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神谷中学校2年B組の教室は今日も騒がしかった。
5月の朝の太陽は心地よく窓から差し込み、合服姿の少年少女が眩しげに目を細めている。

この学校では女子がリボン、男子がネクタイをつけていて、学年別に赤色、緑色、青色に分かれている。

2年生のこのクラスの胸元はみんな緑色で彩られていた。
「この中学校に伝わる不思議な話を知ってる?」

永山絵里香にクリクリとした大きな目を向けてそう質問したのは高野早希だった。
ふたりは中学1年生の頃も同じクラスになり、その時からの友達だ。

「不思議な噂?」
絵里香はくせっ毛を揺らして首をかしげる。

どこの学校にも不思議な噂のひとつやふたつはある。

そういう話が好きな早希は今までも何度かこの中学校にまつわる噂話を絵里香に話して聞かせてきていた。

だけど、そのどれもがデマや事実に尾ひれのついた話ばかりで、現実味はなかった。
きっと今回もそんな話なんだろう。


「この学校にはどんな病気でも治してくれる女子生徒がいるんだって」
「どんな病気でも?」

さっそくの嘘くさい話しに絵里香は含み笑いを浮かべた。
早希はいったいどこからこの手の話を仕入れてきているんだろう。

本人も面白半分で語っているだけで、信じてはいなさそうだけれど。
「その女子生徒は屋上にいて、運が良くないと出会うことができないらしいよ!」

「そんな人がいるなら私も合ってみたいなぁ」

絵里香がのんびりとした口調で言うと、早希が少し咳き込みながら「なにか病気があるの?」と、聞いてきた。

「う~ん、風邪ひいたときとか治してほしいじゃん?」
そう答えたときだった。

突然早希が激しく咳き込み始めた。
コンコンと乾いた咳を何度も繰り返して苦しそうに眉を寄せる。


「早希、大丈夫?」
絵里香はすぐに真面目な表情になって早希の背中をさする。

早希はもともと体が弱くて、1年生の頃はもっぱら体育の授業を休んでいた。

本来は体を動かすのが好きな性格らしい早希は、それをいつも悔しがっていたから、絵里香もよく覚えていた。

「ごめん大丈夫だよ。とにかく、そういう子がいるんだって」
早希はどうにか最後まで話を終えて、青ざめた顔で笑ったのだった。


☆☆☆

一旦は治まったかに見えた早希の咳だったけれど1時間目の授業が開始してからまた咳き込み始めた。

コンコンという咳の音は教室中に響き、みんなが心配そうに早希の様子を見ている。
早希の後ろの席に座る女子生徒が手を伸ばして背中をさすっている。

「高野大丈夫か? 保健室に行くか?」
国語の授業を進めていた担任の男性教師が手を止めて早希へ視線を向ける。

早希はそれに答えるのも辛いといった様子で咳き込み続けている。
これでは授業は身に入らないだろうし、なにより早希が苦しいばかりだ。

なかなか返事ができない早希の変わりに絵里香が右手を上げた。
「私、早希を保健室に連れて行きます」

保健委員は別にいたけれど、これほど咳き込んでいる早希をほっておけなくなってしまった。

先生も早希と絵里香が中がいいことを知っているので、安心したように頷いた。


「あぁ、それなら永山にお願いしようか」
絵里香はすぐに席を立って早希に近づいた。

早希はその間にもずっと咳き込み続けていて顔色は悪い。
少し横になるだけで治るかどうかも怪しそうだ。

「立てる?」
絵里香の言葉に早希は小さく頷き、絵里香の手を借りながら立ち上がった。

少し足元をふらつかせながらもどうにかふたりで教室を出た。

教室の中はどうしても空気が停滞してしまうから、窓の開け放たれている廊下の方が幾分楽そうだ。

早希を保健室へ連れて行くと、すぐにベッドに寝かされた。
横になると少しマシになるのか呼吸が落ち着いてきた。

絵里香は早希の邪魔にならないようにそっと保健室を出たのだった。


☆☆☆

早希が始めて絵里香の目の前で倒れたのは1年生の体育の授業のときだった。

その頃は早希もまだ普通に体育の授業を受けていたのだけれど、その日はひどく顔色が悪かった。

だけど好きなバレーをするということで、無理に参加してしまったのだ。
早希はボールを相手チームにサーブしたときに倒れてしまった。

そのときも今日みたいに何度も咳き込み、ヒューヒューと苦しそうな呼吸を繰り返していた。

すぐに保健室へ運ばれた早希はそのまま母親が迎えに来て早退してしまったのだ。
それから早希は体育の授業に参加しなくなった。

当時のことを思い出して絵里香は息を吐き出した。
あのときは本当に驚いた。
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だけど今回は体育の授業を受けていたわけじゃないのに、あんなにも苦しそうだった。
早希の体が去年よりも弱くなっているのではないかと思って、不安が膨れ上がってくる。

それから休憩時間の度に保健室へ顔を出していた絵里香だけれど、3時間目の終わりに保健室へ向かうと早希の母親が迎えに来ていた。

朝からこの調子では1日学校にいることは難しいと保険の先生が判断し、親を呼んだみたいだ。
「絵里香ちゃんごめんなさいね。いつも早希が迷惑ばかりで」

「迷惑だなんて思ってません!」
絵里香がキッパリと言い切ると早希の母親は嬉しそうに笑った。

それから早希の荷物を手に持ち、早希とふたりで学校を出ていったのだった。


☆☆☆

早希がいない学校は味のないドーナツみたいだ。

一見おいしそうでかぶりついてみるんだけど、味がしなくてすぐに吐き出してしまいたくなる。

こんなのドーナツじゃない! と、叫んでしまいそうになる。
「早希ちゃん大丈夫かな?」

早希が早退したあと何人ものクラスメートたちが心配して声をかけてくる。
「大丈夫だよきっと」

絵里香はいつもそう返事をした。
大丈夫だと思わないと、早希が可愛そうだから。

早希がいないからつまらないと思うのも申し訳ない気持ちになり、絵里香は他のグループに混ざっておしゃべりを始める。

でも、心の中ではずっと早希の顔がちらついているのだった。


☆☆☆

早希から連絡が来たのは学校が終わって、家で1人宿題をしていたときのことだった。

中学に上がると同時に買ってもらったキッズスマホには、クラスメートたちの連絡先が登録されている。

《早希:絵里香、今日はごめんねぇ?》

うさぎが手を合わせて謝るスタンプと一緒にそんな文章が送られてきて絵里香はスマホに飛びついた。

《絵里香:こっちのことは気にしないで。早希は大丈夫だった?》
《早希:春先にひいた風邪が完全には治ってなくて、肺炎になりかけてたみたい》

早希は季節の変わり目が特に弱い。
気温の上昇や下降に体がついていかないのだ。


《絵里香:よくなるの?》

《早希:薬をもらったよ。本当は入院してちゃんと治してほしいみたいだけど、そしたら学校にいけなくなるから》

その文章に絵里香の胸がチクリと痛む。

早希には早く良くなってほしいけれど、その間学校に早希がいないと思うと複雑な気持ちになる。

早希の体調がよくなって、ずっと学校に来ることができればそれが1番いいのに。
そう思うけれど、その気持は誰にも伝えられなかった。

早希自身が、一番願っていることだろうから。
《早希:そういえば今日の噂を覚えてる?》

《絵里香:覚えてるよ。屋上にいる女子生徒の話でしょう?》
どんな病気でも治してくれるという女子生徒の噂話だ。


こっくりさんやトイレの花子さんよりももっと信憑性が薄いと絵里香は思っていた。
だって、噂の中の女子生徒は死んでいるとは言っていない。

生きている人間が、病気を治す力を持っているという話だった。
そんなのお医者さんじゃないと絶対に無理だ。

《早希:あの噂が本当かどうか、調べてみようと思うんだよね》
《絵里香:調べるってどうやって?》

《早希:絵里香の家ってパソコンがあるよね? スマホだと制限かかっちゃうけど、お父さんが使ってるパソコンなら制限がかからずに調べ物ができるはず》

確かにそうだ。
今絵里香が使っているキッズスマホでは、過激な言葉や危険なサイトにはつながらない様になっている。

《絵里香:パソコンで、なんて調べたらいいの?》
《早希:神谷中学校の噂について。きっと、色々出てくると思う》


そうだろうか?
絵里香は椅子に座って首をかしげる。

絵里香たちが見ることのできないインターネットの世界がどこまで広いのかはわからない。

そんなに簡単に噂に行き着くことができるかどうか、怪しかった。
《早希:お願い絵里香、調べてみてくれない?》

もし噂が本当なら早希の病気を治すことができる。
そう考えると調べ物をするくらい、どうってことはなかった。

絵里香はすぐに承諾するメッセージを早希へ入れたのだった。


☆☆☆

「ねぇお父さん、パソコンを使わせてくれない?」
夜ごはんが終わってから絵里香はさっそく父親にお願いした。

パソコンはリビングの端に置かれていて、週に何度かお父さんが使う以外はあまり使われていなくて、埃がかぶってきている。

「もちろんいいよ。なにに使うんだ?」
「が、学校の歴史を調べてみることになって」

咄嗟に嘘をついた。

隠すようなことじゃないけれど、噂が本当かどうか調べるといってパソコンを使わせてもらえると思えなかったからだ。

「そうか。それなら今から1時間と決めて、集中して調べてごらん」
「うん。わかった」

あまりパソコンを使いすぎないようにするためだろう。
絵里香は素直に頷くと、すぐにパソコンデスクへ向かった。


電源は常に入ったままになっているから、検索画面までは早かった。
そこに学校名と噂についてを打ち込んでいく。

一番最初に出てきたのは学校紹介のページだった。
画面に大きく映し出される学校は緑の多い校庭と、部活を楽しむ生徒たちのものだった。

これだけ見るとなんだかとてもよさそうな学校に見える。
絵里香は次々と出てきたサイトを表示して調べていく。

中学校の歴史や、昔近所で起こった事件ばかりが表示される。
神谷中学校自体の悪い噂はほとんどないことに驚いた。

あの学校が経ってから今年で30年になると聞いているけれど、その間大きな問題はなにもなかったみたいだ。

だけど絵里香が調べたいのはこういう噂ではなかった。
もっと、オカルト的な話だ。


1度検索画面に戻った絵里香は少し考えてから、神谷中学の七不思議と打ち込んで検索し直した。

すると今度は誰のものかわからないSNSが沢山表示された。

そのほとんどが今の通っている生徒のものだったり、卒業生のもだったりするらしいと、見ているうちに気がついた。

明日の授業面倒くさい。
とか

制服がきつくなってきたとか。
そんな日常的な呟きが沢山書かれている。

その中でも学校の七不思議について書き込んでいる人を見つけることができた。

神谷中学校のトイレの花子さんは一階の職員トイレにいる。

昔使われていた焼却炉がそのまま残っているのは、壊そうとしたらけが人が出るから。


そんな呟きに混ざって屋上という言葉が出てきた。
絵里香は椅子に座り直してその書き込みを目で追いかける。

『屋上には病気を治してくれる女子生徒がいる』
この呟きにだけ、沢山の人たちが反応している。

『僕の知り合いが病気を治してもらった』

『これは本当の噂。病気を持っている人は行ってみればいい。ただ、運が良くないと出会うことはできない』

そのどれもが早希が言っていたのと同じような内容だった。
ただひとつ新しい情報を見つけることができた。

『女子生徒は放課後の屋上にいる。だから、放課後行けば会える可能性は高くなる』
それは有力な情報かもしれない。

緊張からペロリと唇をなめたとき、後ろから「そろそろ1時間だぞ」と、お父さんに声をかけられた。

絵里香は咄嗟にSNSのユーザーネームをメモしてパソコンを閉じたのだった。
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