迷宮階段

西羽咲 花月

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二度目の交換

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沢山泣いた私の顔はまぶたが腫れてとても教室に戻れる状態ではなくなってしまった。
 みんなが体育の授業で教室にいない時間を見計らってカバンを取りに戻り、そのまま早退してしまった。

 一人でのろのろと歩いてようやくの思いで家までたどりつく。
「ただいまぁ……」

 まだ昼前だからお母さんになにか言われるかもしれない。そう思いながら玄関を開けて中に入った。
「あら、今日はどうしたの?」

「ちょっと、体調がよくなくて」
 泣いたとバレるのが嫌でうつむいて返事をする。

「あらそう。お母さん今からお昼ごはんなんだけど、一緒に食べる?」
 私は左右に首を振った。食欲なんて少しもない。今はまだ一人でいたかった。

 私は自室へ入ると、カバンを投げ出してベッドに突っ伏した。枕に顔をうずめるとまた自然と涙が浮かんでくる。
 これじゃ明日も学校へは行けないかもしれない。それでも涙は止まることなく、流れ続けたのだった。


☆☆☆

「真美、起きてるの?」
 コンコンとノックの音が聞こえてきた後、お母さんの声で目が覚めた、

 泣き疲れた私はいつの間にか眠ってしまったみたいだ。
 重たいまぶたを開けてスマホで時間を確認すると、すでに夕方になっている。

 頭は少しスッキリしているけれど、涙の痕のせいで頬がカピカピになっているのがわかった。
「起きてるよ」

「晩ごはん食べられそう? 熱はあるの?」
 色々と質問しながらドアが開けられて、次の瞬間「なにこの汚い部屋は!?」と、声が上がった。

 私は自分の部屋へ視線を向ける。
 ここ最近ずっと放課後になると麻衣たちと遊び歩いていたから、部屋を片付ける時間がなかったのだ。

 と言っても読み終えたマンガや雑誌がそのままになっているだけで、ゴミが散乱しているわけじゃない。

「あぁ……片付けはちゃんとするから大丈夫だよ」
 そう言っているそばからお母さんが部屋の片付けを始めてしまった。テーブルの上に出しっぱなしにしていた雑誌が本棚に収まっていく。

「全く、こんな汚いことをしているから菌が繁殖して体調が悪くなるのよ」
 ブツブツと文句を言いながら私を睨みつけてくる。

「片付けはするって言ってるでしょ? 体調が悪いんだからほっといてよ」
 思わず布団を頭からかぶる。

 今は誰からの小言も聞きたくなかった。そんな気分じゃない。
 お母さんも、もう少し気を使ってくれればいいのに。

「晩ごはんができたら持ってくるから、食べられるだけ食べなさいよ」
なにもいらない!!
 私は心の中でそう叫んできつく目を閉じたのだった。


☆☆☆

 翌日、私は洗面所の前で丁寧にアイメークをしていた。
 幸い目の充血や腫れはそれほどでもなく、顔色も悪くなかった。そして、それを見たお母さんが学校を休ませてくれるはずもなかった。

 メークで目元を隠すと、とりあえずは見えるような顔になった。ホッと胸をなでおろしてキッチンへ向かう。そこではすでに両親が朝食を食べていた。

「そんなに濃いメークをして学校へ行くの?」
 お母さんが私の顔に驚いたように聞いてくる。

 今日は泣き顔を隠すために目の下にも白いシャドーを入れたりした。こうすれば目元が光に反射して見えて、もしも涙が出てきたとしても悟られにくくなる。

「今はこれが流行ってるの」


 答えながら席につき、お味噌汁を口に運ぶ。昨日からささくれだっている心にジワリと染み込んでいく。
「全く。学校にメークなんてしていく必要ないでしょうに」

 しかめっ面になっているお母さんといつまでも朝食を囲んでいる気には馴れず、ご飯をかきこむ。
「こら、早食いしない!」

 また注意されるけれど気にせず、私はすぐにキッチンから出たのだった。


☆☆☆

 学校までの道のりはさすがに気が重かった。
 昨日の今日のことだし、クラスメートたち全員に海人と別れたことがバレてしまっているし。

 ともすれば歩みが止まってしまいそうになる中、どうにか学校の校門前までやってきた。
 教室に行きたくないな……。そう思って立ち止ってしまったときだった。

「おはよう真美」
 後ろからそう声をかけられて振り向くと、小野香が立っていた。香は昨日彼氏を取られるくらいどってことないことだと言っていた子だ。

 私は思わず身構えてしまう。
「おはよう……」

「昨日って早退したの? なにも言わずに帰るから心配したよ?」
「あぁ……うん……」

 あんな状況になって早退せずにいられるほど私は強くない。そういえば香からは心配するメッセージが届いていたことを思い出した。まだ返事をしていなかった。


「麻衣ってね、普段からずっとあんな感じじゃん? だから気にしちゃダメだよ」
 歩き出しながら香が苦笑い気味に言う。

「そうなんだ」
「そうだよ。人の彼氏取るなんて珍しいことじゃないでしょう?」

 もしかしたら香も昔麻衣に彼氏を奪われたのかもしれない。
「でもあの子飽きっぽいからすぐに別れるんだよね。そしたら彼氏の方もやっと目を覚まして戻ってきてくれるから、もうみんな気にしてないよ?」

 そうだったんだ。
 それを知っていれば、昨日あれだけ泣くこともなかったかもしれない。途中から突如友達になった私には、知らないことだらけだ。

「気にしてくれてありがとう。もう、大丈夫だから」
 私はそう言って微笑んだのだった。


☆☆☆

 麻衣と海人は教室内でこれみよがしにベタベタとくっつくようになった。晴れて恋人同士になれたからもう周りの目も気にしなくなったみたいだ。

 香が教えてくれた情報で少しは心が穏やかになったけれど、やっぱりあまり見ていたくない。
 ふたりが一緒にいるときにはつい目をそらして他の子たちと会話してしまう。とくに私のことを気にしてくれている香と一緒にいる時間が多かった。

「そっかぁ、真美の家はお母さんが細かくてしんどいんだね」
 昨日の出来事を思い出してつい愚痴ってしまった。

「そうなの。娘がしんどいって言ってるんだから、掃除の話なんてしなくていいと思わない?」
「確かに体調悪いときにそれはないなって思った。大変だねぇ」

「香のお母さんはどんな人?」
 その質問に香は一瞬顔をしかめて見せて「私のお母さんは正反対のタイプかなぁ」と、答えた。


「それって自由にさせてくれるってこと?」
「うん。小言を聞いたことってないかも」

「それって最高じゃん!」
 宿題をしなさい。部屋の掃除をしなさい。ご飯はゆっくり食べなさい。化粧はほどほどにしておきなさい。

 思いつくだけでももっともっと沢山の小言を言われてきた。思い出すだけでげんなりしてきてしまう。
 今日は帰ったら部屋の掃除をしておかないと、また小言を言われるはずだ。

「そうかなぁ?」
 香には実感がないようで、しきりに首をかしげている。

「家でなにも言われないなんて最高だよ? 変わって欲しいくらいだよぉ」
 自分でそう言った瞬間、ハッと息を飲んでいた。


 そんなに香のお母さんがいいのなら、交換してもらえばいいんじゃない?里子と麻衣を交換したときのように。
 そう考えた瞬間胸の辺りがドクドクと脈打ち始めた。まるで悪いことを思いついた子供みたいな気分だ。

「真美、どうしたの?」
 急に黙り込んだ私に香が不思議そうな顔を向けてくる。

「なんでもないよ。香のお母さんってさ、なんて名前なの?」
 交換階段を使うには、交換したい相手のフルネームが必要になる。

「お母さんの名前は有花だよ」

☆☆☆

 放課後になるのを待ち、私は一人で階段へやってきていた。
 三階と屋上をつなぐ階段の、下から四段目に立つ。スマホで時間を確認すると今四時四十分を過ぎたところだ。

 階段の周辺に人影はなく、部活動に励む音が遠くから聞こえてくるだけだ。安心して、その時間になるのを待てばいい。
「♪~♪」

 自分でも気が付かないうちに鼻歌を口ずさんでいた。今流行っている男性アーティストの最新曲だ。麻衣たちはもうダウンロードしたらしいから、私もしたいと思っていたところだ。

 もう一度時間を確認する。あっという間に四十三分になっていた。
 私の口角が自然と上がっていくのを感じる。

 あと一分。ううん、あと数十秒したら交換することができる。
 里子の番号がスマホから消えていたときのことを思い出すと胸がヒヤリと冷たくなる。

 でも大丈夫。関係が切れたって、気になるのならまた一から友達になればいいだけなんだから。
 お母さんだって同じだ。関係が切れてもまだ大丈夫。


 私はそう信じていた。
 だから……。

「母親の榊原桂子を小野有花に交換」
 大きな声で、そう言ったのだった。


☆☆☆

 帰宅すると案の定小言が飛んできた。
「今日は部屋の掃除をちゃんとしなさいよ。換気もしっかりして、空気を入れ替えなさい」

「わかってるって」
 苛立つ気持ちを押し殺して自室へ向かう。

 昨日お母さんが勝手に片付けているから、少しは綺麗になっている。まずは窓を開けて空気を入れ替えることにした。
 外から入ってくる風はすっかり夏で、これからどんどん気温が上昇していくことを暗示させていた。

 それから床に散らばったマンガを片付けていく。本棚の前に座り込み、巻数順に並べていく作業は地味だけど楽しい。
 ズラリと背表紙が綺麗に並んだ様子は実は好きだった。

「よし、これで終わり」
 これで今日はもうお母さんから小言をもらうことはないだろう。

 私はさっさと宿題を終わらせるために机に向かったのだった。


☆☆☆

 翌日の朝はいつもより気分良く目覚めることができた。やっぱり部屋が綺麗で気持ちいいせいだろうか。
 そう思いながらいつもどおり制服に着替えて部屋を出る。キッチンが近づいてくるにつれて違和感があった。

 普段ならすでにキッチンからは料理をする音が聞こえてきているのだけれど、今日は聞こえてこない。
 電気も消えているみたいだ。

「お母さん?」
 声をかけながらキッチンのドアを開けるが、そこは真っ暗で誰もいなかった。

 その代わり、テーブルの上に千円札が一枚置かれていることに気がついた。それを持って寝室へ向かう。
「お母さん、このお金なに?」


 お母さんはまだベッドの中にいて、怠慢な動きで寝返りを打ってこちらを見た。その顔に思わず悲鳴を上げてしまいそうになり、慌てて飲み込んだ。

 そこに寝ていたのは見知らぬ女性で、年齢だけは私のお母さんと同じくらいだということがわかった。
 そうだった。昨日、お母さんを交換したんだ。ということは、今ここにいる人が小野有花ということになる。

「なにって、朝ごはん代に決まってるじゃない」
 お母さんは大あくびをして答える。まだまだ眠そうで目が細められている。

「あ、そうなんだ」
「そうよ、何言ってるの真美」

 クスッと一度笑ったかと思うと、すぐに寝息を立て始めた。
 そうか、これが私の朝ごはん代なんだ。納得してキッチンへ戻る。

 お父さんはもう出勤したのか、どこにも姿がなかった。
「ま、いっか。朝から好きなものを食べられるなんてラッキー」

 私は鼻歌を口ずさみながら家を出たのだった。


☆☆☆

 朝食をコンビニで買うなんて人生で始めての経験かもしれない。
 少ないお小遣いではコンビニで買い物をすることなんてめったに無いから、ワクワクしてしまう。

 店内をぐるりと確認して、ジュースと菓子パンを手に取る。それでもお金は随分余るから、こっそり学校に持っていくお菓子も買った。

 学校の近くの公園で菓子パンとジュースの朝食を取り、学校へ向かう。いつもと違う朝になんだか足取りも軽いみたいだ。
「おはよ~」

 二年A組の教室に入り、いつも通り声をかける。
 すると香が疲れ切った顔で「おはよぉ」と返してきた。その声にも元気がない。

「香、どうしたの?」
「今朝から散々だったの」


「なにかあったの?」
「朝お母さんが起こしに来たんだけどさぁ、部屋が汚いって急に怒り出して、一時間かけて掃除させられたんだよねぇ」

 ぐったりと机に突っ伏す香を見て私は自分のお母さんが香のお母さんになったのだとわかった。
「それは大変だったねぇ。部屋、そんなに汚かったの?」

 いくら私のお母さんでも、学校前に一時間も掃除させることはない。香の部屋は相当汚れていたんだろう。
「うん。だって掃除なんてしたことないもん」

「そうなんだ?」
 それにはビックリだ。

 けれど、ベッドから起きる気配のなかった香のお母さんを思い出すと、なんとなく納得できるかもしれない。
「うちのお母さん、小言が多くてほんと嫌になるんだよね。真美のお母さんは?」
「私のお母さんは結構自由にさせてくれるよ」

 私はにっこりと微笑んでそう答えたのだった。


☆☆☆

 今日も麻衣と海人は自慢するように寄り添っている。
 だけど香が前に言っていたように麻衣はとても飽きやすい性格をしているのか、昼頃になると海人の誘いを断って私達と一緒に昼食を取り始めた。

「今日は海人と一緒じゃなくていいの?」
 嫌味を込めてそう聞いてみると、麻衣は「平気平気」と、笑っていた。

 香たちはそんなことにも馴れているようで、誰もなにも言わない。私は口から文句が出そうになったけれどどうにか飲み込んだ。

 この調子でいけば海人が自分に戻ってきてくれる可能性は十分にある。
 教室後方で友人らと給食を囲んでいる海人は時折麻衣へ視線を向けて、なにか言いたげな表情を浮かべている。

 麻衣はそれに気がついているはずだけれど、完全に無視している状態だ。
 そんなふうにすぐに飽きるのなら、人の彼氏をとる必要なんてないのに。心の中で愚痴り、舌打ちをこぼす。

「これって新作コスメ!?」
 友人の甲高い声に我に返って目の前へ視線を移動させた。麻衣が新しいリップを持ってきて自慢しているみたいだ。

それも有名ブランド品で、リップ一本で何万円するものだ。
私は驚いて麻衣を見つめた。


「そんな高級品、どうして買えるの?」
「こんなの、お父さんに頼めばいくらでも買えるよ」

 麻衣はそう言うと高級リップを手の中でぞんざいに扱う。
「だって私のお父さんは、〇〇会社の社長だもん」

 なんでもないように言ってのけたその会社名は、全国的に有名な企業名だ。CMも流れていて、いつも有名女優やアーティストが出演している。更には今年海外展開するとニュースで見たこともあった。

「嘘、本当に!?」
 思わず身を乗り出して聞き返してしまう。すると麻衣は怪訝そうな表情をこちらへむけた。

「今更なに言ってるの? 真美だって知ってたでしょう?」
「あ……うん、そうだね。でも改めて聞くと驚いちゃって」

 慌てて身を引き、苦笑いを浮かべる。
 麻衣が有名企業の社長令嬢だなんて知らなかった。


 前から羽振りがいいなと感じることは多々あったけれど、そういうことだったんだ。わがままな麻衣の周りに人が集まるのも、そういう理由があるからなのかもしれない。

 私はゴクリと唾を飲み込んで麻衣の手の中にある高級リップを見つめた。
 これくらいのものなら、本当にいくらでも買ってもらうことができるんだろう。

 自分には縁遠いことだけれど、もしもそんな人生が手に入るとしたら……?
「どうしたの真美。このリップが欲しいならあげるよ?」

 ジッと見つめすぎていたようで麻衣がリップを差し出してきた。
 欲しい。ゴクリと唾を飲み込む。


 だけどリップじゃない。私が欲しいのは……。
「麻衣のお父さんは有名人だから、ネットで調べたらすぐに出てきそうだね?」

 私の言葉に麻衣はバカにしたように笑う。
「そんなの当たり前じゃん」

「だよねぇ」
 私は笑顔を貼り付けたまま考える。

 私が欲しいのはリップじゃない。麻衣の、お父さんだ。
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