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交通事故
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健一の仕事は本当に一段落ついたらしい。
非情に忙しかったのは当初一つ期間だけで、そこから先は通常通り休みが取れているようだった。
「ミーコ、久しぶりに散歩に行こうか」
この日はとてもよく晴れていて尚美はずっとキャットタワーの最上部に登って景色を見ていた。
こうしてのんびりしているとどんどん眠たくなってきてしまうので、すぐに誘いに乗り、キャットタワーからジャンプして下りた。
健一が散歩紐をつけてくれるのをワクワクしながら待つ。
「よし、行こう」
外を歩きながら尚美は足元が白く染まっていることに気がついた。
これは、雪?
驚いて顔を見上げると空は晴れているのにチラチラと雪が振り始めている。
健一に拾われてからの月日はあっという間に過ぎていき、今はもう冬。
来年の春になれば1年ということになる。
信じられない速さで進んでいく毎日の中、尚美はただただ健一と一緒にいた。
「あの公園へ行こうか」
「ミャア!」
ハトと、ハトおじさんに久しぶりに会いたいと思っていたところだった。
あれ以来会っていなくてお礼を伝えられていない。
ウキウキとして気分で健一と共に公園に足を踏み入れる。
ちょうど木陰のベンチにハトおじさんが来たところのようで、右手に餌の入ったナイロン袋を下げている。
足元に塗らがるハトたちの中の一羽がこちらに気がついてかけよってきた。
「ポッポー」
と、陽気な声で挨拶してくる。
「ミャアミャア」
こんにちは!
あなた、前にご主人を助けてくれたハトね?
「ポッポー」
そうだよ。
元気になったみたいでよかったじゃん!
「ミャアミャア」
ありがとう。
あなたのおかげで助かったの。
あのまま誰も部屋に来なければ健一は今頃どうなっていたかわからない。
想像することすら、恐ろしい。
「ポッポー」
今仲間と一緒に餌をもらってるんだけど、あんたもどう?
どう?
と言われてもハトの餌を奪うつもりはない。
それはご自由にどうぞと言おうとしたところだった。
公園内で遊んでいた1人の女の子が走り出すのが視界の端に見えて尚美はそちらへ振り向いた。
3歳くらいの女の子が公園から飛び出していく。
そこ先は大きな道路になっている。
けれど親はどこにいるのか、女の子を追いかける人の姿は見当たらない。
尚美はなにも考えず、本能のままに駆け出していた。
散歩紐が手から離れて健一が驚いた表情を浮かべてミーコを見る。
だけど尚美は止まらなかった。
道路へ飛び出して行った女の子を追いかける。
決して交通量の多い道ではないけれど、それでもなんだか嫌な予感が胸に渦巻いていた。
なおみが道路へ飛び出した瞬間、女の子がこけて泣いているのが見えた。
それも、道路のど真ん中で。
いつ車がくるかわからない!
尚美は休む暇なく少女へ向けて走り出した。
それと同時に曲がり角を曲がって走ってくる赤い車が見えた。
いけない……!
泣きながらよろよろと立ち上がった少女の体に尚美は思いっきり体当たりしていた。
少女が2,3歩歩道側へとよろけて尻もちをつく。
呆然としている少女の瞳に真っ白な猫が写っていた。
そして次の瞬間、その体は跳ね飛ばされていたのだった。
☆☆☆
意識を失う寸前に見えたのは驚いた表情で駆け寄ってくる健一の姿だった。
そういえば、拾われたあの日もこんな感じだったんだっけ。
そう思っていたとき、尚美の耳にピッピッという機械音が聞こえてきた。
体はとても重たくてまだまだ眠っていたいのに、機械音が耳障りでどんどん意識が覚醒していく。
もう、なによ。
もう少し寝かせてよ関さん。
そう思いながらも薄めが開いた。
天井が近い。
関さんの部屋の天井ってこんなに低かったんだっけ?
「田崎さん、わかりますか?」
どこか焦っているような女性の声に視線を向ける。
そこには看護師の恰好をした見知らぬ女性が立っていた。
尚美は返事をしようとしたけれど、口に大きなマスクがつけられているようで声はでなかった。
代わりにコクンと頷く。
女性はなにやら慌てた様子で部屋を出ていったので、どうやらまたひとりになったみたいだ。
それよりもここはどこだろう?
どうして天井がこんなに低いんだろう。
関さんの部屋じゃないみたいだけど。
そっと自分の右手をあげてみる。
それを見た瞬間、大きく息を飲んだ。
白くてモコモコの毛がない。
なによりも肉球がない!
驚いて上半身を起こそうとしたけれど、うまく動かすことができずに断念した。
代わりに首を捻って周囲を確認する。
ピッピッという機械音は心電図のようだ。
私は今ベッドに寝かされていて、ここが病院であることがだんだんわかってくる。
自分の体に戻ってきた……?
呆然として天井を見上げた。
猫になっていたときはとても遠いと思っていた天井が、人間に戻った今手を伸ばせば届きそうに感じられる。
「戻っ……た」
つぶやくと酸素マスクの中が白く曇った。
久しぶりに聞いた自分の声。
死んでなかったんだ。
あの交通事故以来自分の体がどうなってしまっていたのかわからなかった。
だからできるだけ考えないようにもしてきた。
でも、生きてた……!
喜びが溢れ出し、自然と涙が出てくる。
チリンッと鈴の音がして左手に違和感を覚えた尚美はそっと左手を目の前に移動した。
その手には赤い首輪が握りしめられていたのだ。
プレートにはミーコと書かれている。
ミーコ。
あの子はどうしただろう。
☆☆☆
意識が戻って退院するまでは随分と時間がかかってしまった。
毎日のように両親や兄弟、親戚までお見舞いに来てくれてリハビリを頑張ることができた。
筋力は随分と弱っていたけれど、徐々に回復してくるにつれて、今度は仕事のことが気になってきた。
「仕事はやめて、実家に帰ってきなさい」
と、母親は熱心に言う。
きっとそれが一番いいのだと思う。
退院後すぐに復帰できるとは思えないし、一人暮らしを続けていくのもまだまだ不安がある。
仕事を開始するのはもう少し後でもいいかと。
だけど、気がかりなことはまだあった。
関さん……。
関さんはどうしているだろうか。
☆☆☆
どうしても1度は会社に顔を出すと言い張ってきかない尚美に、母親は「アパートで待っているから」と、送り出してくれた。
久しぶりにそでを通したスーツはずいぶんと大きいように感じられた。
それくらい、尚美の体型はやせ細っていた。
こんな姿をみたらみんな驚いてしまうかもしれないが、大好きだった職場に最後の挨拶くらいは自分の足で行きたかった。
電車に揺られて会社の最寄り駅へ行くだけで随分と体力を消耗してしまう。
尚美は何度も休憩をはさみながら会社へと向かった。
「結構大きなビルだったんだなぁ」
自分が働いていたビルを見上げてそうつぶやく。
仕事をしていたときはそんなこといちいち気にする余裕はなかった。
こんな場所で働けていたことを、今では誇りに感じている。
入口前で大きく深呼吸をして気合を入れ直し、尚美はオフィスビルへと足を踏み入れたのだった。
会社へ顔を出すことは事前に知らせていたけれど、それでも同僚たちは尚美が来たことに驚き、そして大歓迎してくれた。
1年経過していてもオフィス内の雰囲気はなにも変わっていなくて、懐かしくてつい涙が出てしまう。
「いつ頃から復帰するの?」
と一番仲のいい同僚から質問されたときは、さすがに言葉に詰まった。
やめたくない。
だけど今の私では足手まといになることがわかっている。
私は静かに左右に首をふった。
それだけで理解してくれたようで、その同僚は影でこっそり泣いてくれた。
☆☆☆
今日ここにきた大きな目的はみっつある。
ひとつはみんなに退院の挨拶をすること。
ふたつめは辞表を提出すること。
そして最後のひとつは……。
「関さん」
会社内をさんざん探し回って、その姿を屋上で見つけたとき尚美はホッとして笑みを浮かべた。
「田崎さん!」
1人ベンチに座ってスマホを見ていた健一が驚いて駆け寄ってくる。
そして痩せてしまった尚美を見て少しだけ顔を曇らせる。
「今日は迎えにいくべきでしたか? 無理していませんか?」
その質問に尚美は左右に首をふる。
健一には随分とお世話になった。
もうこれ以上お世話になることはできない。
「大丈夫です。今日はこれを」
スーツの内ポケットから辞表を取り出す。
その手がどうしても震えた。
辞めたくないという気持ちが強くて、涙が滲んできてしまう。
「これは……辞めるんですか?」
ぐすっと鼻をすすりあげて、尚美は笑顔を浮かべた。
「両親が、実家に戻って来いって。事故に遭うようじゃ心配されても仕方ありませんし」
「そうですか……」
健一が落ち込んだ表情で辞表を受け取る。
「関さんは次期社長になるんですか?」
これはさっき同僚にも聞いた話なので、もう言っても大丈夫そうだ。
「あぁ。来週からは本社に行きます」
来週。
それならちょうどいいタイミングで会うことができたみたいだ。
「胃の調子はどうですか?」
これも、どうしても聞いておきたかったことだった。
早期発見とはいえ手術した身だ。
無理して働いてほしくはない。
しかしそう質問した瞬間健一は「え?」と、眉を寄せた。
尚美は慌てて「同僚たちから聞いて」と言い訳したのだけれど、健一は左右に首を振る。
「俺は胃がんのことは誰にも伝えてない……」
さっきまでの敬語が消えて、警戒した雰囲気が生まれる。
まずい。
つい心配で余計なことを口走ってしまった。
「な、なんでもないです。それじゃ、失礼します」
すぐにその場を後にしようとしたが、腕を掴まれて引き止められてしまった。
「誰から聞いたんだ?」
低く、威嚇するような声。
上司と部下という関係ではなく、純粋になぜ尚美が胃がんについて知っているのか聞きたがっているのがわかった。
尚美は小さくため息を吐き出す。
少し顔を見て挨拶をして終わるはずだったのに、ヘマをしてしまった。
これじゃ余計に離れがたくなるかもしれない。
尚美は涙を浮かべた目で振り向いたのだった。
非情に忙しかったのは当初一つ期間だけで、そこから先は通常通り休みが取れているようだった。
「ミーコ、久しぶりに散歩に行こうか」
この日はとてもよく晴れていて尚美はずっとキャットタワーの最上部に登って景色を見ていた。
こうしてのんびりしているとどんどん眠たくなってきてしまうので、すぐに誘いに乗り、キャットタワーからジャンプして下りた。
健一が散歩紐をつけてくれるのをワクワクしながら待つ。
「よし、行こう」
外を歩きながら尚美は足元が白く染まっていることに気がついた。
これは、雪?
驚いて顔を見上げると空は晴れているのにチラチラと雪が振り始めている。
健一に拾われてからの月日はあっという間に過ぎていき、今はもう冬。
来年の春になれば1年ということになる。
信じられない速さで進んでいく毎日の中、尚美はただただ健一と一緒にいた。
「あの公園へ行こうか」
「ミャア!」
ハトと、ハトおじさんに久しぶりに会いたいと思っていたところだった。
あれ以来会っていなくてお礼を伝えられていない。
ウキウキとして気分で健一と共に公園に足を踏み入れる。
ちょうど木陰のベンチにハトおじさんが来たところのようで、右手に餌の入ったナイロン袋を下げている。
足元に塗らがるハトたちの中の一羽がこちらに気がついてかけよってきた。
「ポッポー」
と、陽気な声で挨拶してくる。
「ミャアミャア」
こんにちは!
あなた、前にご主人を助けてくれたハトね?
「ポッポー」
そうだよ。
元気になったみたいでよかったじゃん!
「ミャアミャア」
ありがとう。
あなたのおかげで助かったの。
あのまま誰も部屋に来なければ健一は今頃どうなっていたかわからない。
想像することすら、恐ろしい。
「ポッポー」
今仲間と一緒に餌をもらってるんだけど、あんたもどう?
どう?
と言われてもハトの餌を奪うつもりはない。
それはご自由にどうぞと言おうとしたところだった。
公園内で遊んでいた1人の女の子が走り出すのが視界の端に見えて尚美はそちらへ振り向いた。
3歳くらいの女の子が公園から飛び出していく。
そこ先は大きな道路になっている。
けれど親はどこにいるのか、女の子を追いかける人の姿は見当たらない。
尚美はなにも考えず、本能のままに駆け出していた。
散歩紐が手から離れて健一が驚いた表情を浮かべてミーコを見る。
だけど尚美は止まらなかった。
道路へ飛び出して行った女の子を追いかける。
決して交通量の多い道ではないけれど、それでもなんだか嫌な予感が胸に渦巻いていた。
なおみが道路へ飛び出した瞬間、女の子がこけて泣いているのが見えた。
それも、道路のど真ん中で。
いつ車がくるかわからない!
尚美は休む暇なく少女へ向けて走り出した。
それと同時に曲がり角を曲がって走ってくる赤い車が見えた。
いけない……!
泣きながらよろよろと立ち上がった少女の体に尚美は思いっきり体当たりしていた。
少女が2,3歩歩道側へとよろけて尻もちをつく。
呆然としている少女の瞳に真っ白な猫が写っていた。
そして次の瞬間、その体は跳ね飛ばされていたのだった。
☆☆☆
意識を失う寸前に見えたのは驚いた表情で駆け寄ってくる健一の姿だった。
そういえば、拾われたあの日もこんな感じだったんだっけ。
そう思っていたとき、尚美の耳にピッピッという機械音が聞こえてきた。
体はとても重たくてまだまだ眠っていたいのに、機械音が耳障りでどんどん意識が覚醒していく。
もう、なによ。
もう少し寝かせてよ関さん。
そう思いながらも薄めが開いた。
天井が近い。
関さんの部屋の天井ってこんなに低かったんだっけ?
「田崎さん、わかりますか?」
どこか焦っているような女性の声に視線を向ける。
そこには看護師の恰好をした見知らぬ女性が立っていた。
尚美は返事をしようとしたけれど、口に大きなマスクがつけられているようで声はでなかった。
代わりにコクンと頷く。
女性はなにやら慌てた様子で部屋を出ていったので、どうやらまたひとりになったみたいだ。
それよりもここはどこだろう?
どうして天井がこんなに低いんだろう。
関さんの部屋じゃないみたいだけど。
そっと自分の右手をあげてみる。
それを見た瞬間、大きく息を飲んだ。
白くてモコモコの毛がない。
なによりも肉球がない!
驚いて上半身を起こそうとしたけれど、うまく動かすことができずに断念した。
代わりに首を捻って周囲を確認する。
ピッピッという機械音は心電図のようだ。
私は今ベッドに寝かされていて、ここが病院であることがだんだんわかってくる。
自分の体に戻ってきた……?
呆然として天井を見上げた。
猫になっていたときはとても遠いと思っていた天井が、人間に戻った今手を伸ばせば届きそうに感じられる。
「戻っ……た」
つぶやくと酸素マスクの中が白く曇った。
久しぶりに聞いた自分の声。
死んでなかったんだ。
あの交通事故以来自分の体がどうなってしまっていたのかわからなかった。
だからできるだけ考えないようにもしてきた。
でも、生きてた……!
喜びが溢れ出し、自然と涙が出てくる。
チリンッと鈴の音がして左手に違和感を覚えた尚美はそっと左手を目の前に移動した。
その手には赤い首輪が握りしめられていたのだ。
プレートにはミーコと書かれている。
ミーコ。
あの子はどうしただろう。
☆☆☆
意識が戻って退院するまでは随分と時間がかかってしまった。
毎日のように両親や兄弟、親戚までお見舞いに来てくれてリハビリを頑張ることができた。
筋力は随分と弱っていたけれど、徐々に回復してくるにつれて、今度は仕事のことが気になってきた。
「仕事はやめて、実家に帰ってきなさい」
と、母親は熱心に言う。
きっとそれが一番いいのだと思う。
退院後すぐに復帰できるとは思えないし、一人暮らしを続けていくのもまだまだ不安がある。
仕事を開始するのはもう少し後でもいいかと。
だけど、気がかりなことはまだあった。
関さん……。
関さんはどうしているだろうか。
☆☆☆
どうしても1度は会社に顔を出すと言い張ってきかない尚美に、母親は「アパートで待っているから」と、送り出してくれた。
久しぶりにそでを通したスーツはずいぶんと大きいように感じられた。
それくらい、尚美の体型はやせ細っていた。
こんな姿をみたらみんな驚いてしまうかもしれないが、大好きだった職場に最後の挨拶くらいは自分の足で行きたかった。
電車に揺られて会社の最寄り駅へ行くだけで随分と体力を消耗してしまう。
尚美は何度も休憩をはさみながら会社へと向かった。
「結構大きなビルだったんだなぁ」
自分が働いていたビルを見上げてそうつぶやく。
仕事をしていたときはそんなこといちいち気にする余裕はなかった。
こんな場所で働けていたことを、今では誇りに感じている。
入口前で大きく深呼吸をして気合を入れ直し、尚美はオフィスビルへと足を踏み入れたのだった。
会社へ顔を出すことは事前に知らせていたけれど、それでも同僚たちは尚美が来たことに驚き、そして大歓迎してくれた。
1年経過していてもオフィス内の雰囲気はなにも変わっていなくて、懐かしくてつい涙が出てしまう。
「いつ頃から復帰するの?」
と一番仲のいい同僚から質問されたときは、さすがに言葉に詰まった。
やめたくない。
だけど今の私では足手まといになることがわかっている。
私は静かに左右に首をふった。
それだけで理解してくれたようで、その同僚は影でこっそり泣いてくれた。
☆☆☆
今日ここにきた大きな目的はみっつある。
ひとつはみんなに退院の挨拶をすること。
ふたつめは辞表を提出すること。
そして最後のひとつは……。
「関さん」
会社内をさんざん探し回って、その姿を屋上で見つけたとき尚美はホッとして笑みを浮かべた。
「田崎さん!」
1人ベンチに座ってスマホを見ていた健一が驚いて駆け寄ってくる。
そして痩せてしまった尚美を見て少しだけ顔を曇らせる。
「今日は迎えにいくべきでしたか? 無理していませんか?」
その質問に尚美は左右に首をふる。
健一には随分とお世話になった。
もうこれ以上お世話になることはできない。
「大丈夫です。今日はこれを」
スーツの内ポケットから辞表を取り出す。
その手がどうしても震えた。
辞めたくないという気持ちが強くて、涙が滲んできてしまう。
「これは……辞めるんですか?」
ぐすっと鼻をすすりあげて、尚美は笑顔を浮かべた。
「両親が、実家に戻って来いって。事故に遭うようじゃ心配されても仕方ありませんし」
「そうですか……」
健一が落ち込んだ表情で辞表を受け取る。
「関さんは次期社長になるんですか?」
これはさっき同僚にも聞いた話なので、もう言っても大丈夫そうだ。
「あぁ。来週からは本社に行きます」
来週。
それならちょうどいいタイミングで会うことができたみたいだ。
「胃の調子はどうですか?」
これも、どうしても聞いておきたかったことだった。
早期発見とはいえ手術した身だ。
無理して働いてほしくはない。
しかしそう質問した瞬間健一は「え?」と、眉を寄せた。
尚美は慌てて「同僚たちから聞いて」と言い訳したのだけれど、健一は左右に首を振る。
「俺は胃がんのことは誰にも伝えてない……」
さっきまでの敬語が消えて、警戒した雰囲気が生まれる。
まずい。
つい心配で余計なことを口走ってしまった。
「な、なんでもないです。それじゃ、失礼します」
すぐにその場を後にしようとしたが、腕を掴まれて引き止められてしまった。
「誰から聞いたんだ?」
低く、威嚇するような声。
上司と部下という関係ではなく、純粋になぜ尚美が胃がんについて知っているのか聞きたがっているのがわかった。
尚美は小さくため息を吐き出す。
少し顔を見て挨拶をして終わるはずだったのに、ヘマをしてしまった。
これじゃ余計に離れがたくなるかもしれない。
尚美は涙を浮かべた目で振り向いたのだった。
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