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「昼間に何かあったのか?」
その晩二人で向かい合って夕餉をとっている最中にキジマが唐突にゆりに尋ねた。
「いいえ、特に何も」
「それならいいが……」
キジマの切れ長の涼しい目がまだ何か言いたげにゆりをじっと見つめている。
つとめて平静を装いながらも、キジマが昼間の出来事を知っているのではないかと百合は内心気が気ではなかった。
惣四郎が語っていた『小さな動物の道案内』についてはゆりにも覚えがあった。
里にいた頃に、山の神が里人が迷わぬように遣わすものだという言い伝えを聞いたことがある。
――あれは、キジマが遣わしたものではないのだろうか。
ゆりはいつしかそう考えるようになっていた。
事実、キジマと出会った時も、そうした動物に導かれるまま山深くに分け入り、山菜取りをしている最中だった。
もし、惣四郎の道案内をさせたのがキジマであったなら……。
ふと頭に浮かんだ考えをゆりは大急ぎで振り払った。
惣四郎は偶然、ゆりを訪ねてきただけだ。
やましいことは何もしていない。ましてや、キジマとの約束破るようなことなどしていないのだから……。
あの時、惣四郎はゆりを里に連れていくつもりではるばる山奥までやって来たのだと明かした。
ゆりの父親が胸の病を患っていること。父親をはじめ残された家族たちがゆりのことを心配していることを、惣四郎は自分の家族のことのように辛そうに語るのだった。
「一度、里に戻ってくればいい。後で事情を説明すれば、婿殿も分かってくれるだろう。後生だから……」
何度も頭を下げる惣四郎に対してゆりは首を縦に振らなかった。……とてもそんなことはできなかった。
キジマとの約束。
『……里へは戻らないこと』
神にも等しい力を持つキジマとの約束を違えることは絶対にできない。
もし、約束を破ったら一体どんなことになるのか……。
天候を操ることができるほどの力の持ち主である彼を怒らせたら、ゆり一人だけではなく累は里人全員に及ぶかもしれない。
そしてそれ以上に……。
キジマを裏切りたくない、哀しませたくないという気持ちもゆりの中に確かにあるのだった。
この庵で二人きりで暮らすようになって間もない。
まだ、キジマのことはよくわからないゆりだったが、一緒に住むようになってわかったこともいくつかあった。
口数が少ない彼だったが、その分ゆりのことをよく観察していて、慣れない山での暮らしを助けてくれることも多い。
淋しい二人きりの暮らしでも、キジマは家を昼間に家を空ける以外はずっとゆりと一緒にいてくれた。
朝餉や夕餉の時にはゆりの作った飯を美味そうに平らげ、夜には広く逞しい胸にゆりを抱いて眠ってくれる……。
――お父さま、どうか、無事で……。
里に向かって朝な夕な祈ることしかゆりにはできないのだった。
※※※
すっかり日が暮れるのが早くなった冬のある日、いつものように庵に戻ったキジマがふとゆりを見つめて言った。
「急な話だが、少し遠方の友人を訪ねに行かなければならない。五日ほど家を空けることになる」
「え……、こんな冬のさなかに」
この辺りは冬でも雪は少ない方なのだが、天候によっては吹雪くこともある。
「心配してくれるのか?」
「いえ、あなた様なら、心配など要らないと……思っていますが」
冷静に考えれば、キジマのような力を持った男が雪などで往生することなどあり得ない。
それなのに、何だか急に悪い予感がしてゆりは俯き、顔を曇らせた。
その晩二人で向かい合って夕餉をとっている最中にキジマが唐突にゆりに尋ねた。
「いいえ、特に何も」
「それならいいが……」
キジマの切れ長の涼しい目がまだ何か言いたげにゆりをじっと見つめている。
つとめて平静を装いながらも、キジマが昼間の出来事を知っているのではないかと百合は内心気が気ではなかった。
惣四郎が語っていた『小さな動物の道案内』についてはゆりにも覚えがあった。
里にいた頃に、山の神が里人が迷わぬように遣わすものだという言い伝えを聞いたことがある。
――あれは、キジマが遣わしたものではないのだろうか。
ゆりはいつしかそう考えるようになっていた。
事実、キジマと出会った時も、そうした動物に導かれるまま山深くに分け入り、山菜取りをしている最中だった。
もし、惣四郎の道案内をさせたのがキジマであったなら……。
ふと頭に浮かんだ考えをゆりは大急ぎで振り払った。
惣四郎は偶然、ゆりを訪ねてきただけだ。
やましいことは何もしていない。ましてや、キジマとの約束破るようなことなどしていないのだから……。
あの時、惣四郎はゆりを里に連れていくつもりではるばる山奥までやって来たのだと明かした。
ゆりの父親が胸の病を患っていること。父親をはじめ残された家族たちがゆりのことを心配していることを、惣四郎は自分の家族のことのように辛そうに語るのだった。
「一度、里に戻ってくればいい。後で事情を説明すれば、婿殿も分かってくれるだろう。後生だから……」
何度も頭を下げる惣四郎に対してゆりは首を縦に振らなかった。……とてもそんなことはできなかった。
キジマとの約束。
『……里へは戻らないこと』
神にも等しい力を持つキジマとの約束を違えることは絶対にできない。
もし、約束を破ったら一体どんなことになるのか……。
天候を操ることができるほどの力の持ち主である彼を怒らせたら、ゆり一人だけではなく累は里人全員に及ぶかもしれない。
そしてそれ以上に……。
キジマを裏切りたくない、哀しませたくないという気持ちもゆりの中に確かにあるのだった。
この庵で二人きりで暮らすようになって間もない。
まだ、キジマのことはよくわからないゆりだったが、一緒に住むようになってわかったこともいくつかあった。
口数が少ない彼だったが、その分ゆりのことをよく観察していて、慣れない山での暮らしを助けてくれることも多い。
淋しい二人きりの暮らしでも、キジマは家を昼間に家を空ける以外はずっとゆりと一緒にいてくれた。
朝餉や夕餉の時にはゆりの作った飯を美味そうに平らげ、夜には広く逞しい胸にゆりを抱いて眠ってくれる……。
――お父さま、どうか、無事で……。
里に向かって朝な夕な祈ることしかゆりにはできないのだった。
※※※
すっかり日が暮れるのが早くなった冬のある日、いつものように庵に戻ったキジマがふとゆりを見つめて言った。
「急な話だが、少し遠方の友人を訪ねに行かなければならない。五日ほど家を空けることになる」
「え……、こんな冬のさなかに」
この辺りは冬でも雪は少ない方なのだが、天候によっては吹雪くこともある。
「心配してくれるのか?」
「いえ、あなた様なら、心配など要らないと……思っていますが」
冷静に考えれば、キジマのような力を持った男が雪などで往生することなどあり得ない。
それなのに、何だか急に悪い予感がしてゆりは俯き、顔を曇らせた。
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