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第六集 洛陽炎上
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洛陽の民衆から救国の英雄と持て囃された北宮純であったが、それに反比例するように朝廷周辺、特に東海王・司馬越を中心とした派閥、すなわち主流派には疎まれていた。
その事を嫌でも肌で感じた北宮純は、一度涼州へと戻る事に決めた。
英雄に去られるとは寂しい物だなどと、皆が口々に心にもない言葉を並べ立てていたが、どいつもこいつも内心では安堵しているんだろうと北宮純は思った。
とはいえ、実際この時期の晋軍は好調であり、晋の永嘉四年、漢の河瑞二年(西暦三一〇年)に年が変わって間もなく、今度は洛陽の東側にある白馬から攻め寄せた王弥率いる漢軍を司馬越が率いる晋軍が野戦で破っている。
更にはその年の夏には、すでに齢七十を超えていた漢帝・劉淵が崩御。匈奴漢の第二代皇帝として即位した劉和は猜疑心の強さから、軍権を持つ諸侯王に封じられていた自分の兄弟たちを暗殺しようと画策するなど、匈奴漢の内部が大いに乱れた。
この暗殺計画自体は未然に露見し、楚王・劉聡によって逆に劉和が廃され、父帝から最も期待されていた劉聡が他の兄弟から推戴された事もあり、第三代皇帝として即位する事になる。
涼州に戻っていた北宮純は、そうした情勢を聞きながら、意外と晋も持ち直すかも知れないと思いつつ、翌、晋の永嘉五年、漢の嘉平元年(西暦三一一年)の春を迎えた。しかしここに至って事態は大きく変わり、北宮純は涼州刺史・張軌に急遽呼び出される事となる。
この時期の張軌は、数年前に脳卒中で倒れた事からくる後遺症で言語障害や歩行障害に陥っており、刺史の業務は息子の張茂が代行していた。だが思考力は落ちておらず、匈奴漢との戦いが続いている長安や洛陽へと物資輸送を続けていた事で、前年に朝廷から鎮西将軍、都督隴右諸軍事に任じられ、覇城侯として列侯の爵位まで与えられていたのである。
列侯になったという事は、領地を与えられ初めから自分の自由に出来る税収入を持っている貴族に加わった事であり、そして都督隴右諸軍事とは、隴山周辺の土地に関しては朝廷へのお伺いを立てる事なく自由に軍権を発動できる立場になったという事である。
張軌本人はあくまでも晋朝の忠実な家臣という立場を貫いているが、事実上この時点で涼州の王となっていたと言えた。
さて、そんな張軌に呼び出された北宮純は、洛陽が今また漢軍の攻撃を受けている事を知らされた。彼が涼州に戻ってからも、洛陽は二度ほど襲撃を受けていたが、その度に司馬越の率いた晋軍は撃退に成功していた。しかし今回は大きく話が違った。
何と司馬越は既に亡くなっており、それだけでなく朝廷の重鎮たちも含め、晋軍の本隊十万人以上が戦死しているというのだ。
洛陽からの知らせが先ほど届くまで、それは張軌も知らぬ事であった。
どうやらこの春先に司馬越が病で倒れ、そのまま病没した事が発端であった。その話が今に至るまで届いていなかったのは、司馬越より事後を託された腹心の王衍が、戦時下である事を理由に主人の死を公に発表しなかった事がそもそもの原因であった。
埋葬のために司馬越の棺を領地の東海へと運ぶには、匈奴漢の勢力下を通らねばならず、晋軍の本隊を集結させ、十万の軍勢を以って棺を護衛した。
しかしその本隊が、漢の鎮東大将軍である石勒の軍とぶつかり、これにまさかの大敗。十万の兵士はほぼ全滅し、同行していた主要な高官や将軍たちも軒並み戦死してしまったのである。
まさに丸裸となった洛陽に、漢帝・劉聡は一斉に攻撃を仕掛けてきたというわけだ。その陣容は外戚である前軍大将軍・呼延晏を筆頭に、王弥、劉曜、そして石勒と、総力戦とも言える布陣であった。
「今からじゃ、間に合わないかも知れませんな……」
思わずそう呟いた北宮純に、張軌は黙り込んだまま否定も出来ずにいた。それでも張軌は、皇帝の鎮座する首都が危機に瀕している時に、晋の忠臣として何もせずに傍観しているわけにはいかないのも事実である。
晋朝そのものがどうなろうと知った事ではないという内心は変わっていない北宮純であったが、自分の在り方を素直に受け入れ認めてくれた張軌に対する義理だけは果たしたいと思った。
こうして北宮純は再び涼州からの遠征軍を率いる事となり、同じく張軌配下の武将の中でも武勇に優れる張斐、郭敷らと共に洛陽へ向け、涼州の州府が置かれている姑臧を発った。
この出撃の見送りを受けた時が、北宮純と張軌が顔を合わせた最後の機会となったのである。
姑臧から洛陽まで、直線距離でもおよそ千五百里(約六〇〇キロ)の距離がある。そしてその道中は山河に隔てられているのである。
いかに進軍を急いだとしても、首都の防衛能力がほとんど失われた状態で敵の主力軍に既に包囲されている状況では、救援が間に合う可能性はほとんど無かった。
休む間も惜しむように行軍を続け、間もなく洛陽が見えるという所で山の向こうから黒煙が上がっているのが見えた。
北宮純は副官の王豊に命じて偵察隊を出させ、状況を確認する。
予想はしていた事であるが、やはり洛陽は既に陥落し、皇帝・司馬熾も漢軍に捕らえられたという話であった。
だがどういう訳か洛陽の城内で漢軍同士が殺し合っているという。城内から逃げてきたという民や役人たちを道中で保護し、その話を総合すると事情が見えてきた。
洛陽を陥落させた漢軍は、入城した後の略奪を厳に禁じていたそうなのだが、それを破った部隊がいたとの事。
劉曜がその部隊を率いていた将を捕らえ、見せしめに処刑したのだが、それは王弥の甥であったのである。
甥の処刑を前にした王弥の助命嘆願に対し、劉曜が聞く耳を持たなかった事で双方の仲がにわかに険悪となった。そのまま宮城に踏み入って晋帝・司馬熾を捕らえたものの、劉曜がそこで宮城に火を放った事で再び王弥が口を出したのである。
天下の中心である洛陽は、ただそれだけで特別な意味を持っている。しかも宮城をそのまま再利用すれば都の造営費用も浮かせる事が出来る。
そんな洛陽を落としたからには、この地に遷都すべきと考えていた王弥は、大局を見通せぬと劉曜を罵った。
「若造のくせして外見通りに耄碌しているのか!? それとも所詮は蛮族に天下は読めぬという事か!?」
劉曜の心を二重に抉る、そんな王弥の暴言に劉曜は冷静さを欠いて激怒した。発言を取り消せだ何だと罵り合いが始まり、いつしか燃え盛る宮城を背に、双方の軍が洛陽城内で殺し合いを始めてしまう事になったのである。
洛陽へ遅れて入城した漢軍総大将の呼延晏は、そんな味方同士で殺し合っている状況に困惑し、仲裁しようにも城内は既に乱戦状態となって未だに収束できていない。
そうした混乱で漢軍の目が向いていない内に、役人や民衆が続々と都から逃げ去っているというのが今の状況であるという事だ。
この混乱の当事者である王弥、劉曜とも戦場で見えた事がある北宮純としては、頭の禿げあがった短気な中年男と、銀髪をたなびかせた神経質な優男が、互いに罵り合う姿が目に浮かんで思わず苦笑した。
だがこれは北宮純らにとっては好機と言えた。
皇帝・司馬熾が捕らえられたとはいえ、未だ処断されたわけでも連れ去られたわけでもない。漢軍が混乱しているこの状況なら、混乱に乗じて奪還する事も可能である。
轡を並べている張斐、郭敷らと情報を共有して協議してみれば、三者とも全会一致で攻め込むべしという結論に至った。
こうして北宮純率いる涼州遠征軍は、皇帝奪還と言う起死回生をかけて黒煙を上げる洛陽へと進軍していったのである。
その事を嫌でも肌で感じた北宮純は、一度涼州へと戻る事に決めた。
英雄に去られるとは寂しい物だなどと、皆が口々に心にもない言葉を並べ立てていたが、どいつもこいつも内心では安堵しているんだろうと北宮純は思った。
とはいえ、実際この時期の晋軍は好調であり、晋の永嘉四年、漢の河瑞二年(西暦三一〇年)に年が変わって間もなく、今度は洛陽の東側にある白馬から攻め寄せた王弥率いる漢軍を司馬越が率いる晋軍が野戦で破っている。
更にはその年の夏には、すでに齢七十を超えていた漢帝・劉淵が崩御。匈奴漢の第二代皇帝として即位した劉和は猜疑心の強さから、軍権を持つ諸侯王に封じられていた自分の兄弟たちを暗殺しようと画策するなど、匈奴漢の内部が大いに乱れた。
この暗殺計画自体は未然に露見し、楚王・劉聡によって逆に劉和が廃され、父帝から最も期待されていた劉聡が他の兄弟から推戴された事もあり、第三代皇帝として即位する事になる。
涼州に戻っていた北宮純は、そうした情勢を聞きながら、意外と晋も持ち直すかも知れないと思いつつ、翌、晋の永嘉五年、漢の嘉平元年(西暦三一一年)の春を迎えた。しかしここに至って事態は大きく変わり、北宮純は涼州刺史・張軌に急遽呼び出される事となる。
この時期の張軌は、数年前に脳卒中で倒れた事からくる後遺症で言語障害や歩行障害に陥っており、刺史の業務は息子の張茂が代行していた。だが思考力は落ちておらず、匈奴漢との戦いが続いている長安や洛陽へと物資輸送を続けていた事で、前年に朝廷から鎮西将軍、都督隴右諸軍事に任じられ、覇城侯として列侯の爵位まで与えられていたのである。
列侯になったという事は、領地を与えられ初めから自分の自由に出来る税収入を持っている貴族に加わった事であり、そして都督隴右諸軍事とは、隴山周辺の土地に関しては朝廷へのお伺いを立てる事なく自由に軍権を発動できる立場になったという事である。
張軌本人はあくまでも晋朝の忠実な家臣という立場を貫いているが、事実上この時点で涼州の王となっていたと言えた。
さて、そんな張軌に呼び出された北宮純は、洛陽が今また漢軍の攻撃を受けている事を知らされた。彼が涼州に戻ってからも、洛陽は二度ほど襲撃を受けていたが、その度に司馬越の率いた晋軍は撃退に成功していた。しかし今回は大きく話が違った。
何と司馬越は既に亡くなっており、それだけでなく朝廷の重鎮たちも含め、晋軍の本隊十万人以上が戦死しているというのだ。
洛陽からの知らせが先ほど届くまで、それは張軌も知らぬ事であった。
どうやらこの春先に司馬越が病で倒れ、そのまま病没した事が発端であった。その話が今に至るまで届いていなかったのは、司馬越より事後を託された腹心の王衍が、戦時下である事を理由に主人の死を公に発表しなかった事がそもそもの原因であった。
埋葬のために司馬越の棺を領地の東海へと運ぶには、匈奴漢の勢力下を通らねばならず、晋軍の本隊を集結させ、十万の軍勢を以って棺を護衛した。
しかしその本隊が、漢の鎮東大将軍である石勒の軍とぶつかり、これにまさかの大敗。十万の兵士はほぼ全滅し、同行していた主要な高官や将軍たちも軒並み戦死してしまったのである。
まさに丸裸となった洛陽に、漢帝・劉聡は一斉に攻撃を仕掛けてきたというわけだ。その陣容は外戚である前軍大将軍・呼延晏を筆頭に、王弥、劉曜、そして石勒と、総力戦とも言える布陣であった。
「今からじゃ、間に合わないかも知れませんな……」
思わずそう呟いた北宮純に、張軌は黙り込んだまま否定も出来ずにいた。それでも張軌は、皇帝の鎮座する首都が危機に瀕している時に、晋の忠臣として何もせずに傍観しているわけにはいかないのも事実である。
晋朝そのものがどうなろうと知った事ではないという内心は変わっていない北宮純であったが、自分の在り方を素直に受け入れ認めてくれた張軌に対する義理だけは果たしたいと思った。
こうして北宮純は再び涼州からの遠征軍を率いる事となり、同じく張軌配下の武将の中でも武勇に優れる張斐、郭敷らと共に洛陽へ向け、涼州の州府が置かれている姑臧を発った。
この出撃の見送りを受けた時が、北宮純と張軌が顔を合わせた最後の機会となったのである。
姑臧から洛陽まで、直線距離でもおよそ千五百里(約六〇〇キロ)の距離がある。そしてその道中は山河に隔てられているのである。
いかに進軍を急いだとしても、首都の防衛能力がほとんど失われた状態で敵の主力軍に既に包囲されている状況では、救援が間に合う可能性はほとんど無かった。
休む間も惜しむように行軍を続け、間もなく洛陽が見えるという所で山の向こうから黒煙が上がっているのが見えた。
北宮純は副官の王豊に命じて偵察隊を出させ、状況を確認する。
予想はしていた事であるが、やはり洛陽は既に陥落し、皇帝・司馬熾も漢軍に捕らえられたという話であった。
だがどういう訳か洛陽の城内で漢軍同士が殺し合っているという。城内から逃げてきたという民や役人たちを道中で保護し、その話を総合すると事情が見えてきた。
洛陽を陥落させた漢軍は、入城した後の略奪を厳に禁じていたそうなのだが、それを破った部隊がいたとの事。
劉曜がその部隊を率いていた将を捕らえ、見せしめに処刑したのだが、それは王弥の甥であったのである。
甥の処刑を前にした王弥の助命嘆願に対し、劉曜が聞く耳を持たなかった事で双方の仲がにわかに険悪となった。そのまま宮城に踏み入って晋帝・司馬熾を捕らえたものの、劉曜がそこで宮城に火を放った事で再び王弥が口を出したのである。
天下の中心である洛陽は、ただそれだけで特別な意味を持っている。しかも宮城をそのまま再利用すれば都の造営費用も浮かせる事が出来る。
そんな洛陽を落としたからには、この地に遷都すべきと考えていた王弥は、大局を見通せぬと劉曜を罵った。
「若造のくせして外見通りに耄碌しているのか!? それとも所詮は蛮族に天下は読めぬという事か!?」
劉曜の心を二重に抉る、そんな王弥の暴言に劉曜は冷静さを欠いて激怒した。発言を取り消せだ何だと罵り合いが始まり、いつしか燃え盛る宮城を背に、双方の軍が洛陽城内で殺し合いを始めてしまう事になったのである。
洛陽へ遅れて入城した漢軍総大将の呼延晏は、そんな味方同士で殺し合っている状況に困惑し、仲裁しようにも城内は既に乱戦状態となって未だに収束できていない。
そうした混乱で漢軍の目が向いていない内に、役人や民衆が続々と都から逃げ去っているというのが今の状況であるという事だ。
この混乱の当事者である王弥、劉曜とも戦場で見えた事がある北宮純としては、頭の禿げあがった短気な中年男と、銀髪をたなびかせた神経質な優男が、互いに罵り合う姿が目に浮かんで思わず苦笑した。
だがこれは北宮純らにとっては好機と言えた。
皇帝・司馬熾が捕らえられたとはいえ、未だ処断されたわけでも連れ去られたわけでもない。漢軍が混乱しているこの状況なら、混乱に乗じて奪還する事も可能である。
轡を並べている張斐、郭敷らと情報を共有して協議してみれば、三者とも全会一致で攻め込むべしという結論に至った。
こうして北宮純率いる涼州遠征軍は、皇帝奪還と言う起死回生をかけて黒煙を上げる洛陽へと進軍していったのである。
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