上 下
18 / 123
第2章

3話 厄介者は来なくても跡を濁す

しおりを挟む


 まだ四十路の若い国王が、王宮の何もない廊下を歩く最中、1人で勝手にすっ転んで腰を痛める、という、周囲の者からしても大変想定外な憂き目に遭い、自室で寝込んでいる一方、エフォール公爵家では安堵の声が広がっていた。
 なんなら、祝杯を挙げんばかりに喜んでいる者さえいる。

 エフォール公爵家では、アドラシオンをよき主人、よき領主と敬愛し、慕っている者達ばかり。
 彼らや彼女らが、過去にアドラシオンを手酷く扱っておきながら、自分の都合で掌を返してきた国王を快く思えないと考えるのは、当然の事であろう。

 だがそんな中、眉根を寄せて困り顔で悩む者もいる。
 厨房を預かる料理人達だ。

「しかし、陛下をもてなす為に用意してた食材、無駄になっちまいましたねえ……」

「そうだなぁ。1から10まで何もかも、最高級品を揃えたってのに」

「全くだ。旦那様も奥様も、普段からきっちり予算を組んで浪費を慎んで、ちょっとやそっとじゃ家が傾かないようにして下さってるが……」

「ああ。こんな形で歓待費の一部や食材が無駄になっちまうのは、なんとも気分が悪いわなぁ」

 料理人達は、目の前にある食材の山を前にため息をつく。
 国主の来訪というのは、上位貴族の名家でも滅多にない、超がつくほどの一大イベントである。
 一度の食事においても、食べ切れないほどの料理を山と作り、長大なテーブルの上に所狭しと並べる事で、王に対する歓待の意を示すのがこの国の貴族の習わしだ。

 無論の事、余った食材や残った料理は使用人達で分け合ったり、近隣の町村へ「王からの下賜」という名目で下げ渡すのが通例なのだが、肝心の王の来訪がないままではその理由は使えず、よしんば「公爵からの下賜」と建前を言い換えて下げ渡しを行うにしても、そもそもこの邸に仕えている人員だけでは、とてもじゃないが食材の運搬を行い切れない。
 正直その点に関して、彼らは完全に国王側のマンパワーを当てにしていた。

 また、王侯貴族から平民に対して何かしらの下賜を行う場合、まずは下賜に先んじてそれに相応しい場を設け、代表者に目録を手渡す所から始める必要があるので、それもまた面倒だ。
 王侯貴族の慣習とは、何から何まで体面を優先させて行わねばならない、面倒事のオンパレードなのである。

 元が平民である料理長や料理人達は、それらの慣習に辟易するばかりだが、まさかそれを面と向かって主に言う訳にもいかない。
 料理人達が、どうしたものかと頭を抱えていると、丁度そこに、専属の侍女アナを連れた公爵夫人――ニアージュが顔を出した。

「あら。みんなどうしたの?」

「え、ああ、奥様。実はですね……」

 料理長が今の状況を掻い摘んで説明すると、ニアージュは「ああ、成程ね」と苦笑しながらうなづく。

「ある程度は、この家のみんなで食べるとして……食べ切れない分は仕方がないから、ここは一番近場にある村の人達に声をかけて、取りに来てもらいましょう」

「しかし、それでは……」

「そうね。本当、お貴族様っていうのは面倒な事が好きよね。けど、もう下賜がどうこうとか、体面がどうだのなんて言ってる場合じゃないわ。食べ物を無駄にするなんて、あってはいけない事だもの。
 旦那様に事情をお話して、氷室に納めてある氷を使わせてもらいましょう。調理していない食材を氷で冷やして、そのまま持って行ってもらえば、この暑い時期でも多少日持ちするようにできるはずよ」

「氷室の氷を、ですか」

 料理長が難しい顔をする。
 科学技術が立ち遅れているこの世界には、当然ながら製氷機も冷凍庫も存在しない。
 なので、生ものを保存したい時には魔法使い協会に連絡し、氷魔法を使える魔法使いに頼んで氷を出してもらい、それを使って食材の保存を行う。

 しかしながら、そうするには魔法使い協会に出張費を払わねばならない上、出してもらう氷も有料で割高だ。
 そして当然、出してもらう氷の量が増えれば増えるほど、それに比例して料金もかさんでいく為、魔法使いの氷を利用できる者は限られる。
 魔法使いを呼んで氷を買えるのは、規模の大きな商会やその傘下にある料理店、後は王侯貴族くらいのものなのである。

 他にも一応、山中深くにある湖が冬場に凍るのを待ち、出来上がった天然氷を切り出して保管しておく、という方法も大々的に取られているようだが、人件費や運送費、維持保管費などがかかる為、結局高級品である事に変わりはない。

 また、天然氷の方が魔法で出した氷よりも固く溶けにくい、という、保冷に優れた特性を持つものの、毎年出来や採れる数が異なり、安定供給が難しい事から、魔法使いに出してもらうより値が張るパターンが多いのだそうだ。

 ただし、この世界の天然氷は衛生管理がきちんとされておらず、氷の中に土や木屑、何かの木の枝葉、場合によっては虫が混じっている事も珍しくなく、到底食用にはできないらしいが。

 なお、時々夏場に涼を欲して、かき氷を作る為に氷魔法の使い手を呼ぶ貴族もいるそうだが、エフォール公爵家ではやっていない。
 ニアージュは内心、ドレスもアクセサリーも要らないから、自分の為の予算の一部をかき氷代に置き換えたいとさえ思っていたのだが、それはある意味、装飾品を買う以上の贅沢だと分かり、打ちひしがれたのはつい先日の事。

(計算上、かき氷1杯食べるのに、何万円も出す格好になるってのは、流石にねえ……)

 料理長と話しているうちに、以前かき氷食べたさから色々と計算した所、とんでもない計算結果が出てしまい、領民の血税を消え物の為に使う訳にはいかないと、泣く泣く諦めた時の事を思い出し、思わず遠い目をしてしまう。

 ドレスやアクセサリーは侍女に下げ渡せるし、場合によっては売りに出す事もできる。それすなわち、国の経済活動の一助になるという事だ。
 だが、かき氷は一度買って食べてしまえばそれまでである。
 ニアージュの腹の中に消えた後は何も残らないし、誰にも何も還元されない。

 王国の経済を回すべき立場にある貴族として、どちらを優先して買うべきなのか。
 そんなもの、誰に聞かずとも分かり切った話であろう。

 そもそもニアージュ自身、元々田舎暮らしの平民で、納税する側の苦労を嫌というほどよく知っているだけに、そんな無意味な我が儘など、口が裂けても言えない。

 税を納めている領民にも申し訳ないが、その税を取りまとめ、民の暮らし向きを少しでも良くするべく、日々税の使い道を思案し、様々な試算を繰り返しているアドラシオンにも申し訳ない事だ。

(いかん。話がずれてるわよ、私)

 ニアージュは軽くかぶりを振って、余計な情報を頭から追い出した。

「あなたの言いたい事は分かるわ。でもそれでも、できうる限りの事をやらなければ。今この場にある食べ物を無駄にする事は、領民の税を無駄にするのと同じ事よ。
 大丈夫、もし旦那様に難色を示されてしまっても、私が説得する。使った氷を私個人の予算で補填するだけの余裕はあるから、それを元に交渉すればいいだけよ」

「奥様……」

「まずは、氷室の中にある氷の在庫を確認しましょう。それによって話が幾らか変わってくるものね」

「分かりました。まずは在庫の確認をしましょう」

 ニアージュと料理長は互いにうなづき合い、氷室がある地下室に向かって歩き出す。
 氷室の氷を、単なる一個人の嗜好品として消費するのは憚られるが、日本円に換算して何百万もの資金をかけて購入した、食材の数々をむざむざ腐らせない為に氷を消費するのならば、アドラシオンもきっと理解を示してくれるはずだ。

 そう確信し、ニアージュは早足に地下室へ向かう。
 足を向けた地下室の氷室で信じられない光景を目の当たりにし、絶句する事になるとは露ほども思わぬまま。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

転生したら避けてきた攻略対象にすでにロックオンされていました

みなみ抄花
恋愛
睦見 香桜(むつみ かお)は今年で19歳。 日本で普通に生まれ日本で育った少し田舎の町の娘であったが、都内の大学に無事合格し春からは学生寮で新生活がスタートするはず、だった。 引越しの前日、生まれ育った町を離れることに、少し名残惜しさを感じた香桜は、子どもの頃によく遊んだ川まで一人で歩いていた。 そこで子犬が溺れているのが目に入り、助けるためいきなり川に飛び込んでしまう。 香桜は必死の力で子犬を岸にあげるも、そこで力尽きてしまい……

ボッチになった僕がうっかり寄り道してダンジョンに入った結果

安佐ゆう
ファンタジー
第一の人生で心残りがあった者は、異世界に転生して未練を解消する。 そこは「第二の人生」と呼ばれる世界。 煩わしい人間関係から遠ざかり、のんびり過ごしたいと願う少年コイル。 学校を卒業したのち、とりあえず幼馴染たちとパーティーを組んで冒険者になる。だが、コイルのもつギフトが原因で、幼馴染たちのパーティーから追い出されてしまう。 ボッチになったコイルだったが、これ幸いと本来の目的「のんびり自給自足」を果たすため、町を出るのだった。 ロバのポックルとのんびり二人旅。ゴールと決めた森の傍まで来て、何気なくフラっとダンジョンに立ち寄った。そこでコイルを待つ運命は…… 基本的には、ほのぼのです。 設定を間違えなければ、毎日12時、18時、22時に更新の予定です。

前世では美人が原因で傾国の悪役令嬢と断罪された私、今世では喪女を目指します!

鳥柄ささみ
恋愛
美人になんて、生まれたくなかった……! 前世で絶世の美女として生まれ、その見た目で国王に好かれてしまったのが運の尽き。 正妃に嫌われ、私は国を傾けた悪女とレッテルを貼られて処刑されてしまった。 そして、気づけば違う世界に転生! けれど、なんとこの世界でも私は絶世の美女として生まれてしまったのだ! 私は前世の経験を生かし、今世こそは目立たず、人目にもつかない喪女になろうと引きこもり生活をして平穏な人生を手に入れようと試みていたのだが、なぜか世界有数の魔法学校で陽キャがいっぱいいるはずのNMA(ノーマ)から招待状が来て……? 前世の教訓から喪女生活を目指していたはずの主人公クラリスが、トラウマを抱えながらも奮闘し、四苦八苦しながら魔法学園で成長する異世界恋愛ファンタジー! ※第15回恋愛大賞にエントリーしてます! 開催中はポチッと投票してもらえると嬉しいです! よろしくお願いします!!

目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜

楠ノ木雫
恋愛
 病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。  病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。  元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!  でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~

降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。

美形王子様が私を離してくれません!?虐げられた伯爵令嬢が前世の知識を使ってみんなを幸せにしようとしたら、溺愛の沼に嵌りました

葵 遥菜
恋愛
道端で急に前世を思い出した私はアイリーン・グレン。 前世は両親を亡くして児童養護施設で育った。だから、今世はたとえ伯爵家の本邸から距離のある「離れ」に住んでいても、両親が揃っていて、綺麗なお姉様もいてとっても幸せ! だけど……そのぬりかべ、もとい厚化粧はなんですか? せっかくの美貌が台無しです。前世美容部員の名にかけて、そのぬりかべ、破壊させていただきます! 「女の子たちが幸せに笑ってくれるのが私の一番の幸せなの!」 ーーすると、家族が円満になっちゃった!? 美形王子様が迫ってきた!?  私はただ、この世界のすべての女性を幸せにしたかっただけなのにーー! ※約六万字で完結するので、長編というより中編です。 ※他サイトにも投稿しています。

処理中です...