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マリエラへキスをしたレオポルドは、そのまま後ろ手に拘束され、抵抗することなくパーティー会場から退場して行った。
最後にこちらを見つめていた穏やかなオレンジ色の瞳が頭から離れない。

「イエル嬢、君にも話を聞かないといけない。逃げようとしたり、怪しい動きをすれば拘束することになるので気をつけてくれ」

ぼーっとレオポルドの後ろ姿を見つめてしまっていたマリエラへ、アルフレードが声をかけた。マリエラは何も抵抗することなく騎士に誘導されるまま会場を出て馬車へ乗り込んだ。騎士に乗れと指示された馬車は、家紋がない簡素な外観にもかかわらず、カファロ公爵家の馬車と同程度に豪華な内装で、高位貴族がお忍びに使う馬車だと分かる。

発進しない馬車の中で一人待っていると、しばらくしてアルフレードが乗り込んで来た。マリエラとアルフレードと護衛騎士の3人が着席し、馬車は静かに動き出す。

「君は兄上と結婚して王妃になるつもりだったの?」

「いいえ」

アルフレードの問いかけに、イエルとしては「いいえ」と言うしかないし、真実でもある。

「じゃぁ、兄上はどうしてこんなことをしたと思ってる?」

今はイエルとしてどう答えるべきか考えないといけない。それなのに、マリエラとして理由を探る思考を止められない……。

マリエラに怪我を負わせて婚約破棄をしたレオポルド。バルビ公爵の伯父と繋がっていることから毒杯まではないが、幽閉は確実だろう。国王になりたくなかった、アルフレードを国王にしたかったのが理由なら、ここまでする必要はないのではないか。

フィオレと結婚したくなかった?

それも、フィオレと結婚するくらいなら幽閉されていた方が良いと、廃太子し王兄になってフィオレと結婚する可能性さえも潰すほど徹底的に、だ。

いや、レオポルドは婚約者のマリエラよりも幼馴染のフィオレと仲良くし、マリエラより優先していたではないか。この入念な計画がフィオレと結婚しないためなのならば、幽閉を選ぶほどにフィオレを厭うようなことはいつ起きたのか……。

マリエラの婚約破棄の計画は父の手紙がきっかけだ。手紙を読んだ時点では乗り気でなかったマリエラだったが、その翌日にレオポルドから声をかけられたことで、計画の決行を決めた。この時点でレオポルドとジャナと父が繋がっていたとわかる。

そういえば、領地に届く婚約者としての義務の手紙を、マリエラはカルリノの代筆にケーキ2個を賭け、ジャナは大穴だと言ってレオポルドにケーキ3個を賭けていた。ジャナの性格を考えると、手紙を書いたのはレオポルド本人だったとジャナは知っていたのだ。

というよりも、マリエラの母とカルリノとジャナと伯父は旧知の仲だったのだ。レオポルドと婚約者してすぐの顔合わせの時にはカルリノはレオポルドの従者だったことから、その時にはジャナと伯父はレオポルドと繋がっていた可能性すらある。

レオポルドが高額になってから鉱山を買ったことへの違和感も無視していた。レオポルドはマリエラへお金が渡ると分かっていながら鉱山を買っていたとすると、マリエラのカファロ公爵家出奔を助けるため以外の理由がない……。

そして、マリエラは、フィオレは真面目で優しい努力家だと周囲に見せるのが上手なだけで、その本性は悪なのだと、いい加減認めないといけない。血の繋がったかわいい妹だからと目をそらしてきたが無理がある。

イエルとして過ごしていた学園で、フィオレが気に入らない令嬢や令息を自分の手を汚さずに粛清している冷酷な姿を何度も見た。レオポルドのお気に入りだからと睨まれていたイエルだが、レオポルドのお気に入りだからこそ無事でいられただけだ。

マリエラの謎の体調不良はフィオレによる毒が原因だと、もう認めよう。マリエラを害したら父が弱ると知っている義母がマリエラに毒を盛ることはない。どう考えても、マリエラを王妃失格と王家に判断させたいフィオレが毒を盛ったのだ。

レオポルドとマリエラが仲良くしていたら、きっともっと早く毒を盛られていたし、体調不良などでは済まなかっただろう……。

それに、ダンスパーティーへ父がエスコートしてきた偽マリエラ。そんな人を用意できるのなら、浮気相手にわざわざマリエラが扮するイエルを使う必要はない。マリエラを利用していただけと考えるには、レオポルドはマリエラと過ごす時に浮かれていたし、何度もキスをしすぎた……。

マリエラは自身の左手首にある赤とオレンジのブレスレットを、右手で撫でる。

レオポルドは母の宝箱を開けてくれた初めて会った日のことを覚えていた。だからこその、このブレスレット。つまり、婚約後のはじめての顔合わせの時にも初対面の日のことを覚えていた……。

もしかして最初から?

もしもレオポルドが、婚約の時点でフィオレの冷酷な面を知っていてたら、あからさまに王妃の地位を目指して行動していたフィオレが、レオポルドの婚約者に決まったマリエラを躊躇なく害すると予想できていたら。

マリエラを守るためにあえて遠ざけていた。マリエラの錠前魔導師の夢を叶えようとしてくれた。そして、フィオレと結婚するよりも幽閉を選び、幽閉前の最後の4ヶ月をわざわざマリエラが扮するイエルと恋人として過ごしていた。

全て、全て、レオポルドがマリエラを愛していたから、で説明できてしまう……。

マリエラの初恋の王子様は、フィオレともイエルとも浮気なんかしてなかった。ずっとずっとマリエラだけを愛して、夢を応援して、守ってくれていた。

握りつぶして無くしたはずだったレオポルドへの恋心がマリエラの胸の中で膨らんでいくのを感じる。いや、イエルとしてレオポルドと恋人のように過ごしていた時には、見ないふりをするのが大変なくらいに恋心は復活していた。

アルフレードにハンカチを差し出され、マリエラは自分が泣いていたことに気付く。受け取ったハンカチで涙を拭い、アルフレードの問いに答えた。

「……婚約者を、愛してたからだと思います」

イエルとしてなら「わからない」と答えるべき。でも、マリエラはアルフレードの話を聞きたい。
マリエラとフィオレの姉妹とは違い、レオポルドとアルフレードの兄弟はとても仲が良かった。これからアルフレードは王太子になり、新しい魔石が認可され次第フィオレと婚約する。自分が結婚したくないと思うような悪女のフィオレを、レオポルドはかわいい弟へ何も言わずに押し付けることなどしない。

それに、もしもアルフレードがレオポルドの計画を知らなかったとしても、この答えならまだごまかせる。

「正解。兄上からマリエラ嬢への愛に気づいてくれてありがとう。……それと、ルカも知っているから安心してほしい。ルカは僕の恋人なんだ」

アルフレードの突然の告白に驚き、溢れていた涙が少し引っ込んでしまった。コンタクトレンズがこぼれ落ちそうだ。
ルカは今ここにいる護衛騎士で、マリエラに王妃教育で護身術を教えてくれた先生だった。「マリエラ様、お久しぶりです」と言ってくるルカに、マリエラは言葉もなく頷き返すことしかできない。

父よりも年上に見える男性のルカとアルフレードが恋仲。でも、そうか。同性のルカを恋人にしているアルフレードが国王になるなら、フィオレは結婚相手として丁度良いのだろう。ルカと浮気をしても悪女が正妻なら罪悪感を持たずにすむ。
あれほど真面目で誠実と思っていたアルフレードも、結局は浮気をするのか。と少しだけ思ってしまったが、子孫を残さないといけない王族なのに女性を愛せないことを、真面目なアルフレードが悩んでいないはずがない。浮気だからと無条件で悪認定するのは良くないとマリエラは反省する。

「マリエラ嬢が僕にイエルとして接するままだったら、何も言わないつもりだったんだけど。……これ、受け取って」

そう言ってアルフレードがマリエラへ渡してきたのは1本の黒い鍵。

「兄上が婚約破棄を宣言した本当の理由は、誰もマリエラ嬢に言ってはいけないって、兄上はそう命じたんだ。まぁ、カファロ公爵とバルビ公爵は兄上に頼まれなくても言わなさそうだけどね。……誰も何も言わなくても、それでも、マリエラ嬢が兄上の想いにたどり着いて、しかも兄上を助けたいって言ったら、その時は僕からマリエラ嬢にこの鍵を渡すように頼まれてた」

マリエラはレオポルドが婚約破棄をした理由へはたどり着けた。でも、助けたいとまでは言っていない。

「兄上が幽閉される黒の離宮には、3本の鍵を使わないと解錠できない錠前魔法がかかってる。これは王太子が管理する鍵の複製。残り2本は国王と王妃が管理しているから手に入らない。僕が命令できる錠前魔導師に頼んだけど、この鍵1本から解析して錠前魔法を解除するには1ヶ月は欲しいって言われちゃった。僕には兄上を助けたくても助けることができない。……この鍵を自分で複製した兄上にも驚いたけど、兄上は君ならこの鍵1本だけですぐに解除できるって言うんだ。なら、これは僕からのお願い。兄上を助け出してくれない?」

1つの錠前に対して鍵が3本に分かれている複雑な錠前魔法で、しかもその3本の内1本の鍵だけで全体の錠前魔法を予想し、解読しないといけない。アルフレードから受け取った黒い鍵にかかっている錠前魔法を読み込んで、さわりだけでもと解読してみる。確かに難しい。でも、ブレスレットにかかっているレオポルドの錠前魔法の方がもっと難しい。

「10日あればできると思います」

「良かった。……これは僕がカルリノから聞き出したことで、絶対にマリエラ嬢に言うなって言われた秘密なんだけど、兄上はカルリノと賭けをしてるんだ。マリエラ嬢が助けに来てくれたら逃げ出して平民として生きる、来なかったら自害するってね。マリエラ嬢の学園が始まる2週間後が期限だってカルリノは言ってたんだけど、それなら間に合うね。本当に良かった……」

きっとアルフレードに頼まれなくてもマリエラはレオポルドを助けたいと言い出しただろう。ジャナや伯父に言えばなんとかなると、いつもどおり安易に考えたはずだ。

「アルフレード殿下に請われたからではなく、私自身がレオポルド様を助けたいんです。必ず2週間以内に解析してレオポルド様を助け出します」

「兄上をよろしく。あと、僕が先に鍵を渡したことも、自害するつもりだってことを伝えたことも、兄上には秘密にしといてくれたら嬉しいな」

マリエラとアルフレードは固く握手をした。そして、ドレスを隠すように羽織れるマントコートをルカから渡され、王城に近い宿の前で馬車は止まった。その馬車のドアを開け、馬車を降りるマリエラをエスコートしてくれたのは宿の前で待っていたジャナだった。

マリエラは宿の部屋で、黒い鍵にかかった錠前魔法の解読を開始する。

領地にいる頃に文通していた相手がレオポルドだったのだから、レオポルドは2年前から錠前魔法を勉強していたのだ。それだとしても、レオポルドは9年も熱中して錠前魔法を研究しているマリエラよりも遥か高みにいる。イエルとして接していた時に気付いたのだが、レオポルドは優秀すぎるが故に凡人の能力を過信してしまう節がある。

カルリノは期限2週間と言っていたようだが、こんな錠前魔法ならとっくに解除できるはずなのにマリエラはまだ来ない、などと考え、もっと早くに諦めて自害してしまうのではないだろうか。

そう考えたマリエラは、2週間ではなく必ず10日以内に解読するのだと、気合を入れた。そして10日かかると思っていたところを寝る間も惜しんで作業にあたり、1週間で終わらせた。そう、必死に頑張って、無理して1週間へ縮めたのだ。

「マリエラ?新年になっても来なかったから、俺はマリエラに選ばれなかったんだって思ってたのに。……もしかして幻?幻なら眼鏡じゃなくて素顔が見たかったな」

それを、レオポルドはマリエラなら3日で解読できると思っていたようだ。

カルリノのおかげで王城へ忍び込み、寝不足の中、早足で黒の離宮の最上階への階段を駆け上がった先には、信じられないものを見るような目でこちらを見てくるレオポルドがいて、しかも首に短剣をあてていた。
まさかダンスパーティーからたった1週間で自害を決行しているとは思わなかった。カルリノの言葉を疑い、寝る間も惜しんで解読して本当に良かったと、焦っていたマリエラへ投げかけられたレオポルドの第一声に、安堵よりも怒りが湧いてしまう。

「レオポルド様は、ご自分が飛び抜けて優秀だってことを理解してください!レオポルド様ならこの錠前魔法を3日とかけずに解読できるんでしょうね!私には寝る間を惜しんでも1週間かかるんです!」

レオポルドへ怒りながら、マリエラは人差し指を掲げた。マリエラの指から溢れ出た紫色の魔力が描いていくのは、とても細かく複雑な錠前魔法の解除魔法陣だ。複雑な分、時間がかかる。

「ごめんなさい。1週間も寝ずに、俺のために頑張ってくれてありがとう」

短剣を下げて、殊勝な様子で謝ってくるレオポルド。マリエラは幻ではなく本物と理解してくれたようだ。マリエラは眉を下げて上目遣いでこちらを見てくるレオポルドに、自分にだけ弱い所を見せ甘えてくる男に弱いことを、嫌でも自覚してしまう。

複雑な解除魔法陣を間違わないようにと一生懸命構成しているマリエラのドアを挟んだ向こう側、ベッドの上に散らかっていた数冊の本をこちらに見えないようにカバンへ入れているレオポルドが、格子状になったドアのおかげで目に入ってくる。
荷造りしているようだが、あの優秀なレオポルドが、幽閉先へ持ち込み、逃亡先まで持って行こうとしている本が気になる。どんな素晴らしい内容なのか後で聞くことにしようと、思っていた頃に、解除魔法陣は完成した。

ゆっくりと錠前へ溶け込んでいった魔法陣。花火の音に混ざって、カチャリ、カチャリと解除が進む音が響く。外から花火の弾ける音がしたと同時、ドアは開いた。

急いで中へ入り、今度はレオポルドの腕についている魔力封じの錠前魔法の解除を始める。実は、魔力封じの錠前魔法は王妃教育時代に盗み見たことがあるのだ。さしたる意味もなく単純な興味で、様々な錠前魔法を盗み見ていた過去の自分を褒めたい。
離宮の入り口でカルリノが見張りをしてくれているが、絶対に花火が終わるまでの20分以内に戻るように言われている。これなら余裕で間に合いそうだと胸をなで下ろしながら、ひとつ、気付いてしまったことにマリエラは言及した。

「これ、格子の間からレオポルド様の腕を出してもらって魔力封じさえ解除すれば、レオポルド様なら逃げれましたよね」

この形状の檻なら可能だ。レオポルドほど優秀なら、魔法を使って壁や窓を壊せるはず。

「それだと、俺が逃げ出したってバレる方法しか選べないから。……幽閉されたままに見える方法じゃないと出て行きたくないって、アルフレードに言ったんだ。だから、逃げ出す時にはもう一度鍵をかけ直す」

カチャリと音をたて、レオポルドの魔力封じが解除された。
魔力が使えるようになったレオポルドは、すぐにいくつかの魔道具を起動した。おそらく、”幽閉されたままに見える”ために必要なのだろう。

あとは、逃げ出すだけという段階で、レオポルドの足が止まった。外に出ようとドアへ向かって歩き出したマリエラの左腕を掴んで立ち止まってしまった。

「レオポルド様?」

「……マリエラは助けになんかこないと思ってた。だって、マリエラは俺に嫌われても平気そうだったし、わざと成績を落としてフィオレに王妃を譲ろうとまでしてた。ブレスレットの錠前魔法を見た時なんか、俺のこと嫌いって言ってたって、ジャナから言われた。……さっき、”カルリノの嘘つき”って言ってたってことは、マリエラは俺が死ぬかもしれないから来てくれただけなの?」

レオポルドの意外な卑屈さに驚くも、その真剣なオレンジ色の眼差しに、マリエラも真剣に応えないといけないと思い直す。

レオポルドは初恋の王子様だったとはいえ、マリエラがレオポルドなしでも生きていけるのは事実だ。あのダンスパーティーが予定通りに終わっていたら、ルオポロ王国でイエルとして過ごし、いつかレオポルドのことは忘れてしまっただろう。

「正直に言うと、私はレオポルド様がいない人生でもなんの問題もなく生きていけたと思う。でも、今はレオポルド様と一緒なら、もっと楽しくて、もっと幸せな人生になれるかなって思ってるよ。それじゃダメ?……それに、カルリノとの賭けのことを聞いたのは、この鍵をもらったあとだからね」

自害するかもしれない賭けのことを聞いていなかったら、きっと学園が始まるまでに間に合えばよいと、こんなに急いで解読していなかったと、レオポルドに対して反論してると、レオポルドは右手を掲げた。

その人差し指から出てきたのは金色の魔法陣だ。この部屋の窓からは見えないが、きっと、今上がっている花火よりもずっと綺麗だろう。やはり、この黄金の魔法陣が好きだなとマリエラは思う。

マリエラの左手を掴んでいるレオポルドの左手首に付いているブレスレットと、その掴まれているマリエラの左手首に付いているブレスレットに魔法陣が吸い込まれ金色に光だす。キラキラとした光が治ると、赤色のガーネットが水色のアクアマリンに変わっていた。

オレンジ色のガーネットと水色のアクアマリン、2色のブレスレット。

「マリエラ、あ………る」

レオポルドの言葉は特大の花火の音でかき消されてしまった。

でも、なんて言われたかは、わかる。

「もう一度、このアクアマリンみたいな水色の瞳を見たかったんだ」

そういってマリエラのメガネを外したレオポルド。今日はコンタクトレンズはしていないし、魔法薬も飲んでいない。
少しの間だけ見つめ合い、どちらともなく顔を近づけて、マリエラはレオポルドが見たかったと言った水色の瞳を、わざと閉じた。
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