんが待っていた。
「社長、おはようございます」

 車からおりてきた運転手さんはうやうやしく頭を下げて、後部座席のドアを開ける。
 その奥にはすでに会社の人が一人乗っていて、移動しながら仕事を始めるらしいことがわかった。

「い、行ってらしゃい」
 私は車に乗り込むお父さんへ向けて、どうにかそう言ったのだった。


☆☆☆

 これは思っていた以上にすごいことになったかもしれない。
 自室のベッドで仰向けに寝転び、一万円札をジッと見つめる。

 一万円あれば今欲しいものはなんでも買える。マンガに雑誌にお菓子にゲームソフト。次々と浮かんでくる欲しいものたちを、私は頭を振ってかき消した。

 そんなことよりもまずは真美たちに会うことだ。真美のお父さんが交換されているはずだから、どんな様子なのか確認したい。
 私は上半身を起こしてスマホをいじりはじめた。麻衣たちと作ったグループメッセージを表示する。

《真美:みんな今日何してる? 遊びに行かない? おごるよ!》
 そのメッセージにはすぐに既読がついていく。

《香:行く!》
《涼子:もちろん、行く!》


 麻衣の取り巻きたちはみんなすぐに返事が来た。そしてしばらく待っていると麻衣からのメッセージも届いた。
《麻衣:うん。私も行く》
 その文字を確認して私は密かに微笑んだのだった。


☆☆☆

 家を出る時、お母さんはまだ眠っていた。昨夜の夫婦げんかの影響で眠いのだろう。
 私は汚い廊下をつま先立ちして歩いて、玄関を出た。

 外はとてもいい天気で、梅雨時だなんて信じられないくらいだ。約束場所のコンビニまでやってくると、すでに全員が集まってきていた。

「真美、今日も誘ってくれてありがとう」
 さっそく香が声を駆けてくる。

「え? あぁ、うん、別にいいんだよ?」
 どうやら父親が変わったことで、みんなの中の記憶も少しずつ変化しているみたいだ。いつもみんなを遊びに誘っていたのは麻衣の方なのに。

「今日はどこ行く? 真美の好きなところでいいよ?」
「そう? じゃあ、ゲームセンターでも行こうかなぁ」

 この前好きなキャラクターのぬいぐるみがUFOキャッチャーの景品になったと、ネットニュースで見たばかりだ。
「いいね! 行こう行こう!」


 香は私と腕を組んで歩き出す。
 チラリと麻衣へ視線を向けると、麻衣は一番最後尾を大人しくついてくる。

 まるで今までの麻衣じゃないみたいだ。別人のようにおとなしい。
 それを見ていると、やっぱり麻衣の人気は父親の存在が大きかったのだと理解できた。

 休日の度に一万円もくれる父親だ。子供の気が大きくなっても当然のことかもしれない。
 それから私達はゲームセンターへ向かって散々遊んだ。好きなキャラクターのぬいぐるみは三種類全部制覇できたし、大満足だ。

「真美ってUFOキャッチャー上手なんだね!」
「今度私にもやり方教えてね」

「もちろん、いいよ」
 友人らの分までゲーム代を支払ってあげたけれど、まだまだお金には余裕がある。

 今度はどこへ行こうかな。そう思いながらスマホで時間を確認してみると、午後五時半を過ぎたところだった。


 あ、ダメだ。お金はまだ残っているけれど、私の門限は六時なんだ。
 ここから歩いて帰ることを考えると、もう殆ど時間は残されていなかった。

「どうしたの真美?」
 スマホ画面を見つめて渋い顔になっていた私に香が心配そうに声を駆けてくる。

「うん。もうすぐ門限だなぁと思って」
 これじゃ、せっかくお金があったって楽しめない。

「そうなんだ。実は私も門限6時なんだよね」
 香が同じ様に渋面になって呟く。その不服そうな声色にハッと我に返った。

 そうだ、この門限を決めたのは前のお母さんで、今のお母さんじゃない。それに今日はお父さんは会議で帰りが遅いと言っていた。

 私はジッとスマホを見つめる。
 いつもなら門限の前にお母さんから電話がかかってくるんだけれど……。

 そう思っていた時、ピリリリとスマホが鳴り始めた。一瞬自分のスマホの着信音かと思ったが、電話に出たのは香だった。


「もしもしお母さん? うん、今から帰るよ」
 香の声はつまらなさそうだ。

 一方、私のスマホはうんともすんとも言わない。
 お母さんはきっとまたリビングのソファでテレビを見ているんだろう。その姿はすぐに脳裏に浮かんできた。

「ごめん。もう帰らなきゃ」
 香が残念そうに呟く。

「そっか。門限だもんね」
 私は何度も頷いて見せる。

 友達がまだ遊んでいる中、一人だけ帰るのはとても残念な気持ちになることを私はよく知っていた。


 これからみんなはまだ楽しむんだろうな。どんな話をするんだろう。もし、私の陰口とか言われていたら嫌だなぁ。
 香はきっとそんなことを考えている。それが手にとるように理解できた。

「また学校でね」
 私は安心させるように香に声をかける。

 香はようやく笑顔になって「うん。またね」と、手を振って家に向けて歩いていく。一人で帰る寂しさも、私はよく知っていた。

 香の姿が見えなくなるまでみおくって、私は仕切り直しのように麻衣へ視線を向けた。
 今日、麻衣はほとんど言葉を発していない。いつもみんなの後ろに隠れるように立って、楽しんでいるのかどうかもわからなかった。

「これからご飯行く? おごってあげるよ?」
 私はそんな麻衣へ向けて微笑んだのだった。


☆☆☆

 残っていた三人でファミレスへやってきた私はようやく麻衣とまともに会話ができていた。
「今日はどうしたの? なんか浮かない顔してたけど」

「うん。実はね……」
 麻衣は静かに話だす。それは父親の給料が減ったという話だった。

 普段から少ないお小遣いの中でやりくりしていたのに、このままじゃお小遣いがなくなってしまう。そうしたら、今日みたいにみんなと遊びに出かけることもできなくなってしまう。

「それで悩んでたんだ?」
 麻衣はコクンと頷く。

 テーブルの上には注文していたパスタやオムライスやピザが並んでいる。これを食べ終えたら次はパフェが届くはずだ。
「そんなのさぁ、気にしなくていいじゃん」


 私はオムライスを口に運びながら言った。
「でも……」

「私がおごってあげるってば」
 その言葉に一緒にいる涼子が「さすが真美だよね!」と、持ち上げてくる。

「お金のことなんて気にしないで、食べよ食べよ!」
 あははは! 私は声を上げて笑ったのだった。
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