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放課後の屋上
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翌日2年B組に絵里香がついたときには早希はすでに自分の席に座っていた。
慌てて近づいていくと早希が笑顔で「おはよう」と言った。
だけど顔色は悪く、声も弱々しい。
少しでも大きな声を出したり、走ったりすると咳が止まらなくなるそうだ。
今は薬で抑えているけれど、放課後まで無理はできないことがわかった。
「放課後になれば女子生徒に会いに行くことができるから、それまで頑張って」
絵里香の言葉に早希は弱々しく頷いたのだった。
それからふたりは休憩時間になるたびに、あのSNSの書き込みを何度もチェックっした。幸いあの書き込み自体は絵里香のスマホからでも見ることができたのだ。
「本当に、放課後まで……待たないとダメなのかな」
早希が時折呼吸を挟みつつ言う。
本当なら今すぐ屋上へ向かいたいんだろう。
薬で落ち着いていると言っても、薬が切れてしまえば苦しむことになる。
できるだけ早く女子生徒に会いに行きたいはずだ。
「たぶん、ダメだと思う。ねぇ、無理しないで保健室に行こう?」
ずっと教室にいても早希の顔色は一向によくならない。
無理をしているのは明らかだった。
それなら放課後になるまで保健室で休んで、それから行っても問題はない。
前回と同じように先を保健室まで連れて行くと、先生はすぐに早退するように早希を説得し始めた。
だけど早希は今回はそれに応じなかった。
どうしても放課後までここにいる必要があると、聞く耳を持たない。
先生は根負けして「わかった。それならここにいればいいけど、病状が悪化したらすぐにお母さんに連絡を入れるからね」と、早希をベッドに寝かせてくれることになった。
絵里香はそれを確認してひとまずは安心した。
これで早希も放課後まで学校に残ることができるだろう。
本当ならすぐに病院へ行くべきかもしれない。
だけど、病院はすでに行った後なんだ。
他にできることと言えば、あの噂に頼ることくらいだった。
☆☆☆
それから放課後まではとても長く感じられた。
教室の時計が止まっているんじゃないかと思って、何度も電池を確認したくらいだ。
「絵里香、早希は大丈夫なの?」
早希の後ろの席の子が心配そうに声をかけてくる。
「うん、大丈夫だよ」
絵里香はそう答えるので精一杯だった。
きっと大丈夫。
きっと元気になる。
そう信じてあげないといけないときだと思う。
そうしてようやく放課後になり、絵里香は自分のカバンを乱暴に掴んで教室から飛び出した。
1階まで駆け下りて保健室へと走る。
ノックもそこそこに保健室のドアを開けると早希がベッドから起きてきたところだった。
「永山さん、迎えに来てくれたのね」
先生が安心したように微笑む。
早希の顔色は少しだけよくなったみたいだ。
横になっていたのが良かったんだろう。
「ごめんね迎えに来てもらって」
「何いってんの」
絵里香は早希のカバンを持って二人並んで保健室を出た。
できるだけ早く迎えに来たけれど、廊下はすでに沢山の生徒たちで溢れている。
ふたりは昇降口へと向かう生徒の群れとは逆走してゆっくり歩いていく。
屋上まで階段続きだから、少し心配だった。
その階段も登りきったところで、絵里香がふと思い出したように足を止めた。
「どうしたの?」
屋上へとドアはもう目の前だ。
早希はキョトンとした表情で絵里香を見つめた。
「なにも考えずにここまで来ちゃったけど、屋上の鍵って開いてるのかな?」
絵里香と早希が入学してから1度も屋上へ出たことはない。
時折、クラス写真を撮るために屋上へ出るクラスもあるらしいけれど、それ以外の目的で出入りできる場所だとは、聞いたことがなかった。
それに気がついた早希も一瞬険しい表情を浮かべた。
その顔つきのまま右手をドアノブに伸ばす。
今時珍しい丸いドアノブを回したとき、ギッと微かに音がした。
灰色のドアが重々しく外側へ向けて開かれていく。
爽やかな風と青い空を感じたとき、早希が安堵してため息をついた。
「よかった。鍵は空いてたんだ」
絵里香のとりこし苦労だったようで、思わず笑みがこぼれる。
ふたりして屋上へ出てみると、そこは広いコンクリートの地面だった。
時折明かり取りの窓があり、その周辺は柵で囲まれている。
「屋上、始めてきた」
早希が大きく息を吸い込んで言う。
教室やグラウンドにいるときよりもいくらか空気もきれいな気がする。
街を見下ろしてみると絵里香と早希の家の屋根がそれぞれ見えた。
その奥には大きな山もそびえ立っていて、とてもきれいな街に見える。
「離れて見ないと見えない景色ってあるんだよね」
絵里香が肩の高さまである柵に両手を乗せてつぶやく。
「本当。こうしてみると綺麗だねぇ」
感心したように早希が呟いたとき、急に咳き込み始めた。
苦しそうに何度も咳き込み、その場に膝をつく。
「早希、大丈夫!?」
慌てて背中をさするが、効果があるのかどうかわからない。
咳が出始めるとなかなか止まらないようで、早希は何度もヒューヒューと乾いた呼吸を繰り返した。
このままじゃ早希が倒れてしまう。
「早希、とにかく校内へ戻ろう」
早希の体を支えてどうにか屋上の入り口へと向かう。
早希はその間も苦しげに絵里香の耳元で何度も咳き込んだ。
その度に絵里香は泣きそうになり、グッと苦しみを自分の中に押し込めた。
今一番苦しくてつらい思いをしているのは早希なんだ。
自分まで泣くわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせて屋上を見回してみた。
そこには人影はなく、気配もない。
やっぱりあの噂はただの噂だったんだ。
屋上に、病気を治してくれる女子生徒なんていない。
もともと半信半疑だったけれど、早希の病気が治るかもしれないという期待が見事に打ち砕かれて絶望的な気分になる。
「早希、もう少しだから頑張って」
後少しで入り口に到着するというところで、二人の前に人影が立ちはだかった。
コンクリートにスカートが揺れる影が見えて、絵里香は足を止めた。
顔を上げてみるとそこには見知らぬ顔の女子生徒がひとり、立っていた。
胸元にゆれるリボンは赤色だから、1年生だとわかる。
長い黒髪を腰まで垂らした女子生徒は絵里香たちよりも頭ひとつぶん小さく、それなのに存在感がある子だった。
驚いた絵里香がなにも言えずにその子をジッと見つめていると、女子生徒はこぼれ落ちてしまいそうなほど大きな目を細めて微笑んだ。
そして絵里香の横を指差した。
その先にいるのは早希だ。
早希は顔面蒼白になっていて、目の前に女子生徒が立っていることにも気がついていない様子だ。
「肺炎だね」
女子生徒が静かな声で言った。
絵里香はその言葉が信じられなくて女子生徒をまじまじと見つめた。
「なに?」
思わず強い口調で聞き返す。
こんなに調子が悪そうな先を目の前にして『肺炎だね』となんでもない様子で言ってのけたことが信じられない。
それに、今早希は咳き込んでいないのになぜ肺炎だと思ったのかも謎だった。
でもきっと、適当を言ったに違いない。
「ほっとくと死ぬよ」
更に投げかけられた言葉に絵里香はついに我慢の限界が来た。
言っていいことと悪いことがある。
中学1年生でも、それくらいのことはわかるはずだ。
「縁起でもないこと言わないで。私はこれから早希の母親に連絡しなきゃいけないんだから、そこをどいてくれない?」
できるだけ感情を押し殺したけれど、それでも強い口調になってしまった。
女子生徒はまるで動じる気配も見せずに口元に笑みを浮かべてたままだ。
まるでこの状況を楽しんでいるように見えて絵里香は奥歯を噛み締めた。
「助けてもらいたくてここに来たんじゃないの?」
女子生徒の言葉に絵里香は目を見開いた。
この子も屋上の女子生徒についての噂を知っているみたいだ。
「確かにそうだよ。だけど噂の子なんてどこにもいなかった。だから早く早希のお母さんに連絡しなきゃいけないの! わかったならそこをどいてよ!」
ついに怒鳴ってしまった。
絵里香は肩で呼吸を繰り返して女子生徒を睨みつける。
怒鳴られた女子生徒は表情ひとつ変えることなくドアの前に立っている。
時折早希へ視線を移して、小さく声を出して笑ったくらいだ。
「噂の女子生徒は私だよ。診てあげようか?」
小首をかしげてそう言う女子生徒に絵里香はまた言葉を失った。
唖然として目の前の1年生を見つめる。
この子が病気を治す女子生徒?
それにしては小柄で、ごく普通の子にしか見えない。
噂になっているくらいだから、もっと現実離れした容姿を想像していた。
絵里香は注意深く女子生徒を見つめる。
この子も噂を知っていたし、嘘をついて自分たちを騙しているのかもしれない。
「どうするの? その人、すごく苦しそうだけど?」
指摘されて早希を見ると、顔色が更に悪くなっている。
もう支えられて立っているのもやっとという様子で、足に力が入っていない。
「早希、大丈夫?」
近くで声をかけても返事がない。
絵里香は慌てて早希をコンクリートの床に寝かせた。
口元に耳を近づけると弱々しい呼吸音が聞こえてくる。
「早希、しっかりして!」
せっかくここまで来たのにこんなことになるなんて!
それなら噂に惑わされることなく、早退したほうがよかったんだ!
判断ミスで早希が大変なことになってしまった。
どうすればいいかわからず、涙が浮かんでくる。
視界が歪んでなにもかもが不鮮明になったとき、女子生徒が早希に近づいた。
早希の隣に座り込み「助けてほしい?」と質問する。
早希はうっすらと目を開いて小刻みに頷いた。
すると女子生徒は満足そうにほほえみ、早希の右手を両手で包み込んだのだ。
「ちょっと、早希になにしてんの!?」
こんな状況で着やすく触れてほしくなかった。
咄嗟に女子生徒を早希から引き離そうとしたときだった、早希が大きく息を吸い込んだのだ。
ふぅ~……はぁ~……ふぅ~……はぁ~……。
さっきよりも落ち着いた呼吸音。
ヒューヒューと笛のような音はしなくなっている。
「早希? 早希、大丈夫?」
絵里香の呼びかけに早希は大きく目を開いて、微笑んだ。
「うん、大丈夫」
しっかりとした声で返事をした瞬間、絵里香は早希の体を抱きしめていた。
さっきまでは青ざめていた顔も、今は赤みが差している。
こんなに一瞬にして早希の様子が変わるなんて思ってもいなかった。
「早希、よかった! よかったよぉ!」
このまま倒れて意識を失ってしまうかと思った。
そうなると取り返しのつかないことになる。
そう思って、怖くて怖くてたまらなかった。
「ほらね、治ったでしょう?」
いつの間にか早希から手を離している女子生徒が、変わらない笑みを浮かべて言った。
絵里香と早希は顔を見合わせ、それから女子生徒へ視線を移した。
「あ、あの……ありがとう」
早希がすぐに女子生徒にお礼を言う。
「あなたが噂の?」
「そうだよ。私がみんなの病気を治してる」
コックリと頷くとつややかな黒髪が揺れる。
早希は目に涙を浮かべて何度も何度も女子生徒にお礼を言った。
さっきまでの苦しさは嘘のように消えている。
「ねぇ、なにかお礼をしたいんだけど、なにがいい?」
病気を治してもらっておいてなにもお礼をしないのでは、早希も気になるんだろう。
「そうだなぁ。私、チョコレートが大好きなんだ。だから明日、チョコレートを持ってきてくれない?」
「もちろん! ここに持ってくればいいの?」
「ううん。チョコレートは高野早希さんの下駄箱に入れておいてよ。そうすれば私取りに行くから」
女子生徒は早希のネームへ視線を向けて言った。
フルネームで名前を呼ばれた早希は照れくさそうに笑って「わかった」と、頷いたのだった。
☆☆☆
不思議な力を持つ女子生徒は実在した。
それが今でも信じられない気持ちだった。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
屋上からの階段を下りながら絵里香は早希に聞いた。
早希はひとりで軽快な足取りで階段を下っている。
「全然大丈夫だよ! さっきまでの苦しさが嘘みたい!」
大きな声を上げても少しも咳は出ないらしい。
それが嬉しいのか早希は歌まで歌い始めた。
早希の歌声が誰もいない階段に響く。
「本当にいたんだね。噂の女子生徒」
「花咲友梨奈」
「え?」
「ネームにそう書いてあったよ」
早希はそう言って自分の左胸についているプラスチック製のネームを指差した。
そういえば、女子生徒も同じ中学なんだからネームをつけているんだっけ。
そんなことすっかり失念していた。
「不思議な力だけど、お陰で助かったよ。あの子お陰。お礼のチョコレートも高級品じゃなきゃね!」
早希はさっそくお礼の品を買いに行くと言って、スキップしながら絵里香と別れたのだった。
☆☆☆
自室で宿題を片付けていると、早希からメッセージが入っていた。
《早希:さっき病院に行ってきたよ! すっかり良くなってるから、先生びっくりしてた!》
病院で診てもらったところ、肺炎の症状はすっかり消えていたという。
どうしてかは先生もわからず、首をかしげていたそうだ。
《絵里香:明日も学校に来られるの?》
《早希:もちろんだよ! 私、もう病気じゃないんだから》
早希の喜んでいる顔が目に浮かぶようだ。
これで毎日早希と学校に通うことができると思うと、絵里香も嬉しかった。
けれど、どうしても屋上で出会った友梨奈という女子生徒の顔が浮かんできてしまう。
張り付いたような笑顔の裏になにかあるような気がしてならない。
ただ、それがなんなのかはわからなかった。
なんだか嫌な気がする。
ただそれだけだから、気のせいかもしれない。
都市伝説的な女子生徒だし、不思議な雰囲気をまとっていたっておかしくないし。
《早希:お礼のチョコレートも用意したし、あの子には本当に感謝してる》
《絵里香:うん。そうだよね》
とにかく早希は健康が戻ってきたのだ。
それでいいじゃないか。
絵里香は自分にそう言い聞かせたのだった。
慌てて近づいていくと早希が笑顔で「おはよう」と言った。
だけど顔色は悪く、声も弱々しい。
少しでも大きな声を出したり、走ったりすると咳が止まらなくなるそうだ。
今は薬で抑えているけれど、放課後まで無理はできないことがわかった。
「放課後になれば女子生徒に会いに行くことができるから、それまで頑張って」
絵里香の言葉に早希は弱々しく頷いたのだった。
それからふたりは休憩時間になるたびに、あのSNSの書き込みを何度もチェックっした。幸いあの書き込み自体は絵里香のスマホからでも見ることができたのだ。
「本当に、放課後まで……待たないとダメなのかな」
早希が時折呼吸を挟みつつ言う。
本当なら今すぐ屋上へ向かいたいんだろう。
薬で落ち着いていると言っても、薬が切れてしまえば苦しむことになる。
できるだけ早く女子生徒に会いに行きたいはずだ。
「たぶん、ダメだと思う。ねぇ、無理しないで保健室に行こう?」
ずっと教室にいても早希の顔色は一向によくならない。
無理をしているのは明らかだった。
それなら放課後になるまで保健室で休んで、それから行っても問題はない。
前回と同じように先を保健室まで連れて行くと、先生はすぐに早退するように早希を説得し始めた。
だけど早希は今回はそれに応じなかった。
どうしても放課後までここにいる必要があると、聞く耳を持たない。
先生は根負けして「わかった。それならここにいればいいけど、病状が悪化したらすぐにお母さんに連絡を入れるからね」と、早希をベッドに寝かせてくれることになった。
絵里香はそれを確認してひとまずは安心した。
これで早希も放課後まで学校に残ることができるだろう。
本当ならすぐに病院へ行くべきかもしれない。
だけど、病院はすでに行った後なんだ。
他にできることと言えば、あの噂に頼ることくらいだった。
☆☆☆
それから放課後まではとても長く感じられた。
教室の時計が止まっているんじゃないかと思って、何度も電池を確認したくらいだ。
「絵里香、早希は大丈夫なの?」
早希の後ろの席の子が心配そうに声をかけてくる。
「うん、大丈夫だよ」
絵里香はそう答えるので精一杯だった。
きっと大丈夫。
きっと元気になる。
そう信じてあげないといけないときだと思う。
そうしてようやく放課後になり、絵里香は自分のカバンを乱暴に掴んで教室から飛び出した。
1階まで駆け下りて保健室へと走る。
ノックもそこそこに保健室のドアを開けると早希がベッドから起きてきたところだった。
「永山さん、迎えに来てくれたのね」
先生が安心したように微笑む。
早希の顔色は少しだけよくなったみたいだ。
横になっていたのが良かったんだろう。
「ごめんね迎えに来てもらって」
「何いってんの」
絵里香は早希のカバンを持って二人並んで保健室を出た。
できるだけ早く迎えに来たけれど、廊下はすでに沢山の生徒たちで溢れている。
ふたりは昇降口へと向かう生徒の群れとは逆走してゆっくり歩いていく。
屋上まで階段続きだから、少し心配だった。
その階段も登りきったところで、絵里香がふと思い出したように足を止めた。
「どうしたの?」
屋上へとドアはもう目の前だ。
早希はキョトンとした表情で絵里香を見つめた。
「なにも考えずにここまで来ちゃったけど、屋上の鍵って開いてるのかな?」
絵里香と早希が入学してから1度も屋上へ出たことはない。
時折、クラス写真を撮るために屋上へ出るクラスもあるらしいけれど、それ以外の目的で出入りできる場所だとは、聞いたことがなかった。
それに気がついた早希も一瞬険しい表情を浮かべた。
その顔つきのまま右手をドアノブに伸ばす。
今時珍しい丸いドアノブを回したとき、ギッと微かに音がした。
灰色のドアが重々しく外側へ向けて開かれていく。
爽やかな風と青い空を感じたとき、早希が安堵してため息をついた。
「よかった。鍵は空いてたんだ」
絵里香のとりこし苦労だったようで、思わず笑みがこぼれる。
ふたりして屋上へ出てみると、そこは広いコンクリートの地面だった。
時折明かり取りの窓があり、その周辺は柵で囲まれている。
「屋上、始めてきた」
早希が大きく息を吸い込んで言う。
教室やグラウンドにいるときよりもいくらか空気もきれいな気がする。
街を見下ろしてみると絵里香と早希の家の屋根がそれぞれ見えた。
その奥には大きな山もそびえ立っていて、とてもきれいな街に見える。
「離れて見ないと見えない景色ってあるんだよね」
絵里香が肩の高さまである柵に両手を乗せてつぶやく。
「本当。こうしてみると綺麗だねぇ」
感心したように早希が呟いたとき、急に咳き込み始めた。
苦しそうに何度も咳き込み、その場に膝をつく。
「早希、大丈夫!?」
慌てて背中をさするが、効果があるのかどうかわからない。
咳が出始めるとなかなか止まらないようで、早希は何度もヒューヒューと乾いた呼吸を繰り返した。
このままじゃ早希が倒れてしまう。
「早希、とにかく校内へ戻ろう」
早希の体を支えてどうにか屋上の入り口へと向かう。
早希はその間も苦しげに絵里香の耳元で何度も咳き込んだ。
その度に絵里香は泣きそうになり、グッと苦しみを自分の中に押し込めた。
今一番苦しくてつらい思いをしているのは早希なんだ。
自分まで泣くわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせて屋上を見回してみた。
そこには人影はなく、気配もない。
やっぱりあの噂はただの噂だったんだ。
屋上に、病気を治してくれる女子生徒なんていない。
もともと半信半疑だったけれど、早希の病気が治るかもしれないという期待が見事に打ち砕かれて絶望的な気分になる。
「早希、もう少しだから頑張って」
後少しで入り口に到着するというところで、二人の前に人影が立ちはだかった。
コンクリートにスカートが揺れる影が見えて、絵里香は足を止めた。
顔を上げてみるとそこには見知らぬ顔の女子生徒がひとり、立っていた。
胸元にゆれるリボンは赤色だから、1年生だとわかる。
長い黒髪を腰まで垂らした女子生徒は絵里香たちよりも頭ひとつぶん小さく、それなのに存在感がある子だった。
驚いた絵里香がなにも言えずにその子をジッと見つめていると、女子生徒はこぼれ落ちてしまいそうなほど大きな目を細めて微笑んだ。
そして絵里香の横を指差した。
その先にいるのは早希だ。
早希は顔面蒼白になっていて、目の前に女子生徒が立っていることにも気がついていない様子だ。
「肺炎だね」
女子生徒が静かな声で言った。
絵里香はその言葉が信じられなくて女子生徒をまじまじと見つめた。
「なに?」
思わず強い口調で聞き返す。
こんなに調子が悪そうな先を目の前にして『肺炎だね』となんでもない様子で言ってのけたことが信じられない。
それに、今早希は咳き込んでいないのになぜ肺炎だと思ったのかも謎だった。
でもきっと、適当を言ったに違いない。
「ほっとくと死ぬよ」
更に投げかけられた言葉に絵里香はついに我慢の限界が来た。
言っていいことと悪いことがある。
中学1年生でも、それくらいのことはわかるはずだ。
「縁起でもないこと言わないで。私はこれから早希の母親に連絡しなきゃいけないんだから、そこをどいてくれない?」
できるだけ感情を押し殺したけれど、それでも強い口調になってしまった。
女子生徒はまるで動じる気配も見せずに口元に笑みを浮かべてたままだ。
まるでこの状況を楽しんでいるように見えて絵里香は奥歯を噛み締めた。
「助けてもらいたくてここに来たんじゃないの?」
女子生徒の言葉に絵里香は目を見開いた。
この子も屋上の女子生徒についての噂を知っているみたいだ。
「確かにそうだよ。だけど噂の子なんてどこにもいなかった。だから早く早希のお母さんに連絡しなきゃいけないの! わかったならそこをどいてよ!」
ついに怒鳴ってしまった。
絵里香は肩で呼吸を繰り返して女子生徒を睨みつける。
怒鳴られた女子生徒は表情ひとつ変えることなくドアの前に立っている。
時折早希へ視線を移して、小さく声を出して笑ったくらいだ。
「噂の女子生徒は私だよ。診てあげようか?」
小首をかしげてそう言う女子生徒に絵里香はまた言葉を失った。
唖然として目の前の1年生を見つめる。
この子が病気を治す女子生徒?
それにしては小柄で、ごく普通の子にしか見えない。
噂になっているくらいだから、もっと現実離れした容姿を想像していた。
絵里香は注意深く女子生徒を見つめる。
この子も噂を知っていたし、嘘をついて自分たちを騙しているのかもしれない。
「どうするの? その人、すごく苦しそうだけど?」
指摘されて早希を見ると、顔色が更に悪くなっている。
もう支えられて立っているのもやっとという様子で、足に力が入っていない。
「早希、大丈夫?」
近くで声をかけても返事がない。
絵里香は慌てて早希をコンクリートの床に寝かせた。
口元に耳を近づけると弱々しい呼吸音が聞こえてくる。
「早希、しっかりして!」
せっかくここまで来たのにこんなことになるなんて!
それなら噂に惑わされることなく、早退したほうがよかったんだ!
判断ミスで早希が大変なことになってしまった。
どうすればいいかわからず、涙が浮かんでくる。
視界が歪んでなにもかもが不鮮明になったとき、女子生徒が早希に近づいた。
早希の隣に座り込み「助けてほしい?」と質問する。
早希はうっすらと目を開いて小刻みに頷いた。
すると女子生徒は満足そうにほほえみ、早希の右手を両手で包み込んだのだ。
「ちょっと、早希になにしてんの!?」
こんな状況で着やすく触れてほしくなかった。
咄嗟に女子生徒を早希から引き離そうとしたときだった、早希が大きく息を吸い込んだのだ。
ふぅ~……はぁ~……ふぅ~……はぁ~……。
さっきよりも落ち着いた呼吸音。
ヒューヒューと笛のような音はしなくなっている。
「早希? 早希、大丈夫?」
絵里香の呼びかけに早希は大きく目を開いて、微笑んだ。
「うん、大丈夫」
しっかりとした声で返事をした瞬間、絵里香は早希の体を抱きしめていた。
さっきまでは青ざめていた顔も、今は赤みが差している。
こんなに一瞬にして早希の様子が変わるなんて思ってもいなかった。
「早希、よかった! よかったよぉ!」
このまま倒れて意識を失ってしまうかと思った。
そうなると取り返しのつかないことになる。
そう思って、怖くて怖くてたまらなかった。
「ほらね、治ったでしょう?」
いつの間にか早希から手を離している女子生徒が、変わらない笑みを浮かべて言った。
絵里香と早希は顔を見合わせ、それから女子生徒へ視線を移した。
「あ、あの……ありがとう」
早希がすぐに女子生徒にお礼を言う。
「あなたが噂の?」
「そうだよ。私がみんなの病気を治してる」
コックリと頷くとつややかな黒髪が揺れる。
早希は目に涙を浮かべて何度も何度も女子生徒にお礼を言った。
さっきまでの苦しさは嘘のように消えている。
「ねぇ、なにかお礼をしたいんだけど、なにがいい?」
病気を治してもらっておいてなにもお礼をしないのでは、早希も気になるんだろう。
「そうだなぁ。私、チョコレートが大好きなんだ。だから明日、チョコレートを持ってきてくれない?」
「もちろん! ここに持ってくればいいの?」
「ううん。チョコレートは高野早希さんの下駄箱に入れておいてよ。そうすれば私取りに行くから」
女子生徒は早希のネームへ視線を向けて言った。
フルネームで名前を呼ばれた早希は照れくさそうに笑って「わかった」と、頷いたのだった。
☆☆☆
不思議な力を持つ女子生徒は実在した。
それが今でも信じられない気持ちだった。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
屋上からの階段を下りながら絵里香は早希に聞いた。
早希はひとりで軽快な足取りで階段を下っている。
「全然大丈夫だよ! さっきまでの苦しさが嘘みたい!」
大きな声を上げても少しも咳は出ないらしい。
それが嬉しいのか早希は歌まで歌い始めた。
早希の歌声が誰もいない階段に響く。
「本当にいたんだね。噂の女子生徒」
「花咲友梨奈」
「え?」
「ネームにそう書いてあったよ」
早希はそう言って自分の左胸についているプラスチック製のネームを指差した。
そういえば、女子生徒も同じ中学なんだからネームをつけているんだっけ。
そんなことすっかり失念していた。
「不思議な力だけど、お陰で助かったよ。あの子お陰。お礼のチョコレートも高級品じゃなきゃね!」
早希はさっそくお礼の品を買いに行くと言って、スキップしながら絵里香と別れたのだった。
☆☆☆
自室で宿題を片付けていると、早希からメッセージが入っていた。
《早希:さっき病院に行ってきたよ! すっかり良くなってるから、先生びっくりしてた!》
病院で診てもらったところ、肺炎の症状はすっかり消えていたという。
どうしてかは先生もわからず、首をかしげていたそうだ。
《絵里香:明日も学校に来られるの?》
《早希:もちろんだよ! 私、もう病気じゃないんだから》
早希の喜んでいる顔が目に浮かぶようだ。
これで毎日早希と学校に通うことができると思うと、絵里香も嬉しかった。
けれど、どうしても屋上で出会った友梨奈という女子生徒の顔が浮かんできてしまう。
張り付いたような笑顔の裏になにかあるような気がしてならない。
ただ、それがなんなのかはわからなかった。
なんだか嫌な気がする。
ただそれだけだから、気のせいかもしれない。
都市伝説的な女子生徒だし、不思議な雰囲気をまとっていたっておかしくないし。
《早希:お礼のチョコレートも用意したし、あの子には本当に感謝してる》
《絵里香:うん。そうだよね》
とにかく早希は健康が戻ってきたのだ。
それでいいじゃないか。
絵里香は自分にそう言い聞かせたのだった。
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放課後になると学校のどこかで幽霊との鬼ごっこが始まって
それは他者には見えないらしい
そんな噂がまさか本当だったなんて!?
カラフルマジック ~恋の呪文は永遠に~
立花鏡河
児童書・童話
【第15回絵本・児童書大賞】奨励賞を受賞しました!
応援して下さった方々に、心より感謝申し上げます!
赤木姫奈(あかぎ ひな)=ヒナは、中学二年生のおとなしい女の子。
ミステリアスな転校生の黒江くんはなぜかヒナを気にかけ、いつも助けてくれる。
まるで「君を守ることが、俺の使命」とばかりに。
そして、ヒナが以前から気になっていた白野先輩との恋を応援するというが――。
中学生のキュンキュンする恋愛模様を、ファンタジックな味付けでお届けします♪
★もっと詳しい【あらすじ】★
ヒナは数年前からたびたび見る不思議な夢が気になっていた。それは、自分が魔法少女で、
使い魔の黒猫クロエとともに活躍するというもの。
夢の最後は決まって、魔力が取り上げられ、クロエとも離れ離れになって――。
そんなある日、ヒナのクラスに転校生の黒江晶人(くろえ あきと)がやってきた。
――はじめて会ったのに、なぜだろう。ずっと前から知っている気がするの……。
クールでミステリアスな黒江くんは、気弱なヒナをなにかと気にかけ、助けてくれる。
同級生とトラブルになったときも、黒江くんはヒナを守り抜くのだった。
ヒナもまた、自らの考えを言葉にして伝える強さを身につけていく。
吹奏楽を続けることよりも、ヒナの所属している文芸部に入部することを選んだ黒江くん。
それもまたヒナを守りたい一心だった。
個性的なオタク女子の門倉部長、突っ走る系イケメンの黒江くんに囲まれ、
にぎやかになるヒナの学校生活。
黒江くんは、ヒナが以前から気になっている白野先輩との恋を応援するというが――。
◆◆◆第15回絵本・児童書大賞エントリー作品です◆◆◆
表紙絵は「イラストAC」様からお借りしました。

【完結】僕のしたこと
もえこ
児童書・童話
主人公「僕」の毎日の記録。
僕がしたことや感じたことは数えきれないくらいある。
僕にとっては何気ない毎日。
そして「僕」本人はまだ子供で、なかなか気付きにくいけど、
自分や誰かが幸せな時、その裏側で、誰かが悲しんでいる…かもしれない。
そんなどこにでもありそうな日常を、子供目線で。
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