上 下
19 / 30

19

しおりを挟む
「昼間に何かあったのか?」

 その晩二人で向かい合って夕餉をとっている最中にキジマが唐突にゆりに尋ねた。

「いいえ、特に何も」

「それならいいが……」

 キジマの切れ長の涼しい目がまだ何か言いたげにゆりをじっと見つめている。

 つとめて平静を装いながらも、キジマが昼間の出来事を知っているのではないかと百合は内心気が気ではなかった。

 惣四郎が語っていた『小さな動物の道案内』についてはゆりにも覚えがあった。

 里にいた頃に、山の神が里人が迷わぬように遣わすものだという言い伝えを聞いたことがある。

 ――あれは、キジマが遣わしたものではないのだろうか。

 ゆりはいつしかそう考えるようになっていた。

 事実、キジマと出会った時も、そうした動物に導かれるまま山深くに分け入り、山菜取りをしている最中だった。

 もし、惣四郎の道案内をさせたのがキジマであったなら……。

 ふと頭に浮かんだ考えをゆりは大急ぎで振り払った。

 惣四郎は偶然、ゆりを訪ねてきただけだ。

 やましいことは何もしていない。ましてや、キジマとの約束破るようなことなどしていないのだから……。

 あの時、惣四郎はゆりを里に連れていくつもりではるばる山奥までやって来たのだと明かした。

 ゆりの父親が胸の病を患っていること。父親をはじめ残された家族たちがゆりのことを心配していることを、惣四郎は自分の家族のことのように辛そうに語るのだった。

「一度、里に戻ってくればいい。後で事情を説明すれば、婿殿も分かってくれるだろう。後生だから……」

 何度も頭を下げる惣四郎に対してゆりは首を縦に振らなかった。……とてもそんなことはできなかった。

 キジマとの約束。

『……里へは戻らないこと』

 神にも等しい力を持つキジマとの約束を違えることは絶対にできない。

 もし、約束を破ったら一体どんなことになるのか……。

 天候を操ることができるほどの力の持ち主である彼を怒らせたら、ゆり一人だけではなく累は里人全員に及ぶかもしれない。

 そしてそれ以上に……。

 キジマを裏切りたくない、哀しませたくないという気持ちもゆりの中に確かにあるのだった。

 この庵で二人きりで暮らすようになって間もない。

 まだ、キジマのことはよくわからないゆりだったが、一緒に住むようになってわかったこともいくつかあった。

 口数が少ない彼だったが、その分ゆりのことをよく観察していて、慣れない山での暮らしを助けてくれることも多い。

 淋しい二人きりの暮らしでも、キジマは家を昼間に家を空ける以外はずっとゆりと一緒にいてくれた。

 朝餉や夕餉の時にはゆりの作った飯を美味そうに平らげ、夜には広く逞しい胸にゆりを抱いて眠ってくれる……。

 ――おととさま、どうか、無事で……。

 里に向かって朝な夕な祈ることしかゆりにはできないのだった。


 ※※※


 すっかり日が暮れるのが早くなった冬のある日、いつものように庵に戻ったキジマがふとゆりを見つめて言った。

「急な話だが、少し遠方の友人を訪ねに行かなければならない。五日ほど家を空けることになる」

「え……、こんな冬のさなかに」

 この辺りは冬でも雪は少ない方なのだが、天候によっては吹雪くこともある。

「心配してくれるのか?」

「いえ、あなた様なら、心配など要らないと……思っていますが」

 冷静に考えれば、キジマのような力を持った男が雪などで往生することなどあり得ない。

 それなのに、何だか急に悪い予感がしてゆりは俯き、顔を曇らせた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる

春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。 幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……? 幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。 2024.03.06 イラスト:雪緒さま

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夕陽を映すあなたの瞳

葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心 バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴 そんな二人が、 高校の同窓会の幹事をすることに… 意思疎通は上手くいくのか? ちゃんと幹事は出来るのか? まさか、恋に発展なんて… しないですよね?…あれ? 思わぬ二人の恋の行方は?? *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻ 高校の同窓会の幹事をすることになった 心と昴。 8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに いつしか二人は距離を縮めていく…。 高校時代は 決して交わることのなかった二人。 ぎこちなく、でも少しずつ お互いを想い始め… ☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆ 久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員 Kuzumi Kokoro 伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン Ibuki Subaru

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

処理中です...