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第2章
2話 来そうで来なかった厄介者とその顛末
しおりを挟むニアージュが使用人達達に頼み、物置から出した小さなテーブルを自室へ運んでもらっていると、たまたま廊下を歩いていたアドラシオンとばったり出会った。
今日は書類仕事が多いので、気分転換に外へ出て来たのだろう。
「そのテーブルはどうしたんだ? ニア」
「これですか? 使用人に聞いて、使っていないテーブルを物置きから出してもらったんです。ウチの田舎に伝わっている、精霊様のおまじないをやろうと思いまして」
「精霊様のおまじない?」
「はい。ちょっとした祭壇を作って、そこにお供え物をして祈りを捧げると、悪運や悪縁を遠ざけてくれる、と言われているんですよ。個人的には丁度今、この公爵家に必要なおまじないなんじゃないかと確信しているのです」
「ああ……。父上の訪問の事か。確かに俺としても、乗り気にはなれない話だが……」
「ですよね。でもそれでも、こちらからは「来ないでくれ」なんて、口が裂けても言えないでしょう? だからせめて精霊様にお願いして、こっちに来れなくなったらいいなぁ、なんて。気休めにしかなりませんけど」
「成程な。どういう供え物が要るんだ?」
「私がいた所では、収穫した野菜や果物、お酒などを供えていました。後は、ベーコンやチーズといった加工品でしょうか。だいたい3品から5品ほどを祭壇にお供えします。
お供えしたものは、その日の夜か翌日の朝に祭壇から下ろして、家族と一緒に食べたり、友達で分け合ったりするんですよ。そうする事で、精霊の加護を身の内に取り込むのだそうです。
お供えしたもので作った料理は、不思議な事になぜかいつもより美味しくなるし、加工品も味が濃く、味わい深くなるんです。村の人達は『精霊様の祝福』だって言っていましたが……正直謎なんですよね」
「家族や友人と……。では厨房に行って、新鮮な野菜や果物を見繕うといい。ついでに、年代物のワインを供えるというのも、いいかも知れないな」
「えっ? そんなお高そうなワインまで頂いていいのですか?」
「構わないさ。俺は元々大して飲めないからな、ワインセラーの在庫も余り放題なんだ。――父上の来訪は現在まだ予定の段階だが、どうせそのうち押し切られる形で決定してしまうだろう。
精霊に供え物をする事で、野菜や果物、加工品の味が上がるなら、それはそれでよい事だ。気が重いイベントの前に、少しでも英気を養ってくれ」
「わあ、ありがとうございます! それじゃあ、アルマソンに聞いて探してみますね。在庫の中でも軽くて飲みやすいワインを」
「え……」
ニアージュが当たり前のように口にした言葉に、アドラシオンが少しばかり目を丸くする。
「だって、お供え物は家族や友人と分け合うものですから。勿論、旦那様と私は偽装夫婦ですし、本当の家族とは言えないかも知れませんが……せめて、目的を同じくする友人としてやっていけたらいいな、と思いまして。ダメでしょうか」
「……いや、そんな事はない。……そうか、友人か。そうだな。君となら、色々な事を言い合えるいい友人になれるだろうな」
アドラシオンは目を細めて笑う。
今もう既に、無意識ながら目の前で笑っている仮初めの妻を、誰より近しい存在と思っているアドラシオンにとって、ニアージュの言葉はとても気安く心地よく、それでいて魅力的なものに感じられた。
その日の夜に出されたのは、ほうれん草とベーコンがたっぷり入った食べ応えのあるキッシュと、軽やかな口当たりの白ワイン、それから、爽やかな甘酸っぱさを持つリンゴのコンポート。
アルマソンが旦那様の為に、丁寧にワインを見立ててくれたのだと笑う、ニアージュの柔らかな表情は、仕事と先々待っているであろう話を思い、疲れ気味だった心身を優しく癒してくれるようだ。
そして、キッシュもワインもコンポートも、ニアージュが先に言っていた通り、確かになぜか、いつもより数割増しで美味しく感じられた。
それから数日後。
案の定王宮から、「1か月後にエフォール公爵家を訪問する」という知らせが届き、ニアージュとアドラシオンは互いに気合を入れ直し、このうんざりするイベントを力を合わせて乗り切ろう、と誓い合ったのである。
かくして、エフォール公爵家は全員一丸となり、与えられた1か月の期間を有効に使って邸の内外を丁寧に整え、当日来訪する国王に供する為の特別なワインなどを用意し、ニアージュも、当日着用するドレスやアクセサリーを新しく誂えて、文字通り万端の準備で、国王という名の厄介者の来訪を待ち受けていた。
だが、国王来訪日当日の、昼近い時間になった頃、王宮からやって来たのは従者や騎士を大勢引き連れた王ではなく、伝令兵が走らせる早馬だった。
これはなにかがあったのか、と、ニアージュとアドラシオンは互いに顔を見合わせる。
挨拶もそこそこに伝令兵が手渡してきた手紙は、王妃マルグリットがしたためたもので、そこには、にわかに信じがたい事が書かれていた。
曰く、今朝になって、整備を終えたはずの馬車の車輪が3つも外れ、御者や使用人達が馬車の修理に右往左往していると、その間に王の馬車を引く為の馬2頭が逃げ出した。
挙句の果てには国王も、朝食を終えた直後、何もない廊下でいきなりすっ転び、腰を痛打。動くに動けなくなって寝込んでいる為、申し訳ないがそちらを訪ねる事はできなくなった、と。
なお、逃げ出した馬はなぜか王城の敷地の外にまで逃げてしまい、この手紙をしたためている時にはまだ捕まっていなかったという。
手紙を読んだ直後、ニアージュは思わず内心で、どっかのバラエティ番組のコントか、と突っ込んだ。
「……。馬車が壊れて馬は逃げて、国王陛下は、何もない所で転んで腰を痛めて動けない、ですか……。世の中には『泣きっ面に蜂』なんて言葉もありますが、それを上回る不運っぷりですね……」
「……。そうだな。こうまで色々な事が重なるなど、普通ならまずないと思うんだが……。これはもしかしたら、精霊がニアの願いを聞き届けて、父上がこちらに来られないようにしてくれたのかもな?」
「あはは……。そんなまさか。精霊様があんな子供じみたお願いを叶えてくれるなんて、あり得ない、とは思いますけど……」
冗談めかした口調で笑うアドラシオンに、ニアージュは困惑顔で笑ってその言葉をやんわり否定するが、なんだか状況的に全否定もできそうにないな、などと、少しだけ思ってしまった。
その後、国王は強かに打ち付けた腰の痛みが引いてすぐ、再びエフォール公爵家を訪ねようとしたらしいのだが、今度は中庭で転んで膝を打ち、動けなくなったらしい。
のちのちマルグリットやグレイシアから届いた手紙によると、国王がエフォール公爵家を訪ねようとするたび、愛馬が逃げ出す、愛用のペンや椅子が壊れる、といった地味な凶事が国王を襲い、また、転んで腰や膝を痛めて寝込む、という事が幾度も起きたようだ。
無論、原因は不明である。
強いて言うなら国王自身の不注意と、物の扱いの粗雑さが原因であろうか。
そして、それら上記の出来事は、国王がエフォール公爵家へ出向こうと考えるたび幾度も幾度も繰り返され、ついには王宮内に「仕事はできるが人の心を慮れぬ国王は、とうとう精霊にまで嫌われた」、「国事に影響が出始める前に、アリオール殿下に玉座を譲られた方がよいのでは」などという話が水面下で広がっていく事となるのだが――それはまた別の話だ。
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