舞台装置は闇の中

羽上帆樽

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第4章

第35話 定規で線を引く

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「今、考えているじゃないか」真昼の声が聞こえる。「自分で分かっているじゃないか」

 月夜はそちらを振り向く。当然、そこに真昼の顔がある。彼は面倒臭いような、疲れているような、滑らかさを捨てて歪を得たような格好で笑う。月夜が知る限りいつも。臓器の筋肉を最大限に活かして、底の方から力を込めて笑う姿を、月夜は見たことがない。

「自分で分かっているじゃないか、と僕に指摘されて、君は、今、また考え直したね? どうして、僕にそんなことが分かるのかと」

 月夜は頷くことも、首を振ることもしない。

 今は彼の言葉に耳を傾けていた。

「そうだ。論理的にはそれは正しい。人は、他者が感じていることを、そのままの形で自分の中に落とし込むことはできない。けれど、それは言語を使った場合の話だ。言語を使わないのなら理論も展開することができない。そこは誰も何も言わない世界になる。この場合の「言う」というのは、言語を用いてはという注釈付きだけどね」

 月夜は真昼を見つめ続ける。自分の視線は鋭利で、ときに他人を不快な感覚に陥らせるらしい。けれど彼に対しては関係がなかった。むしろ、素のままの自分が持ち合わせる瞳を彼に向けなければ、彼が言っていることを理解することはできないと思ったのだ。

「私には、分からない」

 月夜は口を開く。口を開くと言葉が出た。ただし、どちらが先かは分からない。

「いいや、本当は分かっているはずだ」真昼は応える。「あとから、分からない、という判断をするんだ。その前に、分かるという答えを一度手に入れている。手に握ったとき、確かにそこには何かの感触があった。でも、瞬きを止めて、じっくり見つめ直した瞬間に、それはどこへともなく消え去ってしまった」

「その感覚は、どこへ行ったの?」

「それは、僕には分からない」真昼は少し首を傾げて、斜めの向きで月夜を見る。「もしかすると、目で見つめたことで、エネルギーの変換が起きたのかもしれないね。本来手に伝わるはずのエネルギーが、目の方に移動してしまったのかもしれない」

 真昼が月夜の方に寄ってくる。そのまま、彼は彼女に接触した。

 感覚。

 感触。

「分からないという状態は、言葉がなければ存在しない。言葉は、分けるために生み出されたものなんだ」

 沈黙。

 硝子戸の向こう側で、何かが飛び跳ねる音がした。
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