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危険

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運良く部屋から飛び出してくることのできた尚美だけれど、当然行く宛があるわけではなかった。

元々この猫は野良猫だったようだし、健一以外の飼い主はいない。
一気に階段を駆け下りてきた疲れが出てきて、尚美はフラフラと街路樹の影に入り込んでいった。

ここにいればひとまずは安全だろう。
空を見上げてみるとポツポツと大粒の雨が振り始めている。

小さな体ではすぐに体温が奪われていってしまう。
どうにかして暖を取れる場所を見つけないと。

そう思ってマンション周辺へ視線を巡らせてみると、横断歩道の向こう側にコンビニを見つけた。

あそこに逃げ込めば少しの間暖をとらせてもらえるかもしれない。
だけどそのためにはこの横断歩道を渡らないと……。


そう考えた瞬間、子猫を助けたときの光景が脳裏に蘇ってきた。
まだ人間だったころ、勢いで飛び出して子猫を助けた。

そのときの痛みはほんの一瞬だったはずなのに、なぜか今全身がズキズキと痛み始める。

冷たいコンクリートに打ち付けられる感触や、人々の悲鳴まで鮮明に蘇ってきて尚美は強く身震いをした。

あの横断歩道に比べれば半分ほどの距離しかない。
信号を守って渡れば大丈夫なはず。

けれど、横断歩道の手前で尚美は立ち止まってしまった。
1度蘇ってきた恐怖はなかなか消えてくれない。

どうして!?
病院へ行こうとしたときには平気だったのに!


今度だってきっと大丈夫だと自分に言い聞かせるけれど、やはり体は動いてくれなかった。

その場ですくんでしまって動けない。
あぁそうか。

あのときは今以上に必死だったから動くことができたんだ。
ふと、そう理解した。

病院へ行って健一に会いたい。
その気持の方が今よりもずっとずっと大きかったから、横断歩道が平気だったんだ。

そう気がついたとき、心の奥で燃えていた炎がジュッと音を立てて消えた気がした。
勢いで逃げ出してきてしまったけれど、やっぱり自分1人で生きていくことなんてできないんだと。

落ち込んでうなだれていたところに「子猫ちゃん、どうしたの?」と、声をかけられた。
見上げてみると女子高校生が透明傘を差し掛けてくれている。


尚美の横に座り込んで「大丈夫?」と優しく声をかけてくる。
「ミャア」

尚美は震える声で答えた。
この子の手も温かいんだろうか。

そんなことを考えていると、気持ちが通じたかのように女の子が手を伸ばして頭を撫でてきた。

尚美は今雨で濡れているのに、そんなことおかまいなしだった。
「かわいいね。うちの子になる?」

撫でてくれる手は優しくて、やっぱり温かい。
いっそこの子に飼われたほうがミーコにとっても幸せかもしれない。

だって、健一と一緒に暮らしていたら、どうしてもわがままになってしまうから。
「あ、でも飼い猫ちゃんなんだね。迷子かな?」

そのとき女の子が首輪に気がついてつぶやいた。
「ミーコちゃん、気をつけて帰るんだよ?」

女の子はそう言い残すと、青信号になった横断歩道を1人で渡っていってしまったのだった。

☆☆☆

今の私に居場所はない。

野良猫が歩いていることで時折通行人たちが視線を向けてくるけれど、みんな自分の生活に忙しくて足を止めない。
でも、だいたいそうだ。

尚美だって野良猫が歩いているくらいで足を止めたりはしないだろう。
だけど健一は違った。

フラフラになった野良猫を前にして立ち止まり、拾い上げてくれたのだ。
あの優しい人の迷惑にだけはなりたくない。

そんな気持ちでさまよい歩いていると、いつの間にか健一とやってきたことのあるあの公園にたどり着いていた。

もしかしたらハトや、ハトおじさんがいるかもしれない!


そう思って駆け出す。

あのベンチを見つけて駆け寄ってみたけれど、天気が悪くて雨も強くなってきているせいかそこには誰の姿もなかった。

残念な気持ちになりながら、ベンチの下に入りこむ。
ここにいれば少しは雨をしのぐことができる。

雨がやむまでの我慢だ。
尚美はベンチの下で震えながらうずくまったのだった。


☆☆☆

どれくらいの時間ベンチの下で震えていただろうか。
雨がやむ気配もなく降り続き、体温はどんどん奪われていく。

このままだと死んでしまうかもしれないという不安が脳裏をよぎる。
それならそれでいいかもしれない。

現実の尚美の体がどうなっているのかわからない今、子猫の体を借りているに過ぎないのだから。

子猫から体を奪ってしまうのは申し訳ないけれど、これも運命か……。
諦めて目を閉じたときだった。

すぐ近くでうぅ~と低い唸り声が聞こえてきて尚美はハッと目を開けた。
振り向くとベンチのすぐ近くに野生の犬がいることに気がついた。

犬はこちらへ向けて唸り声をあげ、牙を向いている。
尚美は咄嗟に身構えて犬を睨み返した。

どうして?
いつもはすぐに気配や匂いで気がつくはずなのに。


だけど今は大粒の雨が降り注いでいる状態だ。
野犬の匂いも気配も雨によってかき消されてしまっていたようだ。

野犬は一匹だけではなかったようで後ろの茂みの中からもう一匹が姿を見せた。

どちらも成犬で、ミーコの何倍もの大きさがある。
捕まったら殺される!

ついさっき死を覚悟していたものの、野生としての本能で生きることへの固執がつ膨らんできた。

2歩、3歩とゆっくり野犬から距離を取る。
喧嘩になっても絶対に勝てない。

それなら逃げるしかない。
ただ、子猫の足で逃げ切ることができるかどうかはわからなかった。

一か八かやってみるしか他はない。
ジリジリと後ろへ下がっているといつの間にかベンチの外へ出ていた。

これでは体ががら空きだ。


犬たちの視線を感じながらも一気に駆け出す。
同時に二匹の犬も駆け出していた。

広い公園を一目散に出口へと走る。

雨で視界が悪いし、足元も悪くて何度も転んでしまいそうになりながらも、懸命に前へ前へと足を運ぶ。

それでもやはり成犬の足の方がよほど早い。
あっという間の尚美のすぐ後ろまで二匹が迫ってきていた。

その気配におののき、足が絡んでこけてしまう。
そこで見た野犬の鋭い牙と眼光に怯えながら尚美は立ち上がることがやっとだった。

もう無理。
もう走れない。


こんなところで、こんな風に死ぬなんてごめんなさい。
関さん、子猫ちゃん、本当にごめんなさい。

ガクガクと震えている尚美へ向けて二匹が当時に飛びかかってきた。

避ける暇はない。
牙が、爪が尚美へ向けて突き立てられる……寸前だった。

「ミーコ!!」
それはほとんど怒鳴り声だった。

その声が聞こえた瞬間野犬がキュンッと可愛らしい声を上げて一目散に逃げ出したのだ。

呆然としてその後姿を見送っていると、背中から抱きかかえ上げられた。
その手は絶対に忘れることがないだろう。

大きくて、優しくて、暖かくて、大好きな手。
「まったく。急に外に出るんじゃない」


怒ったように言っているけれど、全然怒っていない彼はずぶ濡れのミーコに頬ずりをした。

あぁ……。
ずっとこうしてほしかった。

ここ一ヶ月間ずっとずっと、待っていた。

健一はよほど慌てて出てきたのだろう、傘もささずサンダルをはいていて足もとは泥だらけだ。

「最近かまってやれなくてごめんな。でももう大丈夫だから。山場は過ぎたんだ」

ミーコをきつく抱きしめて健一はそう言ったのだった。


☆☆☆

ずぶ濡れのミーコと健一は一緒にお風呂に入っていた。
今回は健一も濡れていたから、ちゃんとお湯をはって湯船に使っている。

ミーコは風呂桶にためられたお湯に浸かっていた。
こうしていると体の芯から温まってくるのがわかって心地いい。

だけど健一も全裸で入浴中ということで尚美はさっきから目のやり場に困りっぱなしだ。

「ほらこっちにおいで。シャンプーしてあげるから」

と、言われても今の健一は全裸で、しかも抱っこして洗おうとするものだから尚美は必死で逃げていた。

せめて服を着て!
私を洗うのはその後にして!
と、訴えかけてみてもやっぱり伝わらない。

結局は健一の腕につかまってしまって、そのまま膝の上に乗せられるはめになってしまった。


程よく筋肉のついた肉体を目の前にして心臓がドキドキしてくる。
このままでは温まるを通り越して沸騰してしまいそうだ。

そんなこととはつゆ知らず、健一は丁寧に尚美の体を洗っていく。
土で汚れた肉球は念入りに指先でこすられてしまった。

もし、もし今ここで自分の体が人間に戻ったら?
なんてことを考えてしまって余計に頭がカーッと熱くなってきてしまう。

ブンブンと左右に首を振ると健一に泡が飛んで怒られてしまった。
「さ、キレイになった。乾かしてあげるから、そこで少し待っててな」

先に脱衣場に出された尚美は安堵のため息を吐き出して、すっかりのぼせてしまったためそのまま冷たい床にねそべって目を閉じたのだった。
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